吐露始め 2006/01/21 土曜日

「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その3

ともかく、そんな完璧な(ありえない)出会いによって私と翔くんは出会い、彼の試合を見に(アホ!)行ってからと言うもの急速に近づきあって、そうして時は流れ、やがて当然のごとくバレンタインシーズンを迎えた。
私は翔くんに向けて上品なトリュフを作ることに決め、友人たちと材料を買いに行ったりしたのだけど、その辺りになってくると徐々に己のむなしさを無視できなくなってきた。周りの友達がみなクラスのだれそれにあげると言っている中で、私はいもしねえバーチャル男に高い金を使って手作りチョコを作っているのだ…。恋に恋する14歳、キャ☆などという浮かれた気分も、実際に自分の小遣いが減るとなると話は別だった。
それでも、チョコを作るだけならまだ良かった。いつだってイベントには率先して参加したい私だ。しかし、あまりに真実めかして友人たちに話してしまったせいで、どこでいつ渡すかという段取りまで決めなくてはならなくなってしまった。こうなってくるといよいよ引っ込みがつかず、塾の終わり、来もしない彼を待つことになった。
すっかり体も冷えた頃、翔クンが走ってくる。私が指先まで冷たくなった手でチョコを渡すと、翔くんは私の体をそっと抱き寄せ、そして震える私の唇にそっと初めてのKISS…。
などと、一人妄想に浸ってたとは言え、いもしない人間を2月の北風吹きすさぶなかで待つのはつらい。震える唇どころか、ガタガタと歯がなる。
寒さがピークに達したとき、一つの考えが浮かんだ。
「……失恋したってことにすっか。」
私はチョコレートを箱ごと道ばたに投げつけ、自分に言い聞かせるように一人で泣いて見せた。
「来なかった翔クン…ばか、ばか。もう、しらない…。」

ヨシ!
全うした!!
私は箱を拾ってチョコを持ち帰り、その日を最後に翔くんとお別れした。
チョコは割とうまく作れていた。

吐露終わり
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「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その2

私には虚言癖があった。
と言うよりか、激しい妄想癖と言えばいいのだろうか。なんにせよ、自分の思いこみや作り話に思い切り浸る癖があった。そしてたちの悪いことには完成度の高い妄想を思いつけばつくほどに友人にそれを言いたくなった。そんでもって人に話すことにより更に本気度が増し(あるいは引き返せなくなって)、結果雪だるま式に虚言が積み重なるというわけだった。
あれは中二の頃だったか。校内でひとしきり気になる男子には恋心を寄せ、よせてはかえしを繰り返してついには気になる人がどこにもいない枯渇状態になった。中学時代に好きな人がいないというのは部活に打ち込んでるわけではない限り非常に暇なものである。
そんな時現れたのが妄想の彼・翔くん(近隣中学在校・バスケ部)だった。名前といいバスケ部と言うチョイスといい、泣けるほどに安い設定じゃないか。あの日の自分にもうちょっと工夫しろと言いたい。
すでに私には妄想のイケメンな友人(うち一人はゲイ)が三人いるという設定になっていたが、彼らは「気のいいお兄さん的存在」であったため、恋愛に発展するのは難しかった。(時々彼らのルームシェアする家に遊びに行くという完璧な設定)
そこへ現れた新参者、翔くん。彼のイラストを己で描いてみて、うまく書けた物をイメージの源にしていたと言うのも今だから話せるが今だからと言って話していいのかという話だ。
手前味噌だが彼との出会いがまた面白い。(しょっぱいという意味で)
ある日の塾帰り。一人私はいつものようにバスに乗っていた。と、料金を払おうとした時にバスが揺れ、私は小銭入れから5円玉を落としてしまった。
と、同じくバスの揺れで体が傾いた一人の少年が、偶然にも私と同じく同時に5円玉を落とし(あるかそんなこと)、拾った5円玉がどちらのものだかわからなくなってしまう(ってか別にどっちのだっていいじゃんと言う話だが)。
すいませんと言い合いながら二人で5円玉を拾うと、翔くんが私に向かって微笑みかけ、さわやかに言うのだ。

「縁(円)がありますね。」

アホか!!

