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2006年04月 アーカイブ

2006年04月09日

「と」 同気相求む(どうき・あいもとむ) その1

そう言えば、「満天の夜/ねこはしる」のことを全然書いていなかった。
初のプラネタリウム公演、二年ぶりのアルケミストとの共演ということで余程浮き足だった日々だったのだろう。季節はとっくに春だが、今更ながらにあの冬へ立ち返り、我が友とおこがましくも呼ばせていただくアルケミストについて語りたい。

大人になるほど出会いも増えるが、本当に気の合う友人を見つけるのは年を取るほどに難しくなるものなのかもしれない。ましてや四六時中演劇と向き合っていると、別の世界で友人を見つけることは大変困難なことである(特に私のようなインドアひきこもり人間の場合は)。
そんななか、おこがましながらピピと通じ合ったのではないか、おこがましながら(しつこいね。おこが「増し」すぎるので今後は割愛しますわ)世界のせっまい私にとって演劇以外でようやくできた友人と思うのが、アルケミストの二人である。
KAKUTAに来てくれるお客様の中でもアルケミストファンは大勢いて、もはや紹介するまでもないと思うが、二人はボーカル(こんやしょうたろう)とピアノ(井尻慶太)の二人ユニット。
繊細で力強い詩を透き通る声で歌うボーカル、柔らかく深く聡明なピアノ、と彼らを表現する枕詞は多々あれど、密かにだが私の中では「空のしょうたろう」、「水の井尻」と評するのが一番しっくり来る感じがしている。
「空よーっどこまでも続いてけーっ天までとどけーっ高く高くへ飛んでゆけーっ」
としょうたろうの歌声は言っているように感じる。
「川のように穏やかに、時に激しく流れるのだ、海のように深く、どこまでも広い地平線を知るのだ」
と井尻のピアノは弾いているように聞こえる。
ついでに誰か私のことを「土のバラ」とでも言ってくれないだろうか。

「どすこい、どすこい」

何だか力士の土まみれのお尻などを連想してしまうファンキー(土着的という意味での)な表現ではあるが、そうして空と水と土が揃えば宇宙が見える気がしない?などというところで、プラネタリウム公演はやはり必然であったと勝手にこじつけているわけです。

「と」 同気相求む(どうき・あいもとむ) その2

さてそのプラネタリウム公演、全ステージが終了した後の舞台裏で、私たち出演者はいつになく感傷的であった。臆面もなくめそめそしている輩もいて(自分か?)、それはスターホールという空間(そして素敵なスタッフの方々!)がもたらしたものなのかもしれないし、宇宙の大きさと私たちの小ささの中に存在する計り知れないさみしさのようなものを感じたからかも知れないが、ともかくその共有してきた時間を確かめ合うようにいつまでも互いに手を握り合ったりしていた。
しかしそんな胸の熱くなる想いをしても、次に待ち受けているのは打ち上げという名の酒祭り。
先ほど宇宙を感じていたかと思えば、次の瞬間は和民にいるのが現実だ。結局ゲハゲハと騒いで感傷も笑い飛ばしてしまうのが常である。そんななかで、あのピアノ弾きと歌い子はどないに過ごしているのかしらと、皆に大入り袋(お客さんがたくさん来た時に渡すおみやげのようなもの)を渡すさいチラリ観察してみることにした。
女子たちに囲まれ、己もガーリィな高い声でキャハハとはしゃいでいるのはしょうたろうさん。女子をはべらしているというよか、すっかり同化している彼の周囲はお花が咲いているような華やかさ。そこに涙はなく、笑顔が溢れている。
ところがはす向かいの井尻氏を見やれば、空気は一転、伏し目がちでジッと黙り座っている。あの姿勢の良い背中もこの時はほんの前屈みに丸まり、その様子はまるで優しい目をした必勝ダルマ。時折口をキュッとへの字にしたままおしぼりで目元を拭いていたりする。
大入りを渡した後、私は酔っぱらってなまこのようになりながらいじりんのもとへ這って行き、語り合った。
まだ感傷から抜け出したくなかった私には、ダルマな彼の空気が合うのだ。

