いよいよ小屋入り。
ただいま、劇場で成清のパソコンより書いています。
これで毎日更新の約束を果たせそう(もう破ってるけど)。
ところで、スズナリ。
私、ほんっとに恥ずかしいけど、いまだに駅からまっすぐたどり着けないんです。
全くわからないなら地図を見るんだけど、わかってる気がして出発してしまうだけに始末が悪い。
今日も迷ってしまって、スズナリに行くはずが気がつけば本多スタジオに。
なんで?!(涙)
結局、たむさんに迎えに来てもらう始末。
極度の方向音痴は普段からですが、さすがにもう何度も通ったスズナリなのにとわれながら情けなくなります。
だ・け・ど。
これは、私がスズナリに立てるようになるまでおぼえなくてよいと言う、私の小さなおつむを慮っての神様の采配だったのではないか。
だから、今日から覚えればいいんだ!!
何度猫ホテを観に、グリングを観にスズナリへ通ったかわからないのに、そんな納得の仕方でいいのか。
しかし、とにかく今日からは覚えるんです。
だってついに、夢のスズナリに立てるんですものね。
トラム、円形劇場と、大好きな劇場はいくつもあります。でも、客演も含めて一度も立ったことがなく、いつか立ちたい、なぜ立てないの、縁がないのかしらと嘆くほどにあこがれていた劇場がスズナリ(辿り着けなかったくせに)。
今日バタバタと小屋入りするまでその実感が沸かなかったのですが、ロビーで一息ついたとき、急にその感慨が湧き出てきました。
ああ私、スズナリでやるのね・・・!
それもKAKUTAで!!
先月ACTシアターに立ったことを思うと、下北沢の古い劇場に立つとことへの感動に私が震えていることへ、ぴんと来ない方もいることでしょう。
だけど、ずっとこの場所で面白い舞台を見続けてきた役者にとっては、その先人たちのパワーもこの場所に染み付いているような、わたしもその恩恵にあずかれてしまうような気がしてしまうのです。
役者で食べていく!とか、大きな野望を持つのはもちろん大事ですが、いつかスズナリでやりたい!という、具体的な夢を持つのもやっぱり大事ですね。
ビバ・スズナリ!道を覚えて毎日通うよ!どうぞよろしく!!
気づいてますか?ことわざの吐露部屋でなくなった今も、なんだか「ま」でタイトルをつけている律儀な私に。
そして気づいてますか?毎日続けると言ってもう一日空いてしまった事実に。
だって明日は小屋入りですよ。
普通は日記書いてる場合じゃないよネ☆
さて。先日まで池袋芸術劇場で『転校生』という舞台を上演していたのをご存じですか。
平田オリザさんが脚本を書き、飴屋法水さんが演出をされた舞台で、女子高生21名が出てくる、シュールで、切ない、舞台です。
初演は1994年。
青山円形劇場で開催された『青山演劇フェスティバル』の中のひとつで、オリザさんが現役女子高生を演出する!!という、何とも冒険的で、画期的な舞台でした。
うーんと、今回は15年ぶりの再演?とかですよね。
残念ながら私、この公演直前なた目に見に行くことが叶わなかったのですが、私からすると、ついに、ついに再演かああ!!という気分。
だってね。
なにをかくそう、アタシはその初演に出演した当時の女子高生です。
当時18歳、高校三年生。きらきら(かどうかはわからないが)。
演劇部の引退が目前に迫り、しかし演劇から離れるのが嫌で、初めて買った「演劇ぶっく」にのっていたオーディション情報がこの「転校生」。
平田オリザさん?もちろん知りません。
もちろんオリザさんは当時から大活躍、大注目の演劇人だったにもかかわらず。
だってあたし、それまで小劇場自体、ほとんど見たことがなかったんですよね。
とにかくお芝居がしたくて、女子高生でもOK!?と、勇んで応募したのがこの舞台でした。
オーディションの前日、オリザさんと会う夢を見たんですが、私の夢の中で、まだ見ぬ平田オリザという人は、赤いジャージを着たクルクルパーマのおばちゃんでした。
男か女かもわかっていなかった。
夢の中のオリザと名乗るおばちゃんに、竹刀を振りかざして怒られていました。
演劇にそんな体育会系のイメージを抱いていた…っつうか、オーディション自体、経験があるのは「元気が出るテレビ」のお笑い選手権くらいで(衝撃の事実。しかも最終選考まで残る)、経験に乏しかったのですな。
そんで、青年団という劇団を知っておかなくちゃと思っていたところ、ちょうどBSであの岸田戯曲賞作品『東京ノート』がやっていました。
見てみてびっくり。
な、なんじゃこりゃ・・・!!
二人の女性が、無言で、微妙な表情でほっぺたを引っ張ったりしてにらめっこしているという、それは今思い返せば東京ノートの切ないラストシーンだったわけですが、そこだけ観ると女子高生には全く意味不明の図でございました。
なぜ微妙な顔なのかは、ちゃんとお芝居を最初から観ていればわかるわけですが、そこだけたまたま観てしまった私はちんぷんかんぷん。
私もオーディションにいったら、微妙な顔でにらめっこするのだろうか。
ますます『転校生』への不安が募りました。
今でも憶えているのは、オーディションの数日前、学校の公衆電話から青山劇場に電話をかけ、「転校生って言うのは大林宣彦さんの転校生ですか」と聞いたこと。
丁寧に、「違います、オリジナルの作品です」と答えていただきました。
当時の私は大林作品のファンだったのですよ。
第二の小林聡美になれるのかと思ってたわけですよ。
たわけた女子高生です。
そして忘れられないのが、オーディション前日のこと。
その日はちょうど夏休み前、三年生の終業式。
片思いしていた男の子に告白できず、悔やむあまり家で大泣きしました。
それで、「私はもう演劇をやるしかない」となぜか恋のエネルギーまでをもオーディションに臨んだわけですよ。
その甲斐あってか(?)、幸運にもオーディションに残り、出演と相成りました。
そんでもって、なんと合格後、その片思いまで成就してしまいました。
よくわからんけど、受験シーズンまっただ中に、演劇と恋愛という、最高にエモーショナルなものに出会ってしまったのですね。
稽古中彼氏が出来たとか言って「転校生」のメンバーに自慢してからかわれたりした想い出…きらきら。
しかしながら思い返せば返すだに、この高校三年生の一年は、もの凄い出会いの年の始まりでした。
演劇部から離れて芝居から離れるのがどうしてもいやだった私は、転校生の応募通知を出す際、もう2通、別のところに応募していたんですが。
その一つがKAKUTAの前身となった劇団への参加希望ハガキ。
もうひとつが、堤泰之さん作演出の『櫻の園』という舞台のオーディション。
あの時出した3通の手紙が、まさか全て今に繋がるなんて、誰が予想できたでしょう。
そうそう。『櫻の園』は、まんまと落ちました。
女子高生だったから経験不足で落とされたんだな…とその時は自分に言い聞かせたものの、その実体は、「かわいい子しか受かっていなかった」というあまりにもスカッとわかりやすい現実でした。
あの時は、今後10年以上も一緒に芝居をさせていただくことになるなんて知らずに、堤さんのことを「あのハゲめ!」などと思っていたんだから罰当たりも良いとこです。
あのおじさん嫌い!とか思っていた癖に、その翌翌年はラフカットで再会し、あっという間に大好きになっていました。
ちなみに、その「かわいい子しか出ていなかった=櫻の園」には、今回KAKUTAに出演してくれているはらださほが出演していたという事実も。
さほと私の間に、静かに深く「かわいい子」と「そうでない者」を隔てる川が流れていることを、ふと思い返した次第です。
ともかくも、あの時は、オリザさんの「そうでない者」を迎え入れてくれた懐の深さに感謝です。
そうして、当時のオリザさんは今の私と同じ年くらいだったはずなのですが、そんなオリザさんを相手にお父さん呼ばわりしていた私たち。
今、姐さん呼ばわりされることも嫌な私がなにをかいわんやというところですよ。
しかしそんなお父さんは「アフターケア」と称しつつ、私たち女子高生を、女子高生でなくなってからも何かと助けてきてくれました。
時には相談に乗ってくれ、時には芝居を観に来てくれてアドバイス、そして時には台本のお手伝いまで…!