あのときは完璧なシナリオだ…と思ってたのだけど、5円玉が同時に落ちるという不自然さと言い、そもそも何故バスなのに5円玉握ってるんだというこじつけっぷりといい、己の妄想ながらつっこみどころが多すぎる。

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「そ」 袖すり合うも他生の縁(そですりあうも・たしょうのえん)その1

さて、気がつけばもうすぐバレンタインデーだ。
「気がつけば」などと強引に始めてみたけど、全然もうすぐじゃなかったね、まあバレンタインデーについて書きたいだけなんだけど。私にとってバレンタインデーとはチョコレート会社の陰謀と言われようが何だろうが華やかなりしイベントの代表だった。
だった、と書くのはいささか寂しいが、やはり全盛期は学生時代だろう。友達のうちでチョコを作ったり、いつどのタイミングで渡すかと熟考したりするあのドキドキしたイベント感覚を今やれるかと言えば、難しいものがある。
私自身のノリとして難しいのかと言えばそうじゃない。むしろ私は今でも全然盛り上がりたいし、キャッキャと手製チョコを作ったり待ち伏せ場所を考えたりしたい。だけどこの年でそれを私の友人が一緒にやってくれるかと言えば、あんまし乗り気じゃないわな。
ハッピーバレンタインなどという言葉があるけど、あれは恋愛を成就させたときの場合の言葉だと思う。実際に付き合うようになると、誕生日やクリスマスと言った別イベントでいくらでも盛り上がれるので、さほどバレンタインに対し思い入れがなくなるものだ。もちろんヒルズに連れて行ってもらった!だの、一泊旅行しちゃった!だののイベントがくっついてくれば別だが、それでも「バレンタインの思い出」と言うよか「彼氏と初めての一泊旅行」という印象の方が強くなるのではないか。
彼氏ができて以後のバレンタインズメモリーはやがて「なんか一緒にチョコ食べたな」くらいの薄さになっていき、つきあいが長くなるほど「あーまたチョコ買わなきゃ」「あのさ、今年はナシでもいい?」ってなグラフの盛り下がりを見せる。そう考えるとチョコをあげたことによって付き合うことになった、などというハッピーバレンタインを経験したことのない私は概ね苦い思い出ばかりがフラッシュバックしてくるのだけど、最もしょっぱいのは失恋メモリーよりも「好きな人もいないのに手製のチョコを作ってみた」思い出だろう。
私は二度ある。
二度目は高校の友達とノリで作ったチョコ。そして一度目は中学の時だった。こっからはちょっと引く話になるのでついてこれる人だけついてらっしゃい。フォローミー!去れ!

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「せ」 青雲の志(せいうんの・こころざし) その3

女たちがアイドルを観ているのだから当たり前のように彼らのうわさ話になる。ジャニーさんって○○なんだって、とか誰々って昔○○だったらしいよとかここには書けないような下世話な話題を熱く交わすのだけど、それを聞いていた若狭が呆れたように、
「俺もうそう言う根拠のないうわさ話ってホント駄目なんだよなあ。」と言った。
これは、女たちの地雷を踏んだようなもの。
女ども「そんならあんたらは全部確信持ったことしか言わないの?!ならいつ金子賢がトレーニング一生懸命やってる様子を観たっていうのさ?!」
男ども「イヤ、それとこれとは話が違うよ」
男ども「そうだよ、現に頑張ってるのはテレビで…」
女ども「そんなの情報操作かもしれないじゃん、だったらうちらが週刊誌に操作されてるのと一緒じゃん!」
……不毛な口論だ。そんな風にして年は暮れ、年越しのその瞬間は揃って仲良く「ゆく年くる年」を観、佐藤さんの持ってきたクラッカーをなんだかわからんけどもみんなで鳴らして、新しい年を迎えたのであった。

…ところで、なぜこの内容でタイトルが「青雲の志」なんだ?といわれそうですが、新年なんで、何か素敵な感じのことわざにしたかったという、ただそれだけだったりして。

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「せ」 青雲の志(せいうんの・こころざし) その2

ところでいつから日本では大晦日に格闘技を観ることが習慣になったのだろうか。紅白をやいやいとヤジを飛ばしながら見るのが大晦日の正しい過ごし方ではなかったのか。男勢がサクラバやらオガワに釘付けになっているので、私は今年も幸子の衣装がいかにして変貌するのかを見そびれた。CMになったときだけかろうじてチャンネル権を与えてもらうのだけど、そんなときは大抵演歌なのも切ない。NHKが視聴率を取ろうと思うならば演歌を見る視聴者層とグループ魂を見る視聴者層を考え、民法のCMとの折り合いをつけていただきたいものだ。
それでひとまず11時まではよくわからないままに格闘技を見せられ続けるわけだが、せっかくなら楽しもうと私も男たちの話題に参加してみる。
「どっちが勝つかな?」と言う議題に「あの人は顔が変だから負けてほしい」と言ったら男勢から鋭い目で「バラ!今、全格闘技ファンを敵に回したよ」と叱られた。どうやら紅白につっこむのと同じテンションで格闘技を観てはならぬようだ。仕方なく私は高山さんの年中無休な喋りに耳を傾けつつ、鍋の残りをつつくほかないのである。
しかし、格闘技が終われば話は別だ。チャンネル権は女が完全支配し、先ほどのレコ大を見れなかった時間を取り戻すかのごとくテレビの前を占拠する。そこで私たちが観るのは当然ジャニーズたちのスペシャルライブだ。
岡田君ますますかっこいいわあ!嵐はいつ見てもかわいいわねえ!そろそろマッチが出てくる頃よ!あ、やっぱり出てきた、さすがジャニーズは兄貴分を立てる演出ねえ!
女たちは口に立てた戸を吹き飛ばす勢いで泡を飛ばして盛り上がる。時々「ちょっと岡村の火の輪くぐりをみたいな…」などと男たちが控えめに言ってくるのだけど、そんなの見せてあげるのはそれこそCM分のほんの数十秒だ。