「と」 同気相求む(どうき・あいもとむ) その3

やがて打ち上げが終わり、しらじらと夜は明けて薄霧の中解散。どんなに寂しくったって、どうにも眠いし、皆酒臭い。ロマンティックに終わることは出来ぬ、これも常である。
私は未だ酔っぱらって江頭のように舞っていた(と成清に評された)が、ふと別れ際、再び二人の様子を観察してみた。
どこか清々しく凛とした顔で、感傷を引きずることなく潔い別れで去っていったのはいじりんの方である。先ほどの丸かった背中も今はシャンと伸び、それでは失礼いたしますと高級ホテルマンの様な一礼で帰っていく。
逆に、「ねぇもう帰るの?この後どうするう?」と子犬のような目でソワソワとみんなの様子を伺っていたのはしょうちゃんだ。さみしいよう、まだまだ楽しみたいよう、とその姿が語っている。私は江頭のように舞いながらしょうちゃんのもとへ走り、気が済むまで彼と遊ぶことにした。
まだ楽しんでいたかった私には、子犬な彼の空気が合うのだ。

吹き抜ける風、そよぐ風。激しい雨に、カンカンの晴れ。喧噪と静寂。厳しさと優しさ。空と海。
対にあるものが絶妙なバランスでそこにある。対でありながら、一体である。
二人を見てるとそんなことを思う。
そんな二人のバランスに、私は贅沢な心地よさを感じながら飛び込んでいく。

2006年04月13日

「な」 泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生(ないてくらすも・いっしょう・わらってくらすも・いっしょう)その1

むかむかしていた帰り道だった。
友人の芝居を観に行ったあといやな奴に出くわして、ニヤニヤと嫌味を飛ばされむかついていた。
嫌味を言われた元はと言えばの理由を思い返してむかついていた。
劇団員と電話をして、その頼りなげな様子にむかついていた。
そうして悪いことは何でも人のせいにしてしまいたい気分の自分にも、むかついていた。
何にでもむかついていたので、コンビニの店員が頼んだ煙草のソフトケースを持ってきた時すらむかついた。私はボックスと言ったのに、とむかついた。
雨が降っているのに傘がない、むかついた。
むかつきながら一人でラーメン屋に入った。好きなゴマ味のラーメンで己を宥めるつもりだったが、いつになく卵とキクラゲの定食に心惹かれ、そちらを頼む。
定食はすぐに運ばれてきた。見たところご飯がねちっとしてたので、「楽しみだったご飯までねち、か」とやはり少しむかつき、これで卵とキクラゲが今ひとつだったら私はまたむかついてしまうなと心で準備をしながら口に運ぶ。
ところがこれが、旨かった。
ふあんとした卵は甘いのにほのかにピリ辛く、コリコリの薄切りキクラゲはタレが染みこんでて、嗚呼ハーモニー。
うまいのにむかつく準備をしていたから顔が戻らない。うまいと思いながらムッとした顔で食べ、シェフよ、なかなかやりますなとムッの顔で厨房を見ると、バチリ、店主と目があった。
店主は私がどんな顔をして食べるのか見ていたのだ。
あいつは俺の味を気に入ったかな。うまそうに食べてるかな、と言う風に。
私はハッとし、慌ててうまそうな顔を作った。しかし時既に遅し、店主は目を離していた。

「な」 泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生(ないてくらすも・いっしょう・わらってくらすも・いっしょう)その2

何とかうまいことを伝えたくて、それから何度もご飯を口に運びながら店主を見たが、結局一度も目が合わなかった。
うまいという顔が出来なかったかわりに、残さずきれいに平らげようと思った。米ひとつぶ、漬け物ひときれも残すまいと思って、その後は黙々と食べた。食べることに専念した。
いつもは「ながら食い」の私が精一杯食べた。精一杯食べると、これがまたうまいのだった。
ご飯はやはりねちっとしてたが、汁につけて食べたりもして、それもまたよかった。
ご飯とおかずの配分に集中し、顔を作るのもやめてシミジミモクモクと味わった。
そのうちに、目と目の真ん中あたりがぼやっとして、鼻水が出てきた。何かが胸の中で溶けてゆくような気がした。小さくふんふんしながら、ひたすら食べた。
会計を済ませた後、勇気を出してうまかったと伝えた。恥ずかしくて気取ってしまい、
「美味しく頂きました」
などと言ってしまった。気取ったつもりが帰りぎわカウンターに鞄をぶつけ、店員さんに笑われた。
外に出れば、私のむかつきはすっかり晴れていた。
雨もやみ、空に見事な皿型の月が浮かんでいた。