そうして出来上がったのが、まさに、もうすぐはじまる「さとがえり」の処女戯曲だった、というわけです。
ほらね。
稽古の話をまたしないのか、と思われそうですが、チャンと繋がったでしょう。
こうして繋がってみると、「さとがえり」、感慨深いものがあると思いませんか。
そして、現在KAKUTAの敏腕演助でバリバリ活躍している田村友佳もまた、私と同じ「転校生」の戦友であります。
あのオーディションの場でタムさんと出会ったから、KAKUTAがあるわけです。
タムさんと私が、アホすぎるくらい遊んで、バカをやって、出来た劇団がKAKUTAなのであります。
そんなタムさんと今もタッグを組んで芝居をしている。
明日も一緒に小屋入りです。
これまた感慨深いと思いませんか。
「転校生」、観たかったなあ。
そういえば、私が「転校生」で演じたのは美幸、という女の子でした。
全ての出演者が登場して、一番最後に登場する女の子の役。
この芝居は文字通り、朝、学校に転校生がやってくるというところが物語の始まりなのですが、台本が出来上がる前は、じゃあバラが転校生なんじゃないの?!と噂されたもんです。
ただの、遅刻してくる女の子の役でした…。
本日稽古の帰り道、混み合う電車で足を組み、ぶつかるたび睨みあげる哀しいほど頭の悪い女に注意をしたところ、口汚く罵られた挙げ句、あろう事か殴りかかられたので、首根っこを捕まえて電車を降り、警察につきだしてきました。
お巡りさんの前でひれ伏させたところですっきりと帰還です。
こんばんは!
いやはや、小田急線も柄の悪い女の子はいるんですナ!
さて、老け顔の若者にババアと罵られた今日の私(カオスな気分)ですが、この歳になると、当然ですが舞台でも若者に囲まれる現場が増え、「姉御」とか「姐さん」などと呼ばれる機会が出来ました。
それでも、この前出演した「K」という舞台が、私にとっては初の「姐さん」。
舞台という世界は一生現役という人が多いですから比較的年齢層も高いし、私でもまだまだポジションは若手。
だから、見渡すところほぼ全員私よりかなり年下、という現場が初だったんですね。
この舞台の座長は、今をときめく羞恥心の野久保直樹さん。
座長を持ってしても、私より5つも年下ですよ。
きらっきらですよ。
稽古が始まる前は、KAKUTA勢に「絶対姐さんとか呼ばれないようにするから!」とか言って出かけたものの、キャストの中に平成生まれもいるようなフレッシュネスな場所で、その呼び名を抗うことなぞ出来やしませんでした。
こんな盛り具合だったからなおさら。
スナックのママという役だったので、余計に姉御的な立ち位置な訳ですが、しまいにはお客様から「このチームの母ですね!」というお言葉を頂きました。
ありがとうございます。
でも「姉」止まりでお願いします…!!(涙)
この写真はとなりにいるイケメン、早田剛君にもらいました。
マー、見てよこの顔。整ってるざんしょ。
衣装を着て、メイクをした彼を見て「マーッ!郷ひろみみたい!」と絶賛したけれど、「いや、今の郷ひろみじゃなくて、「林檎殺人事件」の頃のだよ?」と言ったところで、23歳の彼には郷ひろみの若い頃がいかにかわいかったかピンと来なかったことでしょう。
いやもちろん、私も若い頃の郷ひろみをよく知る世代ではないんだけど。
何とも真面目で丁寧な男の子で、メアド交換をするのも、ちゃんとマネージャーさんと相談してから、私に失礼のないようにと気を使ってくれます。
おい!馬場とか、見習った方が良いよ!
バイト先で同僚に馴れ馴れしくしすぎだと注意された馬場よ!