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吐露始め

「せ」 青雲の志(せいうんの・こころざし) その1

あけましておめでとうございます。
昨年はこの吐露部屋、新しい更新の度に「なぜゆえに更新が遅れたか」の言い訳に何行も費やしてしまったが、2006年、このワンコ吼える新しき年からはそのような無駄にスペースを埋めるようなことはしないのだ。
もちろんただ「言い訳をやめる」だけではない。それだと金なら返せんとひたすらに言あさい続けた大川興業の先生と変わらない。言い訳をせずとも良きよう、たった今走ってきたばかりのワンコの荒い息のごときハイペースで更新して参る所存だ。それはまるで猛犬の唸りのような勢いで辞典をめくり、愛犬を慈しむようなキータッチで文字を打ち、犬の熱い息のように臭みのある文章を…無理に犬に関連づけるこたないね。ついでに言えばまたもや何行も使ってしまいました。
ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。

さて、サンタさんはいるよと今も信じているけれど、イベントとしてはクリスマスよりも俄然大晦日に力を注いでしまう心も体も日本人の私(当たり前か)は今年も我が家で恒例の鍋会を開催した。気合いを入れていると豪語する割にメンツは毎年ほぼ一緒だし、鍋を囲んでテレビを見るというだけのことなんだが、これがないと一年が無事に終わった気がしない。
鍋奉行は毎年成清さんと決まっていて、材料だけみんなで買いに行った後は台所をほぼ成清さん一人で牛耳っている。
女たちは何をしているかと言えば、ソファに座ってギャフギャフとくっちゃべり、時たま思い出したように「手伝おうか?」などと声をかけるくらいだ。
特製のつくねを混ぜ混ぜするのだって「力仕事は男が得意だから」とその辺にいる佐藤滋さんにやってもらう。佐藤さんは格闘技を見ながら混ぜてるので力が入ってしまうのか、おかげさまで佐藤さんの混ぜたつくねはしっかりこねられ、ふんわりとまとまる。

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吐露始め 2005/11/22 火曜日

「す」 水魚の交わり(すいぎょの・まじわり)その3

全部の話とひとつの楽屋を共有して同性同士徐々に仲良くなっていくのも楽しければ、他のチームのイケメンと喋ったりするのも楽しい。協力し合い互いのチームの舞台をセッティングするのも楽しいし、終わってからの打ち上げも、なお楽しい。
ライバル心や自分の組だけに執着する気持ちはいつの間にか消え、舞台袖でお互いに励まし合い、応援し合うようになる。終わって他チームとお疲れと言い合う瞬間は、本当に貴重な体験をしてると実感させてくれる。
この企画の本質が、競い合うことではなく人と出会うことにあるんだと改めて気づくのだ。
実際、ラフカットから始まった出会いをあげればそれはそれはたくさんある。同じ年に一緒にやった青木豪氏をはじめとするグリングご一行にしてもそう、KAKUTAに出演してくれた人もいれば、川本なんかは成清の出演したラフカットが始まりだ。大切な心の友も出来た。そう言う企画なのだ。
だから、そんな体験をこれから出来る皆さんが羨ましくもあるし、怖がらずにいってらっしゃい!と肩を叩きたい気持ちだ。


…なんてかっこつけて言ってはいるけどさ………。
脚本家桑原としては………、
こわいいいいいいい!こえええだああああ!
誰か大丈夫だっていっちくりよおお、おれはよおお、いつだって何だって不安なんだよおおおおお!!

今回に限らず、何書いてもどの公演でも毎回怖いんだけどさ、ホントどうにかならないのかこの性格は。なーんだろこの臆病者っぷり。嗚呼、誰か私にも「怖がらずいってらっしゃい」と言って!!!

