ブログって毎日書かないと当然ランキングが落ちるものだろうが、特に気にせず過ごしていてふと「ランクUP!」とかなってたりすると、いいんだよ教えてくれなくて。ほっといてクレよ。と思ったりする。
こないだ劇団員で飲んでいたら、馬場が「俺のブログは書けば書くほどランクが下がる」という。
そんなコトってあるのだろうか。
気の毒だから「読者になる」を押してみようかと思ったけれど、その顛末が気になるのでもう少し放置することにする。
さて、今日はお休みだったので、青山の出演するハイバイの「て」を観てきた。
お恥ずかしながら普段芝居を観に行くことが少なく(いや、行こうとは思ってるんです、常に)、こと自分の稽古中となるとまず行かなくなるのだけれど(いや、行きたいとは思ってるんです、常に)、最近になって「観たいと思ったものはちゃんと観に行こう」という私の中の小さな変革がありまして、行ってきたわけです。
先日「DIVER」を観に行ったばかりなので、迷わずに行けた。
え?駅前ですけど?と思われるでしょうけど、私は迷うんです。
スズナリも本多も未だに迷うんです。
対面客席なのでなんだか緊張。でも近くで観たいので前の方に座る。
舞台の向こう側に子猫がいるぞ、と思ったらグリングの豪さんだった。
相変わらず赤ちゃんみたい。
赤ちゃんに気を取られていてしばらく気づかなかったが、ウチの野澤さんもいた。
泣いたり笑ったりしてみていたが、同じく向かいで泣いたり笑ったりしている野澤さんと目があったらやだな、と一瞬邪念が走ったりする。
お芝居、素晴らしかった。
観ながら父のことを考え、母のことを考え、昨年末に他界した祖母のことを思った。
祖母の告別式を思い出した。
劇中でも告別式のエピソードがとても面白かったのだけど、悲しみに沈みたいのに「アレ…?」と思ってしまうコトって実際多いものだ。
祖母の告別式でも、やはり、お坊さんがお説教を聞かせてくれたのだが、恐ろしく退屈な地元話で濁され、「話すことないのかな」とボンヤリしたものだった。
お坊さんの話がつまらなすぎて、悲しむべきところで気が散っちゃったよと父に話したら「だから(気を散らすために)話すんだ」とよくわからない説明をされ、しかし確かにあの瞬間は悲しみが消えたわ、と妙に納得したりもした。
我が家は親戚に竹内まりやさんがいる。ので、告別式で祖母の棺を運び出すとき、最新アルバムのバラードがかかった。それはとても素敵だったのだけど、葬儀やさんがよもや間違えてハイテンポなご機嫌ソングを流してしまったらどうしようと余計なところでハラハラしたり、私は個人的に「天使のため息」を流して欲しいんだけどな…などと思ったりした。
焼香の最中も、いとこの彼氏が私より老けていることに衝撃を受けたり、参列してくれたウチの劇団員を「さすが一般人とは違う、華がある」と感心したり、なんだか祖母と関係ないことも色々思った。
だけど祖母が好きだった。だからもちろん、絶えず寂しくもあった。
芝居を観ながら、しみじみ、家族というのは妙なものだと思う。
妙でない家族はいるのだろうか、と考える。
きっといないのだろう。だから舞台を観て、気がつけば自分のことのように腹を立てたり、寂しくなったり、笑ったりしてしまうのだなあ。
いいものをみた。
青山よ、とっても幸せな現場にいるねえ。
デエトブログの更新が滞っている。
…のは、おまけCDの原稿を書いていたからで。
そう、本日はKAKUTAが先行予約チケットのお客様にお届けしているおまけCD収録日でした。
と書くなら、収録現場の様子を捉えた写真の一枚でも載せるところなんだろうが、あいにく写真を取り忘れた。
なので、
パソコンの隙間から這い出す猫の写真。
以上、おまけCDと何の関係もない写真でした。
さてそんなおまC(略して)、聞いたことない人からしたら本当にどうせ内輪受けで録ってるんでしょ?と思われそうなしょぼそうな名前だけれど、聞いたことある人からすれば「まさかこんなに労力を注いでいたとは」と感心されること請け合いの気合い充分なCDなんデスよ。
で毎回、劇団員に書いてもらうコーナーもありつつ、一応全体を総括する構成台本は私が作ってるわけなんですが、PC原稿で27ページとかあったりして自分で衝撃を受けます。
毎度毎度、「何で台本書き終わったのに、またこんな苦しみを…?」と言うくらい、追い詰められて書いてんだ。
とはいえ、先行予約をしてくれるお客様しか通常は聞けないため、これもしかしたら、ある時突然「おまCもうやめねえ?」といったら特に支障なく終われてしまうんじゃないか、と思ったりもします。
が!が!
「楽しみにしてくれている人もきっといるはず」という一縷の願いにも似た想いが、私たちをやめさせないというわけです。
そうして夕べも一昨日も一人シコシコとさ、おまCに向けて替え歌作ったりして。
アア、私っていじらしい。などと一人で思ったりしてね。
でもさ、これってブログとかもそうなんじゃないかって思いますわね。
別に頼まれもせずやっているわけで、急に消失してもまあ、アラなくなっちゃったのね、くらいですんでしまうものかも知れないけれど、読んでる人もいるはず、もしかしてもしかしたら、楽しみにしている人もいるかもしんない…と思うと、軽い気持ちで始めたブログが、いつしか小さな使命になっていたりする人も多いんじゃないかしら。
しょこたんレベルまで行ったらそりゃもう、当然そうなんでしょうけど。
待ってる人などいないかも知れない。
でももしかしたら、いるかも知れない。
その「いるかも」が私を突き動かすの…オオオ~!(『水色の雨』の盛り上がり風に)
アラッ、そう考えたら、劇団というものにしたって、同じなのかも知れないわね。
やってくださいとお願いされたわけでもないのに始めて、楽しみにしている人がいるかも、という想いに突き動かされて続ける。
いくら好きなことを表現したい!と思って始めたところで、この「待ってる人がいるかも」がないと、なかなか続かないもんですわな。
やめてくださいと言われない限り、この「いるかも」にすがっていくの…オオオ~!
だからさ、ごくたまーに、ブログなんかでつまらん芝居を観た人が怒りまかせに「こんな劇団解散しろ」とか「やめちまえ」みたいに書く人いるじゃない?アレ、自分の劇団じゃなくても、猛烈に腹が立つね。
あんたそりゃ、交差点で通りすがりの人に「死ね」といわれてるようなもんだぜ、と。
死なないけどさ。
言われてもさ。
話が脱線しまくったけれど、今回のおまCもつまりは、気合いが入っていますよという話でした。
「甘い丘」なので、女たちが集合しているコーナーがいつもより多かったのだけど、女劇団員全員で「あること」をしたら、あんまりにあんまりで、久々によじれるほど笑った。
…と銘打って、KAKUTA版も演出日記を書いてみようかという気もするが、いくつかの理由がありおそらく序盤で頓挫するであろうと予測できる。
1/役者が凹む
その日の稽古をこんなとこ出振り返られてたらいやだろうね。
2/私が追っつかない
KAKUTAじゃ私も出るわけで、そのうち自分の役のことも考えると手一杯になる。
3/仕事が一杯
これが一番の理由。そんな暇があったら…という、声が聞こえる。
なので、三日坊主的に。
9月某日。(つうか今日)
久々にKAKUTA稽古が再開。再開初日というのに、体が異様に重く、だるい。
PMSのせいもあるが、風邪かも知れない。というのは本読み中、ヤケに咳が止まらずそう思ったことで。
電車に乗っているときから手がじんじんと熱く、瞼がどろんと重かった。気をつけよう。
北九州から帰っての本読み。
9Rの時の印象と比べながら聞いてしまうかと思ったが、台本直しのため初演のDVDも観ていたのでさほど引きずられてはおらず。それに、やっぱりKAKUTA版はまた全然違うもんである。
9月はじめの本読みで話したことを皆気にしながら読んでいるので、また面白くなっていた。
椿さんの弱々しい喋りが面白い。コミカルなシーンも、マジであればあるほど面白い。
ここは変に受けなど狙わずやってもらった方が良いと再確認。
むしろ、本を読みながら既に鼻を垂らして泣いている椿さんの真面目さが、役を引き立たせている。
三谷サトッコは、意識的に女っぷりを上げて読んでいるが、それが上滑っている感じがむしろ面白い。
「実際、アタシもこんな声出すの、つかれんのヨ」とでも言ってるかのようで、その荒んだ感じがはまっている。
なんとなくだが皆初演の音を憶えているだけに、それがキャラ作りをしやすくさせてる面もあれば、逆に大事な台詞を流してしまうこともある。
既に確立したキャラを初演で作った女子たちは、しかし初演は見逃していた台詞などにも注目してもらいたい。意外と、流して言っていた台詞に面白味が隠れていたりする。奈央子の役なんかは、特にそうだと思う。まだまだ遊びがいがある。
とか何とか冷静に書きつつ、私は私で自分の役に試行錯誤した。
単に音だけを追っていないか、自問しながら読んだ。しかし相手役が素晴らしく遊び心に満ちているので、一緒にまた新しい場所へ行けそうな気がする。
稽古の前、中村うさぎの「私という病」を読む。
デリヘルへ行った著者の体験記…かと思ったら、体験談は序盤だけで、後はなぜ著者がこのような冒険に繰り出そうと思ったか、ということについて内的に探求している様子を切々と綴ってある。
なるほど、それで「私という病」なのか。
正直、47歳でデリヘルをしてみようと思った著者の、実際に体験して感じたこと、その質感や匂いも含め、生々しいルポをもう少し読みたかったという感じはある。
デリヘルとはいかような場所なのか。どんな人がいるのか。それを、急に飛び込んでいった著者の目で語って欲しかった。
彼女ならではの見え方があると思うからだ。
が、女として求められたい、その渇望、同時に抱える男への嫌悪感、恐怖。そうした内なる叫びはデリヘル体験以上に生々しく、血みどろに描かれてある。
そこへ私は、心底恐ろしく震撼したり、同時に激しく共感したりもした。
私から見れば大冒険であるそのことに挑んだ著者の心情は、意外にも遠い場所にはなく、肩を抱き、その気持ちわかるう!などと手を取り、共に生理の血の海にバチャンと浸かるような気分にさせられる。
年は全然違うのだが、女の共鳴なのかもしれぬ。
デリヘルへ行くことにした彼女の心情のなかで、とても好きな一行があった。
「欲望のためでもなく、金のためでもなく、世にも阿呆な女の意地のために」
そう、そうなのだなあ、と、素直に納得する。
世にも阿呆な女の意地。良い言葉だと思った。
9R「甘い丘」から帰ってきて、すぐさまKAKUTA版の戯曲修正に入るつもりだったが、台本を眺める度「でもやってみなきゃわかんないしナア」という感覚に囚われ、さっきからページが進まない。
北九州で初日を終えた後、ホテルでDVDの初演を観た。
KAKUTA版はやはりテンポが非常に速く、ここまで早いのか!と自分で演出したクセに笑ってしまう。
北九州が8ビートなら、KAKUTAは16ビートだ。
やはり16ビートの持つ勢いが必要な箇所は、確かにある。
が、台本をガシガシと削り、その分テンポを少し下げ、8ビートにして良かった部分もある。
そう考えると、9R版ほどではないにしろ、初演版から台本をカットしてみようという気になった。
…とはいえ、結局台本に向かうと「でもやってみなきゃわからんなあ」に陥る。
結局明日から再開される稽古では、ほぼ初演版と変わらないモノを持っていくことになりそうだ。
そうして台本に行き詰まるたび、また悪い癖が現れ始める。
ネットで欲しいものを探す旅。
シムズ3
PCゲームなので家庭用ゲーム機ではPS2のシムズ止まり。
DSで出てる奴はシムズであって私のやりたいシムズではない。
もう3が出たのか…とため息。