最近のイケメンは美しいだけでなく、マナーも良いんですよ。
そういえば「K」の写真とかいろいろ撮ったのに全く載せる機会がなかったので今さら載っけてみる。
こちら全体の集合写真。
す、すまん、早田君。これは勝手にブログから拝借しました…。
(打ち上げでみんなで同じ写真を撮ったんですが、あたし、自分のカメラで撮った奴、酔っぱらってて消してしまった…)
ほんとね、アイドルのブログから勝手に借りたりしちゃいかんですよ。
お詫びに宣伝しとこ。
早田剛!平成の郷ひろみ!彼のブログも面白いよ!いつかデエトブログに出演希望!(言ってみた)
まあこんなとこで宣伝しなくとも、よっぽど彼のブログの方がアクセス稼いでるわけですが。
それにしてもまー。イケメン揃いだね。
その男子の一人と見まごう感じでテーブルの一番下にいるのが私なわけですが、まるですごいみんなに混じり合ってる仲良しっこの様でいて、実際は打ち上げで一気を煽られ、酔いつぶれて動けなかっただけ。
大打ち上げにも限らず、深夜2時で撃沈し大人しくホテルに帰ったわけですよ。
共演した数少ない女子メンバー、麻衣と里絵。
マーかわいいこと、この写真は千秋楽の直後でさ、ふたりとも泣いておったもんだから可愛さのあまり撮ってしまった。
こやつら、楽屋でDSでときメモのガールズサイドを熱心にプレイしておった。
おい!楽屋の扉を開けてみろ!リアルときメモが目の前にあるじゃねえか!ともちろん私は叫びましたよ。
リアルにイケメンパラダイスの中で、DSときメモ。どんな贅沢だ。
ルドビコ☆の林修司君。
このメンバーの中でも生粋の演劇野郎で、マーこんな稽古熱心な人見たことないってくらいずっと芝居のこと考えてる。見習わなきゃと思いました。マジで。
それにしても私のこの黒々とした感じは何だ。
写真ぼけぼけですけれども、左端のカワイイ小熊チャンみたいな人は演出家の坪田塁さん。
ホントね、自由にやらせてもらいました。ありがとう坪田さん。
唯一出演者で年上だった大先輩、水谷あつしさん。恋人役でご一緒させていただきました。
素敵だよこの方は。ホントね、出番の5秒前とかにアドリブの相談とかしてきます。
でもね、それで芝居はぶれないし、やっぱりセンスが素晴らしくて、だから本当にご一緒できて勉強になった。
うまいだけじゃダメなんす。ふざけてるだけもダメなんす。そんなバランスセンスが素晴らしい方。
つうことで、「K」という舞台は、そんなイケメンたちがゾロッと出ている、それはもう逆ハーレムのような舞台だったわけですが、いかんせん姉御だの、母だのと呼ばれてしまう私に、こんなイケメンズと恋に落ちてしまうようなトキメキの奇跡は当たり前ですが、起こりませんでした。
稽古場で更衣室が男女共用だったもんで、うっかり着替えに入ろうとして座長のパンツ姿に遭遇してしまったことがあるのですが、そんな時でも「いいっすいいっす!むしろどうぞ!」って感じで眩しい笑顔が飛び込んできました。それはそれはフレッシュなもんでしたが、トキメキのひとかけらも生まれないのはそれはそれで寂しいものでございますね。
お客さんにも「裕子姐さん!」と呼びかけられ、いつのまにお客さんにまで浸透したのかと衝撃を受けましたが、何より今思うのは、そんな「K」を観に来てくれたお客様の一握りでも、KAKUTAに来ないかなという、何とも現実的で切実な祈りでございます。
そんなわけで稽古も残りわずか。
電車で喧嘩売られてる場合じゃないですヨ!
で、ハワイですよ。
稽古の話、は、もちろんいっぱいありますけどね。
稽古場日記もありますし、今日はいいや。
もう、朝から晩まであまりに稽古漬けなんだもん、深夜2時の逃避行くらい許されるわよね。
うんホント、頑張ってますし、面白くなってます。自分で言っちゃうけどホント。
明日また話しますよ。毎日書くんだから。
でね。
ハワイに行こうと思ってるんです。この夏。
いや、もう、行くんです。ぜったいに。
去年から心に決めてるの。
あのね、ハワイに行ったことない人ね。
ホント、一度行ってみると良い。騙されたと思って。騙されないから。
私も行く前までは、石原裕さんのお気に入りとか、加山雄さんのお気に入りとか、梅宮アンさんのお気に入りとか、KONISHIKIとか、なんだかあんまりパッとしたイメージもなく、海が綺麗?ああそうですかくらいのもんだったんだけどね。
侮れない。ハワイアンスピリッツ。
ハワイアンミュージック聞いてるだけで胸がキュンとしてしまいますからね。
KONISHIKIも好きになっちゃったもんね。
最初に行ったのは、大先輩の女優、明星真由美嬢と25くらいの頃。
この時にガッツリやられたよ。
大好きな女優とハワイ。贅沢な取り合わせですよ。
これで香港行ってたら香港に魅了されたのかもしれんし、秋田に行ってたら秋田に魅了されたのかもしれんけど、私はその程度のたやすい女だけど、やっぱりハワイは特別な気がするの。
ああ。なんか色々面白いこと書こうと思ったけど、行きたいってことしか書けないや。ヘヘへ。
明日は稽古の話とか書こう。
そうそう、ウチの劇団では、ハワイとか言うあだ名で呼ばれている奴がいて、そいつは別に全くハワイらしくない松田という男なんだけど、ダメ出しするときも当たり前のように「ハワイ」と呼ぶわけで、だけど不思議なくらい、あの魅惑的な夢の島・ハワイとダブったりしない。
KAKUTAにいるハワイは、別府出身の、小心者で、なんだか基本的にヘラヘラした奴です。
あまりに放置しっぱなしで、このブログがもともとブログでもなく、「ことわざを巧みに用いて私の日常吐露します」というタイプのコラムページだった過去すら消え失せそうになっているわけだけど、そして放置していたくせに「イケメンとデエトしてレポートする」なんつう完全に己の私利私欲から発信された浮かれたブログを新たに作っちゃったりしていたわけだけど、このブログを書こうとすればことわざ辞典を棚からわざわざ引っ張り出さなくてはならないという手間暇に「めんどくせえ」が勝っていたのも事実な訳で。
端的に申し上げて、怠けておりました。
しかし。
猿でもブログを書くこのご時世に、劇団の座付き作家たるものが、だらしなさを多忙という一言で棚に上げ、いつまでもことわざ辞典を棚の一番見えるところに置いたまま安心していて良いのかとようやく思い至りまして、再開することにした。
もう、ことわざとかなくていいじゃん。
うん、みんなきっとそう思ってたと思う。というか、「ことわざなんてあったの?」という意見の方が多いと思うし、もはや「桑原さんが書くブログ?知らない」と存在の絶えられない軽さでもって片付けられていたかもしれんけど、ことわざとかもう、思いついたときに書くんで、ともかくブログだけさ、再開させてくださいよ。誰にお願いしてるんだか。
ってことで、ヨロシクな☆
二昔くらい前の転校生が額にVサインを掲げて言うようなしゃべり出しで始めてはみたものの、もうじきKAKUTAも公演が始まるのである。
だらしなさの言い訳でもなく、本当に忙しい時期であるはずの今、しかし私は宣言したい。
「毎日書きます」
このブログを毎日。
頼まれてもないのにそう宣言してみた次第。しょこたんになってみたい次第。
しょこたんは毎日どころアップ量ではない次第。週刊朝日のしょこたんは好感度が高かった次第。
関係なし。
そう、関係ないことですらブログって書いて良いんだもんね。
今までことわざに関すること書いてきた私って何なの。
意外に真面目なの。それともことわざ強迫神経症なの。
一日目からこんなに長く書いたら先が続かないんじゃないの。
何も心配いりません!!