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吐露始め

「す」 水魚の交わり(すいぎょの・まじわり)その2

と言うわけで、桑原組ですわ。
とは言え、桑原組なんて言われると、彼らに親近感がわくのも事実である。
そっかー桑原組かー、みんな可愛いなあー、よーしみんな、海まで行っか!そんな感じ。
彼らが望んだか望まなかったは別にしても、自分の名前の組に属してくれているのだ。ありがたい話じゃないか。
最初の稽古の本読みの時にも、自分の書いた脚本を目の前で読んでいるというプレッシャーさえなければ、ウットリと一人一人の顔を眺め回したかったくらいだった。
そのくせ、このところなんやかやと締切に追われて桑原組の稽古には結局一度しか行けてない。なんたるちーやのさんたるちーや。桑原不在の桑原組。
嗚呼みんな…憶えていてね、私のこと……もう、「堤組(桑原含む)」とかでも良いからさ…涙。

明日に本番を控え、桑原組のみんなは、否、ラフカットのみんなはどんな心境だろうか。
自分も出演してみてわかったことだけれども、ラフカットというのは4チームずっとバラバラに稽古をするので、小屋入り直前になって全話で集合したときにやけに緊張し、故に安心できる自分のチームがとても愛しく思えたりする。
去年再演したときは他のチームにも身内がいっぱいいすぎてそんな意識もすっかりなくなっていたが、最初に参加したときはもう、他のチームが怖くて仕方がなかった。特にうちの組は他と比べてキャストが5人しかいない、えらくこじんまりした組だったため、他チームのにぎわいっぷりに不安をかき立てられたものである。みんなの前で見せる最後の通し稽古は緊張のあまりカッチコチに気合いを入れた芝居になってしまい、うちに帰って泣いたりしてたのだった。
周りと競争する気はなくても、他のチームが面白ければドキドキする。こわくなる。
だからそんな時、脚本を書いた私が稽古場に行って応援できなかったのはとても心苦しく、悔しかったし、申し訳なかった。
だけど、そんなに心配はしていない。
なぜかというと、堤さんの演出だからと言うことと、最初の本読みから役者陣がとても良いなと思えたからと言うこと。そして、ラフカットという企画そのものが、初日が明けてしまえばもうお祭り騒ぎの、とにかくとっても楽しいものだからである。

吐露終わり
吐露始め

「す」 水魚の交わり(すいぎょの・まじわり)その1

桑原組。
のっけからなんだよ偉そうにって感じですみません。
これ、何だと思いますか。
KAKUTAのことじゃないですよ。まあ言うなればKAKUTAも桑原組なわけだけどさ(偉そう)。桑原軍団とか、チームクワバラとか、桑原学級とか何でも良いけどさ。
桑原組。
なんだか、乱暴な響きだ。まるで眉毛と小指のないオニイサンが私の横で手を振ってそうなイメージだけれども、違います。
こりゃあ、明日初日の「ラフカット2005」で、私が脚本を書いたチームの内輪での呼び名ですわ。
ラフカットでは毎回4人の作家が脚本を書いているのだけど、1話2話と呼ぶほかに特別な呼び名がないため、判別をするときは作家名をとって○○組と呼ぶ。
そういや私も自分が出てたときは特に深く考えず「堤組」などと言ってたなとは思うものの、いざキャスト陣を前に演出家・堤さんの口から「桑原組」と言われると相当ビビるものがあった。
おこがましいというか、恐れ多い気になってしまうのだ。
「良いの?私の組で、本当に良いの?!と言うか、私で良いの
そんな風に一人一人とっ捕まえて聞いてみたくなる。いやそんなことしたら聞かれた方が不安になるだろう。
組と言う響きがおこがましさを増すなら、はぐれ刑事のように「桑原派」とかならどうだろうか。「ラフカット桑原派」うん、良いかもしれない。
でも、なんかこれだと派閥争いがありそうでちょっと外面的に悪い気がするし、自分の意志で入りましたとムリクリ言わせてるような押しつけがましさがある。
ならば、「桑原系」ではどうか。癒し系、なごみ系、クワバラ系。
言いにくいよ。「系」がつくものは、とにかく軽口たたけそうな言いやすさが必要だ。だから「情熱系」もダメだと思う。字面は良いけど言いづらいもん。
じゃ「桑原班」は?あ、ちょっと良いね。あくまで班長デスヨってスタンスで、私の荷が軽くなる感じする。責任逃れか?じゃあ却下。
「桑原寄り」よくわかんないし、寄りたかねーよと反感を抱かれそう。
「どっちかっていうと桑原寄り」だから、寄りたかねーって。
「桑原っこ」ついでに倶楽部をつけて「桑原ッ子倶楽部」。もうなんか趣旨も見えなくなってきた。

