少年とオヤジが混在する人、成清正紀のギャンブルコラム

大阪に焼肉で有名な鶴橋という駅があってその二つ駅向こうに僕の生まれた町がある。
今は随分キレイになってしまったが「じゃりんこチエ」を地でいくような風景が広がっていた。駅前に「UFO」というパチンコ店があって、小学生の頃から父によくついていった。
父は真面目で厳しい人だったのだがギャンブルだけは大好きで土曜は朝からパチンコ、日曜は競馬とそう決まっていた。会社の仲間から「変人」と言われていたこの父が、ギャンブルへの道へと僕を導いていった。
幼稚園の頃から「麻雀」「ポーカー」「囲碁」など色々教え込まれ、父自身二十三歳位までパチンコや麻雀などの博打を生業としていたと自慢げによく言っていた。そのせいで「博打で喰う」という事に妙なカッコよさを感じていた僕のギャンブル好きはどんどん進行していった。小学生の高学年の頃には出来るかぎりのイカサマを駆使して家族麻雀に挑んでいたし、中学生では千円を握りしめてはパチンコ店に独りで行った。「オール10」や「マジックカーペット」などで遊んでいると、後ろから父に声を掛けられる。
「正紀ぃ!姿勢が悪いっ!」
「正紀っ!手に力入り過ぎてる!」
「その台は死に台やで。こっち打ちなさい。」
などなど、父は未成年だからと怒ることはない。冗談のような良きアドバイスをくれるのだ。友達からは「お前のおとんおかしいで!」とよく言われたがそういう父が僕は大好きだった。 競馬にもよくついていった。競馬で忘れられないのはちょうど昭和天皇の崩御した年の天皇賞、恐らくイナリワンだったと思う(違うかもしれん)が優勝した時1−7という馬券を僕は買っていなかった。すると父が嬉しそうに近づいてきて「お父さん1−7、一点買いやで」「凄いっ!何で分かったん?」と僕。父は普段一点買いをしないのだ。すると父は「正紀、天皇死んだんいつや?」「一月七日、あああっ!!」「1−7。JRAの陰謀や。」と言って意味深げな顔をしてみせる。その時はズガーンと雷に打たれた様なショックを受けた。何が陰謀なもんか。今考えるとばかばかしくも思うのだが、中学生の自分が競馬にのめりこむには充分過ぎる大事件であった。
ろくでもないことばかり教えてくれた僕の「師匠」のせいで中学高校大学時代の大事な時間とお金を相当ギャンブルに費やしてしまった。それはそれで楽しかったのだが博打って何も産み出さないのね、ってことに大人になってから気付いた。だからこそ楽しいのかもしれないけど。 父は僕が大学時代に天国に行ってしまった。
僕自身もう競馬はしなくなってしまったが、なるべく一年に一度は父の供養の為に競馬場に行くようにしている。僕のギャンブル好きは相当根が深いのだ。








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