2008年01月19日

第10回★若狭勝也

漫才には「ボケ」と、「ツッコミ」がある。
「ボケ」は、面白い事や『嘘』を言って人を楽しませる。

僕のおばあちゃんは、典型的な昭和の女で、おじいちゃんの一歩後ろを歩き、おじいちゃんが言った事には「はい。」と必ず従っていた。
おじいちゃんも典型的な昭和の男で、亭主関白。時にはおばあちゃんを叱ったりしていたそうだが、
でも、おばあちゃんはおじいちゃんを愛していたと思う。
二人は愛し合っていたと思う。どれだけ愛し合っていたのかは僕には分からない。
二人だけしか知らない。

料理が美味しくて、優しくて、物静かなおばあちゃん。
昭和の女。

と、思っていた!
しかし、おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはブレイクした。
踊り出し、歌い出し、「ボケ」出した。
笑いを取る為なら、『嘘』もつきまくる。

正月の親戚の集まりでも勝手に踊り出し、その動きがまた面白い。
歌も歌うが、みんな爆笑。話しも面白い。
選ぶ言葉や、例え話、昔の話し、言い回し、動き、どれを取ってももはや老人のセンスではなく、完全に食卓のムードメーカーになった。

おばあちゃんの話しを聞く為に、ご飯が楽しみになる。

ある日、父の帰りが遅く、帰って来た時、
「ホラ!みんなで顔にケチャップ塗って倒れちょこ!ホラ!早よしんさい!」
僕らが、おそらく顔が汚れるという理由で、実現しなかったが、おばあちゃんは本気だった。
僕らは、ノリきれなかった。

僕の実家は銭湯だった。
親戚のおじさんが、急に亡くなった3日後くらいに、お父さんとおばあちゃんが風呂掃除をしていた時、お父さんが、風呂場に行くと、おばあちゃんがたわしを持って倒れていた。
おじさんが3日前に亡くなったというタイミングもあって、親父がビックリして、
父「オカン?!オカンッ!」
と、駆け寄ると、
祖母「ああ、寝ちょった(笑)。」
と、寝ていただけだった。今まで、掃除中に寝た事もないのに・・・・・・。
父「なんで!このタイミングで寝るんよ(怒)?!」
と、相当、父を怒らせたようだ。絶対、わざとだ。

おばあちゃんはもともと、(笑いの)「ボケ」ていたので、いつからボケ出したのか?
今でも本当に「老人性痴呆症」なのか分からなくなってしまう。
ともかく、おじいちゃんが亡くなって、
物静かなおばあちゃんが、はっちゃけた。
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『肩パット』
弟、太樹(タイキ)が居間でテレビを見ていた。すると、おばあちゃんが能のようにゆっくりと静かに歩いて来たそうだ。小声で、
「太樹!太樹!」
と、呼ばれて弟が振り返ると、おばあちゃんは肩パットの入った婦人服を裏返しに着ていた。おばあちゃんの両肩には、裏返った肩パットがL字で付いていた。
あばあちゃんは、
「ホラ!太樹!鳥が止まっちょる!」
と、持って来たボールペンで、ちょこんと“肩パット鳥”を突ついた。
「動かんのう!」
と、今度はゆっくりと、逆サイドの肩を見て、
「うわっ!!こっちも鳥が止まっちょるぅ!!」
と、またつんつんとボールペンで突ついた。
まあ、日常的な事なので、弟は軽く笑い、軽く無視したそうだ・・・・・・。
肩に鳥が止まるのは、おばあちゃんとキャプテンハーロックぐらいだろう。

『鏡』
実家の階段の踊り場には、大きな鏡がある。
おばあちゃんは、よく鏡の中の人と話しをしていた。
「まあ、どうもこんにちわ。」
しばらく見ていると、おばあちゃんはジャンケンを仕出した。
「あいこで、しょ!あいこで、しょ!あいこで、しょ!」
鏡に向かって“ジャンケンを仕出す”という偶然性が、まずどっちの「ボケ」か分からない。
「うわ!続きますねえ~!あいこで、しょ!」
(ああ、おばあちゃん、可哀相に・・・・・・鏡も分からなくなってしまった。)
と、思いきや!!
その後に、自分の髪型をセット仕出した!
(ええ?!おばあちゃん“鏡”って分かってたの?!)
と、思いきや!!
片足を鏡にぶつけてて、鏡の中に入ろうとしていた。
何が、どれが「ボケ」なのか分からない。

『天の声』
おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんは毎日のように仏壇に手を合わせていた。
弟がこっそり後ろから、その様子を見ていたら、小声で、
「お父さん(おじいちゃんの事)、ありがとうございます。」
「お父さん、私が今でもちゃんとご飯を食べれるよう頑張って稼いでくれて、ありがとうございます。」
「お父さん、不自由ない家に住まわせてくれて、ありがとうございます。」
「お父さん。」「お父さん。」

と、感謝の念を唱えていたそうだ。弟が暫くこっそり様子を見ていると、
「お父さん。」
「お父さん・・・・・・。」
「・・・・・・あれ?!お父さん?!」

と言ったそうだ。天国にいるおじいちゃんが返事したのだろうか?
弟は爆笑したそうだ。
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「ボケ」の話しか、「老人性痴呆症」の話しか分からないが、
いろんな事があって、おばあちゃんは僕らを楽しませてくれた。

調べると、
「老いた脳は、若い脳に出来ないすばらしい技を発揮する。」
「使わない細胞を、脳が整理しているだけかもしれない。」
とある。
おばあちゃんは、僕らを楽しませる為だけの回路を残し、整理しているだけかもしれない。

おばあちゃんが、完全にボケてしまっていたある日の夜、
おばあちゃんが窓を開けて、外をずっと眺めていたそうだ。
お母さんが見つけて、
母「おばあちゃん、何見てるの?」
と静かに聞いたそうだ。
祖母「おじっちゃんが、戻らんのう~と思うてのう・・・・・・。」
おじいちゃんは生前、毎日飲みに行ってて、おばあちゃんはいつも帰りを心配して、そうやって待っていたそうだ。
母「おじいちゃんは、死んだで。」
と優しく言うと、おばあちゃんは、
祖母「・・・・・・そうやったかのう。」
と、静かに受け入れ、窓を閉めたそうだ。

もう何年も話していないおばあちゃんが、昨年の年末、先月だ。朝起きて、
「おはよう。」
と言ったそうだ。おそらく本当は「ボケ」ていない。
いつか
「本当は、ボケちょらんよ☆」
と起きだし、話し出し、いつも明るく振る舞って、また僕らを楽しませてくれるのだろう。
おばあちゃんの思い出話はいっぱいある。
全部『嘘』でもいい。長生きして欲しい。

※↓『目を見て嘘をつけ』舞台写メ
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