そうね、本番が迫っているんです。
二作あるもんで、昼夜びっちり、みっちりの日々。
こういう、多忙を極める時期になるといつも決まって同じ現象が起こる。
ハワイ話はまた明日。え?稽古のことじゃなく?だって何書いたって良いんだもん。
稽古のこともまた明日。
母が私の投げ出したビリーズブートキャンプをもう2ヶ月、続けている。
3日で放棄した私がついぞ開封することの無かった「最終プログラム」のDVDで毎夜エクササイズに励む母は、確かに見た感じ体が引き締まってきた様子で、同じDNAの娘からすれば同じだけの忍耐力と持続力さえ座っていれば肉体改造は出来るんですという証明を目の当たりにしているわけだ。
一緒に始めようといっていた父は一日目のプログラムすらやったのかやっとらんのかわからんままで、ビリー隊長と仲良しになった母を尻目に、この年でこんなにハードな運動は体に良くないとかなんとかイヤミをこぼしつつパソコンの前でテレビ見てハハハとかやっている。
残念ながら私は父に似たようだ。
しかし父よ!私は続けますよ。母の持続力と忍耐力を持ってして!
……この吐露部屋を。
そんなわけでもう何年目になるのか(多分7年目とか?)、ばらこ胸中吐露辞典、久々に再開でございます。お元気?
結構頑張って神様の夜のフォトギャラリーをアップしていたのに、最後のDプログラムまで来て後ほんの少しってところでなんか疲れたな、つうか誰か読んでるこれ?ってかんじで辞めてしまって本当にいい加減でございましたけどね。
吐露部屋もそろそろ終了間近。今年までに終わらせる勢いで更新していく。
もはや読んでいる人がいるかいないかの問題ではないんだよ。最後まで書くことに意味がある。そんな気がしているんだよ。ウン、何のためのエッセイだろうね。わかんないけれどもね。
さて。
中学の卒業式。卒業アルバムの1ページ目には、仲の良かった同級生同士で一言メッセージをサインして回ったものである。
「高校入っても遊ぼうね」だの「今までありがとう」だの「おおおーJAPANー」だの(長渕好きの男子が書いていったものである。だから何だという気持ちは年を重ねた今も変わらず)、一言二言、中には少し長めの文章で書きっこするが、ほとんどの奴らは卒業後は交流のなくなる者どもなわけで、いわゆる社交辞令的な物が大半を占め、簡単で当たり障りのないものである。
限定した思い出の1エピソードを「あの時は楽しかったね」という風に書いてくれる友人もいるが、それがよほどの衝撃的な思い出でない限り、逆に言えばそれしか盛り上がれる思い出がないということを表し、丁寧な割に関係性としては薄いという現れだったりもする。
だがそんな中で、この先もずっと友達でいたいと願う数少ない親友だけは、思わず涙を誘わずにいられない、胸打つような心のこもったメッセージを書いてくれるというものだろう。
言葉の数は敢えて少なく、だけど親友だからこそ分かり合える、そんなスペシャルな言葉を。
中学時代の親友・エーコからのメッセージも、やはり簡潔で短いものであった。
親友らしくアルバムの見開き一番目立つ部分。殊更目立つ太いサインペンでデカデカと書いてくれたのが、以下の言葉である。
「物は考えよう 仲良くしよう」
WHY?(涙)
WHYWHYWHYWHYWHY(涙)???
なぜに…「物は考えよう」?
更に細かく言うならば「物は考えよう」という部分が太いマジックで、「仲良くしよう」というのは小さく添え書きのようになっておる。
【物は考えよう=物は考え方一つでどうにでも見ることが出来る。世の中の幸不幸も考え方次第】
(三省堂故事ことわざ辞典より)
嗚呼、エーコよ。何を考えたのだろうか君は。どういった“物”を考えたのだろうか。幸も不幸も考え方次第だと書いた親友の真意って一体。
親友にそう書かれたと思いきや、次に仲の良かった友人からは「時は金なり」と書かれてあった。
何?これ思い出のアルバムだよ?知ってることわざ書くスペースじゃナイヨ?(涙)
もともと友達の多い方でなかった私は、やはり卒業アルバムの中の社交辞令メッセージ同様、今は中学の友人とほとんど交流がない。
おおおーJAPANと書いた男子も、これからも仲良くしてねと書いた友人も、今何をしているのか、全然わからない。(「時は金なり」と書いた友人は、結婚して離婚して、だけど今も元気にやっているらしいと前に風の噂で聞いた)
それは寂しいことといえばそうなのかもしれないが、いつまでも仲良くしていく、ということは、実は結構努力も体力もいるものであり、そうした苦労を強いらないでいられることは、もしかしたら互いにとって良いことなのかもしれないね、とか、物は考えようでなんとでも言ってみる。
今でも唯一繋がっている中学時代の友人がいる。
彼女のアルバムに、私はなんとメッセージを残しただろうか。今度二人の行きつけのお好み焼き屋で、聞いてみようと思う。
その友人は、私のアルバムに「物は考えよう」と残した人物である。
いやあ、それにしても毎日、いい天気です。(つっても数日しかいないわけだけど)
ハワイでは雨季と乾季って風にわかれてまして、5月からはちょうど乾季に突入したところ。なんで、午前中雨がぱらついても昼間はほら、この通り。
部屋から見下ろしたホテルのプール。きゃほ!リゾートだぜ!
さて、そんなリゾートジャーニー。食い道楽、夜遊び、ときまして、女子の道楽と言えば何か。
も・ち・ろ・ん!!ショッピングでしょう!
安い地元の洋服屋を覗いた後、巨大ショッピングモールへお出かけ。
やっぱりアレね、買い物って女のコをときめかせるのね。
ぎゃほ!!ご満悦。
歩きくたびれて、コーヒーを一杯。そんなところであった、店員さんとのやりとり。
店員「(英語)サイズは?」
原「(英語)ミディアム」
店員「(英語)持ち帰りますか?」
原「(英語)はい」
店員「(日本語)オナマエハ?」
原「(日本語)あ、原です」
最後の二行は、いるのか?
