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吐露始め 2006/01/21 土曜日

「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その1

さて、気がつけばもうすぐバレンタインデーだ。
「気がつけば」などと強引に始めてみたけど、全然もうすぐじゃなかったね、まあバレンタインデーについて書きたいだけなんだけど。私にとってバレンタインデーとはチョコレート会社の陰謀と言われようが何だろうが華やかなりしイベントの代表だった。
だった、と書くのはいささか寂しいが、やはり全盛期は学生時代だろう。友達のうちでチョコを作ったり、いつどのタイミングで渡すかと熟考したりするあのドキドキしたイベント感覚を今やれるかと言えば、難しいものがある。
私自身のノリとして難しいのかと言えばそうじゃない。むしろ私は今でも全然盛り上がりたいし、キャッキャと手製チョコを作ったり待ち伏せ場所を考えたりしたい。だけどこの年でそれを私の友人が一緒にやってくれるかと言えば、あんまし乗り気じゃないわな。
ハッピーバレンタインなどという言葉があるけど、あれは恋愛を成就させたときの場合の言葉だと思う。実際に付き合うようになると、誕生日やクリスマスと言った別イベントでいくらでも盛り上がれるので、さほどバレンタインに対し思い入れがなくなるものだ。もちろんヒルズに連れて行ってもらった!だの、一泊旅行しちゃった!だののイベントがくっついてくれば別だが、それでも「バレンタインの思い出」と言うよか「彼氏と初めての一泊旅行」という印象の方が強くなるのではないか。
彼氏ができて以後のバレンタインズメモリーはやがて「なんか一緒にチョコ食べたな」くらいの薄さになっていき、つきあいが長くなるほど「あーまたチョコ買わなきゃ」「あのさ、今年はナシでもいい?」ってなグラフの盛り下がりを見せる。そう考えるとチョコをあげたことによって付き合うことになった、などというハッピーバレンタインを経験したことのない私は概ね苦い思い出ばかりがフラッシュバックしてくるのだけど、最もしょっぱいのは失恋メモリーよりも「好きな人もいないのに手製のチョコを作ってみた」思い出だろう。
私は二度ある。
二度目は高校の友達とノリで作ったチョコ。そして一度目は中学の時だった。こっからはちょっと引く話になるのでついてこれる人だけついてらっしゃい。フォローミー!去れ!

吐露終わり
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