吐露始め 2006/08/18 金曜日

「ね」 寝ている子を起こす(ねているこを・おこす)

その時、同級生のM君は私の横できつく足を組んでいた。

中学三年生の終わり、両親が仕事へ出かけた昼間のうちに我が家へ集まって、クラスメイトの男女交えて開催したビデオ鑑賞会。一度目はホラー映画、そして二度目のその日は、アダルトビデオであった。
言い出しっぺは女子の方、というか私だったかもしれない。毎月「ロードショー」を愛読し映画好きを名乗っていた当時の私はレンタルビデオに通い詰めていたが、ある時知った店の奥、自分が入ることの出来ないワンコーナーに多大な関心を寄せていた。
それは女の子が最も興味の薄い極道モノをメインとしたVシネコーナーの奥にあり、こんなところにまだスペースがあったのかという場所に小さな入り口があって、時折足早に男性方がビラビラしたビニールカーテンを抜け奥へ消えていく。あの中には何か危険なモノがあると小学生の頃からうっすらわかってはいたが、受験シーズンも終わりもうすぐ高校生という折りに、どうしてもささやかな大人の階段を一段上ってみたくなったのだ。
さてその日、男女交えて6、7名。ウキウキと集まったはいいがビデオをレンタルするまでが最初の難関だった。
会員証は15歳の自分たちのものしかなく、会員情報を見られたら貸してもらえないどころか、子供のくせにAVなんてと店員さんの冷ややかな目も甘んじてお持ち帰りすることになる。いかにしてそれを避けるか、私たちが絞り出したアイディアはただ一つ。グループ内でも一番おっさんくさいルックスの同級生・アリちゃんに借りに行ってもらうことくらいだった。アリちゃんは中三ながら既にカールおじさん的な口ひげをたずさえており、旅行に行けば夜が明けるまで“中小企業と子会社の発展について”といった経済的熱弁を振るうような、日頃の振る舞いから少々おっさんの匂いがするやつだった。彼ならば店員さんもレジ横のコンピューターでわざわざ年齢を確かめようとは思わないはずと、私たちには自信があった。しかし万が一知られてしまったときに今日のイベントが台無しにならないよう、アリちゃんには15禁のヤングアダルトも借りてきてもらうことにした。

さてその日、皆はお菓子などを用意して我が家へ集合し、行ってらっしゃいと元気にアリちゃんを見送ったが、私はどうしてもあの奥の一角に行ってみたかったので、女子代表としてアリちゃんについていくことにした。
周囲にひと気がないのを確認しアリちゃんを奥のコーナーに送り出す。今思えばアリちゃんがあの奥に入ったのは初めてではなかったのかもしれないと思うのだが、私はそこにアリちゃんが歩いていくだけで最高にスリリングだった。
が、しばらくしてアリちゃんが奥から顔を出し、照れくさそうに言った。
「何借りていいかわかんね」
確かにあの大量なビデオの中から一本チョイスしてくることは、アリちゃんが己の嗜好をみんなにお知らせする形になる。しかしその時の私は「ってことは私があの中へ入れるチャンス」と受け取っただけだった。
「ねえアリちゃーん、あれ?何ここー」などと“悪気なく入っちゃった女子”を白々しく演じてついに奥の一角に走り込んだ私。「バ…バカ、入ってくんな!」と焦るアリちゃんの奥で、今まさにビデオを選んでいた男性客が明らかに動揺するのがわかった。
しかし動揺したのは私も一緒であった。

「な…なんじゃこりゃ!?」

何があるかはわかっていたが、驚いたのはその数だった。あの奥の一角にこんな広いスペースがあったとは!それはまるで、書斎の本棚の奥に宝の部屋が隠れていたかのような衝撃だ。
みぎひだり、どこを見渡しても乳、乳、乳。…乳、尻、乳。
あっという間にクラクラと酔ってしまい、ひげ面ながら同じく酔っていたアリちゃんと二人で、その辺の棚から下着姿の女の子がかわいらしくこちらを見つめている一番おとなしげなジャケットのビデオをもぎ取るように選んで部屋を出た。
さすがはアリちゃんのおっさんルックスにより(あるいは店員が見逃してくれ)、初めてのアダルトビデオは苦もなく借りることが出来た。保険として借りておいた金髪ターザン娘の15禁ビデオも一緒に、私たちは揚々と家へ帰ったのだった。

