« 2005年11月 | メイン | 2006年02月 »

2006年01月 アーカイブ

2006年01月21日

「せ」 青雲の志(せいうんの・こころざし) その1

あけましておめでとうございます。
昨年はこの吐露部屋、新しい更新の度に「なぜゆえに更新が遅れたか」の言い訳に何行も費やしてしまったが、2006年、このワンコ吼える新しき年からはそのような無駄にスペースを埋めるようなことはしないのだ。
もちろんただ「言い訳をやめる」だけではない。それだと金なら返せんとひたすらに言あさい続けた大川興業の先生と変わらない。言い訳をせずとも良きよう、たった今走ってきたばかりのワンコの荒い息のごときハイペースで更新して参る所存だ。それはまるで猛犬の唸りのような勢いで辞典をめくり、愛犬を慈しむようなキータッチで文字を打ち、犬の熱い息のように臭みのある文章を…無理に犬に関連づけるこたないね。ついでに言えばまたもや何行も使ってしまいました。
ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。

さて、サンタさんはいるよと今も信じているけれど、イベントとしてはクリスマスよりも俄然大晦日に力を注いでしまう心も体も日本人の私(当たり前か)は今年も我が家で恒例の鍋会を開催した。気合いを入れていると豪語する割にメンツは毎年ほぼ一緒だし、鍋を囲んでテレビを見るというだけのことなんだが、これがないと一年が無事に終わった気がしない。
鍋奉行は毎年成清さんと決まっていて、材料だけみんなで買いに行った後は台所をほぼ成清さん一人で牛耳っている。
女たちは何をしているかと言えば、ソファに座ってギャフギャフとくっちゃべり、時たま思い出したように「手伝おうか?」などと声をかけるくらいだ。
特製のつくねを混ぜ混ぜするのだって「力仕事は男が得意だから」とその辺にいる佐藤滋さんにやってもらう。佐藤さんは格闘技を見ながら混ぜてるので力が入ってしまうのか、おかげさまで佐藤さんの混ぜたつくねはしっかりこねられ、ふんわりとまとまる。

「せ」 青雲の志(せいうんの・こころざし) その2

ところでいつから日本では大晦日に格闘技を観ることが習慣になったのだろうか。紅白をやいやいとヤジを飛ばしながら見るのが大晦日の正しい過ごし方ではなかったのか。男勢がサクラバやらオガワに釘付けになっているので、私は今年も幸子の衣装がいかにして変貌するのかを見そびれた。CMになったときだけかろうじてチャンネル権を与えてもらうのだけど、そんなときは大抵演歌なのも切ない。NHKが視聴率を取ろうと思うならば演歌を見る視聴者層とグループ魂を見る視聴者層を考え、民法のCMとの折り合いをつけていただきたいものだ。
それでひとまず11時まではよくわからないままに格闘技を見せられ続けるわけだが、せっかくなら楽しもうと私も男たちの話題に参加してみる。
「どっちが勝つかな?」と言う議題に「あの人は顔が変だから負けてほしい」と言ったら男勢から鋭い目で「バラ!今、全格闘技ファンを敵に回したよ」と叱られた。どうやら紅白につっこむのと同じテンションで格闘技を観てはならぬようだ。仕方なく私は高山さんの年中無休な喋りに耳を傾けつつ、鍋の残りをつつくほかないのである。
しかし、格闘技が終われば話は別だ。チャンネル権は女が完全支配し、先ほどのレコ大を見れなかった時間を取り戻すかのごとくテレビの前を占拠する。そこで私たちが観るのは当然ジャニーズたちのスペシャルライブだ。
岡田君ますますかっこいいわあ!嵐はいつ見てもかわいいわねえ!そろそろマッチが出てくる頃よ!あ、やっぱり出てきた、さすがジャニーズは兄貴分を立てる演出ねえ!
女たちは口に立てた戸を吹き飛ばす勢いで泡を飛ばして盛り上がる。時々「ちょっと岡村の火の輪くぐりをみたいな…」などと男たちが控えめに言ってくるのだけど、そんなの見せてあげるのはそれこそCM分のほんの数十秒だ。

