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2005年02月 アーカイブ

2005年02月17日

「こ」 後生畏るべし(こうせい・おそるべし)その1

ちょっとした昔話をしよう。打ち明け話という方が良いか。
ご存じの方も多いが、KAKUTAは3人で結成した劇団である。脚本家の金井と、演出の田村、役者の私、三本柱というシ目で立ち上げ、まんま頭文字を撮ってKAKUTAとなった。
今では何か色々変わったが、とりあえずそんな始まりだったのだ。
その後すぐに照明家と役者一名が加わり、KAKUTAはすぐに3人ではなくなったわけだが、それでもあらゆる面で人が足らなかった。
KAKUTAは大学などの母体がないので、教えてくれる先輩もいなかったからして、当時はどうやってスタッフさんを捜したらいいのか、どうしたらKAKUTAに出てくれる役者に会えるのか、とにかく何もしらんかった。スタッフは皆友達がやるものだと思っていたし、役者は皆ぴあの枠外募集欄で募るものかと思っていたのだ。
トラックで舞台装置を搬入するなんてことも大分先になるまで知らず、小屋入りの日はみんなで荷物を小分けにし手持ちで持ち込みしていたほどだった。
そんな無知きわまりない状態・極端に人手不足な状態でも何とか公演が打てるのが小劇場の不思議と言えば不思議であるが、例えばチラシを作る時に毎回困ることがあった。
いろんなチラシを見よう見まねでチラシ作りに励み、裏面には脚本、演出、出演、照明などとクレジット名を連ねてみるのだが、どうしたってクレジットに書く人の名前が足りない。キャストと作・演出、照明までは違う人間の名前が書けるのだが、舞台、音響、宣伝美術、衣装…、どれも自分たちしかいないので、同じ名前しか書けないのだ。
出演、桑原裕子。音響、桑原裕子。スタッフクレジットにも自分たちの名前を書くということが、スタイルとして成立している集団もあると言うことを知るのはこれまた大分先の話で、当時の私たちは、同じ名前が紙面にいくつも羅列されるのはなんとも格好悪いと思っていた。
だからといって、音響などのクレジット自体をなくすのも、チラシの裏に書くことがなくなってスカスカになってしまうからいやだった。
どうするべえと考えた末、私と田村は、しょうもない案に行き着いた。
「スタッフをする時の芸名を作ってさ、それを書けばいっぱい人がいるように見えるんじゃん?」

「こ」 後生畏るべし(こうせい・おそるべし)その2

というわけで、私はとりあえず、KAKUTAのノンセンスという芝居で演じた女の子の役名をスタッフ欄にあてがうことにした。
「音響:真生」
斯くして、私が劇団を辞めない限り決していなくなることのない、忠実なスタッフ・真生は誕生した。島貫氏が音響としてKAKUTAに来てくれるようになってからは、「選曲:真生」と名を変えたが、あれから現在まで、チラシの裏の選曲欄には一貫して彼女の名が表記されている。
何ともばかばかしい話であるが、真生は私なのだった。
一度、いい加減自分の名前に戻そうかと思ったことがあったが、「選曲の真生さんに変わって桑原が選曲するようになったら音楽の質が下がった」とか言われたらシャクなのでやめた。また、「選曲」の表記自体なくそうかという話になったこともあったが、これも「長年在籍していた劇団員がやめたようだ」と思われたらそれもシャクなのでしないことにした(まるで昔から進歩しない発想)。
いつの間にか真生はキャラ立ちし、一人歩きしはじめていたのだった。
長くKAKUTAを見続けてくれているお客さんから「真生さんて人はいったい…?」と聞かれたりすることもたまにあり、そんな時は「ああ、あれはね」と真相を答えたりしてきてたのだが、たまに「真生さんて人に感謝しなさいよ」などと言われたりすると、何とも微妙な気分になったりしたものだ。
さて、いつか吐露部屋にでも書こうと思っていたが、書いたところでおそらく真生はいなくなりはしないだろう。しょうもない見栄から生まれた人物ではあるが、私も真生に愛着がわいてしまっているのだ。
「じゃ、今回も真生さん、よろしくお願いしますよ」てな感じで、これからも選曲・真生とは仲良くやっていくことと思う。

ところで。人が足りないからいない人の名前を書くなどと言うしょうもないことをしている奴は、私らだけかと思っていたのだが。

「こ」 後生畏るべし(こうせい・おそるべし)その3

同い年の友・クリーミークレイジー女優、近藤美月が自らのユニット「みかん」で公演をすると聞き、チラシをもらった時のことだ。キャスト欄に不思議な名の役者を見つけた。
私「誰…?この中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)って…?」
美月「うん、うちの看板俳優なんだ…」
私「へえ…ずいぶん思い切った名前を付けたもんだね…」
美月「まあね…」
そんな役者は、どこにもいないのであった。
そして、スタッフ欄にも気になる名を見つけてしまった。
私「舞台監督、樅木団栗(もみのきどんぐり)さんって、あんたが考えた名じゃないだろうね?」
美月「うん、彼は働き者だよ…」
私「かわいそうじゃん、こんな芸名つけたら」
美月「まあね…」
そんなスタッフは、どこにもいないのであった。全て近藤先輩の創作であった。
私より強者がいた、と思った。私は彼女に聞いた。
私「ねえ、スタッフはわかるけどさ、なんで役者まで架空の人を書いたわけ?」
美月「だってうちに出たがる役者が多いって思わせたいじゃん…」
だからって歴史上の人物を足してどうするのだろうか。それも一人だけ…。私は更に聞いた。
私「え、え、でもさ、この中大兄皇子って、本当はいないんだよね?」
美月「いないよ…?」
私「え、じゃあ本番はさ、一人役者が出てないってことになるじゃん。『ナカノさんって人いないね』ってお客さんに言われるんじゃない?」
美月「だから、当日パンフレットの隅に、『中大兄皇子は諸事情により降板しました』って書こうと思うの…」
私「…あのさ、役者が一人多く美月の芝居に出たがってるってことよりも、ナカノさんって人が何かの事情で芝居を降りたんだなって思われる方が印象悪いんじゃない…?」
美月「……ああ…そうだね…」
その後どうしたのか、私は知らない。その後もチラシを渡すたび何人かに「中大兄皇子って?!」と驚かれていたが、彼女は「うちの看板だ」と言い張っていた。
皆さんも芝居のチラシをもらったら、裏面のクレジットを熟読してみてはいかがでしょう。
見たことのない突飛な名前のスタッフさんや、歴史上の人物がいるかもしれません。

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