そして、冒頭の描写に戻る。
ビデオは思った以上に激しい(今思えば正当な)AVであった。
最初の芝居シーンはヘラヘラと見ていたものの、いよいよナニが始まり出すと皆どういう顔をしていいかわからない。爆笑して誤魔化す奴(私)、台所へ菓子を食いに行く奴、「なんか気持ち悪くなってきちゃった~」と模範回答の女子、まるでもう飽きたかのように違う遊びに興じる男子という誤魔化し合戦が続いていたが、そんななかさして動揺した素振りもなく画面を冷視していたのが秀才のM君であった。
M君は「うげー気持ちわりいー」と騒ぐほか男子たちと違い、ソファへ優雅に腰掛けてそれを見ていた。最初こそ少し恥ずかしそうにはにかんだり(女子にはこれが「かわいー」と高得点)しつつも、やがては「大人って、バカだな。」と吹き出しをつけたいようなやや呆れた様な面もち(ここがポイント)で、テレビ向こうの泡ぶろで絡み合う男女を眺めている。
しかし、さすがM君は大人だなあと思っているたら、台所へ避難していた男子の一人が可笑しそうに体をよじらせている。行ってみると男子E君は遠くのM君を指さし私へ耳打ちした。
「M、足くんでる!」
「え?」
私はその何が可笑しいのか、瞬時にはわからなかった。
腰掛ければ深々と体が沈むはずのたっぷりしたソファに、姿勢よく浅く座って足を組み、組んだ膝の上にきちんと両手をクロスさせていたM君。
その不自然な座り方に特別な何かを感じ取った時、私はまたひとつ男の子の愛しさを知ったような気がしたのだった。

吐露終わり
吐露始め 2006/08/15 火曜日

「ね」 猫の手も借りたい(ねこのても・かりたい) 

「猫の手も借りたい」とは、猫の手だろうが猿の手だろうが孫の手だろうがもう何でも良いから貸してくれいってほどに忙しい状況のこと。
お盆。私はまさにそんな「猫の手も借りたい」状況である福島の田舎、祖父の新盆に、孫の手として猫以下の働きぶりでお手伝いをしてきた。

祖父が亡くなってから初めての帰省だった。
私の実家は東京なので正確には田舎ではないのだけど、幼い頃から冬・春・夏休みのほとんどを過ごしてきた母方の田舎、福島の鮫川村は私にとってやはり、田舎である。なのでここでは「帰省」と書く。
祖父のお葬式は稽古で出席することが出来なかった。藁を燃やして祖父の魂を迎え、仏壇の前で私は遺影になった祖父と久しぶりに再会をした。仏壇の祖父は若かった。親戚たちは皆明るく、気丈であり、母は仏壇の前で泣いている私を「ユウコさんがおじいちゃんとお話ししてるワ」などとからかった。私もそこで泣くのはやめ、久しぶりの我が家へ帰ってきた気持ちでくつろいだ。
祖母は「オメ、しばらくぶりにおっきくなって」と言う。去年も来たじゃんと私が言うと、「いやあ、オメのこた、ちっちぇえ時しか憶えでね」と祖母は返した。これは祖母のいつもの冗談である。いつもの冗談だけど、お葬式に帰って来れなかった自分を、少し悔いた。