吐露終わり
吐露始め

森羅万象(しんらばんしょう)その2

真っ暗闇の中、ドーム一杯に星が映し出されると、本当に自分の肉体が消えて魂だけが宇宙の真ん中に投げ出されたような気分になる。
だけどそうして星に包まれるうちに、自分が“宇宙間に存在するアリとあらゆるもの”のうちの、ほんのちっぽけな存在に過ぎないのだなと感じながらも、逆を言えばそれはつまり、確かに私はここに「いる」ってことなんだナア、と感じたりもするわけで。
私のように、普段ゲームばっかやって己の「いない」世界に没入する日々を過ごしがちな人には、同じバーチャル空間でもそれはそれはスーッと視界が開けるような感覚なのです。
どうぞ皆さん、森羅万象に存在する「僕/私」を確かめにプラネタリウムへいらっしゃいな。

まあ、朗読公演はまだ稽古も始まっていないわけだけどもね。

吐露終わり
吐露始め

森羅万象(しんらばんしょう)その1

この連載、第一回目が2001年5月。
「合縁奇縁」そんなことわざから始まったんですけれどもね。
この4年半って、一体どういう時間なのかと振り返りますとね。
私がKAKUTAで脚本を書き始めたのが2001年のはじめ。
KAKUTAでっつうか、まともに芝居の脚本というものをちゃんと一本書いたのがこの頃。それまでも演劇部や地方のラジオドラマなんかでね、ちょこちょこ書いたことはあったんですけど、それまでは「プロット」「箱書き」なんて言葉すら知らなかった私が、オリザさんに泣きついたり堤さんにすがりついたりしながら脚本を書きはじめて今に至るわけなんですが。
つまりはそのくらいの月日なわけですわ。

だのに、「さ」。
この吐露部屋は、まだ「さ行」。
あか【さ】たなはまやらわの、
   ↑
まだココ。
一体これは、どういうことでしょうか。

そろそろブログにならねえかなーとか思ってるんですけど、こんなになまけなまけやってちゃ「わ」に行き着く頃には40代だよ、その頃までことわざに追われてる日々なんてヤダよと言う危機感を背に、もう律儀に「獅子奮迅」→「針小棒大」→「森羅万象」とかやってる場合じゃねえなと、焦ってこれからは「し」の次は「す」!「す」の次は「せ」!っつう感じでサクサクやっていこうと思います。まあ、これも長い連載を休んでいた言い訳なわけですけれどね。
ピッチ上げていくよ!

「森羅万象」=宇宙間に存在するありとあらゆるもの。
と言うことなんですが、宇宙と言えば星。星と言えば、プラネタリウム。プラネタリウムと言えば…ってほらね、強引に次回作の話に持っていきますわ。
来年二月の朗読公演『満天の夜』はプラネタリウムが舞台。私も『北極星から十七つ先』初演時に、星座の勉強をするため10ウン年ブリに行ったわけですが、いやはや本当に素晴らしいですよ、プラネタリウムって。大人になってから見る方が、もしかしたら楽しいかもしれない。

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吐露始め 2005/08/25 木曜日

「し」 獅子奮迅(ししふんじん)その3

合格の基準なんて本当に曖昧模糊とした、審査員席で見ている本人ですらハッキリ言えないものだと思った。運だの、巡り合わせだの、そういうなんだかモンヤリした言葉しか当てはまらないように思うのだ。
ただ、そんななかでも「探せば何かあるでしょ、合格の基準!」と両肩をつかまれてガタガタ揺すられたらどうだろう。どうだろうってそんなことされないけど。
だとしたら、「話をよく聞くこと」くらいじゃないだろうか。自分を見せる!と躍起になるよか、ちゃんとまずは話を理解することの方が大事なように思う。とか言って私もまたきっと受ける側に立つ時が来ると思うので、偉そうなことはいっそも言えないわけなんだけど。

私もコレまで受けたオーディションでは数々の失敗をやらかしてきた。
『KAMACHI』と言う舞台のオーディションに参加した時。張り切って出かけたクセになぜだか服装はチビパーカーにダルダルのオーバーオール。当時の私のオシャレだったんだろうか。わかりませんけど。とにかくダレーンとした格好だった。何か子供の頃に憶えた童謡を歌って欲しいと言うお題には、適当なのが思いつかず「みんなのうた」の『ラジャ・マハラジャ』を歌い(インドで一番会いたい人は〜って言う戸川純さんの変な歌。でも大好きだったんだよなあの歌)、既にその時点で色んな意味で失敗気味だったわけだが、オーディションの最後に元気よく「ありがとうございました!」と挨拶し、ホッと一息ついて背伸びをしたら…、