だからこれを遊ぶためだけに、
シムズ3推奨PCも欲しい。アア、欲しい。。。
マジでローン組もうかな…。(非現実的な夢)
桐野夏生 対談集『発火点』
こちらは既にアマゾンで購入してしまった。
ホントは『メタボラ』を買う予定だったが、先にこちらへ手を伸ばしてしまう。
ホントはこれも欲しかった。
↓
トレイシー・ローズ 『トレイシー・ローズ 15歳の少女が、いかにして一夜のうちにポルノスターになったのか? 』
長いこと読みたいなあと思ってアマゾンのカートに入れているにもかかわらず、毎回2100円という高さに断念。トレイシー・ローズって『クライベイビー』に出てたときから好きだったんだ。彼女のポルノも観たいわ。
そして遅ればせながらブラックアイドピーズの新譜が欲しい。
ブラックアイドピーズは上記のシムズシリーズ「ザ・アーブズ・シムズ・イン・ザ・シティ」で音楽を担当していて、好きになった。
アーブズ~のHPに行くと、ブラックアイドピーズがシム語で歌っているゲームオリジナルサントラがBGMで聞けます。すごいカッコイイです。こちらよ。
右下のステレオアイコンをクリックすれば、何曲も聴けるので、普通に仕事中のBGMとして楽しめちゃう。
映画『マダガスカル2』ではウィルアイアムが音楽を担当して、声の出演もしている。
やはり、音楽が良い!ドリームワークス系列では一番好きなCGアニメ映画。
来日コンサート、行きたかったな。
ライブに行き慣れていないんで、こういう情報はいつも、まんまと、見逃します。
誰か誘ってくれる友だちがいないもんか。
アメリカンイーグルのダウンベストも欲しい。
寒い季節になると、落ち着いた色の服を好むもんで、町のショウウィンドウは既に茶やグレーで彩られているけれど、私は今年「バカ色」がテーマなので、冬でもピンクとか水色とか蛍光とかが着たい。
欲しいものを買うには、それだけ働かねばならないでしょ。
わかってるんですよ。
だからね、もうこんなリストなど書いてる場合じゃなく、仕事に戻るんですよ。
千秋楽の夕方に撮ったホテルの前の空。
忘れられぬ、美しい夕暮れ。
こうして怒濤のような強行スケジュールのリーディング公演は幕を閉じた。
打ち上げは美味しい地鶏のお店。
地鶏鍋に舌鼓を打ちつつ、最後は能祖さんの進行で、一人一人がひとことメッセージを残した。
私の大分から観に来てくれた友人から、スタッフさんに至るまで。全員。
M男だというスタッフさんを女優たちでビンタしたり、劇団のような盛り上がり。
というかまさにここは、能祖さんが主宰を務める、北九州芸術劇団、なのだと思った。
最後に私の挨拶になった。
短く喋って終わろうと思っていたにもかかわらず、本当に、本当に悔しいのだが、ここでも泣いてしまう。
私はこれでも、泣きたがりではない。
みんなが泣いているのを、ゲラゲラ笑ってみていたい。
…のだが、恐ろしげな声で喋ってみたり、気取って喋ってみようとしても、涙が出てきてしまい、なにこれ?円を辞めた時みたい!と20歳の思い出まで蘇る始末。
恥ずかしくて、大急ぎでお酒をあおった。
能祖さんが教えてくれた。
この企画で私を迎えることを薦めてくれたのは、能祖さんではなく、あの、最初に、若くてカワイイ方だなあと思っていた野林さんなのだよ、と。
だから俺はホントに嬉しかったんだ、と能祖さんが言ってくれた。
それを聞き、私も本当に嬉しかった。
ここに来るまで、なぜ私が呼ばれたんだろう?と何度も思ったし、能祖さんの親心に感謝しつつ、私にまだそこまでの力がないのにご贔屓で迎えてもらったんじゃないかと怯えてもいた。
だから、同世代の彼女が、私を薦めてくれたと言うこと、そしてこれだけ素晴らしい体験をさせてくれたことに、心から有り難く思った。
しかし、これで本当にお別れではイヤだとも、同時に強く思った。
だからこそ、今度はKAKUTA全員で行きたいと思う。
そして、KAKUTAの仲間たちに、この劇場を「体験」して欲しいと思う。
翌日は短い時間だが、なりとふきとで門司港へ行った。
門司港で食べた懐石はまあ美味しく、町も面白く、それを持ってしても、もっとここにいたくなったけれど、まだ心は劇場の中にある気がしてならない。
きっとナリも、扶貴子も、そうである。
でも、同時に、早く帰ってまた「甘い丘」をやりたい、という気持ちにもなっていた。
いつもだと、ひたすら完全燃焼…とふぬけになることも多いのだが、今回は不思議と、追い風が吹いているように、やる気がわき上がっている。
その風は、北九州の俳優たちが送ってくれている物なのだろうと、感じる。
彼らにもKAKUTAを観て欲しい、絶対面白くしてみせる、という、強い風が、吹いている。
9月13日、千秋楽。
初日の翌日に千秋楽。この早さ、初期のKAKUTAを思い出す。
もっともっとやりたい、と思わずにいられない。ようやく俳優陣も、自分たちのペースを掴み、役の掘り下げも増しているだけに、今日でお終いというのが、勿体なくて仕方ない。
正直なところ、これまでの通し稽古と比べれば、昨日の初日はやや固かったのは否めない。
しかし、みんなそれをわかっている。次にどうすればいいのか、役者たちは自覚している。
だからこそ、もっとやりたい。もっともっと良くなっていくのがわかる。
そんな野心というのか創作意欲というのかが、ここに来てまだぐつぐつ沸き上がっていくのと同時に、言いようのない寂しさが、ずっと胸の中を流れている。
今日でこの北九州に来てちょうど一週間。原が彫刻刀でX線を引っかかった日から、まだたったの一週間なんて、とても信じられない。
この一週間という驚異的な短さと、そこにある濃度は、KAKUTAの一週間ワークショップでも感じることだけれど、KAKUTAの場合、終わってもまたすぐにあえるという安心感が、どこかにある。
皆東京にいて、また芝居の時は観に来てもらったり、観に行ったり、機会があれば芝居も出来る。
だけど、北九州というこの地には、機会がなければ早々訪れることは出来ない。つまり、キャストスタッフ花れんちゃん含め、このメンバー全員で芝居をすることはおそらく不可能だし、二度と会えない人だっているかも知れないのだ。
そう思うと、寂しいなあ、と口に出さずにいられない。
本番。
客席は満員御礼。補助席まで出ている。最近小劇場界は不況で、空席で胸を痛める日が続いていたので、この現象に素直に胸が躍り、有り難く感じる。
昨日と今日との2ステージ、どちらも観に来てくれた友人がいる。昔KAKUTAで音響をしてくれてた仲間だ。10年前に劇団員だった彼が、今こうして小倉の劇場で私の芝居を観てくれている。そのつながり、出会い、これもまた本当に有り難い。
(女優陣。美人揃い。私はつくづく面食いだ)
14:05分、開演。
冒頭、ギクシャクしてしまった昨日より、ずっといい。皆で呼吸を合わせて、一つのボールを落とさないよう、大事に回している感じがする。
大葉役の女優は、リーディングセッションに参加するのが初めてだそうで、今回の稽古では随分と苦戦していたように思う。
まっすぐ響く良い声と存在感を持っているのに、脚本に対して、現場に対して、様式に対してと、様々な戸惑いが内側にあり、そこへ緊張が加わって、その力を十分に発揮できずにいた。そのことに対し焦燥感を抱いているのは誰より本人で、だからこそ何とかせねばとまた焦り、焦ればミスをし、そうして自信を失うという悪循環に陥ることも多かったと思う。
だが今日の彼女は違った。今日こそは、自分を信じて思い切りやろう、としているのが見えた。しっかりした声で、工場のお山の大将である大葉を演じ、場の空気を作っていく。
私はなんだか胸がいっぱいになった。今日も私は客席で、固く拳を握りながら同じく緊張してみていたが、その逞しさに、拳はガッツポーズへ繋がっていくようだった。
そして手前味噌だが、語りを務める原は、この稽古中、ずっと素晴らしい芝居をしていると思う。
やはり、朗読公演でずっと語りをやって来ただけあるし、私は常に誇らしい思いだった。
昨日あれだけ悩んでかえったナリは、本人はどれほど意識しているかわからないが、大きく変化していた。ぶっちゃけ、ダメ出ししたいことはまだまだあったけれど、確実に変化していた。
それは私の演出でどうなることではなく、役者のナリ自身がつかみ取ったもので、だからその宝はずっと消えることなくなりの中に残るのだろうと思う。
後半、冬のシーン、どのキャストも皆、心を込めたいい芝居をしていた。キャスト最年少である有明役の俳優は、まだ驚愕の未成年。だが、一人の俳優として、自分の担うシーンを丁寧に、演じている。
そう思うと、なんと皆の成長を目の当たりにした一週間だろう。
私は、演出家として、また同じ役者として、皆を本当に、カッコイイと思った。
私もその舞台に立ちたい。
ラスト、カーテンコール。
花れんちゃんの歌が伸びやかに。
いつも、通し稽古の最中から花れんちゃんはラストシーンを見ると泣いてしまうのだと言い、涙でラストの曲が旨く歌えないと悔しがっていた。しかしこの日の歌声は素晴らしく透き通り、同時に伸びやかで力強く、今までで一番素晴らしかった。実は私はこの日、もう隠すこともやめて後半からボロボロ泣いていたのだが、花れんちゃんの声に、表情に、また涙腺が緩む。
こんなの普段は恥ずかしくて絶対に嫌なのだが、もう今日はいいやと思ってしまう。
そして。そんな歌声に誘われるように、ラスト、かの子がやってくる。
キャスト全員の顔を見つめながら、工場に再び訪れるかの子を演じるにじは、必死に泣くのを堪えていた。グッと力を込めて堪えているのにも関わらず、涙がこぼれているのが、客席に背中を向けているにもかかわらず、よくわかる。こぼれる涙に自分でも戸惑いながら、泣いてしまったことを悔しがりながら、またグイと顎を引き上げ、皆の顔を見る。
その逞しさ、いたいけさ。かの子そのものに思えた。
大げさかも知れないが、私は遊民社の最終公演「ゼンダ城の虜」で、ラストシーン円城寺さんが声を震わせながら最後の台詞「少年は動かない。世界ばかりが沈んでいくのだ」と言った瞬間を思い出していた。
そこにある、万感の思い。
終演後、舞台袖ですれ違った数人の役者に挨拶をし、原や成清とも抱き合い、楽屋に戻ると、花れんちゃんとイッチーが待っていた。
私も泣いていたが、二人とも泣いていた。三人でこっそり泣いた。
「本当にこの仕事、愉しかったです」とイッチーがメガネを取り、涙をぬぐいながら言ってくれた。
そうだ、仕事なのだ。
そのことすらも、忘れていた。
こんな仕事が出来ることを、心から幸せに思った。
9月12日
北九州芸術劇場リーディングセッション「甘い丘」、初日。
いよいよ、と自らを煽る余裕もないほどのあっという間で、初日が来てしまった。
昼にゲネプロ。夜に本番。稽古初日は5日前。なんだか早すぎて私が追いつけないが、キャストのみんなはもはや初日を迎える役者の顔になっている。
昨日の反省をふまえ、再び4場は重厚でしっとりとした良いシーンになっていた。
ラストシーンは、全てを吹き飛ばす女たちの明るい笑い声が必要だ。
そこには気構えだけでなく、物理的な声量や、迫力が必要になる。
女たちの「引き上げる力」。
この作品の、一番大事な部分だ。
もう一歩、あと一歩、力が欲しい。
本番。
楽屋のモニターに、客席が映し出される。
お客さんが入場する様子が写っているのをイッチーはジッと観ている。
イッチーは自分の芝居の時も、ここでモニターをチェックし、お客さんがスムーズに入れているか、何か問題は起こっていないかなどを、観ているらしい。
偉いなあ、と思うのだが、私はなかなかどうしてモニターを見ることが出来ない。
何だったらチャンネル変えてクレよ、とまで思ってしまう。
だって、緊張するじゃない!!