福島の夏は涼しい。程良く草の香りをはらんだ風が縁側から入り込み、遠くでヒグラシの啼く声が、私をゆっくりと福島の子に帰していく。

幼少時代、「ちびまる子ちゃん」を初めて読んだ年上のいとこが「この漫画、ユウコがいるよ!」と思わず叫んだほどに、私はまる子のような子供であった。怠け者でお調子者、ちゃらんぽらんでスットコドッコイ、と書けば漫画家・さくらももこさんに申し訳ないのだが、祖母曰く「デレスケガキ」な私は、まあまさしくそんなまる子的子供であった。男の子で言えば、「カツオがいる」と言うことになるのだろうし、若干、と言うかかなり夢見がちな子供でもあった私は少し前までは「トットちゃん」に例えられていたものだが、その性格だけでなく、私がまる子にシンパシーを感じる理由のひとつは、祖父である。
祖父の名は、友蔵だ。

さて、新盆は大イベントである。
この村では新盆は第二のお葬式であり、早朝お坊さんの来訪に始まり、朝から夕方にかけてご近所さんから親戚の方々、村長さんに至るまでが続々と焼香に訪れる。
家ではビールやお茶、お刺身や天麩羅、うどんなどの軽食、そしておみやげを用意し、お客様を迎えるのだ。
この日、村の人たちは朝から大忙し。6,7件の家を回るのなんて当たり前なので、朝もはよから皆さん喪服姿で村中を駆け回る。朝いらした村長さんは「今年は62件回ります」なんてニコニコと仰っていた。それはそれは、お盆は忙しいものなのだ。
私の仕事はと言うと、そんな風に続々とやって来るお客様の靴を揃え、居間へご案内し、帰りには一人一人紙袋に入ったおみやげを渡すという役目。時折お茶をついだり、お刺身を運んだりなんかもするが、これらはお客様と顔見知りである母や叔母たちがほとんど行う(なんつって、ほんとのところ単に私は台所でまるっきし役立たずなのだ)。伯父と父、そして祖母はお客様を座敷にお迎えしてご挨拶するいわば接待係である。
早朝7時に起床し、8時にはお客さんがやってきた。ほとんど間をおかず、100人を超える喪服のおじ様おばさま方が訪れた。時に、「アレ裕子ちゃんが?おっぎぐなっで」などと声をかけてくれる人も居たりするが、私は誰のことも憶えていなかった。
何件も回るためお茶も飲まずにお帰り遊ばす方も多く、そんな時は冷蔵庫からお刺身を出しては下げ、出しては下げ、の繰り返し。お昼頃から徐々に休憩して行かれるお客様も増え、慌ただしいなかで母や叔母、私たち女は台所でうどんを立ち食いした。
私は帰るお客さんにおみやげを渡し、足りなくなればまた袋に詰め、靴べらを渡したりしまったりし、そんなことが夕方近くまで続いた。

お客さんが一区切りしたあたりで私は少し昼寝をした。本当なら一番忙しくしていなければならない若い衆にはあるまじきことだが、甘えさせてもらう。
窓を開け放ち、いとこが置いていった本棚の膨大な漫画をチョコチョコ読みながらうたた寝。下で親戚たちの笑い声が響いていた。
いとこの中でも一番末っ子の私は、昔からいつもこうして一足先に居間を出て自分の布団がある部屋へ行き、賑やかな声を遠くに聞きながら過ごしていた。祖父はいつもニコニコしながら無口な人だったし、私と同じく先に自分の部屋へ帰って過ごす人だったから、目をつむって耳を澄ましても、そこに祖父の声がないことを感じるのは難しい。
だからそこに祖父がいると、感じてみることも出来るような気がした。

目が覚めた頃には新盆の大イベントは一段落、夕方が近づいていた。
福島の夜は早い。伯父は毎晩夜の8時に寝るので、日が暮れて夕ご飯を食べたらもう寝る時間なのだ。短い夜の夕食を、皆で食べた。お客様に用意していた天麩羅やうどんの残りは冷えても美味かった。うちの親戚イチ個性の強い叔母がハイテンショントークで相変わらず食卓を盛り上げ、私たちは大笑いした。
私と父はこの日の深夜には東京へ帰る。なのでもうじき就寝する伯父にお休みとまたねを告げた。

