甘いマスクのヒモ人生、川本裕之のギャンブルコラム

僕がやっているギャンブルといえば、パチンコ(パチスロ)と芝居ぐらいだ。
麻雀や競馬はやったことがない。ましてや裏カジノなどいったことがない。
芝居をギャンブルだ、というのは僕の勝手な考えなのでそれは置いといて、一般的にギャンブルの枠に入るパチンコについて語ろう。
僕が初めてパチンコ屋にいったのは、たしか小学校低学年の頃だ。父親につれられて三歳下の弟と駅前の『大都会』という店に行った。全面ガラス張りの大きな店だった。
当時のパチンコ屋は現在のようにパチスロの設置はほとんどなく、パチンコがほとんどだった。しかも自動的に玉が飛ぶわけではなく、一発一発ハンドルを弾いて飛 ばすのだ。ぼくは父親の隣で弟と、わけもわからず懸命に玉を弾いた。
結果は二人共負け。父親も負け。よくある休日の親子の風景だ(よくあるのか?)。
三人共負けてしまえば、ただのつまらない一日で終わってしまいそうだが、この日は違った。父親 が言った「玉がたくさん出れば、おかしやおもちゃがもらえるよ」、そしてこうも 言った「お金に換えることもできるよ」。僕は思った「なんだって!?お金に換えら れるのか、てぇことは、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が好きなだけ買えるじゃ ないか!!」。胸が踊った、激しく。そして誓った「大きくなったらパチンコ屋でお 金を稼いでやる」と。この頃の僕に、普通に働いて稼ぐという発想はなかった(涙)。
それから時は大きく流れ、高校二年の春。部活の先輩にパチンコにいかない かと、誘われた。どうやら先輩はパチンコで勝っているらしい。
僕は心の中で叫んだ「なんだって!?先輩はパチンコで勝っているのか。十八になるまで行くまいと思っていたが、これはパチンコで勝つ方法を知るチャンスだ!よし、先輩に着いて行こ う!!」。そして部活が休みの日に先輩と友達と三人で、学校の最寄り駅から二駅離 れた町のパチンコ屋へと出かけた。
店の名前は忘れたが『大都会』とよく似たガラス 張りの大きな店だった。店員に高校生だとバレたらどうしようと心配しながら、おそ るおそるガラスの扉をあけて店の中へ。興奮した。
ついにこの日が来たのだと思った。そして先輩にいわれた台に座り、500円玉を台の脇に備え付けてある玉貸し機 の中にいれた。玉がジャラジャラと沢山出てきた。一玉4円だから125発。先輩が ここを狙えと言ったところへ慎重に玉を弾く。
約4分後、何も起らないまま玉はすべて呑まれてしまった。と同時にお金も尽きた。
なんと僕は500円しかもっていなかったのだ。無謀すぎる500円で勝とうなんて! 先輩の方は1500円ぐらい打っ て、調子が悪いと言ってやめてしまった。友達は打たずに後ろでその様子をじっと見 ていた。
店に入ってから約15分、気まずい空気の中僕らは店を出てそのまま別れ た。大きくなってからのパチンコ初体験はこうして終わった。でもぼくは満足だっ た。十八歳を待たずにパチンコ屋へ行くキッカケを掴んだからだ。
それからの僕はバイトの月収約3万円のほとんどをパチンコに費やした。負けまくった。 もちろん勝つ日もあったが、月のトータルはボロ負けだった。だけどどうしても勝ちたくて、専門 雑誌などを読みまくって必死に勉強をした。今思えば、もっと他の勉強に時間使え よ、とも思うが、ほとんど意地だった。
それからまた月日は流れ、21,2歳の頃ようやく勝てるようになってきた。27歳である現在はまじめにやれば勝てるというレ ベルには達した。ちなみに勝ちはじめた頃から、パチスロも打つ様になった。(でも パチスロはパチンコ式スロットマシーンの略なのでパチンコはパチンコなのだ)。
そんな僕のパチンコライフも、最近ではほとんど行けずじまい。芝居の方が立て込んで いるからだ。
冒頭にも書いたが、僕は「芝居をやっていく」もしくは「芝居で生計を 立てる」というのは、ギャンブルだと思っている。なんとか勝つ方法があるはずだと 信じて、日々勉強中だ。








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