実際、モニタどころか、客席でお客さんと一緒に芝居を観るのも苦手だ。緊張で倒れそうになる。
それは端的に言って、慣れてないからだ。
なぜなら、私は自分も出演するので、本来はその時間、袖にいて皆と一緒に出番を控えているからである。
袖にいれば、もし舞台上で何かあっても、一緒に助け合える。
だけど客席に出てしまえば、舞台で何があっても、ひたすら祈るしかない。
その緊張はもしかすると、袖にいるときよりも大きいかも知れない。いや、また違う種類の緊張なのかも知れない。
というわけで、開演ギリギリになって客席へ。
お客さんはほぼ満席。斜め前に東京から来た私のマネージャーさんを見つける。
19時05分。開演。
昨日の初通し同様、皆緊張している。客席の私も緊張し、手に汗がジットリと溢れる。
小さなミスも細々とある。しかしもう、ここまでくると、間違えたことに後悔するより、取り戻すことに集中するしかない。そして、本番を乗り越えるのは役者個人の勇気と頑張りでしかない。
大丈夫、大丈夫、慌てるな、そこだいけ!…などと、監督のような気分になり、気がつくと自分もキャストの台詞を口の中で動かしている。
序盤は鳶音やみねがリードしていく。みねは最初のインパクトが大事なので、格好良く決まるとキャラがクリアに見えてくる。彼女の、美保純のようなやや酒枯れしたようなハスキーボイスが大好きなのだが、それが遠慮なく立つと、このシーンは抜群に面白くなる。
然治幹治が登場と同時に笑いを誘っている。この組み合わせは心底奇跡である。体型が似ているのもあるが、味わいがそれぞれに違い、キャラ分けがハッキリされているのも良いところだ。
冒頭でどれだけぶれても、中盤、一番の盛り上がりである3場になると、皆繰り返し稽古をしてきた自信もあるのか、まとまってくる。やはりこれは茜やともえの力もあるのだろう。そして虎杖の迫力ある叫びが、舞台を締める。
終盤、気がつくと激しく鼻をすする声が聞こえる。ふと目をやると、マネージャーがボロ泣きしていた。
東京からここまで来てくれた彼女の愛情と、そのすすり泣きを愛しく思う。
ラストシーン。求めていた強さが出たと感じた。女たちの逞しさとかわいらしさが溢れていて、嬉しかった。
(甘い丘男性キャスト陣。なりの両サイドにいるのが噂の然治と幹治)
終演後アフタートーク。
能祖さんと花れんちゃんとキャストたち。
鳶音役の寺田君が、私の演出は早口で、落語のようだという。やっぱり早口なのか、そうなのか。
良い役者だなあ、という以外、所属する劇団などはそこまで意識していなかったけれど、考えてみれば彼は飛ぶ劇場の俳優さんなのであった。飛ぶ劇場の泊さんは、私が利賀の演劇フェスに行ったときに一度、お会いしたことがある。私たちの芝居を観て、批評してくれたのだ。
どっかの老舗劇団のおじさんにぼろくそ言われた私たちに対し、泊さんは温かく、かつ的確なコメントをくれたので、「なんていい人だ」と、「こんないい人の作る芝居は面白いに違いない」と、真に利己的ではあるがそのように記憶し、お顔も良く覚えている。
寺田君はその飛ぶ劇場の看板俳優なのだそう。
これだけ良い俳優がいる劇団、もっと早く観に行けば良かったと思う。
この日の公演にはシアタートラムの矢作さんも観に来てくれた。はるばる、東京から。
マネージャーに、能祖さんと矢作さん、今日は客席に二人もバラちゃんのお父さんがいたんだねえ、といわれて、本当にそうだと思った。
矢作さんにトラムで鍛えられ、育てられ、「甘い丘」が出来た。今やトラムはKAKUTAのホームグラウンドとさせて頂いてる。
このリーディングで学んだことを、形にし、また矢作さんに観てもらいたい。と強く思った。
初日を終え、皆晴れ晴れとした、明るいムードではあるが、成清にはきついダメ出しをしてしまう。
ナリ自身、よくわかっていることなのだと思うが、どうしても話しておきたかった。
こればかりは、明らかに劇団員向けの、ダメ出しだ。長く一緒にやってきたからこそ、そしてこれからもやっていくからこそ、厳しくなる。
いつもはホテルに戻ると部屋に遊びに来てひとしきりお喋りするのだが、この日ばかりは早々に部屋に戻り、ナリは遅くまで台本を読んでいたようである。
9月11日 通し稽古
信じられないことに、今日はもう通し稽古なのである。
更に信じられないことに、明日は初日なのである。
考えると怖くなるのでその日一日にひたすら集中しようと努めてきたが、ここまで来るとさすがに本番が迫っていることを意識せずにはおれない。
しかし、当然その日はやって来る。
照明プランがほぼ確定し、花れんちゃんの歌も細部まで決まってきた。効果音などの音響にいたっては、既に完璧に近くなっている。
とにかくビバ!!スタッフさん、という感じである。
照明は美しく、音響は文句のつけようがない。
そして花れんちゃんの歌は、心地よく耳に残る。
舞カンさんも、演出部の皆さんも、なんと頼れる人たちだろう。
本当は夕方一回の通しでもいい、ということなのだが、半端に抜き稽古をするよりも、とにかく通したいという想いが強く、昼夜二度の通しを希望。
初日の本読みから、まだ全場を通したことはなかったので、強行スケジュールでお願いすることにした。
一回目。昼通し。
当然と言うべきか、予想通りというか、序盤は皆ガチガチに緊張している。
そのため、稽古でうまくいっていたテンポの良い台詞も、ところどころに間が空き、ペースが崩れる。
これは仕方ないと思う。むしろ、必要な課程だとも思う。
役者自身が、気持ちいいテンポと、気持ち悪いテンポ、そのどちらも知ることが大事なんだと思う。
茶碗蒸しに出来る「す」のように、時々スカッとした間が空いてしまうとき。
アア気持ち悪いな、と思うことで、自分なりの埋め方を考えていくようになるのだと思う。
最初から完璧を求めるコトはないんだと感じる。
稽古途中、二日ほど劇場を離れていた能祖さんが通しを見ている。
これが私には、緊張する。
能祖さんは芝居を観ているとき、まっこつ怖い顔をしている。
面白いのか?つまらないのか?わからない。いや、むしろ「きっとつまらないと思っているのだ」とすら、思ってしまうしかめっ面なのだ。
それで私は「転校生」のオーディション時を思い出した。あの時も確か、こんな怖い顔をしてみていて、「なんて怖いおじさんだろう」と震撼したものだった。
が、ある時、私はそんなしかめ面の能祖さんの前で失敗してしまった。
忘れもしない、オリザさんの「阿房列車」の台詞をかけあいしていたときだ。相手役は、現KAKUTA演助のタムちゃんである。
台詞を喋りながら意識を分散させるという稽古で、私はわざと足をブラブラさせたり、手を動かしたりしながら長い台詞を言っていた。
だが、意識の分散は足や手どころじゃない、目の端に写るオリザさんや奥で怖い顔をしている能祖さんにも分散しまくっており、ついに私はテンパッた挙げ句、舌を噛んで、台詞をロレりまくってしまった。
「すいません」と謝った直後、周囲からどっと笑いが来た。
その時、あの怖い顔だった能祖さんが大きく相好をくずし、座っている椅子をぐるりと回転しながら、手を叩いて大笑いしたのだ。
あの時の能祖さんの笑いが、どれほど私の緊張を解いたか、ご本人は知るよしもあるまい。
ともかく、その日から、「怖いおじさま」という印象は消え去った。「怖い顔だけど優しいおじさま」である。
そして、その目はやぶにらみでなく、しっかりその場に起きている芝居を、愛を持って見つめていてくれたのだとも知る。
だから今回の通し稽古だって、きっとそうして観てくれているはずなのだ。
わかっている。わかっているけど…。
ああやっぱり、能祖さんてば、怖い顔なんだから…!