祖母の部屋に行き、体を揉んだ。これは私と祖母の恒例である。手が疲れるので子供の頃はめんどくさいと思ったこともあったが、今はこれをしないと落ち着かない。またお互いに憎まれ口をたたき合う祖母との会話も、毎度なくてはならないものなのだ。
足を揉みながら、今回帰省して初めて一緒に祖父の話をした。おじいちゃんは幸せだったねと、話した。孫の私が勝手に幸せだった、などと断言するのもなんだけど、祖母も「んだんだ」と同意した。
奥の部屋には、ベッドが二つ、並んでいる。ひとつは祖母のベッド、もうひとつは祖父のベッド、祖父のベッドはもう、シーツが敷かれていない。
私は最初ベッドを見たとき「この際だからダブルベッドにしたら」と、提案してみようかと思っていた。しかし祖母は、そんな考えを知っていたかのように、不意にベッドの話しを始めて「なんだかとっちまうのもさびしくてなあ」と言った。
「夜中にふっと目が覚めるんだ。そうすっど何だかおじいちゃんがいるんじゃないかって横見てしまうんだよなあ」
私は、ダブルベッドの提案をしなくてよかったと思った。そんな提案をしようと思った自分を、少し悔いた。
「なんだ夫婦ってもんは、不思議なもんだない」
どうにも涙が出てきて、私は泣きながら足を揉んだ。祖母に泣いていることを悟られないように揉んだ。
こんな時でも照れくさいものなんだなあと、思った。

哀しい日であるはずの新盆は、哀しいが猫の手も借りたいほどに忙しく、楽しかった。
哀しいことを忘れるほどに、優しく、明るく、心地よかった。
祖父がそれをくれたことを私は知っている。

吐露終わり
吐露始め

ね 猫の手も借りたい(ねこのても・かりたい)☆吐露部屋リニューアル!!☆

昔、『斉藤由貴の猫の手も借りたい!』っていうラジオ番組、あったよね。
聞いてたなあ。斉藤由貴ちゃんの昔やってたデパートのドラマ、見てたなあ。

ハイ!のっけから全くどうでもいい話題で失礼します。桑原です。いよいよ吐露部屋、ブログにリニューアルしました。まあまあ、ついにという感じですな。サイトデザインをお願いしている『Ng』の村上氏が、表参道の飲み屋「東方見聞録」にて私が紙に適当に書き殴ったくだらない絵を元にデザインから一新してくだすったのです。良い感じにブラッキーな仕上がり、過去のバックナンバーもすぐに読めちゃう(読みたいかどうかは別として)ニュー吐露部屋の始まりです。とはいえ相変わらずのらりくらりと、そして時には何を思ったかハイペースに、お贈りしたいと思います。4649!

吐露終わり
吐露始め 2006/08/07 月曜日

「ぬ」糠に釘(ぬかに・くぎ)

