2013年11月27日

荻原浩著『明日の記憶』ー横山真二

お久しぶりです。幽霊劇団員の横山です。
最近のKAKUTAのお客様は知らない方も多いと思いますが、KAKUTAの「DEBU」枠でございます。
今回は次回公演に因んでオススメ本を一つご紹介させていただきます。

私がこの本に出会ったのは7年くらい前かな。(詳しくは不明)
きっかけは表紙の渡辺謙さんと樋口可南子さん写真。

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私のような地方出身者は同じ出身で活躍されている方がいると凄く親近感を憶える。渡辺謙さんと樋口可南子さんはどちらも同じ新潟出身。しかも中越地区(マイナー)。そこだけに惹かれ購入した本です。

この本は49歳という若さで若年性アルツハイマー病(いわゆる認知症)の診断を受けた主人公とその家族のその後の生活を描いたお話です。
当時この本を読んだときはそういう病気を想像しながら読んだ。記憶が無くなっていくこと、何も記憶できないこととはどんなに不安なんだろう。本人だけでなく家族はどんなに辛いんだとうって。思い出を積み重ねることができないということはどういうことなんだろう。

今、私は病院で働かせていただいており、実際にそういった病気を持つ方と身近に接している。
その中でこの本をまた読み返してみた。

この本を改めて読んで感じたこと。

それは「今」ということ。

過去のことも大事、未来のことも大事。でも一番重要なのは「今」が楽しいかということ。
これだけ聞くと今だけ楽しければいいとか無謀な言葉に聞こえるかもしれないが少し違う。未来のことを思い描き辛い「今」を過ごすことも一つかもしれません。

何が言いたいのか自分でもよくわかりませんが、「後悔」しない生活を送るということ。
文字にするとなんだか薄っぺらいかもしれないけどこの本を読んで、常に「今」を大切にしている主人公夫婦を感じながらそんな気持ちになった。
なんとなく生活していくのと1mmでもそういうことを考えながら生活していくのでは人生の楽しみ方が10倍違う。(偉そうですいません)

だから私は一向に痩せなのかもしれません。(ダメだろ!!)

映画化もされていますのでお時間ありましたら是非ご覧になってみてください。

2013年11月18日

道尾秀介著『鬼の跫音』-若狭勝也

道尾秀介さんの本が気になってた。
僕より1歳年下の、1975年生まれの作家さんだ。
僕が高校1年生の時に、中学3年生の作家さんだ。

特に、関係ないですね(笑)

でも、面白い本を読んだ時にスゲーなあ~と思い、それが年下の方が書いたんだ思うと、ちょっと、
おっ。
となる。年下なのに、僕より人生経験が豊富なんだろうなあと思ったり、僕より世の中・人間の事を知ってるんだろうなあと思うと、僕は1年も多く生きてるのに何をしてたんだろうなと思うんです。
まあ、僕は作家を目指している訳ではないんですがね……。

KAKUTA団長・成清さんの家で劇団作業をしている時に、劇団員で本の話になり、僕が道尾秀介さんの本を読んだ事はないけど、気になってるんだと言ったらすぐ、マサ(佐賀野雅和)が、
「えっ?!俺ちょうど今、読み終わって持ってるよ☆」と。
「えっ?!じゃあ、貸して!」と。
なんだか、僕が読む事が“必然だったような偶然”で、手にした。

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『鬼の跫音(おにのあしおと)』

「鬼の跫音」「犭(ケモノ)」「よいぎつね」
「箱詰めの文字」「冬の鬼」「悪意の顔」
6編の短編集、6人の「S」による危険な罠。

僕は、ホラー、ミステリ、サスペンスが好きで、最後に真相が分かったりすると、勿論、そうだったんだあ!と驚くことはあるんですが、その驚きは一瞬で、ドキドキしてた割には、
「あ、そういう事ね。」
とサラッと終わる時もあります。
読んでいる途中は、ドキドキしながら読んでいるのですが、終わってしまうと、
「ふーん。」
と。