前半ギクシャクしたものの、後半は持ちかえし、一回目の通しは終了。
特に後半は、グッと惹きつけるものがあった。
能祖さんは、怖い顔のまま、「非常に完成度が高く上がってますよ」と言ってくれるのだが、怖い顔なので相変わらずビクビクして聞いてしまう。だが、いくつか気になるダメ出しなどを的確に出してくれ、それをふまえてダメ出しをし、夜の通しを行った。
シンガーソングライター・花れんちゃん。
同い年。美しく、カワイイが、実は筋肉もりもりだったりもする。
夜、二度目の通し。
昼間の通しで間の悪さを感じたのか、今度はテンポが良すぎるくらいに良い。
ちょっと早くて落ち着かない箇所もあるが、昼に比べ、シーン運びが抜群に良くなっているので、この間を目指せばいいのだと思った。然治幹治は、ハイテンポの方が絶対に面白い。この兄弟にしかないテンポ感が出ると、グッと場が盛り上がる。
明るい雰囲気でのダメ出し。KAKUTAでもそうだけど、いい通しをしたあとと、そうでない時は、皆の前に向き合った時点で既に空気が違うものだ。皆疲れていたけれど、今日は皆いい顔をしている。
なんと昼と夜の通しではタイムが7分も違った。夜の通しは皆駆け足だったのだろう。
後半のシーンも、早くなった。
昼の通しでややウェットになりすぎていた感があったねと伝えたところ、今度はあっさりしすぎてしまった。終盤のシーンはやはり、そんなに気にせず、心を込めていきましょうと確認し合う。
それにしても、日に日にかの子と虎杖の関係が深まり、胸を掴むシーンになっていく。
虎杖の木訥で真っ直ぐな想いに胸を打たれ、また、かの子の心の揺らぎが、稽古を追うごとに大きく、豊かな波紋を拡げるようになった。
自分の描いたモノにもかかわらず、密かに涙ぐんでしまう。
また、鳶音が良い。冬のシーンで、鳶音が背負う、孤独でシンとした時間。短いシーンだが、とても印象深く残る。
ダメ出しが終わり、稽古場をばらす。ついこないだ稽古場入りしたばかりなのに…というのは、体感時間としての感想ではなく、物理的な日の短さ。
ここでキャストたちは、私が演出する劇場稽古が終わっても皆で自主練習をし、また、朝も私より早く稽古場に来て、合わせ稽古をしていた。
稽古は13時~20時が基本だったが、皆は10時~22時とかで稽古をしていたのだ。
どれほど疲れているだろう。
だけど誰も、その疲労を顔に出している人はいない。
演出日記の傍ら、新劇団員マサとのデエトブログも更新したりしています。
こちら>「デエトブログ、マサ編」
そして甘い丘の台本もまた直さなければならないし、別の仕事もあるし、混沌としていますが、どれもこれも必ずや頑張りますのでもう少し日記書かせてください(誰に言っているのか)。
9月9日 立ち稽古、前半。
段取りをひとしきりつけ終わり、いよいよ今日から本格的な立ち稽古。
ギリギリではあるが、昨日までに何とかラストまでの立ち位置や動きなどをつけられたため、もう一度初めから。
イッチーが稽古の時間割スケジュールを立ててきてくれる。
この時間割がないと、私は予定通り稽古することが出来ない。
「押しても構いませんからね」とイッチーは言ってくれるが、私は決められたシーンまできっちりやりたい。こう思うようになったのは、プラチナ・ペーパーズの堤さんと一緒にお仕事をさせてもらうようになったからだ。
堤さんは、毎日キッチリ、予定通りのカリキュラムで稽古をこなす。全ての場を通すといったら、どれだけ稽古が不完全でも全場まで通す。
これは一見、細かい箇所にこだわらずガシガシ進めていくため打算的に取れそうだが、実は違う。
まず、役者が芝居の流れに体を慣らしていくのだ。
堤さんの稽古を受けている自分の経験上、そうして流れを充分に掴んだあとの方が、ダメ出しも吸収しやすかった。細かい箇所を時間かけてやらせてもらうのも役者としては個人的には好きだし、大事なときも確実にある。
でも、最初から時間を無視した稽古をすると、どうしても後半が追っかけになってしまう。
今回は通常以上に時間が限られているため、なんとしてもイッチーの時間割通りやろうと思った。
先日バタバタとつけた段取り通り稽古を頭から追っていく。またここからは、花れんちゃんも舞台に上がり、役者たちと一緒に歌いながら芝居をしていく。
普段こういう稽古をしたことがない花れんちゃんは、アレ?このきっかけで出るの?という顔で演出席の私をあからさまに伺いつつ舞台に登場するので、その顔が可笑しくてつい、笑ってしまう。
が、初めて舞台上で、ピンマイクをつけて歌う花れんちゃんの声を聞くと、その迫力に改めて圧倒された。
役者の皆は、つけられた段取りに加え、芝居を乗せていく。
昨日より、皆台本を持つスタイルに慣れている。最初から会話のテンポを意識して皆読んでいるため、既に大人数が登場する一場は見応えのあるものになりつつある。
先日の段取りに更にキャラクター色を加えた演出をしてみる。なるほど、こういうキャラなんだ、と理解し声色や居ずまいがドンドン変わっていく役者たちを見ているのは面白い。
また、照明や音響も既に芝居に合わせてつけていただけるようになった。
背景音や明かりの変化によって、役者は普通の稽古以上に、気分が乗りやすくなる。
それは本当に贅沢な稽古だ。2場でややおどろおどろしい照明が当たるシーンでは、そこで不吉な会話を交わす役者たちも合わせて不気味な声になり、目つきも座ってきて、非常に面白い。
地元でDJをやっている桂役の女優は、背景の音楽で表情と声がパッと変化する。やはり普段ラジオで音楽に合わせ語ることが多いからだろうか。おそらくは無意識になのかもしれないが、その音に乗せ、キャラの色が濃くなっていくのがとても良い。
この日は近藤芳正さんお薦めという餃子屋「とん」で夕食。
餃子のボリュームにびびる。そして旨い。
仕事の合間に店主のおっちゃんがビールを煽っているのだが、私たちがその様子を眺めていると、気管に詰まったのか、突然、ブーッ!!と派手にビールを吐きだして仰天した。
花れんちゃんが思わず「ああっ!!」と驚嘆の声を上げる。
そのあまりの吐きっぷりに、そして花れんちゃんの声に、皆しばらく笑いが止まらなかった。
おっちゃんの、いつもかぶっているのであろう帽子には、「BAD BOY」と書いてある。
そのバッドぶりに、釘付けだった。
9月10日 立ち稽古、後半。
先日の段取り稽古で、時間が足らずかなり曖昧だった芝居の後半部分を細かく返していく。
この頃から、一人の女優に目が離せなくなる。
その女優とは、普段は主婦であり、今回で二度目の舞台なのだとか。
言葉遣いがいつも丁寧で、品があり、日高のり子似のカワイイ奥様という風情。
経験が少ないので、と物腰で語るように、いつも謙虚に、控えめに立っている。
…のだが、いざ芝居となると、何が飛び出すかわからない。
とんでもなく恐ろしげな大声で叫んでいたかと思えば、声優さんのようにカワイイ声でお茶目な演技をしたり、またその直後、恐ろしい声に変わったりと、めまぐるしくキャラが変わりまくる。
そしてふと見ると、台本に向かい、まるで「無」の顔になってたりする。
わけがわからない。が、シュールすぎて目が離せない。
「○○さんには優しい物腰で接して、○○さんには身内感覚のがさつな感じで接してみて」
と提案したところ、片方にはプリンセスのような笑顔で対応、もう片方には般若のような表情と物々しい声で対応、とジキルとハイドのような二重人格のようになってしまい、登場人物が増えると次第に混乱してきて、優しい対応をすべき人に般若の顔を向けたりしている。
「そ、そこまでは変えなくて良いです」と慌てて訂正した。
が、彼女からすれば、私の演出に誠心誠意応えようとしてやっていることなのだとよくわかる。
わからないことはわからないと聞きに来て、どんな細かい疑問もおざなりにしない。
私の言ったダメ出しを、毎日しっかり持ち帰り、彼女なりに消化して稽古場に立っている。
それは必ずしも毎回正しい解釈になっているとは限らないが、やっている最中の彼女は、必死に、勇気を持って冒険しており、私はまずその姿勢に胸を打たれてしまい、同時に面白くてたまらない。
桑原さんはなぜ笑うのか?…ともしかして彼女は不快になっていないだろうかと逆に心配になったりしてしまうのだが、その笑いが止まらないのは、私自身、そうした彼女の女優魂が大好きだからで、嬉しくなってしまうからだと思う。
彼女の勇気と冒険に煽られるように、皆の表情もほぐれていく。
なまじ格好つけて自然な芝居をしたがる役者より、時にとんでもない誤解をしたりもしながら、懸命に立っている彼女の方が、ずっと魅力的だと思う。
私も役者としてこの姿勢をずっと忘れずにいたい、と彼女に教わっていた。
また他の役者たちもめきめき力を上げていく。
台本を持つ、という様式を逆手に取り、その台本をどう使いこなせるかで遊ぶ役者。
なるほど、そうも遊べるな…と感心してしまう。
1シーンのみ登場するともえ役の女優は、そのシーンに注ぐ熱量と集中力が素晴らしく、グッと引き寄せられる。その妹である茜役の女優も、その勢いに押されることなく、返し稽古をする度に目に力が宿っていく。
ここまで来て、皆の、芝居を習得していくペースの早さを改めて思い知る。
「一週間しか時間がない」というのは、難題でもあるが、同時に役者のポテンシャルをその竜巻のような勢いでより引き上げるのかも知れない。
ホテルに戻って、毎日原や成清と話し合う。
KAKUTAでもこんな風にありたいねと。
朝は少し早起きをし、川沿いのタリーズコーヒーでお茶をする。
ホテルが快適で、バスタブも広く、稽古場まで歩いて5分程度なためノンビリ出来、すこぶる調子が良い。
タリーズのカフェでは絶えず良い感じのボサノバがかかっており、川を長めながら朝食を撮っていると、今日も頑張れそうな気がしてきた。途中から原が合流し、二人で朝食を取る。
原は爽やかな朝に清々しい笑顔を見せつつも、店員が手間取ると相変わらず東京仕込みの厳しい目を向けている。
信じられないことだが、顔合わせの翌日、もう小屋入りなのである。
劇場へ行くと、立派な装置が出来上がっていた。段差が多いので役者は注意が必要だが、タッパもあり、観やすく使えそう。また、スタッフさんが施してくれた美術も雰囲気を醸していて素敵だ。
モチベーションが上がり、稽古。
今日は昨日に引き続き、段取り稽古。あの漫画喫茶でひたすらノートに書き込んだ、役者の立ち位置や動きなんかを、ザッとつけていくのだ。
「今日は芝居の稽古だと思わず、ダンスの振付を憶えるように段取りを憶えることに集中してください。誰が段取りを一番憶えられるか大会って感じで」
そう宣言し、段取りをガシガシつけていく。本来、普通の稽古では段取りを後回しにし、役者に遊んでもらうこともあるが、私の場合、普通の芝居でもおおざっぱな段取りだけはとりあえず最初につける。
大体どの辺にいると見栄えが良いか、というコトを決めておくと後々楽というのもあり、また、この人と私の距離はこのくらいね、と、立ち位置で自分と周りの距離感を知っておくと、その後も動きやすいからだ。
だから、段取りの振付などは稽古とは言わない。ひたすら憶えてくれればいい。
が、立ち位置などを決めるうち、ちょいちょい欲が沸いてしまって、ここはもっとこうしてみて、などと稽古の演出もちょっとばかりつけてしまう。
立ち稽古になると、このリーディングセッションという企画になれている役者とそうでない役者の違いがハッキリ見えてくる。
それは、台本の持ち方だ。
初めての人にとっては、台本が邪魔くさくてしょうがない。
台本を持っていなくてはならない、という決まり事のせいで両手がふさがれるため、好きな動きが出来ず不自由そうにしている。その気持ちは、とても良くわかる。
あの漫画喫茶で立ち位置を考えていたとき、結局のところ私は、「台本を持ちつつも結構動き回る演出」をすることにした。
ただし、読みながら動き、ただ「台詞を何となくしか憶えてないから台本が手放せない人」に見えるのは勿体ない気がしたので、読む、というスタイルを最低限守れる動きをつけるようにした。
それでもやはり、このスタイルに慣れてないと台本という存在は邪魔である。
だが、一度見方を変えてしまえば、この「台本を読む」という制限は色々遊べたりもする。
つまり、動けない分、見方を変えれば何をしているというコトにも出来るわけで、例えば、「○○は高橋名人のように16連射をした」だの、「○○の両手は解凍したてのタコのようにぐねぐねと広がり天井へ伸びて行く」だのという訳のわからない設定があった場合でも、ト書きがそう言うだけで、動かずともそれになれるのだ。