いつからだろう、ロマンチックな男にイラッとしはじめたのは。
かつてバンドマンの彼と付き合っていた頃、私は彼の創り出すロマンワールドの虜であった。
誕生日に年の数だけのバラをもらってはウットリし、セックス・ドラッグ・幼少時代のトラウマ等々、過去の思い出を遠い目で語る彼の横顔に惚れ惚れ見とれ、リビングで唐突に「踊ろうか」と言われおぼつかぬ足取りでゆらゆらチークダンスを踊ったりもした。
彼の部屋に泊まりに行った翌日の朝、私より早く起きてキーボードに向かい楽曲創作に励む彼に、「私の歌を作って…」などとねだってみたりと、私のロマンぷりもなかなかのもの。
しかしそんなおねだりに「ゴメンね。俺はそう言う視点では曲を作らないんだ。俺の曲は、暗い歌ばかりだからね…。」とまたも遠い目をする彼を見て、「なんて素敵なの」とため息をもらしたものだった。
ロマンチック最高!ムーディ万歳!あなたのならばそこはどこでもダンスホール。
しかしいつからだろう?そんなロマンな空気にキュッとする気恥ずかしさを覚えはじめたのは。
付き合って半年が過ぎた頃、彼と渋谷を歩いていたときだった。私たちは道の脇に止まっていたワゴンでドネルケバブを買った。店員はアラブ系のおじさんで気さくな空気を醸しており、「英語が得意(自称)」な彼は、基本が日本語でありながらも「a-ha」的な相槌を挟みつつ、おじさんへフランクに話しかけていた。私は彼が早く英語を駆使して喋らないかとワクワクしながらその様子を見守っていたが、会話が盛り上がるほどの時間もなくケバブサンドはあっという間に出来上がった。
「アリガトゴザイマシター」とアラブ系のおじさんが言い、私も礼を言って去りかけたとき、彼がおじさんを振り返って言った。
「See-ya!」
おそらくその時だ。私が“キュッとしたもの”を自覚したのは。
「シーヤかよ!」彼と腕を絡ませ歩きながらも、心の中で叫んだのだ。
イヤ別に英語自体が間違っていたわけじゃないだろう。「シーユーアゲイン」。未だ英語などろくに使えぬ私だって意味くらいはわかる。「別に挨拶として何もおかしくない」と言われたら返す言葉もない。
でもなんだったのか、あの違和感は。何がキュッとさせたのか。
私の中に以下のような想いが渦巻いた。
1/「バイバイ」じゃダメなのか
2/だってまた会うのかよ
3/そこまで盛り上がってたかな
4/おじさんは日本語だったのに
しかし私は当時恋人に対して限りなく盲目的でありたいと思うタイプであったので、その瞬間は冷静な目線を排除して「やっぱり英語が喋れるんだ、彼って素敵」と思い込んでいたし、“町なかで外人さんと気さくにふれ合えたというシチュエーション”にひとまず浸っていたかった。そのエピソードを友人に話し、「彼って英語話せてね」などと自慢した時もあったかもしれない。
だが彼と別れてはや幾とせ。当時の思い出を振り返ると、あの「シーヤ」が何かの分岐点であったような気がしてならない。たったあの一言、何でもない日常の一コマなはずなのに。
シェリル・クロウの歌声にあわせてゆれたあのロマンチックなリビング・チークダンスの思い出が、「シーヤ前」と「シーヤ後」では私の中で明らかに異なる色彩を放ったように思うのだ。
それはなんというか、「ネバーエンディングストーリー」と「ネバーエンディングストーリー3」ほどの違い、気がつけばファルコンが不細工&チープになっていたようなささやかだがハッキリとした違いなのだった。
以後、例えば飲み屋で男たちが己のロマンチストな恋愛話をしていたりすると、知らず知らずそれがシーヤ的かどうかを確認している自分がいる。そして「シーヤリトマス紙」において酸性と出たものに対し、厳しい目を持つようになった。
だが男は多かれ少なかれロマンチストでシーヤ的。うちの劇団員横山君も、クリスマスに付き合ってもない女の子へ「どうしても手作りオルゴールをあげたいんだ!」と言ってきかなかった暴走ロマンチスターだが、そんな彼に「ロマン禁止!」といくら叫ぼうとも右から左、糠に釘だ。
打っても打っても釘はめりこみ「ムード」という名の糠に埋もれ、ロマンチストという病気は治らないのである。
ならば女はどうするべきか。
全てのロマンぷりを否定してしまっては自分の恋愛が味気ないものになるだけ。
時にキュッとなりつつも、たびたびイラッとなりつつも、自分のシーヤリトマス紙が酸性反応を起こすまでは、共にロマンに浸かってみるのも良いのだろう。
酸性ギリギリのロマンは、それはそれはスウィートなものだから。