サラッと終わらず、真相が分かってからも印象に残る作品ってなんなんだろうと思っていたのですが、道尾さんのこの本の作品はどれも面白いのです。

犯人は誰だろう?とか、真実は何なのか?とか、物語の進行を追っていくというよりも、
この人は何を思っているのか?何を感じているのか?と、人の心の動きを追っていけるので、
読み終わったあとに、答え合わせのようなラストの驚きというよりは、
そうなってしまった、そうなってしまう、それまでの人の心の動きに驚きます。

本の帯にあったのですが、

人の心は哀しい。恐ろしい。
そして愛おしく、切ない。

あっ!そして、言うの忘れてた!
道尾さん本は、まだこの本しか読んでないので他の作品は分からないのですが、
作品の出だしが僕は好きなんです。
最初の1行から、
ぶぅわっ!
といきなり引き込まれるので、すぐに読書時間に没頭出来ます。
最初の1行で、最後まで読みたいと思うんです。

お時間ございましたら是非ご覧くださいませ。
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もう、一気に“ちゃんちゃんこ読書”状態で読み切りましたよ。
(“ちゃんちゃんこ読書”の季節になってきましたね☆自宅) 

また道尾さんの他の作品も是非読んでみたいと思います。

2013年11月11日

近藤麻理恵著『人生がときめく片づけの魔法』ー 松田昌樹

ジ•アナザーメンバー幽霊劇団員の松田です。
ほとんどの方、初めまして!!
もう、所属15年くらいになります。

僕が読んだ本はこちら!

「人生がときめく片づけの魔法」
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せっかくだから、実用的な本を選びました。
みんなの流れ崩していたらごめんなさい!

人生を変えるほどの本というのは、滅多に出会えるものではないと思いますが、僕はこの本を読んで本当に人生が一変しました!

口コミがどんどん広がって話題になり、つい先日ドラマ化もされました。ご覧になった方もいるかもしれません。

人生なんて、大げさだな…
最初は僕もそう思って読み始めましたが、ところがどっこい、読み進めるうちに「ほぅー」と納得でき、不思議と「今すぐ片づけがしたい!!この片づけ論を試してみたい!!」という気持ちになるのです。

僕の家は、自分で言うのもなんですが、昔から割と片づいているほうでした。ただ、ものは多く、収納しきれない道具や本は部屋の隅にまとめたりと、まぁそれなりの家。

ある日、この本に従って家の中のものを一気に整理してみました。
そしたら、あれよあれよと「お役御免」なものたちが、ゴミ袋へと収まっていったのです。

そうなると後は連鎖で、ホコリが落ちているのも気になってマメに掃除するようになるし、キレイなキッチンで自炊をしてみたくなる。
片づいている自分の家が大好きになり、毎日が充実するのです。
(嘘みたいですが、本当にそうなのです!)

以来、片づけの魔法はとどまることを知らず、僕の人生をキラキラと輝かせ続けてくれています。

この本では、従来の片づけガイドライン、方法論といったことではなく、徹底して「マインド面」の追求がされています。

文中、僕が特に気に入っているフレーズがこれ。

【片づけとは、「片を付ける」こと。】

過去の自分や、ものたちに、片を付けて、前に進むこと。

そうか、なるほど。
と納得しながら、昔フラれた女の子の思い出の品に、片を付ける今日この頃です(笑)

お部屋がつい散らかってしまう…という方、騙されたと思ってぜひ!

劇団員各位》稽古見に行くからね!楽しみにしてるよー!!