「せ」 青雲の志(せいうんの・こころざし) その3

女たちがアイドルを観ているのだから当たり前のように彼らのうわさ話になる。ジャニーさんって○○なんだって、とか誰々って昔○○だったらしいよとかここには書けないような下世話な話題を熱く交わすのだけど、それを聞いていた若狭が呆れたように、
「俺もうそう言う根拠のないうわさ話ってホント駄目なんだよなあ。」と言った。
これは、女たちの地雷を踏んだようなもの。
女ども「そんならあんたらは全部確信持ったことしか言わないの?!ならいつ金子賢がトレーニング一生懸命やってる様子を観たっていうのさ?!」
男ども「イヤ、それとこれとは話が違うよ」
男ども「そうだよ、現に頑張ってるのはテレビで…」
女ども「そんなの情報操作かもしれないじゃん、だったらうちらが週刊誌に操作されてるのと一緒じゃん!」
……不毛な口論だ。そんな風にして年は暮れ、年越しのその瞬間は揃って仲良く「ゆく年くる年」を観、佐藤さんの持ってきたクラッカーをなんだかわからんけどもみんなで鳴らして、新しい年を迎えたのであった。

…ところで、なぜこの内容でタイトルが「青雲の志」なんだ?といわれそうですが、新年なんで、何か素敵な感じのことわざにしたかったという、ただそれだけだったりして。

「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その1

さて、気がつけばもうすぐバレンタインデーだ。
「気がつけば」などと強引に始めてみたけど、全然もうすぐじゃなかったね、まあバレンタインデーについて書きたいだけなんだけど。私にとってバレンタインデーとはチョコレート会社の陰謀と言われようが何だろうが華やかなりしイベントの代表だった。
だった、と書くのはいささか寂しいが、やはり全盛期は学生時代だろう。友達のうちでチョコを作ったり、いつどのタイミングで渡すかと熟考したりするあのドキドキしたイベント感覚を今やれるかと言えば、難しいものがある。
私自身のノリとして難しいのかと言えばそうじゃない。むしろ私は今でも全然盛り上がりたいし、キャッキャと手製チョコを作ったり待ち伏せ場所を考えたりしたい。だけどこの年でそれを私の友人が一緒にやってくれるかと言えば、あんまし乗り気じゃないわな。
ハッピーバレンタインなどという言葉があるけど、あれは恋愛を成就させたときの場合の言葉だと思う。実際に付き合うようになると、誕生日やクリスマスと言った別イベントでいくらでも盛り上がれるので、さほどバレンタインに対し思い入れがなくなるものだ。もちろんヒルズに連れて行ってもらった!だの、一泊旅行しちゃった!だののイベントがくっついてくれば別だが、それでも「バレンタインの思い出」と言うよか「彼氏と初めての一泊旅行」という印象の方が強くなるのではないか。
彼氏ができて以後のバレンタインズメモリーはやがて「なんか一緒にチョコ食べたな」くらいの薄さになっていき、つきあいが長くなるほど「あーまたチョコ買わなきゃ」「あのさ、今年はナシでもいい?」ってなグラフの盛り下がりを見せる。そう考えるとチョコをあげたことによって付き合うことになった、などというハッピーバレンタインを経験したことのない私は概ね苦い思い出ばかりがフラッシュバックしてくるのだけど、最もしょっぱいのは失恋メモリーよりも「好きな人もいないのに手製のチョコを作ってみた」思い出だろう。
私は二度ある。
二度目は高校の友達とノリで作ったチョコ。そして一度目は中学の時だった。こっからはちょっと引く話になるのでついてこれる人だけついてらっしゃい。フォローミー!去れ!