吐露終わり
吐露始め 2006/06/25 日曜日

任重くして道遠し(にんおもくして・みちとおし)その2

だけどどんな規模の舞台でも、“あの人が観てると思うと緊張する”って言うのがあるわけです。
両親が観てるとか、恋人が観てるとかもあれば、尊敬する演出家だったり、憧れの女優さんだったり、そしていつも楽しみに観に来てくれるお客さんだったりする。
こう考えると、劇団結成したての頃、え?お前ら誰よ?何やるわけ?と思いながら特に期待もされずに観られていたときの方が、逆境な様でいて実は格段に気が楽だったのですな。
それが日本代表の方々にしてみれば、深夜4時からなのに視聴率が30%を超えるような期待なわけで、目、なわけで。
これを「そんなの覚悟でやってるんだからしっかりしろよ」とはやっぱりね、言い放ってしまいたくないなあと思ったりするんです。
また舞台だと、来た人全員が面白がってくれるようなモノを目指す必要はない、なんて言う見解もあったりするわけだけど、本当はスポーツの試合だって勝ち負けだけで語れるモノじゃなかったりするのだろうけど、これだけ国民が熱狂している最中だと、こと結果だけにこだわる観客もいるわけで、ひとつミスすれば心ないヤジをガンガン飛ばされたりする。
これはね、ホント怖いですよ。
でもきっと「見向きもされずに無視されるのとどっちが怖い?」と聞かれたら、やっぱり「野次られてもそこに立つ」ことを選ぶんだろうなあ。
この選択はね、とーーーっても勇気のいることなんじゃないかと、シミジミ思うのです。
さっきからええ、みんなそんなのわかってるよ!と言われそうなことしか書いてませんけどね、すいません。
何でこんなことを書いたかというと、来る『南国プールの熱い砂』初稽古を前に、こわいよードキドキするよーなぞとおもってる自分が、はあまったく情けないぞと思ったからなのでした。
今は何やら、よし、やってみっか!という思いです。

「任重くして道遠し」空港を歩く日本代表を観ていてそんなことわざを選びましたが、本当は、同じ「に」でも違うことわざ、「錦を着て故郷を帰る」で、いいと思うんだよ。

吐露終わり
吐露始め

任重くして道遠し(にんおもくして・みちとおし)その1

ムーンライトコースター。終了しました。
いや、とっくに終了してますよね。W杯も始まっちゃってますしね。とっくにね。とっくに…。
嗚呼、サッカー。
「にわかファン」とは誰がつけたか知りませんが、「W杯の時だけ盛り上がる奴ら」のことを今日も誰かが揶揄してそう呼ぶわけで、私はと言えば確かにそんなにわかの一人。「この、にわかめ!」と言うののしりに「煮ワカメ!」とでも呼ばれているような軟弱で噛めばモヨモヨした食感の情けなさも自覚しながら、しおらしく「ハイ」と答えつつ、私も日本を応援いたしました。
それでもワカメたちはワカメなりにこの期間サッカーのことを勉強したりもして、「ああサッカーって面白いスポーツなのだなあ」とシミジミ思ったりするのは、“ワカメじゃないサッカーファン”にとっても決して悪いことじゃないよなあと思うわけです。
まあ確かに何も知らぬクセにわかったように批判したりするのはにわかというよりおばかであるのだろうし、頼んでないのに川に飛び込んだり(そして困ったことに怪我したり)するのはいかがなモノかとは思いますけどね。
そう言うエネルギーの有り余った若者たちは、是非めいめい地元のお祭りに参加して御輿を担ぎ、まずは我が町の活性化に貢献して欲しいものです。

さて今回。結果を見れば日本は残念でしたと言うことになるのだろうし、「感動をありがとう」などと軽々しく言えばまたもや煮ワカメ呼ばわりされるのかも知れませんが、だけどやっぱりね、凄いなあと思うわけですよ。
だってサア、あのピッチに立つプレッシャーっていかほどのモノか、それをアドレナリンに転化出来なきゃダメなんだとかいう人も居そうですけどね、私のような臆病者からすると見当がつかないのだもんさ。
これは単純に規模の問題ではなくてね。舞台が大きければ緊張も大きいとは必ずしも言えないわけで。
例えば、STスポットの袖にいてもめちゃめちゃ緊張するけど、スペースゼロの方が緊張するかというとそうではない。逆に大きい舞台なら客席も見えなくなるから、その方が落ち着いたりすることもある。

