よしもとばなな著 「デッドエンドの思い出」-原扶貴子
今抱いているこの感情を的確な言葉で、
もしくはそれ以上の錬金術のような方法でもって
言葉に置き換え、記すことができたら…といつも願ってきました。
私にとっての永遠の横綱は、やはり穂村弘氏。
初めて彼のエッセイを読んだ時には心底驚きました。
言葉にはできないけれど
それは如何ともしがたい様子で確かに私の中に存在していて、
ともかくはなんらかの形で表現できたらいいのになぁと願ってきた類いの感覚が、
すべて文字に置き換わっていたから。
そしてもう一人。
それがよしもとばなな氏。
彼女の場合は、
紡がれるセンテンスがそっくりそのまま私の感情という直結型ではないけれど、
別の表現であらわされたモアモアとした感情の塊が
形こそ違えど私の抱える塊とリンクする、
そういった感じでしょうか。
朗読公演の作品選びに奔走する日々、
恋愛小説を求めて、久しぶりによしもとばなな氏に手を出したのでした。
よしもとばなな著『デッドエンドの思い出』
2003年初版なので、恐らく私は出版直後に読んでいるはずだから、
今から7年前に読んだきりのものだったのですが、
まぁ、ひさしぶりに心を持っていかれました。
7年前に描かれたものなのに、
最近、私が考える人の心の在り様みたいなものが詰まっていて、
本当に驚きました。
この本が出た時にその辺まで思い至ることができていたら、
私のこの7年間がもうちょっと楽だったのかなぁと思ったりして。
とはいえ、語り口が私一人称で、
あまり会話も多くなく、
≪語りがいて、登場人物がいて≫というKAKUTAの朗読の形には
ちょっと向かない気もするので、
読み本決定の一助になったというより、
自分へのプレゼントのような読書になったのでした。
5つの短編からなるこの本ですが、
ばなな氏自身が「これが書けたので、小説家になってよかったと思いました」とまで言い切っている「デッドエンドの思い出」と「あったかくなんかない」が好きです。
ちょうどこれから、
いちょうの落ち葉がふかふかに降り積もる季節ですし、
ぜひ読んでいただきたい一冊です。
いちょうの絨毯がなんなのかは、読んでからのお楽しみということで。
さて心が柔らかくなったところで、
朗読公演の読み本が決定するまでの読書百本ノックへ
勇んで戻ります。