2013年11月04日

沼田まほかる著『アミダサマ』ー大枝佳織

本を読むのは専ら半身浴をしながらでお風呂にいることがほとんどだ。
湯に浸かりながらバスソルトの花の香りの中で本の世界に浸るのは贅沢な時間で長々と過ごしてしまう。
地ビールなど持ち込んだら最後、楽しくてなかなか出て来れない。

そんな基本ラグジュアリーな入浴時間を早々に中断せざるを得なかった異例の本。

「アミダサマ」
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面白いのだ、けれども…怖い!
よくあるダイレクトな怖さの怪談とは違い、登場人物の心情の変化や人物に迫る描写が細かくじわじわと深い恐怖に包まれる。
浴室という所がまた怖い!
水滴や空調の音、ドアの向こうの部屋で時々する物音に過剰に反応してしまう。
続きが気になるし1日のうちの特別なこの時間をどうにか継続したい為浴室のドアを開けて怖さ軽減を試みるも、一度怖いと思った心は恐怖に支配されていく。
もはや花は香りを失くし、ビールも味がしない。
頭や顔を洗う時なんて目を閉じるのがとんでもなく恐ろしく、お花とビール色に染められたラグジュアリーな時間は暗黒色の恐怖時間に変わる。
読んで数日は一秒でも長くと怖さを我慢して読んでいた。
しかし、その我慢の時間が怖さを倍増させ体をしっかり洗えなかったり髪にシャンプーが残っていたりという事態を引き起こすことに気付き、恐ろしの予感がするとすぐに中断することにした。
恐怖分散戦法を編み出し何とか読んだが完読までかなり日数がかかった。
しかし、続けたい気持ちがあっても我慢して読んだ先にどのような状態が待っているかを見通してやめておく、そんな大人な選択が出来る様になった自分を褒めたい。

ネタバレになるが、話に猫が出てくるのだがこれがまた恐ろしかった。
いろいろな本に時々猫は出てきてその度毛並みや顔つきを思い浮かべ愛しく思うのだが、今回話に出てくる猫は毛並みや顔つきなどどうでもいいおっそろしい恐怖猫だった。
おかげで実家の猫を見る目が変わった。
にゃにゃ~ん、と大好きなカブキが愛くるしく近づいてきても目を逸らしてしまう。
大人の選択が出来る様になった代わりに猫への無償の愛を失くしてしまった私をカブキが寂しそうに見ていた。
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2013年11月01日

東山彰良著『路傍』―佐賀野雅和

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前回届いた「路傍」すぐ読み終わりました、予想通り瞬殺でございます。
この本、いわゆる短編集なんですが、主人公は全話通して同じ。チンピラのお二人。
ダメーな男二人の船橋での生活を描いているのですが、まー!ほんとにダメなんですわ、この二人!何がダメかって、何がダメなのか覚えてないくらいにダメなんですわ!そんな二人の日常ですから、ぶっちゃけどーでもいーことだらけなんです、が、がっでむ、なんですかね、東山さんの文章ってどーでもいいことが書いてあっても、ついついこうぐうっと引き込まれてしまうんですよ、ぐぐぅっと。
そんな訳で、ぐぐぅっと引き込まれて、サクっと瞬殺です。

引き込まれた先にある世界。
本を読んでいる時に頭の中で想像する世界、あれなんなんでしょう。
ぼんやりと思い浮かべているその場所は自分が行ったことかある場所なのか、それともテレビや雑誌などでチラっと見たことがあるだけの場所なのか。
僕はいつもあれはどこなんだろう?と思いを巡らせるんです。
僕が頭の中で主人公達を動かしているあの場所は大体、架空の場所。
行ったことも見たこともない場所。
地下にある汚いBARやボロアパート、寂れたフィルム工場、高級ホテルの最上階にあるプール、怪しい宗教団体の本部や岐阜かどこかの山中、全て僕の記憶にはない場所だけど、読んでいる最中はちゃんと思い浮かべることができる。人間の脳ってスゴいなあ、と思うのです。
そしてそれを思い浮かべさせる力を持った文章もこれまたスゴいなあ、と思うのです。

自分だけの世界を作りあげることができること。
これも本のいいところだなあと思うのです。

この本で二人が入り浸っているBARに行ってみたい。

否、やっぱり一瞬で絡まれて瞬殺されそうなので、
チラ見でいーや。