ホックがはずれてオーバーオールが脱げ落ちたのだった。

今思い出しても本当に恥ずかしい思い出だ。ちなみに審査員席に座っていたのは桃唄309の長谷氏で、後日「(おそらくパンツは)見えなかったから大丈夫だよ」と優しく励まして頂いたのだった。これでも受かったのだからと以後度胸が付いたというか、逆にコレで受かったならそれはそれで嫌だが、どこでどう巡り会うかを思案しても出会う時には会うし会わないときには会わないのだろうなと思うわけである。
そんなこんなで31日はいよいよ最終審査。こちらも獅子奮迅と臨みますので、どうぞよろしく。

吐露終わり
吐露始め

「し」 獅子奮迅(ししふんじん)その2

さて、そう言った経緯の私がオーディションに向かうわけで、これは何とも緊張するものだった。一次審査というのは一組40人から50人くらいのクラスが何組もあって、一時間単位でめちゃんこたくさんの人たちがオーディションにやってくる。
そんな中、私は作家の桑原さんです、なんて紹介を受けてご挨拶するのだけど、審査席側に座ることの不思議さったら、ええもう!今でも自分が反対側の後ろの方に座っていた記憶を憶えているだけに、違和感が否めない。慌てて立ち上がり挨拶をしたらマイクにドゴ!と頭をぶつけ、堤さんに冷ややかな声で「そんなボケはいらない」と言われた。これで緊張度が下がり、リラックスムードが漂ったならまだしも、こんな奴のオーディションを受けているのか…とモチベーションまで下がってしまったらどうしようと心配だった。
向かいに先ほど喫煙所で一緒に煙草を吸っていた女の子が見える。彼女は先ほどまで絶対私を同じオーディション参加者だと思っていたことだろう。
テレンテレンした格好でうすらボンヤリした私が向かいの席に座っていると知って、ガッカリはしなかっただろうか、これまた心配だ。
オーディションに参加した方々の中には私よりずっとお歳を召した方だっていれば、うーん仲良くなりたいわあなんて思ってしまうようなイケメンもたくさん居るし、いつもならヤッホーとかいって抱き合っているような友達も、今日はキリリと他人のふりでオーディションに臨んでいる。私もしっかりしなくちゃと気を引き締め、オーディションを見た。

こうして自分が見る側に立ってみて改めて思うのは、オーディションとはえてして理不尽なものだな、ということである。
いやもちろん、友達は優先して見るよとか、裏で黒い取引が行われているよとか、そう言うことではない。
オーディションというそのものが、そもそもに理不尽なものだと思うのだ。
「正しく実力を判断する」なんてまず出来ない。一人一人を見れるのはほんの一瞬で、ある程度の実力を知ることは出来たとしても、本当の良さという意味での「正しい実力」を知る時間なんてまるでないと言っていい。ラフカットなんて特に人数が多いので、へたすりゃ洋服の印象で記憶してしまうことだってあるのだ。

吐露終わり
吐露始め

「し」 獅子奮迅(ししふんじん)その1

只今、「北極星から十七つ先」の公演に向け目下稽古中。
そんななか、ラフカットのオーディション・一次選考に行ってきた。
行ってきたと言っても、受けてきたのではなくて…ぬわんと審査してきたのでした。
ラフカットっつたら、振り返ること8年前、21歳の頃に私も同じくオーディションを受けて出演した舞台である。つい昨年には、10周年記念ということで再演にも出演させてもらって、ほんで今年はぬわんと脚本を書くのである。
8年前は脚本すら書いていなかった私だ。昨年出演したときもまさか翌年に書くことになるとは予想だにしていなかったのだからして、ついつい「ぬわんと」とか書いてしまう私を許して欲しいんだ。
8年前にオーディションに言ったときのことを今でも憶えている。当時オーディションした場所は浅草で、ちょうど三社祭をしていたときだった。祭りの盛り上がりで通りは大混雑しており、雷門からオーディション会場に行く道のりで人に揉まれて汗だくになった。こんな大盛り上がりな浅草なんて嫌いだ、とその時思ったのに、数年後花やしきさんで公演をさせてもらい、浅草ラブになるなんて出会いはわからないものだ。
そう、同じ印象の変化と言えば、このラフカットの主催者、堤泰之氏も同様だった。
私は実は18歳の頃、氏の演出した「櫻の園」という作品のオーディションを高校在学時に受けて、木っ端みじんに落選したのである。その時はくやしさのあまり「堤なんてなにさ!あのハゲ!」とか思っていたのだけど、そのハゲとここまで深く長いお付き合いをさせてもらうことになるとは、本当にわからないもので、その場でハゲとか言わなくて本当に良かったなと、そして今でもこんなとこでハゲとか書いてていいのかなと、今はそんな堤にラブだよと、呼び捨てにしてゴメンナサイと、いう風に思うわけです。