「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その2

私には虚言癖があった。
と言うよりか、激しい妄想癖と言えばいいのだろうか。なんにせよ、自分の思いこみや作り話に思い切り浸る癖があった。そしてたちの悪いことには完成度の高い妄想を思いつけばつくほどに友人にそれを言いたくなった。そんでもって人に話すことにより更に本気度が増し(あるいは引き返せなくなって)、結果雪だるま式に虚言が積み重なるというわけだった。
あれは中二の頃だったか。校内でひとしきり気になる男子には恋心を寄せ、よせてはかえしを繰り返してついには気になる人がどこにもいない枯渇状態になった。中学時代に好きな人がいないというのは部活に打ち込んでるわけではない限り非常に暇なものである。
そんな時現れたのが妄想の彼・翔くん(近隣中学在校・バスケ部)だった。名前といいバスケ部と言うチョイスといい、泣けるほどに安い設定じゃないか。あの日の自分にもうちょっと工夫しろと言いたい。
すでに私には妄想のイケメンな友人(うち一人はゲイ)が三人いるという設定になっていたが、彼らは「気のいいお兄さん的存在」であったため、恋愛に発展するのは難しかった。(時々彼らのルームシェアする家に遊びに行くという完璧な設定)
そこへ現れた新参者、翔くん。彼のイラストを己で描いてみて、うまく書けた物をイメージの源にしていたと言うのも今だから話せるが今だからと言って話していいのかという話だ。
手前味噌だが彼との出会いがまた面白い。(しょっぱいという意味で)
ある日の塾帰り。一人私はいつものようにバスに乗っていた。と、料金を払おうとした時にバスが揺れ、私は小銭入れから5円玉を落としてしまった。
と、同じくバスの揺れで体が傾いた一人の少年が、偶然にも私と同じく同時に5円玉を落とし(あるかそんなこと)、拾った5円玉がどちらのものだかわからなくなってしまう(ってか別にどっちのだっていいじゃんと言う話だが)。
すいませんと言い合いながら二人で5円玉を拾うと、翔くんが私に向かって微笑みかけ、さわやかに言うのだ。

「縁(円)がありますね。」

アホか!!

あのときは完璧なシナリオだ…と思ってたのだけど、5円玉が同時に落ちるという不自然さと言い、そもそも何故バスなのに5円玉握ってるんだというこじつけっぷりといい、己の妄想ながらつっこみどころが多すぎる。

「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その3

ともかく、そんな完璧な(ありえない)出会いによって私と翔くんは出会い、彼の試合を見に(アホ!)行ってからと言うもの急速に近づきあって、そうして時は流れ、やがて当然のごとくバレンタインシーズンを迎えた。
私は翔くんに向けて上品なトリュフを作ることに決め、友人たちと材料を買いに行ったりしたのだけど、その辺りになってくると徐々に己のむなしさを無視できなくなってきた。周りの友達がみなクラスのだれそれにあげると言っている中で、私はいもしねえバーチャル男に高い金を使って手作りチョコを作っているのだ…。恋に恋する14歳、キャ☆などという浮かれた気分も、実際に自分の小遣いが減るとなると話は別だった。
それでも、チョコを作るだけならまだ良かった。いつだってイベントには率先して参加したい私だ。しかし、あまりに真実めかして友人たちに話してしまったせいで、どこでいつ渡すかという段取りまで決めなくてはならなくなってしまった。こうなってくるといよいよ引っ込みがつかず、塾の終わり、来もしない彼を待つことになった。
すっかり体も冷えた頃、翔クンが走ってくる。私が指先まで冷たくなった手でチョコを渡すと、翔くんは私の体をそっと抱き寄せ、そして震える私の唇にそっと初めてのKISS…。
などと、一人妄想に浸ってたとは言え、いもしない人間を2月の北風吹きすさぶなかで待つのはつらい。震える唇どころか、ガタガタと歯がなる。
寒さがピークに達したとき、一つの考えが浮かんだ。
「……失恋したってことにすっか。」
私はチョコレートを箱ごと道ばたに投げつけ、自分に言い聞かせるように一人で泣いて見せた。
「来なかった翔クン…ばか、ばか。もう、しらない…。」