コレは逆を言えば、「表現として動かねばならないこと」から解放されているとも言えるのではないか。
そう考えると、このリーディングの面白さが、少しだけわかってきた。
「台本を持つリーディングスタイル」に慣れてないと言えば、成清も同じである。
台本を観るべきか、相手の役者を観るべきか、動くべきか動かざるべきか、その動作ひとつひとつに四苦八苦している。
でもあんた、台本を持つ朗読の夜シリーズの「ねこはしる」もやったジャン!と思い、成清にだけ1トーン低い声でダメ出しをしてしまう。
しかし最近じゃ朗読公演のはずなのにこんなこと(河童)になっている成清さん。
朝早く、原と成清と空港に集合。睡眠不足で出かけるとひどい目に遭う、というコトは8月のWS時に学んでいたことなので早く寝ようと思うが、興奮しているからか、やはりほとんど寝付けず来てしまった。
同じく成清も高ぶる思いから睡眠不足だったよう。
その点、原は、昂ぶる思いをそのままに揚々としてやって来た。
昨日具合が悪いと言っていたのに、ヤケに元気である。だが時々自分でも思い出したように、「私ホントはこんなに元気なはずがない」と揺り戻したりしている。
空港で荷物を預ける際、成清の鞄にライターが二つも三つも入っていて手間取った。
それをゲラゲラ笑ってみていた原だが、いざ自分が手荷物検査でX線を通す段になると、ビービー音を鳴らして引っかかっている。
何が通っているのか?と本人もボンヤリしていたが、果たしてとんでもない物を持ち込もうとしていた。
係の人が、X線検査機を見て呟く。
「彫刻刀です」
・・・・・そんな危険物を良く持ち込もうとしたな、原よ。
「あっ、これは仏像掘るためにデスネ」
係の人に説明すればするほど怪しまれている。結局(当然)彫刻刀は没収となり、自宅へ着払いすることになった。
余裕を持って集まったはずが、原の彫刻刀によって、乗り遅れるかどうかのギリギリで搭乗。
のっけから、なにやら慌ただしい出発となった。
この日は照明さん音響さんとの打ち合わせのみ。
お電話やメールで話していたスタッフさんとようやく会う。
お二人とも素晴らしいプランを立ててくださっていたので、話し合いはスムーズに進行。
花れんちゃんも混ざり、音楽の入りどころも改めて決める。
同行してくれたイッチーが「こんなに決めてきた演出家は初めてです」という。
一応私も、8月のいいかげんなテクニカルミーティングを反省していたのだなあと、思う。
打ち合わせが終わったのは夕方。この日はナリも私も寝ておらず非常に疲れていたため、花れんちゃん、成、原と4人で、さくっとおでんを食べて帰ろうということに。
このおでん、私が北九州(小倉)へ行く楽しみの一つだった。
おでん屋にはなぜかおはぎも置いてあり、このおはぎをチビチビ削って食べつつおでんのツユをすするのが最高にうまい。
最初に成清と小倉へ行ったときに虜になり、何だったら毎日これでもいいと思っていた。
花れんちゃんも原も気に入ったようで、「私も毎日これでいい」と言って食べている。
中でも、餃子天(餃子を薩摩天に入れた物)が最高に美味しい。
結局、おはぎとおでんを何品か持ち帰り、ホテルの朝ご飯にすることにした。
ホテルへ着くなり、爆睡。
そして、夜中の内に目を醒まし、おでんを食べてしまった。
ここから私のデブへの日々が始まる。
9月7日、顔合わせ&初稽古。
おでんで腹を満たし、稽古場へ。
いよいよ始まったと思うと震えが来る。が、稽古場ではその様子を見せないつもりで振る舞ってみる。
自己紹介は以前のWSで済んでいたので、軽い挨拶の後、早速読み合わせ。
また衝撃の長さになったらどうしよう…と不安を抱いていたのだが、これが面白かった。
皆、一ヶ月前に出した短い注意点を意識して読み込んできてくれていた様子。
「この工場の雑多で、我先に自己主張したがる人たちの空気を出すために、相手の台詞が終わりきらないうちに次の人が喋る、と言うテンポでやってみましょう」
私がWSで出した要望とは、この程度なのに、皆とてもうまくなっている。
台本読みだけでかなり時間がかかってしまうことを覚悟していただけに、これはいけるぞ、とワクワクしてきた。
台本を読みながらト書きをバンバン削る。やはりこれは実際に、声を出してみないとわからないので、やりながら削ることを予定してきた。
ト書きを読むのは原である。
原は朗読の夜シリーズでも欠かせない、KAKUTAでは最も語りの読みがうまい人だと思うが、あまりに冷酷無慈悲に削っていくため、あらかじめ「バリバリ削っていくと思うけど、あんたが下手なワケじゃないから気にしないで」と言っておいた。
数時間後、予告通りあまりに削っていく私に「あんたが最初にああいってくれてなかったら、アタシ凹んでたよ…」と原が弱々しい声で言っていた。
ともかく、削って読み、トータルタイムは110分。
思い切って台本をあちこち削っただけのことはある。
が、ここにはまだ音楽も入っていない。
120分になることは免れないだろう…。
この日の夜は、初稽古なので飲みに行くのもありだったが、やることがいっぱいある気がして落ち着かず、自制して花れんちゃんとまたしてもおでん屋へ。その後、初日飲みで酔いどれた成清と原も合流。
ホテルに戻ったら戻ったで、同じく酔いどれた能祖さんが部屋にやってきて、ナリと扶貴子、能祖さんの4人で少し飲む。
結局飲みに行くのと変わらない時間になってしまった。
9Rに来るまで、能祖さんは「お前は飲みに行く暇なんてないからな」と散々おどしてたじゃんかー。
8月某日。
花れんちゃんと初めての、二人だけの音打ち。
音楽がその場で聴けた方が良いので、花れんちゃんのテラスハウスにお邪魔する。
同じように表現に携わる仕事、いわば自由業をしているにもかかわらず、花れんちゃんのテラスハウスは美しく、庭付きで、ほう・・・となる。
あたしんちはスナックの二階であり、ヒビが入っており、震度2の地震も5ぐらいに感じるボロアパート。
いいことと言えば、スナックのカラオケがうるさいので、深夜に掃除機をかけたり歌ったり大喧嘩したりしても大丈夫というくらいか。
また拭き掃除も行き届いており、私の家に花れんちゃんは入れられない、と静かに思う。
花れんちゃんが「バラちゃん、掃除嫌いそうだよねえ、アハハ!」とあっさり言うのだが、私は普段から不潔なオーラを発しているのだろうかと不安になった。
打ち合わせはとんとん進んでいく。
それにしても、花れんちゃんの曲がいい。
打ち合わせ前にデモ用の劇中曲を作ってくれていたのだが、どれを聴いても良く、また抱いているイメージもぴったり。「相思双愛」の時よりも、そのフィット感を明確に感じる。
それだけ花れんちゃんが台本を読み込んでくれたということがまた嬉しい。
音楽に関しては既に手応えを感じる。
バンダラコンチャでの出会いに感謝。
8月某日。
8月も後半にさしかかり、いよいよ9Rが近づいてきた。
この頃になると、衣装プランの相談や、台本の修正、舞台の装飾、小道具など、細かい打ち合わせが増えてくる。
その打ち合わせは全て電話かメール。東京と北九州の距離なので当たり前だが、普段打ち合わせなどのスケジュール管理は演助に任せきりであったため、どの程度の頻度で連絡を取るべきなのか、迷いつつメールを送る。
結局、毎日の様に企画担当の野林さん(最初に能祖さんとあったとき一緒に来てくれたカワイイ女性の一人だ)と、文通している形になる。
最初こそ二人とも、自分の近況報告なども含めたメールにしていたのだが、そのうち確認したい事項が互いに多くなり、業務連絡をバンバンと送り込む。
そうしたビジネスライクなやりとりはしかし、不思議と「ちゃんと進んでいるぞ」と思わせられ安心にも繋がる。
また、電話で照明さんとも打ち合わせ。
希望を述べてみると、非常に的確に理解して話を聞いてくださり、更に安心した。
顔が見えないやりとりのもどかしさはあまりなく、逆に、この囁くように話す方はどんなお方なのかしらんと、お会いするのが楽しみになった。
8月某日。
家にいると夏の陽気に集中力が保てず、近所の漫画喫茶へこもり、台本のカットや立ち位置などを全て一から考え、ノートに書き込む。
こういう作業は「朗読の夜シリーズ」で毎回行っていることなのでさほど苦ではないが、小説ではなく、戯曲なので、どこまでト書きを読むべきかのバランスが難しい。
漫画喫茶の中で、お借りしていた過去の9R作品の舞台映像を観た。
鈴木聡さんの「裸足でスキップ」。これはもともと大好きな作品でビデオで何遍も観たので、よく憶えているから、朗読だとこうなるのか、と非常に勉強になった。
一週間の稽古とは思えない完成度に驚愕。
だがそれにしても、私の演出する朗読とは何なのだろう。私は何がやりたいのか。
9Rの朗読スタイルは自由で、台本を持ってさえいれば、実際に台本を読まず、丸めて持っているだけでもいいし、まったく動かず朗読するのもあり。
その自由度の高さにまた悩み始めてしまう。
読まなくて良いなら、普通に芝居すればいいと言うことにはならないか。演劇に負けないか。
いっそ「朗読の夜」シリーズのアクティブリーディングスタイルにしてしまえばいいのか。
でも読みたい。読む、という行為を残したい。
グルグル考えは巡るが、悩んでもしょうがない、と頭を振り、とにかく自分のやりたいことをガシガシとノートに書き込んだ。
漫画喫茶に来たからには、もちろん漫画も読んでしまう。
9月某日。
時間をかけて台本をエイヤとカットしてきたが、もうこれ以上は、というところまで来た気がする。
小ネタなど、削ろうと思えばまだ削れなくもないのだが、私が俳優ならばここを削られたらガッカリするだろう…などと思うと、どうにもバサバサ切ることが出来ない。
しかし、ト書きは大幅に削った。
能祖さんが8月のテクニカルミーティングのあと、「小説を書くつもりでト書きを考えてみな」と言っていたので、ト書きも一から朗読用に書き直した。
骨を折る作業だったが、声に読んで面白いト書き、と言うものを少しだけ学んだ気がする。
そんななか、KAKUTAの顔合わせ。
俳優として作家として演出家として、とても楽しみにしていた顔合わせだが、今回は9Rの参考になるというちゃっかりした考えも胸に潜めて、読み合わせ。
果たして、久々に皆が集まっての読み合わせは、とても面白くホッとする。
2時間20分あった北九州の読み合わせの時、そのあまりの長さに、この台本は…面白いのか?と不安になったのだが、ト書き抜きで読んだ初演版の台本は、カットなしで1時間45分。
そうか、テンポを上げればいいかと、少しホッとする。
いよいよ北九州への出発が近づいてきた。
緊張とプレッシャーが、静かに溜まっていく。
嗚呼、行きたくネエと呟いてしまう自分がいる。
じっさい、新しい座組に参加するときは、割合いつもそう思う。
しかし、その度合いが大きければ大きいほど、反動も大きかった。
ヴォードヴィルショーで演出したときもそうだ。
あれほど行きたくないと思っていたのに、芝居が終わる頃には皆が大好きになり、離れがたかった。
今回もそうなったらいいのに、と怯えながら祈る。
4月某日。
KAKUTAの朗読の夜シリーズ「帰れない夜」のポストトークに能祖さんがゲストで参加してくれた。
その公演期間中に北九州リーディング(以下、9R)の打ち合わせ。
能祖さんがカワイイ女性を二人引き連れてやって来る。
そのお二人が、今回の企画運営を担っていくのだという。
どちらも私より若く、キラキラしていてフレッシュ。
しかし若さゆえのいいかげんさなどがまるでなく、とても真摯に企画に向かっている様子が伺えて、なにやら嬉しい気持ちになる。
一瞬でも「能祖さんは可愛い子が好きだな」などとにやついた自分を反省。
この企画について色々聞き、演目は何にしようかと相談。
ちょうどスズナリでやっていた「さとがえり」が上演時間も手頃なのでまずは第一候補に挙がるも、一体どうやって朗読公演をやるのか、さっぱり見当がつかず。
とにかく一週間でやる大変な企画である、というコトをひたすら聞く。
自分はまだKAKUTA公演期間中で、頭も回らず、まあ何とかなるかとボンヤリしてしまう。
5月某日。
バンダラコンチャの稽古中。音楽家を決めねばと思いつつも、こういうとき真っ先に思いつくアルケミストは、9R公演中のこの頃は忙しいという。と、ふとバンダラで音楽を担当している花れんちゃんが思い当たり、ボーカリストでも良いかも知れぬと、ダメ元で打診してみる。