それまで英語だった原も、いきなり日本語の敬語で返している。
なんで名を聞かれたのかわからぬままコーヒーを受け渡された。
これってお持ち帰りの人は注文した人がわからなくならないように名前を打つという決まりなのかしら。よくわからんけど。
家に帰ってレシートを見ると、やっぱり名前が記入してあった。
「HADA」
私や原が洋服屋を回っている間、時差ボケで遅れて到着した成清もショッピングに混ざったのだが、成清は師と仰ぐ清水宏さんへのお土産探しに夢中。
成清「俺にとって清水さんの考え方は、パーフェクトなんだ」
とか言ってたもんね。良いモノを見つけたいんでしょう。
それにしても、巨大ショッピングモールに来ているというのに、成清は怪しげなワゴンショップばかり覗いていて、不安…。
途中話しかけに行くと、ハワイならどこにでも売ってそうなガラスのネックレスに心を奪われていた。
やがて成清がホクホクした顔で戻ってきて、「良いモノが買えた」と嬉しそうにしている。
「10ドルまけてくれた」
え?値切ったの…?ショッピングモールで?
いや、いいんだけど、10ドルも値切れるって元はいくらよ?
そしてホテルに帰宅後、その成清が買ったお土産を見せてもらいました。
成清「これですよ!」
なにこれ……?
成清「照明に当たると綺麗なんだよ」
そういいながら、間接照明の前でクルクル回してみる。蝶は鈍い光を受けながら、回転した。
ふ、ふうん……。
成清「綺麗でしょ?」
あ、うん……。
成清「(回るのを眺めて)………………………失敗したかもしれない」
嗚呼(涙)!!
確かにお店で見たときは、このクルクル回るよくわからん飾り物はワゴンの中にいくつも飾られて回り、色とりどりで綺麗であった。だがこの鉄板で出来た奇抜なチョウチョを、日本の清水さん宅のどこに飾ればいいのだろうか。明かりが入らないと効果が発揮できないし、しかも何だか重くて、先が鋭利だし…。
一体、これをおいくらで成清は…。
このお値段については、最後まで聞けなかった。
清水さん、どうぞお部屋に飾ってくださいマシ。
ショッピング、食い道楽、夜遊び…と散々遊んだが、リゾート旅行に於いて最もメインであるべきことお忘れでないですか、と自分らに問うてみる。
そして乗り出したのはもちろん……。
常夏の…!
海!!!
※親指と小指を立てるのはロコのマークらしいんだが、私がやるとどうしたって「電話」になってしまう。
一緒にいるのはKAKUTAのサポートスタッフで何年も手伝ってきてくれは初村かずみちゃん。彼女は現在ハワイに留学中なので、遊びに来てくれたのでした。
カズミちゃんがペラペラに喋れるので私らは楽ちん。楽しかったねえ。
ホテル前のビーチは人も少なく、優雅に過ごさせてくれる。
通りかかったセグウェイにも乗ったぜ!
成清は『南国プール~』の衣裳水着。急遽そのへんで買ってきたというサングラスが女たちから「なに?GTOデスカ?」と大不評。ホテルに置いて帰っていた。
ホテルのプールでトロピカルカクテルを頼んだら、なぜかカクテルの中に孫の手が入ってた。
よくわかんないけど、とりあえず店員さんに向かって、孫の手で背中を掻いてみせたらえらい爆笑していただいた。
いや、これ、至極普通の用途で孫の手を利用しただけですけれども…?
他に何か別の使い道があるのだろうか。
常夏楽園の日々は瞬きするほどの速さで走りすぎていった。
日々の疲れに癒しを。遊びを。
求めよさらば与えられん。
スピリチュアルリゾート三人旅。
しかし帰国後は稽古地獄の旅貧乏。それが現実なわけだけど。
ハワイの夜は穏やかだ。
穏やかにさざめく波の音。どこかの建物からゆったりと響いてくる、生演奏のハワイアンミュージック。
海岸沿いを恋人たちが手をつないで歩く。金髪の子供たちはママの腕のなか。
私たちはホテルのラナイで南風を感じながら、静かに眠りにつこうとしていた…。
「ね……今から踊り行かない」
なんつて!!寝ないでしょ!!
旅行っつったら夜遊びでしょ!夜遊びっつったらクラブでしょ!踊るでしょ!?
私のクラブデビュー(と書くとえらくダサいね)は、5,6年前、明星真由美嬢に連れていってもらった初めてのハワイ旅行だった。当時はまだおぼこくて、ダンスホールに躍り出る勇気もなく、カウンターで楽しげに踊る白人のかわいこちゃんたちを羨ましげに眺めるだけだった。
だが今は違う。開き直りという点で!
着替えて町に繰り出そうよ。東京ガールズブラボー@岡崎京子のようにサ!
そんなわけで、バカンス気分そのままに私たち一行はワイキキの町へ繰り出した。
へけけっしゅ!テンション上がるぜ!
初日に行ったのはワイキキのダンスクラブ「サンザ・バー」。
ただしこの日は平日だったため、人もまばら。DJも何つうか、「これでいいスカ」といった程度の手抜きの選曲でもったり。
まあそこそこには踊ったし、イー(私の人格を持った胃)が今日食らいすぎた分には運動したんじゃないですか?ってことで煙草を一服してからそろそろ帰ろうと原に声をかけに行ったら。
原が、知らない外人さんにナンパされている!!
だ、だれ!
彼の名はスチュワート。あまりに陽気なので以降は陽気なスチュワートさんと呼ぶことにした。そのままだ。
発音は良いが英語力はリルビットの原、ジオスに通っていたこともホームステイ経験もあるのにニューホライズンも読みこなせない私、そして海外旅行も初めての成清、そんなおのぼりさんの三人に、陽気なオーストラリア人・スチュワートさんは構わず話しかけてくる。
スチュワート(以後、ス)「(英語)日本人の友だちがいるんだ!彼の名はジロウ!」
ほお、有名人なのかな?
ス「ジロウ・ハマグチ!」
しらねえよ!
勢いに乗せられて、片言で会話は続いた。
日本好きだよ!納豆もイッツオーケー!というスチュワートさん。彼が日本で好きなのは、「オコノミヤキ」と「マンジャイ」なんだとか。
原が「Oh!漫才!」と言いながらツッコミポーズを取ったりして、陽気なスーさんもそれに返すが、でもどのお笑いコンビが好きなのかという話には「???」となったりしてて、漫才好きな割にはどうも話が噛み合わない。
お好み焼きと漫才と言えば「大阪」なのに、しきりに「トウキョウ!」と連呼しているし、そもそも最初は好きな食べ物の話で「オコノミヤキ」とでたのに、いきなり次に「マンジャイ!」が来て、何だか唐突である。
もう一度スチュワートさんに聞いてみた。
バラ「あのー、マンジャイって食べ物のこと?」
ス 「イエス、フード!」
え??こうなると会話というより、連想ゲームだ。
マンジャイ、オコノミヤキ、トウキョウ、フード………。
ああ!わかった!!