2006年04月29日

「に」 肉食の者(にくしょくのもの)その1

稽古からの帰り道。最寄り駅におりついたら、改札にいた若い青年が友人とおぼしき青年に寄りかかっている。酔っているらしいその青年に友人は彼を叩きながら言った。
「しっかり帰ろう、しっかり帰りな、しっかり帰ればそれが嬉しいんだからさ」
まるで三段活用の様な滑らかさで友人は言う。こう言われちゃ、彼もしっかり帰るしかないだろう。
「しっかり帰ればそれが嬉しいんだからさ」
あったかいようなそうでもないような、言葉だ。
そこには「俺のために…な!」という含みがあり、友人の思いやりとめんどくささが共存している。
ともかく酔った青年はそこに対する「思いやり面」だけに着目し、「あいつのために…さ!」と、大人しく、そしてしっかりと帰るしかないのである。
さて。全然関係ない話だが、ムーンライトコースターの稽古は始まっている。再演とは言え新キャストも参入し、新要素も多く、ゆえに初めて臨むときと変わらぬ高揚感と緊張感がそこにある。
そんな緊張をほぐしつつも高まる想いに弾みを付けるべく、我々が出かけたのはやはり、焼き肉屋だ。
花やしき稽古が本格始動する前に、この4月は劇団員でWSをしていた。なので、一応WSの打ち上げという名目もあり、普段は安く長く飲める居酒屋をいかにうまく探すかに勢力を注ぐ私たちも、この時ばかりはちょっと奮発して肉を!と言うことになったのである。
たかだか焼肉でそんなに騒ぐこともないのだろうが、それでもWS発表会を控えつつ「今夜の打ち上げは肉だよ!」となったとき、我々のモチベーションは確実に上がった。
なんてさわやかな人たちなんだろう…とちょっと思ってしまうくらいに、皆の目が輝いている。かく言う私も、人生っていいな、っていうくらいにイキイキしてたと思う。
人を瞬時にパーティー気分にさせる肉。(もちろん人にもよるだろうが)ホントに、こんなに心躍らせる肉ってすごい、と毎度新鮮に思ってしまうのである。

「に」 肉食の者(にくしょくのもの)その2

さて今日は、衣装チームとの打ち合わせ。稽古場の近くに適当な喫茶店がなく、今から居酒屋に行くのもなあと尻込みどこで打ち合わせしようか迷っていた。
話し合うのに適当な場所…ノンビリ出来て少しご飯も食べられる場所…そんな条件で探していたはずなのに、結局私たちが行ったのは焼肉屋だった。
全く本来の趣旨とずれている気もしたが、そこに飛び込んだ「焼肉」という文字から目が離せない。
されど、焼肉というパーティー会場へ迂闊に足を踏み入れてよいものか、迷う。打ち上げとか明日は休日だとか給料日とか、そんな大義名分もなく肉を食らっていいものか。別に貧乏だからと言うわけでもないのだが、打ち合わせに肉?コーヒーじゃなくて、コチュジャンビビンバ?
いいのだろうか。迷う。
だが結局、「うーん、ここしかなさそうだね…」とか何とか誤魔化しつつ、今日の主役衣装班がOKを出したのをいいことに「かるーくね」とか言って内心意気揚々と焼き肉屋へ入ったのだった。
作り物の洋服はいつもお願いしている凄腕衣装デザイナー速水ちゃんを中心に打ち合わせはバリバリ進み、当劇団のプリ肌衣装・留里子嬢もビール片手にテキパキスケジュールを立ててくれたおかげで、私はほとんど言うこともなく、となれば話し合ってるのを尻目に肉へ心を踊らせてしまう状態。こ、これじゃいかんと思うのだけど、鳥塩カルビを前に冷静でいられぬ私は、テーブルの端でユッケをたしなむタムちゃん(田村友佳)や、ダイエットなのか何なのかこの日はかたくなに肉を食べないでいる横山牛道(本名:横山真二くん)を気にしつつもついつい目を血走らせ肉に集中してしまった。
打ち合わせはうまくいった。しかし主宰がこんな体では、打ち合わせ場所チョイスとしてはやはり、失敗だったのかも知れぬ…。
今回可愛い衣装を着ているキャストを見たら、「あ、アレは主宰が焼肉に気を取られている間に決まったんだな」と思ってください。

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