と、サラリ聞いてみたにもかかわらず、次にあったときには参考用のCDまで作ってくれた。
そのやる気だけでもう、お願いしますと思ってしまった。
花れんちゃんは女性らしい、伸びやかでしなやかで、美しい歌をうたう。
花れんちゃんを迎えることを思ったら、女のドラマ「甘い丘」が合うのではと思い、演目候補に挙げた。
そう考えれば、花れんちゃんじゃなければ甘い丘は出来なかったんだなあ。
6月某日。
「甘い丘」に決定。劇団員を迎えて良いと言ってもらい、朗読に向いている原と、「甘い丘」で、設定上難しい役柄である虎杖を演じた成清を連れて行くことに。
7月某日。
キャストオーディション。絶対一人で行くとキャスティングを悩むので、成清に来てもらう。
短い時間ではあるが、一度本読みを聞いたくらいでは決められないと思い、2次選考をやらせてもらうことになった。
一次は長ゼリを読んでもらい、二次では短い掛け合いを読んでもらう。
演劇経験不問、という呼びかけをしているため、演技スキルは期待していなかったが、予想以上に皆うまい。特に然治幹治という兄弟役を読み合わせしてもらうと、どの人もなかなかどうして面白い。
が、これ以上ないという組み合わせのキャストを見つけてしまい、然治幹治は即決定。
また、みね役にぴったりの女の子がいたりして、他のキャストも割合スルスルと決まる。
もともと成清は虎杖を演じてもらう予定だったが、難しい設定をこなせそうなキャストが見つかり、逆にオーディションキャストの中にはあまりいないタイプだった別の役を成清が演じることに。
主人公・かの子を演じる女優は、本来30代後半でないとと思っていたが、その年代の女優さんが見つからない。
が、透明感があるのに目力の異様に強い女優が印象に残り、お願いすることにした。
8月某日。
テクニカルミーティングとワークショップのため、再び北九州へ。
今度は原が一緒に行く。町は祭りムード一色で、非常に賑やかで面白い。
原も「初の地方出張なの」と揚々としており、滞在二日間は、たっぷり祭りを楽しんだ。
ワークショップも、ちょうえんぶゼミが終わった直後だったため、比較的カリキュラムもスムーズに組むことができ、順調に進んだ。
が、この日は前日色々と忙しかったため、体調が最悪で、読み合わせの段になると体がグラグラしてきた。気を抜くと頭が真っ白なり、落ちそうになり、必死で俳優たちの声に集中しようと努める。
しかし役者は皆良い。
トンビ役の俳優がべらぼうにうまく、また本家「甘い丘」の村上航さんの声と少し似ていて、シュロを演じた私はキュンとなる。
最初の本読みは2時間20分。能祖さんから1時間半を目指してカットしてくるようにと無謀な注文を受け、ますます頭が白くなる。
打ち上げで飲んだ帰り、体調の悪さがピークに達し、お腹まで痛くなって、ホテルめがけて奔走した。
劇場スタッフの若い女性が私を気遣い、伴走してくれる。その暖かさになんだか泣けてしまう。
翌日、テクニカルミーティング。
あまりにも私が何も考えていかずミーティングに向かったため、能祖さんがビックリしている。
劇場スタッフさんの皆さんも不安にさせてしまった気がして凹む。
が、技術スタッフさんがこれまたロン毛の男前で、そんなところはしっかりチェックしてしまう自分もいる。
のっけから信用を失ったまま帰るわけに行かぬと思い、もう一泊していく予定だったので、朝早くにもう一度舞台美術プランを考えて打ち合わせさせてもらった。
ひとまずはたたき台になる舞台プランが出来、少しだけ安心。
そして小倉城をしっかり堪能し、楽しんでしまう自分もいる。
演出助手のイッチーこと市原君が案内してくれた。
イッチーはのこされ劇場という北九州を代表する劇団の主宰でもあり、この9Rシリーズを長く演助として支えて来た人でもある。
(女の子の方がイッチー)
うちの演助・タムさんは、敏腕すぎて忙しすぎてKAKUTAでも呼べないことが多くなってきたため、演助と聞きめざとく東京へ来る気はないかなど、聞いてしまった。
それにしても舞台美術に不安が残る。
東京に帰ってきて間もなく、美術プランが送られてきた。
自分のアイディアなのに、それを元に作って頂いたデザインを見ると、どうにも動きをつけにくく、悩む。
己の美術センスのなさを思い知り、悩んだ挙げ句、タテヨコ企画の横田修氏を召還魔法(ファミレスを奢る)で呼び出し、相談に乗ってもらう。
さすがKAKUTAで長年美術をしてくれたヨコッチ。
私では考えつかなかった修正案で、使いやすい美術にしてくれた。
その後、北九州スタッフさんが素晴らしいアイディアを加え、素敵な舞台にしてくれた。
美術ももっと勉強しよう、と頭をたれる私であった。
首のスジがおかしい。
夕べ、北九州芸術劇場でのリーディングセッション演出を終えて、東京へ帰ってきたのだ。
久々に帰る家は、北九州へ残す想いがありながらも、やはり嬉しくて。
スー猫が待ち構えていたと言わんばかりにグルグル喉を鳴らして。
ただ、同じく待ち構えていた新参猫・クンチョロ
↑コイツ
は、私のこと忘れたか?というぐらい、帰って早々噛み倒され、深夜になってようやく思い出したのか、はたまた置いてけぼりにされた怒りが解けたのか、4時から朝8時まで、耳たぶを舐め倒された。
当然安眠できず、そのせいか、東京帰って一日目に、首筋がおかしなコトになっている。
北九州芸術劇場リーディングセッションというのは、東京から演出家を招き、北九州の俳優たちや、または演劇経験のない市民も含め、オーディションでキャストを選出して朗読公演を行うというもの。
私の前に参加した演出家陣は、松尾スズキさんや河原雅彦さん、白井晃さん本谷有希子さん鈴木聡さん…と、んなの私が受けたいわ!!っつうそうそうたる方々ばかり。
次回は花組芝居の加納さんだとか。
わ・た・し・が・う・け・た・い・わ!!
何で私なぞが呼ばれたのか?
と考えるに、この企画のプロデューサーが能祖さんだからだとまずは納得したわけです。
能祖さんとは、今年春のKAKUTA公演でポストトークに出演もしてくれた、元青山劇場のプロデューサーで、何を隠そう、私の初舞台である、青山演劇フェスティバル「転校生」のプロデューサーでもあったお方。
当時私はピチピチ(むっちむち)の女子高生。
そんな折に出会い、演劇のイロハを教えてくれた能祖さんは、平田オリザ氏と並び、いわば父親的な存在というわけ。
だから娘びいきのお父さんが手をさしのべてくれたのか・・・と、思っていたわけですよ。
しかし、だからとてこのそうそうたる演出家陣に並び、私がやらせてもらうのは親子のような関係に甘えることなど出来ぬ大役。
だって、稽古期間はたったの5日間!!
更に、音楽アーティストの生演奏アリ、というのも見どころの一つ。
7月にオーディション、8月にワークショップと、二度北九州へ行き、さあいよいよ9月、公演へ向かいましょうという頃には、そのプレッシャーと恐怖ですっかり「行きたくネエ!!インフルエンザにならないかしらん」というビビリ具合だったんデス。
さて、怒濤のような一週間の滞在を終えて、帰ってきたわけですが。
まーーー、楽しかったっすわ!!
楽しいだけじゃなく、大事な体験を色々させてもらいました。
一週間て、スゴイネ。
去年、シアタートラムで「日本語を読む」をやらせてもらっててほんとよかった。
あとKAKUTAワークショップの「ドップリつかろう一週間」やっといて良かったわ。
でも、それでも、改めて、一週間という時間の濃さに驚いた日々でした。
忘れたくないことがいっぱいあったなあ。
そこで、自分が忘れないために、この怒濤の朗読公演を、演出日記風に振り返ってみようと思う。
他人が読んでも面白くも何ともないものだろうが。
今までさほど口にしたこともないが、森三中の黒沢が好きだ。
しかし最近まで、黒沢なのか黒坂なのかすら曖昧なほどだったので、そう意識的に黒沢を追っかけたりはしていないけれど、あのデタラメな歌を歌っている人が好き。
彼女はどちらかというと下品な女芸人にカテゴライズされると思う。
で、私はそもそもモリマンとか名前からして下品な女芸人があまり好きじゃない。
北陽のアブちゃんが下ネタをやっても、そんなんいらんのに、と思う方だ。
でも、黒沢が好き。
何でかとふと、考えた。
そう思ったのは、柳原加奈子を見ていたときである。
最初に言っておくけれど、彼女が嫌いというワケじゃ全くない。どっちかというと、感心してしまう。
彼女は、太めの体系ではあるが、その体で笑いを取ると言うより、観察力があって達者なところがウリ。奇妙奇天烈な人ではなく、至極常識的で利発な人であり、普通に気のいい女の子で、そこに好感度の高さがあると思う。
そういう意味じゃ、森三中の他の二人だって、お料理が上手とか、旦那さんと仲良しとか、おもしろにプラスアルファされた女子要素があり、「かわいらしさ」をどこかに残しているから、もしもブス!とかデブ!とかいうネタでからかわれたならば、たとえ笑いが取れてもどこかで傷ついてるだろうと想像してしまう。
もちろん、黒沢がそうじゃないとは言わないが。
なんつうか、「ふりきってる」感じが好きなのだ。
友だちだったらば、あんたってホント、笑い乞食だな!!と肩を組みたくなる。
この、「ふりきってる」感覚を、私も知ってるからだ。
かつて私がKAKUTAをやりつつも双数姉妹で若手劇団員の如く関わらせてもらっていたころは、エチュード中心でシーンが構成される芝居だったこともあり、演出家の小池さんの笑い声を一日の糧に過ごしていたと言ってもおかしくはなかろう笑い乞食であった。
笑ってもらえりゃひとまず稽古場にいてヨシ、と思えたからである。
小池さんの「お前がひどいコトされても悲壮感が漂わない」という言葉を頼りに、ボサノバで歌いながら人を腐せと言われれば歌詞を考え、プロレス風俗嬢になれと言われればヨンの字固めでご奉仕、バイブを入れられいついかなる時もスイッチが入れば特殊なもだえで応じるAV素人(すいませんお下品で)になって笑いを乞い、時には包帯でグルグル巻きにされたまま引きずられ、毎日NGワードを考えながら稽古場に向かう、下品な女芸人が嫌いとは聞いて呆れるもんであった。
当時双数姉妹に入団したばかりの盟友(迷友)・野口かおるとは同い年女優だけに対決する設定が多かったが、二人して品のない単語を挙げられるだけ挙げて罵りあい、舞台上では興奮のあまり、二人でリアルに鼻を垂らしていた。
私はちょっと洟垂れを気にしてこっそりすすっていたけれど、かおるは舞台上でどうどうと鼻汁を口元まで垂らしていた。
カッコイイ…。
その時の思いと、黒沢は重なる。(なんのことやら)
振り切ったいさぎよさとでも言おうか。
「かつて~であった」と書いているが、多分、私は今も変わらない。
ただ、そういう、ウンコのかぶり物を頭に乗せて気が狂ったように走り回ったりする機会が減っただけであって、あの「ふりきった」状態まで追い込まれる局面に最近遭遇していないだけである。
だから、黒沢がめたくそな歌詞で好き勝手に歌っているのを見ると、ちょっと羨ましくなるのだ。
人によって違うのかも知れないが、あそこの段階に行くには、私の場合、毎度なかなかどうして怖いし、振り切る勇気がそれなりにいる。
しかし、ある時点を過ぎると、恥ずかしげとか、恐怖感が麻痺し、独特のアドレナリンが放出されるようになり、そこからはうまく表現できないが、自分の目が血走ってグルグルしているのもわからずに走っている状態に近くなる。
そういえば、先日野音で見た清水宏さんがやはり、そういう目をしていた。
黒沢のことを書こうと思って森三中の日記を読みに行くと、彼女はとてもまともな人であった。
しかしそれでゲンメツしたかというと、ますます好きである。
野口かおるのキチガイブログ(敬意を込めてそう呼ばせて)を読みに行くと、かおるは天性の奇天烈センスを持っていて、紡ぎ出す言葉が惚れ惚れするほど面白く、いつも尊敬と嫉妬に駆られる。
それで、本当に勝手な思い込みで恐縮だけど、黒沢は「私寄り」の人ではないか、と思う。
かおるのような才能に憧れつつ、笑い乞食としてアドレナリンを求め、「ふりきって」進むタイプなのではないだろうか。
こんなに長々と書くようなことではなかったネ。
今日はあえて敬称略しちゃいました。失礼!
夏もやります、第二回目合コン!
http://torobeyagaiden.blog101.fc2.com/
これから続々更新されますので、要チェキよん。
ついに夏のデエトが始まります!