バラ「もんじゃ?」
ス「イエース!!!モンジャ、モンジャ!!」
オウ、モンジャ!イエス、モンジャ!WE・LOVE・MONJA!
何がそんなに嬉しいのやら、もんじゃもんじゃでハイタッチ。友好は深まった。
もはや目がうつろなスーさん。
っていうか成清さん、ゴキゲンだけどスーさんに酒奢らされてるYO!
ここは人が少なくてつまらんので違う店に行こうとスーさんが言うので、中国人の女のコがDJやりますという別の店へ移動。
聞くところによれば、彼は映画のエキストラをしながら、世界中を旅して回っているそう。ティム・バートンの映画(?)でスーパーのレジ打ちをしたり、あのゾンビ映画『28日後…』でゾンビに追いかけられたりしてるんだとか。既に40カ国回って、昨日まで日本の神保町にいたんだってさ。いきなり神保町っていう単語が、ちょっと面白い。
なるほど、それだけ全国一人で回ってきただけある、陽気さと人懐こさ。
そんな彼に話を聞く成清(@大学ではロシア語学科)が、「世界各地を回って」と言いたいのだろうに、英語が出てこず「ワールドワイド」とか言ってるのがおかしかった。
スーさんと原の最高におかしいショット。半端な口元のスーさんに、どういうつもりなのか、テンションも掴めない原。ボーイさんの割り込み笑顔も可笑しい。
ふたりはオサレなクラブでR&Bに全くそぐわない社交ダンス的な舞いをして見せ、原はスーさんに「ストレンジウーマン!」と称され笑いを取っていたが、端で見ている私と成清は非常に恥ずかしかった。
深夜も周り、成清の酒も大分回ったところで帰ることに。成清はどんな気を使ったのか同じ店にいた日本人の女のコ2人組の所へ「今度はあの子たちに遊んでもらいな」とスチュワートを斡旋していた。スーさんもまんざらではない様子で、わたしたちは賑々しくしくハグし、別れたのだった。
そして旅行最終日。この日はフライデーナイトでホテルの前では花火大会が!
花火を待って海岸に群がる人たちの光景は、ちょっと『LOST』を彷彿とさせて、イイ。
そんでもって、どうせ明日は飛行機で寝るだけだしな、とまたも別のバーに繰り出した我々。これまたワイキキのバー&クラブ。こちらはまさにアメリカンバーという雰囲気で、週末だけに大賑わい。
酔いどれております。
汗かいて遊びました。
嗚呼、ハワイの賑やかな夜が更けていく…。
いつからだろう…。
「旅行=食い道楽」なんて思考が生まれたのは…。
10代の頃は「旅行=友情」とかなんとか本気で思ってたし、20代になれば「旅行=アバンチュール」という思考に支配されていたし、私にとっちゃ旅は総じて「青春」の二文字が大部分を占めてきたわけだが、いつからかそこに「食」「うまいもんめぐり」という思考が浸食してきたように思う。
そういえばいつからかディズニーランドも、
幼少期「ミッキーに会いたい」→思春期「彼と行きたい」→やがて「ミートボールサンドが食べたい」→「あの原始人の肉のようなものが食べたい」→「まずはカントリーベアーシアターでカレーを食そう」
などという思考に変わっていった。
いや、そりゃあ今だってTDLに行けばミッキーに会いたいし、旅行に行くならトキメキもアバンチュールも欲しい。青春気分もガンガンに味わいたい。
それでもはずせなくなってしまったのが、美味しい物への欲求である。
名物に旨いものなしというが、本当にそうか?
良いデスヨじゃあ私検証してきますよってな感じでオアフの名物店を回った。
結果から先に言うとさ。
名物、うまいよ!!!
これね、以下はほんとエッセイも何も、自慢めいた旨い物記録メモですよ。
なので読みたい人だけ読めばよろしい感じ。
もしタイミング良くハワイに遊びに行こうかなって人は、それなりにうまいもの店の紹介にはなってますので。
まずはオアフについて早々、アロハタワー内にある『香港ハーバービュー』で飲茶ランチ。
まあ、いきなり中華なわけですけれども。
ツアーにただでついてくるっつうパックだったんで、まずかろう少なかろうとほとんど期待もせずに行ったらば、
あらまあ!
続々!!
ワゴンに次々と運ばれてくる飲茶たち!!小餃包にエビ焼売、ニラ包みに蒸し豚、春巻き、なす炒めにゴマ団子…!
揚げ物、焼き物、蒸し物とそれぞれに違うワゴンが代わる代わるやってきて勧めてくれる。あっという間にテーブルは飲茶のカゴで埋め尽くされた。
涙目だよ、涙目。
一口食べたら…。
う、うまいだ!!!
中華って基本、はずれがないですね。海外でも日本でも中華は独自の味わいを保っているので安心だ。
それで勢いづいた私たちは旅の最終日もゴージャス中華を食らいたいと別の店に予約を入れてしまったわけですが、どっこいこちらはツッコミどころ満載のおもしろ店でした。
ガーリックとパン粉で揚げた蟹がうまそうな『上海ビストロ』なる店に出向くと、なぜかその店の窓に日本語のランプでデカデカと書いてある。
「人の飲茶」
ひ、人の飲茶…?
気味悪い!
実は以前からこの店の前を通りかかるたび「なんだこの“人の飲茶”って!変な店だよ!」と笑ってたんですが、予約した上海ビストロがまさにその場所だと知ったときは一抹の不安に駆られたものでした。
入り口に行くと『モダン中華料理』とこれまた日本語でキツイ明朝体の文字がとってつけたようにデカデカと書いてあり逆に不安をそそる。
その日本語、イラナイヨ…!
いや、食事はね、美味しかったんだけど。ほんとさ。
だけど何故かシャンパングラスにサラダが詰め込んであったり、豆腐を寿司で言う軍艦巻き風に握ってあったりと、やや独創的に暴走してる感否めず、また明らかに食べ終わってないのに次の料理がバンバン出てテーブルから落ちそうになったり、やや不思議な店だった。
帰りがけ、「人の飲茶」の前を通りかかったら。
そのランプで書かれた文字、よく見ると先端の一文字が消えている。
そこにある文字は「鉄」。
つまり、「鉄人の飲茶」だったのだった。
ふ、普通じゃん!