吐露終わり
吐露始め 2006/04/29 土曜日

「に」 肉食の者(にくしょくのもの)その2

さて今日は、衣装チームとの打ち合わせ。稽古場の近くに適当な喫茶店がなく、今から居酒屋に行くのもなあと尻込みどこで打ち合わせしようか迷っていた。
話し合うのに適当な場所…ノンビリ出来て少しご飯も食べられる場所…そんな条件で探していたはずなのに、結局私たちが行ったのは焼肉屋だった。
全く本来の趣旨とずれている気もしたが、そこに飛び込んだ「焼肉」という文字から目が離せない。
されど、焼肉というパーティー会場へ迂闊に足を踏み入れてよいものか、迷う。打ち上げとか明日は休日だとか給料日とか、そんな大義名分もなく肉を食らっていいものか。別に貧乏だからと言うわけでもないのだが、打ち合わせに肉?コーヒーじゃなくて、コチュジャンビビンバ?
いいのだろうか。迷う。
だが結局、「うーん、ここしかなさそうだね…」とか何とか誤魔化しつつ、今日の主役衣装班がOKを出したのをいいことに「かるーくね」とか言って内心意気揚々と焼き肉屋へ入ったのだった。
作り物の洋服はいつもお願いしている凄腕衣装デザイナー速水ちゃんを中心に打ち合わせはバリバリ進み、当劇団のプリ肌衣装・留里子嬢もビール片手にテキパキスケジュールを立ててくれたおかげで、私はほとんど言うこともなく、となれば話し合ってるのを尻目に肉へ心を踊らせてしまう状態。こ、これじゃいかんと思うのだけど、鳥塩カルビを前に冷静でいられぬ私は、テーブルの端でユッケをたしなむタムちゃん(田村友佳)や、ダイエットなのか何なのかこの日はかたくなに肉を食べないでいる横山牛道(本名:横山真二くん)を気にしつつもついつい目を血走らせ肉に集中してしまった。
打ち合わせはうまくいった。しかし主宰がこんな体では、打ち合わせ場所チョイスとしてはやはり、失敗だったのかも知れぬ…。
今回可愛い衣装を着ているキャストを見たら、「あ、アレは主宰が焼肉に気を取られている間に決まったんだな」と思ってください。

吐露終わり
吐露始め

「に」 肉食の者(にくしょくのもの)その1

稽古からの帰り道。最寄り駅におりついたら、改札にいた若い青年が友人とおぼしき青年に寄りかかっている。酔っているらしいその青年に友人は彼を叩きながら言った。
「しっかり帰ろう、しっかり帰りな、しっかり帰ればそれが嬉しいんだからさ」
まるで三段活用の様な滑らかさで友人は言う。こう言われちゃ、彼もしっかり帰るしかないだろう。
「しっかり帰ればそれが嬉しいんだからさ」
あったかいようなそうでもないような、言葉だ。
そこには「俺のために…な!」という含みがあり、友人の思いやりとめんどくささが共存している。
ともかく酔った青年はそこに対する「思いやり面」だけに着目し、「あいつのために…さ!」と、大人しく、そしてしっかりと帰るしかないのである。
さて。全然関係ない話だが、ムーンライトコースターの稽古は始まっている。再演とは言え新キャストも参入し、新要素も多く、ゆえに初めて臨むときと変わらぬ高揚感と緊張感がそこにある。
そんな緊張をほぐしつつも高まる想いに弾みを付けるべく、我々が出かけたのはやはり、焼き肉屋だ。
花やしき稽古が本格始動する前に、この4月は劇団員でWSをしていた。なので、一応WSの打ち上げという名目もあり、普段は安く長く飲める居酒屋をいかにうまく探すかに勢力を注ぐ私たちも、この時ばかりはちょっと奮発して肉を!と言うことになったのである。
たかだか焼肉でそんなに騒ぐこともないのだろうが、それでもWS発表会を控えつつ「今夜の打ち上げは肉だよ!」となったとき、我々のモチベーションは確実に上がった。
なんてさわやかな人たちなんだろう…とちょっと思ってしまうくらいに、皆の目が輝いている。かく言う私も、人生っていいな、っていうくらいにイキイキしてたと思う。
人を瞬時にパーティー気分にさせる肉。(もちろん人にもよるだろうが)ホントに、こんなに心躍らせる肉ってすごい、と毎度新鮮に思ってしまうのである。