お相手は、マジ、スゲエっす。
アタイ、今からもう、ドキドキしちゃって、どうしていいかわからんす!!!
こちらをチェキ!!「デエト、お願いします」
もーコレ、絶対みのがさにゃいで!
そんでもって、合コンメンバーも続々決まってきております。
お見逃しなくーーーっ!!!
↑
これって嬉しくない?
(違うけど)ブロードウェーみたいな気分?
な、なんかかっちょいーと思って、祝い酒を持ってきた佐藤滋に撮ってもらう。
というわけで、今日は「イタズラなKiss~卒業編」の初日でございました!!
早めに来いと成清に言われていたにもかかわらず、開場直後に着いたので、楽屋口は通らず、そのままロビーから劇場へ。
ロビーにはたくさんのお客さん!
き・・・緊張してきた・・・!!
何せ稽古を観に行けなかったので、台本をお渡しして以降、どんな仕上がりになっているかまったくわからない。
私のホン…大丈夫だったかな…。つまんなくないかしらん…。
いまさらガクガクしても後の祭り。
浮き足だってキョロキョロしていたらどういうわけかチケットをなくす。
プロデューサー難波氏と久々の再会を果たすも、逢うなりろくな挨拶もせず「す、すいません。たった今チケットを無くしまして」と迫り、困らせた。
難波さんがキャストへ挨拶を、と楽屋に案内してくれた。
キャスト陣はこの時間、緊張と興奮でドキドキしているはず。
こんなタイミングで作家が来るのはかえって迷惑だろうと恐縮するも、皆元気に迎えてくれる。
みんな・・・かわええ・・・!(成清含め)
やっと会えたわーっ!
私としては、キャストはほぼ全員初対面だけど、写真をジーーーっと見て台本を書いてきたので、勝手に顔見知りの気分。
そして、憧れの岡まゆみさんともご挨拶して、その美しさにヒヤヒヤドキッチョでございました。(わかる人にだけわかる感覚)
もひとつ嬉しかったのは、スタッフ陣が「K」のメンバーばかりだったこと。
舞カンの大ちゃんも演出部のスタッフさんも、あの冬ぶりの再会。
音楽の楠瀬さんや振り付け助手のあっちゃん(激かわ)、メイクのヒロちゃん、キャー!と、思わずテンションが上がってしまう。
と思ったら、今日は「K」のキャストメンバーも結構来ていて、懐かしい面々に会えて嬉しかった。
そしてもちろん、演出の堤さん、竹馬の友・演助のタムさんと、お馴染みの面々が何より心強い。
舞台に行くと、イメージしてたよりずっと素敵な舞台装置。
チャイムの音で開演。
やばい・・・また緊張が・・・。
しかし。
緊張に震えっぱなしの二時間かと思いましたが、途中から純粋に舞台を楽しんでいる自分がいたわ。
麻美ちゃんかわいいな。てか女子みんなキラッキラだわ。女子はそうでなくちゃだわ。
岡さんが素敵すぎる。
男子も皆さん、フレッシュ!フレッシュネス!!しゃきっとしたレタスの様に!
小竹さんもはまってたなあ!
青柳くんの入江君。
いやさあ、前回のイタキスは「K」で一緒だった八神蓮が演じていて、最初に会った頃、蓮がやってたんだよと知ったときは「ンマー!イメージにぴったりだねえ!」なんて本人に話してたんだけど。
ごめんな蓮。
よくわからんが、蓮に謝りたくなるほどに、青柳君の入江君、良かったです。
あと我らがナリちゃんは、身内にだけわかる緊張が迸ってましたけど(笑)、良い感じにふざけた男前に仕上がっていたわ!!
さすが成清!オトコの中の漢!(身内びいき)
原作の熱烈ファンとしては、どうせなら生で見たかったあのシーン、このシーンを、取り入れてしまったわけで。堤さんが見事な演出でもって、胸キュンに仕上げてくれた。
今さらながら、堤さんの手腕を改めて尊敬してしまった。
ありがとうございます(台本あんなに遅れたのに)。
そんで、カーテンコール(略してカテコって言うんだね?知らなかったわ)のダンスで、これまた「K」で共演した森新吾が振り付けしてくれたのだけど…。
いやーやっぱ新吾はセンスが良い。さっすがー!と惚れ惚れした。
そんなことを終演後、新吾に伝えようとしたら、新吾が私が口を開くより先に、「良い脚本書きますネー!」と言ってくれて、それがとっても嬉しかった。
お馴染みのスタッフさんも、良い本だよと声をかけてくれたけれど、やはりたくさん舞台を知っているスタッフ陣にそういってもらえると、本当に嬉しいものだ。
打ち上げにお邪魔して、堤さんの横に座らせてもらう。
稽古場に顔を出せなかったクセに、ずうずうしくも結構な時間までお邪魔してしまった。(すいません)
でも、久々に大好きな方々とお喋りできた、愉しい宴でした。
嗚呼もう一度くらい、どこかで観に行けたらいいのだが…。
ともかくキャストスタッフの皆さん!
千秋楽まで頑張ってくらはい!!
そして是非皆さん、観にいらしてくださいね。ときめきますぜ。
昨日のお母さん、ブログを書いて割とすぐ後に、帰ってきました。
「あの~」
ベランダから挙動不審な女(ノーブラ)に声をかけられ、ビクッとするお母さん。
「お子さんが泣いてたんでビスケットを2枚挙げてしまいました…すいません!でも家には入ってないです!!」
お母さんは、ベランダの私にしきりに謝っておられて。
今日、なんと桃と梨の詰め合わせをいただいちゃいました。
ビスケット2枚>桃と梨つめあわせ=わらしべ長者
いやいやいや。
かえって恐縮してしまいました。
私は出かけていたんで、母が対応したのだけど、お母さん、
「ありがとうございます、もし子供に何かあったらと思うと…不良なママですいません!!」
と謝っていたそうです。
「不良なママで」という言葉がなんだか好きで、ほっこりしました。
きっと良いお母さんなんでしょうね。
ともあれ、ビスケットで怒られなかったし、お子さんも寝ていたそうで、ホッとしました。
今日はえんぶゼミの発表会。
つまり最終日。
たった6回で終わってしまうのは、やっぱり寂しい。
情が五臓六腑に染み渡ったところで、WSはいつも終わってしまう。
ドキドキしていた創作発表会は、どのチームも面白く、嬉しかった。
生徒たちも、劇団員も、良かったよ。
みな演技がすごくうまいかと言ったら、そうじゃない。
荒いし、技術もない。アラを探せばたくさんある。
だけど、素敵だった。
センスをぶつけ合うのは、大事なことだ。
そして、いいところをいい!と言いあいたい。
まだ未熟な彼/彼女たちの発表を、未熟だねえと笑うことはいくらでも出来るけど、それ以上に、目の前に飛び込んでくる未知の可能性、そのドキドキを味わいたい。
うちの田舎で取れる、まだガリッとかための桃の様な、青々と瑞々しい、発表だった。
熟れドキの桃も頑張ろう(わたしのことだ)。
明日は「イタズラなKiss」初日。
結局稽古を観に行けなかったので、今から楽しみーい!
原の芝居と二本立て。
一番心配なのは、どっちも劇場の場所を知らないこと。
これ結構、わたしにとっちゃ重大な問題である。
つい今さっきの話だ。
真夜中2時過ぎ。実家のPCに向かい、作業をしていたら。
突然、ベランダの向こうで子供の泣き声が聞こえた。
見ると、向かいのアパートから小さな女の子が出てきて泣いている。
最初、悪いことでもしてお仕置きされたのかと思ったが、アパートの部屋は暗く、誰も出てくる気配はない。
「ママどこー」
しばらく様子を見ていたモノの、ほんの目と鼻の先で泣いている子供を放っておく訳にもいかず、ベランダから声をかけた。
「どうした」
相変わらず子供相手にえらくぶっきらぼうになってしまう。
「ママがいないのー」
子供はそういって泣いている。
「一人なの?」
頷く子供。どうやら、夜中目が覚めたら誰もおらず、不安になって出てきた様だ。
知らないウチの子なだけに、帰ってくるから中にいろとも言えず、かといって泣いた子を放置して作業する気にもなれず、迷った挙げ句、実家にあったビスケットを持ってその子のいるアパートへ降りていった。
リビングに降りるなり、まだ起きていたうちの母が、なぜかこのタイミングで「ネエ、月下美人が咲いたのよ」と花を見せようとする。
そんな母をいなして、家を出た。
外は雨。真夜中。アパートの前で、暗闇にボウと立つ白いパジャマの女の子。
なかなかに恐ろしいシチュエーションだ。
また、ビスケットを持ったノーブラの怪しい女が話しかけているのを親御さんに見つかったら誤解されまいかと葛藤する気持ちもある。
しかし、真夜中一人で目が覚め、誰もいない不安はよくわかる。
「ママいないの?」
聞くと、子供はこくりと頷いた。
水商売か…?
「じゃあ、お仕事いってるんじゃないかな?」
「お仕事はパパなの」
…そうか。
「うーん、じゃあ、お買い物でも行ってるのかもねえ」
…無理があるか。あるな。
と、女の子が言う。
「おばあちゃんち行ってるのかも」
それ!それだよ!!
水商売とか、飲みに行ってるとか、はたまたパパ以外の男性と…?など、怪しい理由しか思いつかなかったので、健全な理由が女の子から出てきて、ひとまずその意見に強く賛成した。
おばあちゃんち行ってるんだよ、だからすぐ戻ってくるよ。
このビスケット食べる?美味しいから元気が出るよ。
女の子はこくりと頷き、私はビスケットを2枚あげた。
箱ごとあげても良かったが、2枚で良いらしい。育ちが良い子供だ。
女の子はゆっくりビスケットを食べ始めた。
よく見ると、とてもカワイイ顔立ちをしている。
見つけたのがお姉さんでヨカッタネ。
こういうとき私は決して自分をおばちゃんと呼ばない。
「いくつ?」
女の子は、ビスケットの粉がもっさりついた小さな指で3と出す。
ず、随分ちっちゃな子供じゃないか!
子供がいない私は、大きさで年齢を判断できない。
「あ、名前は?」
今さら名前を聞くのも、私が子供に慣れていない証拠だ。
喉に詰まってえらいこっちゃになったら怖いので、牛乳でも持ってきてやれば良かったと思ったが、引き返すタイミングがない。
さすがに家に入るのはまずいので、ゆっくり食べる間、付き合うことにした。
女の子は食べているウチ、リラックスしてきたらしく、
「あのねえ、◎◎ちゃんが好きなの。幼稚園のお友達」
前触れもなく幼稚園の話が始まった。
◎◎ちゃんと××ちゃんが昨日幼稚園を休んだこと、今は夏休みであることなどを聞く。
「笹の葉って知ってる?昨日幼稚園に飾ってあったよ」
今さら?など、細かいことは気にしない。
**ちゃんは、お願い事書いた?
「うん」
お願い、なんて書いたの?
「*****(自分の名前)です!って」
・・・・・子供って面白い。
「笹の葉に飾ってあったよ、ひこぼし様とお星様としかく」
?
「しかく」
しかく?…オリヒメ様ではなく?
「しかく」
…しかくって、これのこと?