直しなさいよ…!そしたらみんなもっと安心して店に来るはずダヨ…。
さて、アメリカちゅうたらステーキでしょ!と初日の夜はまさにアメリカ~な感じのレストラン『ホロカイ・グリル』へ。
ワイキキ・ビーチウォークっつう通りにある、オープンエアーな風も心地良いお店でございます。
なんとここもツアーのパックでロハ(古い表現)だったため、リブステーキ2種にカラマリ(イカ)、リングイネパスタとビールにカクテル…。
嗚呼、タダって恐ろしい。日頃の慎ましさを完全に忘れ、120ドル分も食らって飲んじまいました。
ステーキが柔らかくて最高でござんした。
成清、酒を注文するのにどうにも店員さんへ通じず苦戦。
成清「ラムソーダ」
店員「ラ…?」
成清「ラム。ラ・ム!」
店員「らむ?(サッパリ?な表情)」
桑原「(舌を絡ませ)ルァムサウダ」
店員「Oh! Rum!!」
うまいこと通じたもんで得意になった私。
英語ってさ、文法より発音が大事なんじゃない?ヒヒ!
運ばれてきたのはラムコークでした。
シーン。
ホテルに帰ってもまだ食う、食へどこまでも貪欲な我々はABC STOREにてディップとチップを購入、成清はどんだけ食う気なのか何種ものサラミとジャーキーを買ってホテルのラナイにて乾杯ス。
それにしても私と原の服がやたら柄モノでチカチカします。
私が飲んでるのはA&WのRoot Beer。KAKUTA内では言わずと知れた2004年『Root Beers』のキーアイテムですわ。当時芝居では「ムヒの味がする!」とか言ってたけど実際、ムヒの味。なのになんでうまいのか?当時は飲めなかったのに今じゃ大好物。
それより見てよ!ホテルのベランダ、この景色をさ!
(ベランダ右:原撮影。海ですよ、バーンと!!28階ですよ!)
(ベランダ左:こちらも原撮影。夜景ですよ!ビックリですよ!)
ひたすら景色に夢中の私と原。しかし成清はなぜかやって来る鳩にご執心。
「あ、お客さんだ。」
鳩なんて別に浅草に行けば溢れていますけど。いきなりお客さん扱い。
「お客さんにおこずかいあげないと。」
成清は頼まれてもないのに(鳩にすら)、チップスを砕いてベランダのサンに乗せています。
や、やめろ…。
数時間後、外出して戻ってきたら…。
お客さん、いっそも食べてませんでした。キョトン!
お客さんからしちゃ「いらねーよそんなしけたもん!」ってとこでしょうか。
さて。
食い道楽の我々一行が最もご満悦だったのは、エビ!!!でございます。
アラモアナセンター(ショッピングモール)の『ババガンプ・シュリンプ・カンパニー』というお店。ビールで蒸してガーリックで味付けしたエビが絶品らしいとの噂を聞きつけ、行ってみる。
店の雰囲気も良いねえ。成清が男前に見えます。大音量で音楽がかかってるし、こちらもオープンエアーで風が気持ちいいんですわ。
ついでに、店員の女のコがカワイイだ!ホットパンツが眩しいぜ。
さて、来ました…。
マヒマヒ(白身魚)のフィッシュ&チップス、マッシュポテト、そんでメインはやはりバケツ一杯に盛られたシュリンプ・ネット・キャッチ。
オウマイガ…!
アタシハ今、ウマサの奴隷…エビのしもべ…(なら食うな)
この辺りに来ると、頭より胃の方が人格を持っているような気がして参りました。なので既にずいぶん前から腹一杯にもかかわらず、胃がもっと寄越せと騒ぐので詰め込んでしまうわけ。
これはもう、『寄生獣』でいうところのミギーだねってことで(よくわからんが)、以後は自分の胃をイーと名付け、イーの欲望赴くままに食への探求を邁進することにいたしたのでした。
ねえハラちゃん。あたしね、2キロ、太ッタヨ…!(涙)
成田発20時55分。
ノースウエスト航空22便、バラ、原、成清を乗せた飛行機は、サーチライトに照らされ、あなたの温もりに抱きかかえられ、ゆっくりと離陸していきます…。
つかこうへいさん風に書いてみようと思ったけど、どうもうまくいかんね。
って、ことで。
私たち、ハワイへ行って来たんです。イエイ!!
ハワイって?KAKUTAで7年前に意味もなくあだ名にされた松田昌樹君のことじゃありませんもちろん。そして近ごろ『フラガール』で一躍脚光を浴びた常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)でもありません。楽しいけどね実際、スパリゾートハワイアンズ。
もうまんま、ハワイ、アメリカのハワイ州、オアフ島でございます。
演劇人って貧乏って言うでしょ?
実際、否定できないところにありますよ。米もなくて小麦粉練ってチヂミばかり食べてたこともありますし、金なさに紙食って生き延びた友人もいますし、借金で裁判所に通い詰めた同志もおります。私もかつてはキャバクラで「ヒロちゃん」なる源氏名でなれない2フィンガー焼酎をつくったりしておりました。
だからって、ハワイに行っちゃいけないってことはない。
いつだってぶーふーうーとか庄やにいるわけじゃあないんです。いや庄やもそれなりには好きですけれども。東方見聞録の方がもっと好きですけれども。
時々は、ちょっとばかりエイヤと思い切って遠出しようじゃない。海を渡ってみようじゃない。円形劇場じゃない場所で南国の風を感じたりもしてみたいじゃない!?
それにしてもなんだってこのメンツなのか。この3人旅に至ることになった経緯は書いても良いけど長いし面白いものでもないよという感じなので割愛し、私たちも少々意外ではあるんですが、ともあれ円演劇研究所時代からもはや12年来の友人関係でもあるこの劇団員二人と共に過ごした短いバケーションを旅の思い出に綴ってみたいと思います。
「リッチですなー」なんて嫌味はヤメテヨネ。
「ブルジョワですなー」なら言っても良いけど。
だってブルジョワって面白いじゃない、言葉の響きがさ。
出かけましょうよ、海に。
無理しましょうよ、たまには。
演劇人は貧乏暇無し?それが道理?
道理引っ込めましょうよ、時には無理してでもさ!
そんなわけで、半年前の『甘い丘』稽古時からぬくぬくと暖め続けたハワイの夢、怒濤の朗読公演開始前に鬼の形相で台本を仕上げ、一睡もせず軽くランナーズハイで旅立った南国三人旅のはじまりはじまり…てさ!