吐露終わり
吐露始め 2005/08/16 火曜日

「さ」 猿の尻笑い(さるの・しりわらい)

決して、決してないがしろにしていたつもりはないのだが、5年続けて未だ「さ」の段でまごまごと展開している吐露部屋。もしかしたら5年以上続けているのではないか。何かもう色々曖昧になってきてしまった。
不定期更新という言葉に甘え続けてきたが、甘すぎてコーナー自体「もうあってもなくてもいいんじゃねえの?」くらいなユルユルの立ち位置になってきたので、その存在の耐えられない軽さに一念発起して、これからは毎週更新するぞと高らかに心に誓った次第。
「KAKUTAHPに吐露部屋あり。」それを知らしめるべく、久々の吐露便り、はーじまるYO☆

さて、誰も聞きたくないかもしれないが、この吐露部屋をご覧になる方の中にもしかしたらちょっぴり気にしている方もいるかもしれないので、最近の様子を少しだけお伝えしておきたい。
最近の様子とはつまり、この部屋では既にお馴染みの話題となってしまった、私とビデオレンタル店「T」の仁義なき戦いについてである。
今私とTは冷戦関係にあり…というか、相変わらず愛用しているわけだが。それでも私とTは未だ緊迫した関係を続けており、密やかにそして激しい攻防戦を繰り拡げている。

コマンド?
桑原はGBAソフト「逆転裁判」をお買い上げした!
Tの攻撃!
Tはソフトの入ってない「逆転裁判」の空ケースを桑原に渡した!
桑原に68のダメージ!
桑原はおたけびをあげた!
Tはダッシュでソフトを桑原の家へ届けた!
桑原の攻撃!
DVDを延滞したけど何も言わず受け取られたのでそのまま帰った!
Tに56のダメージ!
Tの攻撃!
Tは「ディスク不良」のDVDを貸し出した!
桑原に51のダメージ!
桑原はクレイマー特効部隊「成清」を送った!
成清はくだをまいた!!もしくはふしぎなおどりをおどった!(ウソ)
Tに72のダメージ!
Tはタダ券を渡した!
コマンド?
コマンド?
コマンド?

どれだけ戦っても互いにレベルアップすることのない、Tと私の果てなきRPGは今日も続く。そんなTに少し愛着もわいてきた今日この頃である。

吐露終わり
吐露始め 2005/07/04 月曜日

「さ」 賽は投げられた(さいは・なげられた)その3

しかし、蒼白&未だ寝ぼけで朦朧とした状態で話を聞いていると、「電車で行かれる方には現金をお渡しします」。どうやら新幹線で向かう手もあるらしい。あたふたと交通代を受け取り、地下鉄と2つの新幹線を乗り継いで、その間も、豪雨のため運行が遅れてると言って乗り換えごとに待たされ、ようやく撮影場所に到着することが出来たのは1時過ぎだった。
バス、飛行機、地下鉄、新幹線とあんまり多くの電車を乗り継いでいるうち、私は何をしに来たのかだんだんわからなくなっていた。「こりゃあ役を降ろされるかもしれん」とも思ったけど、以前成清が、「慌てたって着くもんはつくし、着かないもんは着かないんだから焦るのは無意味」と私に諭してくれた言葉を思い出し、こうなった以上慌てず騒がず断行せよと己に言って励ましつつ、「嗚呼、この辺が尾道か」などと車窓の景色に目をやったりして今更ながら旅の原点に立ち返ってみたり。
幸い役を降ろされるようなことはなく、皆心配してくれて、私がメイク中再びおそう眠気で白目になっていることも甘んじてお許し頂き、撮影は無事終了した。
寝れる…これで寝れるんだわ…。これは「プロゴルファー玲子」で玲子と大沢逸見が「どっちが先に寝るかの真剣勝負」をした時、ようやく勝負がついたときの玲子の台詞だ。私は今すぐホテルのベッドでパリパリの浴衣を着、薄い毛布に包まれ眠りたかった。ところが、旅はまだ終わらない。グリングの稽古が明日もあると言うことを知っているのでスタッフさんが気遣ってくれ、「今からでも帰れますよ」とそのまま日帰りすることになったのだ。
結局夕方にはまた2つの新幹線と、JR線に4時間揺られ、ふわふわした足取りのまま家路に。今日一日の3分の2を私は乗り物の中で過ごし、何か色んな意味で夢のような一日であった。