ヨシ!
全うした!!
私は箱を拾ってチョコを持ち帰り、その日を最後に翔くんとお別れした。
チョコは割とうまく作れていた。

2006年01月29日

「た」 大喝一声(たいかついっせい)その1

「注意するのも命がけ」とは悲しい時代だが、どうしてどうして、満員電車の迷惑客に怒りを静められぬ私である。
と言うわけで昨晩またやってしまった。終電間際の小田急線、お相手は数人のアメリカン・グルーピーだ。己らをヒップホップなイカした奴らとでも思ってるのだろうか、満員電車で距離感無視のバカでかい声で歌えや騒げ、苛ついた男性客が「うるさい!」と一括しても「ニホンゴワカリマセン」てな素知らぬ顔。お腹の肉をシャツからムリリとはみ出したデブちんの彼女を引き連れ、ゲラゲラ笑い、上機嫌。この電車に乗り合わせた乗客達は、一日働いて疲れ果て帰るなか、何が悲しくてこやつらのヘタッピな歌など聴かねばならぬのか。私は乗り合わせて数分であっという間にむかついた。
しかし、乗客の大半がおそらくは私と同じ気持ちだったとはいえ、全員が迷惑していたかというとそうでもなかったようだ。
何が嫌だったって、そんな風にきゃつらを調子づかせてるのは、近くに乗り合わせた日本人高校生たちなのだ。「バカガイジン」と自ら称する彼らを憧れのまなざしで見つめ、さも「外人さんと話せて嬉しい」とばかりにはしゃいでおり、それこそがあやつらに「俺らってクール」と勘違いさせ浮かれた気分を助長させているのだった。
最近わかってきたことだが、私が腹が立つ理由は大抵、騒いでること自体にじゃない。酔っぱらいの喧嘩とかなら、余程危うきものでない限りむしろ面白がってみてしまう方だ。お互いちょっと恥ずかしがりながら喧嘩している様子を見るのは、申し訳ないが暇つぶしになって、いい。
腹が立つのは、浮かれている奴らがそうやって騒ぎながら本人たち自身「俺らってイケてる」と勘違いしているということだ。
それが日本人だろうが外国人だろうが関係ない。そう言う奴らは大抵、自分たちが面白い会話をしていると思っている。なんなら、こうして浮かれ騒いでいる奴らにグッと我慢している私たち他の客に対し、そんな俺らについて来れないお前たちはダサい、くらいに思っているのだ。そこがもう、たまらなく嫌だ。

「た」 大喝一声(たいかついっせい)その2

先日も夜の電車で若い男二人が喧嘩していたのだけど、一人が言い争いの途中で降りたので事実上降りた人は「負けた」ことになり、その後に残った一人が勝ち誇ったように友人に試合後の感想を語っていて、むしろそちらの方がむかついてしょうがなかった。
遠い場所に立っている私の方にまで聞かせるように喋るんで、余程近くまで行って「悪いけど周りがあなたを讃えてると思ってるなら大間違いだよ。そんなアホな会話を聞かされるこちらに迷惑料を払って欲しいくらいだ」と教えてやりたかったが、つまりはそう言う「空気の読めぬセンスのないバカ」が嫌いなのだ。
夕べ乗り合わせた外国人たちもまさにそれで、そしてそれを肯定しているのがこれまたモノを知らぬ日本人高校生なのがやるせなかった。
スラング混じりのアホ英語でヘラヘラ喋ってる外国人たちを見ながら、高校生たちが「エディ・マーフィーみてえ」「すげえ、映画見てるみてえ」などと言ってるのを聞いた日にゃ、やーめーてえええ!!と心で叫んでいた。
何が映画みたいだバカ!そしてどこがエディ・マーフィーなんだよ!まるで似てもないし、今時の高校生のクセしてアフリカ系アメリカ人の男性はみんなエディ・マーフィーに見えるってちょっとセンスが古すぎるだろ!それはもう、アフリカ人はみんなにサンコンかニカウさんに見えて、中国人はみんなユン・ピョウに見えて、ハワイアンはみんな小錦に見えるって言う古さだよ!そんなじゃ日本人は皆「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるサラリーマンに見られるよ!
言われた方もまんざらでもない顔で「ユーノウ、エディ・マーフィー?」だって。おバカ!似ていない!ヤサ、君は似ていナイ!!
そんな風に全部ぶちまけたい気持ちを抑え、されどそろそろ黙ってもられなくなった私は、偽・エディーと目があった折りにせめて穏便に気持ちを伝えてみようと、唇に人差し指を当て「シー」とやってみた。
子供のようなまなざしで偽・エディーも唇に指を当てシー?とやり返してくる。子供のようなまなざしとはもちろん本当に子供のようだったわけではなく、偽エディーがかわいこぶっているだけなのだが、ともかくそれで一時は静まったように見えた。