『南国プールの熱い砂』
例えば。
(撮影:相川博昭氏)
こんな常夏風味のチラシを作るにも、それなりの苦労がございます。
撮影は大体公演4ヶ月前くらい。つまり初夏にやる舞台なら真冬の撮影。
真冬でした。ここにいる人全員風邪かインフルエンザ。
外で、桑原自宅の庭に砂を敷き詰めて撮影しています。近所の人が面白がって見に来ました。
気温4度くらい。辛すぎて逆にハイテンション。はしゃぐ姿も痛々しい。
こんな風にして撮ってます。よく見ると鼻の頭が赤い。
馬場は体半分しか写らない予定なのでせめてもの防寒にとタオルを掛けています(さりとてその効果はほぼないと言っていい)。
スカートを糸で引っ張っているののがわかります。風でなびいているように見せるため。
『あおはるぽぉず’72』
70年代初期を舞台にしたこの作品。洋服もヘアスタイルも全て70’Sに彩られました。
つけまつげばっちりの大枝と、後ろは臼井君(BQMAP)。
佐藤滋と、高山奈央子組。
なかなか、ナイスカップルですな。中村雅俊風のパーマを当てるためしばらくロン毛にしていた佐藤滋は、実際当ててみると加藤鷹にそっくりでした。ププ!
私と、バビィ(桃唄309)組。
メイクさんには「もっとも70年代な顔を作れた!!」といってもらった私の顔は、母にそっくりです。バビィがこりゃまた頭の先からつま先まで70’sで、本編でも自作のフォークを弾きがたってもらいましたが、痺れるほど良い味出してます。
原扶貴子、成清正紀組。
カップル…?何だか、あんまりアベックとしての二人が想像尽きませんが、とにかく原、ナイスインパクトです。
浅草仲見世通りで撮影。高山は良い女っぷりを、成清も男前ッぷりを発揮しています。着物を着ているだけなのに二人ともスジもんな匂いがしますね。
2004年版の撮影では、こうした浅草街なかの写真とは別に、遊園地で遊んでいる図なんかも何点か撮影したんですが…。
なんでしょう、これ。
宣伝写真として正しいのでしょうか。手前の男たち、誰一人楽しそうじゃありませんが。こんな男たちで遊びに来たのか、想像するのも難しいです。後ろで間違い探しのように大枝と佐藤陽子がいるのも、変な感じ。
『おまけ』
KAKUTAの2002年当時のプロフ写真。
か、川本君の髪が………!!!たくさん………!!!
まったくね、やってられないって話ですよ。
なにがって、え?
だから、ほら、サーバー飛んじゃったでしょ、このページのね。
全部さ、飛んじゃったんですよ。これまで書いた吐露部屋のデータが、血と涙と汗と夜更かしの結晶であった文章が、ぜえんぶ。
ぜ・え・ん・ぶ!
いつまでそんなこと言ってるのかって?飛んだの先月だろってか?
だってアータ。
しつこく言いますけどね。この吐露部屋、何年やってると思うんすか。
6年すよ、6年!!6年やって、ようやっと「あ」から「み」までいったわけでしょ。どんだけ長くかかってんだって話でしょ。んでまだ「わ」まであと半分近くあるわけでしょ。単純に倍で計算したら、これ終わるの36歳とかでしょ。下手すりゃ結婚も出産も吐露部屋で報告する羽目になって、それどころか結婚も出産もない独身時代を「わ」に至るまで報告し続ける羽目になる可能性だってあるわけだからそんなもん連載半ばで綺麗サッパリ消えちゃったらやる気なくすよグレちゃうよ人間だものあたしだって「みつを」だってサア!!
ハァ、ハァ。
……ゴメン。
あなたに怒ることじゃ、なかったネ。
冷静さを、欠いたネ。
なくしたもんは仕方がない。明日は明日の風が吹く。ケセラセラって、笑おうよ!
うちにあるデータを、入れ直せば良いだけなんだ☆(あるのか)
昔書いたものは、徐々に入れ直していくことにします。
さて、この永遠に続くかのごとき吐露部屋と同じく、私のPCには日々データが増え続けていく。なまけてバックアップをとるという作業をまるでしていないので、「写真」フォルダも溜まり続ける一方。今日久々にファイルを見直していると、あるわあるわ、今や使い道のない写真の数々が。
過去の公演の舞台写真やら、人にもらった昔の写真、何で撮っておいてるのか自分でもよくわからないモノ…。
このまま放置して夜中一人で眺めるのも楽しいことには楽しいが(いやそんなに楽しくもない)、いつこの吐露部屋のようにデータが紛失してしまうやもと思うと(しつこい)、無駄に人に見せびらかしたい気もしてきた。(まずバックアップを取れ)
そんなわけで、さほど良い写真でもないし一度も頼まれてないのに、友だちを家に呼んだらなぜか必ずアルバムを見せてしまう迷惑な人のように、PCから適当に引っ張り出したお蔵入り写真を、時々吐露公開してみたいと思います。
【勝手に発掘写真館 プライベート編】
「花見。」
KAKUTAの毎年恒例である花見大会は、代々木公園で夕方から明け方まで行われます。寒いので、大抵桜が散ってから花見をしています。というわけで、誰一人桜を見てません。この年は去年かな?まだ若干桜が残ってますね。
寒くなったらリレーとか陣取りゲームとかを始めるので、お客さんからは「KAKUTAの花見は疲れる」と不評です。
「忘年会&新年会。」
KAKUTAの毎年恒例ある忘年会は、いつからか頼んでないのに男性陣が「芸の様なモノ」をするという決まりが出来ました。様々に趣向を凝らし、ブリーフ一丁で踊ってくださいます。
こんなダンス(のようなもの)。
毎年忘年会シーズンが近づくと、それが例えば本番直前などどんなに忙しい時期であろうとも、“それ用”の稽古をしている彼らを見つけます。馬場は入団した一年目、強制的にこの「芸のようなモノ」に参加させられていましたが、先輩方がブリーフに詰め物をしすっかり迷いのない目をして踊るなか、明らかに緊張と「なぜこんなことを」という嫌気のさした表情をマル見せにしておりました。
休憩したりね。
「打ち上げ。」
演出家が役者を泣かせている図です。私と、客演の田中祐希嬢。
打ち上げの最中、カメラマンの相川氏が隠し撮りしていたようです。何か感動的なイイ感じの写真にも見えますが、まんまイビっているようにも見えます。
それにしても、お化け屋敷のような飲み屋。
「楽日。」
横山と松田のボウズッぷりが「甲子園か?」とやや混乱を誘いますが、『北極星から十七つ先』千秋楽の男子楽屋です。
撮影したのはまっちゃんこと松井基展氏。
アップで写ってるのは客演してくれた武藤心平です。
終わった直後、いきなり大泣きました。みんなそれを見て笑ってます。
しあわせな現場って感じがします。(そうか?)