吐露終わり
吐露始め

「さ」 賽は投げられた(さいは・なげられた)その2

今日は、グリングで共演中の腹太鼓役者・辰巳に漫画「きりひと讃歌」を借り、友人にもらった東野圭吾の分厚い本「さまよう刃」を鞄の底に沈め、ついでに本屋で漫画家たちのインタビュー本を購入し、更には若貴問題を知るべく売店で週刊現代も追加購入して準備万端で出かけた。そんなわけで飛行機に乗り込んだ時は、きりひと讃歌の面白さに不眠も忘れて熱中しており、いつもとはちと様子の違うスチュワーデスのアナウンスを流し聞きしていたのである。
「本日は天候不良のため、広島空港に着陸出来ない可能性がございます…」
さて、手塚治虫の名作を感動のなか読破し、インタビュー本の内田春菊編を読み終えた頃、ようやく徹夜明けの眠気が襲ってきて私は毛布に埋まり仮眠を取った。やけに飛行機が揺れていたが、朦朧とした頭にはさほど響いてこず、「もし墜落とかになったら羽の近くにいる私はあぶねえのかな…」などと薄ボンヤリ考えながらまどろんでいた。まどろみの中でパイロットのアナウンスが、
「只今より広島空港へ着陸するか試みます…」みたいなことや「やっぱり霧が深くてだめだったので福岡空港へ向かいます…」というようなことを言っているのを聞いたが(もちろん本当はもっとちゃんとした説明だったろう)、パイロットが喋るっていつもこのことだっけとかのんきな思考を巡らせつつウトウト。
そしてどれほど眠ったのか。私は福岡空港に来てしまったのだ。(イヤ、そう言ってたんだけど)
目が覚めて真っ青。広島に到着予定の時間はとっくに過ぎており、つまりは撮影予定時間も過ぎている。慌ててマネージャーに電話し、慌てすぎて飛行機の中で電話したのでスチュワーデスに怒られた。飛行機を降りればムッと南国の熱気が顔を覆い、改めてここが福岡であることを知る。事前にアナウンスがあったときは、漫画に夢中でオマケに頭が半分寝ぼけていたので、福岡と広島がどれほど距離のある場所かわからなかったのだが、スチュワーデスが「こちらでバスをご用雨しております。広島までは3時間半から4時間です」と言われ、いよいよ蒼白になってしまった。

吐露終わり
吐露始め

「さ」 賽は投げられた(さいは・なげられた)その1

訳あって、今朝早く私は飛行機に乗り広島に飛んだ。
朝もや煙る空港を、ハイヒールをカッカと鳴らし、キャリーバッグ片手に颯爽と闊歩する。それはさながらスチュワーデスのフライトの様。数時間の空の旅を終えれば、ウィンドウショッピングと旅先の恋が始まるのだ…。
なんつって、本当はただの撮影旅行。グリングの合間を縫って、とある映画のロケに行って来た。ついでにハイヒールなんか履いてないし、キャリーバッグは1500円で購入したやっすい奴だ。撮影旅行と言えば格好良いが、1シーンちょびっと出してもらう程度のものなので滞在時間は短く、しかもグリングの稽古オフを狙っての撮影なので、朝イチに出て出来ればその日のうちにトンボ帰りという、何とも過酷なスケジュールの旅なのである。
それでも朝早くに空港のカフェで朝食を取り、マネージャーと電話をしながら一人搭乗口へ向かっている時は、「コレって昔私が憧れた光景じゃない…?」などと舞い上がり女優気分に浸った。カフェで食べたビーフカレーは旨くもないのにバカ高くて愕然とし、搭乗時は遅れまいかと一番最初に入り口の前に並んでしまうあたり小心者で不慣れな感は否めないワケだが、ともあれ無事に飛行機に乗り込み、短い空の旅を満喫していたのだ。
ところが。そこからは波乱の一日のはじまり。そもそも早朝出発のため昨夜から一睡もしていない状況であったことを頭に置いてから、今日の一日をお話ししたい。
私は旅行の際、いつも入念に準備してしまう物がひとつある。それは漫画や雑誌、文庫本といった読み物。下着や化粧道具はしょっちゅう忘れて出かけるクセに、読み物だけは絶対に欠かせず、いつも以上の分量を持って出かけるのだが、それは移動時間やホテルでの滞在中などに間が持たないからだ。旅行好きと口では言うが、窓の外をのんびり長め、つかの間の安らぎに浸る…なんつう余裕を持った楽しみ方の出来ない、「退屈」が怖いっつう、本来旅行には不向きな私である。旅の途中で読み物が途切れるのが恐怖ですらあり、普段は読まない様な分厚い本も旅行の時は大量に持って出かけるのだ。

吐露終わり
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