吐露終わり
吐露始め 2006/04/13 木曜日

「な」 泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生(ないてくらすも・いっしょう・わらってくらすも・いっしょう)その2

何とかうまいことを伝えたくて、それから何度もご飯を口に運びながら店主を見たが、結局一度も目が合わなかった。
うまいという顔が出来なかったかわりに、残さずきれいに平らげようと思った。米ひとつぶ、漬け物ひときれも残すまいと思って、その後は黙々と食べた。食べることに専念した。
いつもは「ながら食い」の私が精一杯食べた。精一杯食べると、これがまたうまいのだった。
ご飯はやはりねちっとしてたが、汁につけて食べたりもして、それもまたよかった。
ご飯とおかずの配分に集中し、顔を作るのもやめてシミジミモクモクと味わった。
そのうちに、目と目の真ん中あたりがぼやっとして、鼻水が出てきた。何かが胸の中で溶けてゆくような気がした。小さくふんふんしながら、ひたすら食べた。
会計を済ませた後、勇気を出してうまかったと伝えた。恥ずかしくて気取ってしまい、
「美味しく頂きました」
などと言ってしまった。気取ったつもりが帰りぎわカウンターに鞄をぶつけ、店員さんに笑われた。
外に出れば、私のむかつきはすっかり晴れていた。
雨もやみ、空に見事な皿型の月が浮かんでいた。

吐露終わり
吐露始め

「な」 泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生(ないてくらすも・いっしょう・わらってくらすも・いっしょう)その1

むかむかしていた帰り道だった。
友人の芝居を観に行ったあといやな奴に出くわして、ニヤニヤと嫌味を飛ばされむかついていた。
嫌味を言われた元はと言えばの理由を思い返してむかついていた。
劇団員と電話をして、その頼りなげな様子にむかついていた。
そうして悪いことは何でも人のせいにしてしまいたい気分の自分にも、むかついていた。
何にでもむかついていたので、コンビニの店員が頼んだ煙草のソフトケースを持ってきた時すらむかついた。私はボックスと言ったのに、とむかついた。
雨が降っているのに傘がない、むかついた。
むかつきながら一人でラーメン屋に入った。好きなゴマ味のラーメンで己を宥めるつもりだったが、いつになく卵とキクラゲの定食に心惹かれ、そちらを頼む。
定食はすぐに運ばれてきた。見たところご飯がねちっとしてたので、「楽しみだったご飯までねち、か」とやはり少しむかつき、これで卵とキクラゲが今ひとつだったら私はまたむかついてしまうなと心で準備をしながら口に運ぶ。
ところがこれが、旨かった。
ふあんとした卵は甘いのにほのかにピリ辛く、コリコリの薄切りキクラゲはタレが染みこんでて、嗚呼ハーモニー。
うまいのにむかつく準備をしていたから顔が戻らない。うまいと思いながらムッとした顔で食べ、シェフよ、なかなかやりますなとムッの顔で厨房を見ると、バチリ、店主と目があった。
店主は私がどんな顔をして食べるのか見ていたのだ。
あいつは俺の味を気に入ったかな。うまそうに食べてるかな、と言う風に。
私はハッとし、慌ててうまそうな顔を作った。しかし時既に遅し、店主は目を離していた。

吐露終わり
もくじ
か行 (8)
さ行 (18)
た行 (20)
な行 (10)
は行 (1)
ま行 (12)
デエトブログ (1)
フォトギャラリー (22)
日記 (19)

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