「た」 大喝一声(たいかついっせい)その3

しかし、ものの数分も経たぬうちにまたもや誰かがゲラゲラ笑い出し、すぐさま元に戻ってしまう。さっきおじさんが「うるさい!」と言っても伝わらなかったようだったから敢えてジェスチャーにしてみたのに、あれ?アメリカでは「シー」とやらないんだっけ??一瞬本当に考えてしまった。
我慢していてもうるさくなる一方なので、今度はそこにいる高校生たちも含め、全員に再び「シー」とやってみた。偽・エディーがまたかわいこぶるのは想定の範囲内(byホリエさん)として、高校生達までもがかわいげなまなざしで「シー?」とやり返してきたのには驚いた。
なんじゃそりゃ!シー?じゃないよ。「おかあさんといっしょ」じゃあるまいし私の真似してどうするだ。私はお遊戯のお姉さんか。お前ら日本語喋れるんだから「うるさいですか」ぐらい聞き返せっつの。
二度目以降は「シー」の効果もなく、偽・エディは「シードントライクミー」の一言で済ませてしまい、高校生も一緒くたに調子づいて大声で騒ぐ迷惑な客の一員になりさがり、シーでことを済ませようと思ってた私もいよいよ頭に来て、高校生たちをとっつかまえ「わかんないの?あんたらが調子づかせてるんだよ?みっともないよあんたら」と叱りつけてしまった。さすがにシュンとなる高校生達。本当に悪いのは彼らじゃないからちょっとかわいそうだったけど、外国人たちが違うお国でちょっぴり羽目を外してみたりすることを許せたとしても、こんなセンスもなくダサアホい外国人に憧れて喜ぶ我らが日本人高校生たちは許せない。
これが本当にエディ・マーフィーに似た素敵外国人たちだったらばそうは言わないし、私も高校生たちと一緒に浮かれてしまったかも知れぬ(そもそもそんな素敵な人らはこんな電車の中で騒がないだろうが)。だけど、スラング混じりの英語を喋る人と言うだけで何が格好いいか悪いかもわからないようになってしまうのは日本人としてやっぱり恥ずかしい。
それ以降は高校生も大人しくなってそそくさと電車を降りていき、偽・エディー達は未だ騒いでいたがその効力は先ほどより大分劣ったかようだった。それ以後も様々な形でもって私と偽・エディーたちとの攻防あったがひとまずは終結、ともあれ無事に電車を降りて帰ることが出来た。

「た」 大喝一声(たいかついっせい)その4

しかし結局のところいかにしたらああいうバカ騒ぎを効果的にやめさせることが出来るのかはわからないし、どうしたらああいうとき怒りもせず電車に乗り続けることが出来るのか、自分への課題を背負った気がする。
世の男性諸君にはこういう非常識な輩に対してもっと毅然とあってほしいものだと思うが、だからとてこういうことをしょっちゅう吐露部屋に書いている私も、その短気さがちょっと恥ずかしいのは事実だ。
それに実は、つい先日のちょっとした出来事以来、私はこういう己の短気さを戒めていたのだ。
それは、ある朝のバスの中だった。バスこそ電車以上にお互いの思いやりが大事な公共の場。電車では大勢が乗り降りする慌ただしさから多少振る舞いが粗雑になってしまうにしても、同じ町の人たちが利用しているバスくらいは穏やかに参りましょうよと思うのだが、そんな時も電車と同じくらい人を押しのけて行こうとする人がいる。
その朝は、終点のバスセンターに到着して乗客の全員が順に降車しようとしたとき、ギリギリまで椅子に座っていたくせに、到着した途端急に立ち上がって無理矢理先に降りようとした女の子がいた。せわしないなあと思ったいたのだけど、同じく降りようとしていたおばあさんにぶつかってまで降りようとしているのを見て、私はカッとなり、「危ないだろ」とその子のダウンコートのフードを思わず後ろからグイッと引っ張ってしまったのだ。
ハッとしたときはもう遅い。着脱可能なフードのパッチンボタンがプチプチッとはずれた。しまった、と手を離す私。先に手が出るとは、お前こそ全く穏やかじゃないという話だ。
反射的にフードを押さえつつも、振り返らず降りていく女の子。バスを降り、駅へ向かうターミナルの階段を上がっていた時、横のエスカレーターにフードを押さえブルーな顔で乗っている彼女の顔を見つけて申し訳なくなった。(同時に「エスカレーターに止まって乗ってるくらいだからやっぱそんな急いでなかったんじゃねえか?」とも思ったが)
ああ。ギャアギャアと叱りつけずとも、目を見つめてゆっくり首を横に振るだけで相手がハッとなるような、徳の高い人になるにはどうしたらいいのだろうか。
まずは人のフードを取ったりしちゃダメだな。

About 2006年01月

2006年01月にブログ「桑原裕子の胸中吐露辞典」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2005年11月です。

次のアーカイブは2006年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type