ビスケットの長方形の箱を見せると、違う、というそぶりで、箱の中でビスケットを小分けしている、更に小さな正方形の箱を取り出し、「これが四角だよ」と、おしえてくれた。
なるほど。
じゃあね、こっちの箱(ビスケット)は、長四角っていうんだよ。
なぜか深夜に図形を教えている。
「この音ナアに?」
雨だよ。
「雨チャンか!アンパンマンの」
そう(…なのか?)、その雨チャン。
「虫ちゃんがいるー」
(蛾だ…)
その虫ちゃんは夜に元気な虫ちゃんだからさ、虫ちゃんからしたら、「なんでお昼元気な**ちゃんが夜にいるの?」ってビックリしてるよ。だからもう寝ようか。
怖くなったら、お姉ちゃん(かたくなにそう呼ぶ)はあそこにいるから、怖いよーっていったらまたきてあげるよ。
ビスケットで満たされ元気になった女の子は、ニコニコと頷いた。
アパートの部屋を開けると、中は真っ暗だ。
私は子供の頃、煌々と電気がついていなきゃ眠れなかったので、一瞬、ドキリとする。
しかし女の子は特に気にするでもなく入っていった。
内鍵をかけるよう伝え、音を確認し、アパートの外からおやすみ、と声をかけた。
「おやすみ!!」
真っ暗なアパートの部屋の中から、女の子の元気な声が聞こえて、なぜかキュンとした。
私は部屋に戻り、残ったビスケットをちょっとかじって、母と一緒に月下美人を見て、今はまたPCの前にいる。
ベランダからあの子のアパートが見える。
あの子は眠れたろうか。アパートから出てくる様子はない。泣き声も聞こえない。
お母さんは、まだ帰ってこない。
嗚呼もう寝なきゃ。
嗚呼、嗚呼もう、眠い。
そんな朝です、みんなおはよう。
夜ちょっとした会食があり、久々にアン山田氏と逢った。
会うなり、バラ痩せた?といわれてだいぶ嬉しい。
まあ、ダイエットした訳じゃなく、期せずしてなんですけど。
アン氏とブラジル関連以外で逢うのが初めてで、なんだか新鮮な気分。
食事中、ちょっと面白い話になる。
アン氏から聞いた有名なあるおとぎ話(?)に例えて、自分の恋愛観とか、男と女の考え方の違いなんかを喋っていたのだが、話しながら改めて、女というモノは、どこまでも自分の価値を知りたがるモノだなあ、と思った。
例えば、恋人が以前より電話をかけてくる回数が少なくなったとする。
声が聞けず寂しいと単純に思う部分もあるけれど、「自分の価値が彼にとって低くなったのか?」という思考に行き着くことに何より寂しさを感じるのは、男よりも絶対的に女の方が多いと思うのだがどうですか。
女が喧嘩して真夜中に家を飛び出すのは、本当に逃げたい場合ではなく、追いかけて欲しい割合の方が高い。「それだけの労力を私に尽くしてくれるの?」と試したいからであって、それだけしてくれる価値があるんだ、と思いたいからで。
まったく醜いもんですよ。
私なぞ、昔は喧嘩して駆け出すと、離れたところから双眼鏡を持って自分を探す恋人を観察したものである。
「お、探すの諦めてないぞ」「お、ちょっと休んだな」「違う!もう少し手前にいる!おしい!!」
そんなことしている時点で、とっくに喧嘩の理由など忘れている。
見つけてくれれば、「私がどんな場所へ行っても探し出してくれるんだわ」という、身勝手な王子様像を抱いてしまったりもする。
これは相手を試しているのであって、決して健康的なことではない。
ないのだが、女はそうして自分の価値をはかり、価値と連動して愛を確かめたがる傾向があり、古くは「かぐや姫」だってそういう話でしたよねえ、と会食していた方々と頷き合った。
女って困ったもんだと思うでしょうが。
でも男だってさ、女のそういうところを理解して、うまーく使うことがあるでしょ。
例えば、「フラれた女は落としやすい」というところとか。
失恋した直後、自分の価値が暴落したと思っている時に、男の人に優しく「俺にとってお前の価値は高いよ」なんつうアプローチをされようもんなら、結構な割合でほろりと揺れてしまうでしょ。
男の人の場合、失恋した直後を狙っても、それほど効果的じゃないと思いますよ。
「俺…しばらく一人で良いわ…」と遠い目をされたりして。
男の人なら、フラれた直後でなく、その間はもう親友の様に話を聞き、相談に乗り、そうして彼に復活の兆しが見えてきた時、「ずっととなりにいたの、だーれだ」的な立ち位置をキープして狙うのが良いと思うんです。
何の話をしてるんだ。
そんな狙い方したことありませんけど。
私の友だちはそれで恋人をゲットしましたよ。
ともかくそんな四方山話に花が咲いた会食でした。
ちなみにアン山田さんは「しつこく追う男」らしい。
私はそんな男が良いよ!と熱弁しました。
草食男子って最近よく言うけど、なにがいいのさ?
とはいえまあ、近頃起きた某連れ去り事件のことを思うと、また複雑な気持ちもするのですが。
最愛の男限定で、しつこくされたいよね。
ペンギンプルペイルパイルズ「COVER」を観に行った。
いやー…面白かったああ。
途中で、「これもうすぐ終わっちゃうのかなあ、あと1時間くらいやらないかな」と思った。
面白い小説を読むと、文庫本の残りページを指先でつまんで、しょっちゅうこう思うことがある。
でも、物理的に何時間もその場に留まらねばならず、その間煙草も吸えないお芝居という場所で、そう思うことはなかなかない。
だから、その事実にまず感動した。
サワさんが悲しく、美しかった。どの人も愛おしくなった。
劇場で久々に、ペテカンの四條に遭遇した。
嬉しくて、四條はかわいいお友達を連れていたにもかかわらず、むりくりお茶に同席させてもらった。
あまりにも久々だったので、聞きたいことや話したいことが山ほどあって、落ち着かないくらい。
相変わらずかわいい、お喋りな妹のよう。
四條はいつもなんやかや、もの凄い勢いで私を褒めてくれる。
そういうときはなぜか必ずフルネームで、「桑原裕子の時代が来たね!」とか、なんだかわからんくらいスケールのでかいほめ方をしてくれるのだが、マー大声だわ大げさだわで、かえって恐縮する。
しかし落ちこんでいるときにはその言葉を思い出し、「四條はそう言ってくれたのだ」と、救われたりするのだった。
ありがとうよ、妹。
それにしても女友達は貴重である。(男友達がどうでもいいわけじゃないが。)
最近、某・悪友が、女同士で好き放題にお喋りできるメーリングリストを作ってくれて、吐きたいことがあるとその都度メールしお喋りしているのだが、むかつくことがあればむかつく!と言えて、舐めて欲しい傷を見てよ見てよと言える場所があるのは、有り難いことだと思う。
とかいって、友だち自体がまず少ないので、そういう意味でも貴重なのであるが。
もちろん、むかつく!も舐めて欲しい傷も、ないに越したことはないですよ。
嬉しいことを嬉しいと、自慢し合えるのも女友達の良いところです。
「ネエ、オタクのクンちゃん、ブログじゃあんまり美猫じゃないみたいな書き方してたけど、じっさい、結構美人なんじゃない?」
なあんて友人に言われまして。
えーー、そんなあーーー、そうですかあ?
マア……。
そうなんですよねえ~(にまにま)。
鼻が尖って、フェレットキツネみたいですが。
美猫なんですよ。(親ばか)
しかしもの凄い暴君。
あっという間に、ふすまがベロベロに破けてしまって廃墟みたい。
「ちょっと!!タウンページ持ってきなさいよ!良純さん呼んできてよ!!」
家の端から端を猛ダッシュで駆けまわる「ねこはしる・クン」へ、毎日叱りつけています。
でも美猫なんです…(にまにま)。
太ももにでも乗せてないとジッとしていてくれないのでこんな写真ばかり。
けして太ももを見せびらかしたい訳じゃないです。
暴クンちゃんとの賑やかな生活に、だんだん慣れてきた今日この頃。
ただ、未だにときどき、ご飯をあげるときなんかに、うっかり、
「ご飯だよスー!シー!」
と、言ってしまう。
言って一人で、シンとする。
反省しているのもあるけど、自分でその音を反芻している部分もある。
そういうとき、スーも不思議なことに、シンとする。
遠い目をする。
だから余計、罪深い気持ちになるのでした。
夏休みのはじまりと共に、今年もまた誕生日がやってきた。
中華街で美味しいモノを食す。スタバのケーキを二個食べる。ルートビアをもらう。
しあわせ。
よし、バースデーは終了。
いや待った!!
毎年誕生日に何か目標を立てるということを、今までほとんどやったことがない。
大体守れなかったという過去の経験が、目標など作っても無駄だと自分へすり込んでいたからで。
しかし、今年は作ってみようじゃない!
いい年なんだし、そろそろ信じようよ、自分を!!
というわけで、目標を考える………と。
「信じる一年」
……アラ…もの凄い抽象的な目標になってしまった。
いや、でもこれ、適当に考えたわけじゃないのよ。
痩せる!とか、いっぱい芝居やる!とか、そういう具体的な目標にしようかとも思ったのだけど、いろんなコトをふまえて考えるに、私に今足りてないのは、「信念」であると、思ったわけ。
大体私って奴あ、極端に恐がりで、疑り深く(特に自分を)、人の話にも影響されやすいし、強く固めた信念も平気で折り曲げてしまうところがある。
そのせいで、人の思いやりや愛情をちゃんと受け止められなかったり、無駄に怖がったりして、つながりを大事に出来てないところがあるんじゃねえか。
それに、役者や脚本家にとって、自分を疑うというのも必要な要素ではあるけれども、例えば「自分の才能を信じる」だとかいう大事な要素が、私は時として決定的に欠けてるときがある。
「自信ない…怖えだ…!!(涙)」とかすぐ言うクセをどうにかしなきゃならん。
だから、今年はもう、信じる。
人を、未来を、自分をさ。
これはなかなか、挑みがいがある課題だぜ。
ブログってやはり、写真がアップされてた方が愉しいモノだ、とは思うのだけど、いちいち携帯から写メを転送するのが億劫でならず、地味に文字だけ綴る日々。
…だから、しばらくはうちのPCに入ってる写真でもアップすることにする。
無駄に賑やかし。だから特に日記とは関係ございません。
これは相川博昭氏による、花やしき再演の宣伝写真。
これとかね。何でこんな写真PCに取っておいてるのか意味不明。
近頃はえんぶのWS以外は家での仕事が多く落ち着いている…はずなのだが、ここ数日、嵐のクンちゃん到来により、なんだか色々慌ただしかった。
クンちゃんは、これまでに一緒に暮らしたどんな猫より暴れん坊であることが判明。
家の端から端をダッシュで駆け回り、登れるモノは椅子だろうが壁だろうが私だろうが登りまくる。
お陰で生傷は絶えないわ、突然背後から爪を立てられるのでドキドキしちゃってゆっくりテレビも観られない。
鼻が詰まっているので(クンちゃんがね)途中で呼吸が苦しくなり、ハッハッと犬の様に息を切らせていてドキドキ。
とりあえずは、そんなクンちゃんの鼻を治すべく、動物のお医者さんへ行く。
動物病院でのクンちゃんは、ヤケに大人しく、診察台でぺたりと横になったりする。
あまりのおとなしさに、獣医師さんにも「このくらいの猫ちゃんにしては元気がないですね…」と心配されたのだが、いやいや、うちじゃこんな様子じゃないんですよ、と猫をかぶっている猫を前にムキになって説明してしまった。
とりあえず鼻風邪のお薬をもらって帰ってくる。
家に帰った途端、またも大暴れ。
あのお医者さんの様子は何だったのかよ?!
薬は缶づめの魚をお団子状にして中に詰めたら、まんまと気づかず平らげた。おばかめ。ういやつめ。
見るからに野生の猿のごとく元気だし、もともと親猫ちゃんからのウィルスを引き継いでもらって来ちゃっただけの様なので、ひとまずクンちゃんに関しては大丈夫、と息をついたのだけど…今度はスーの元気がない。
クンちゃんがいるストレスでご飯を食べないのだ。
お水も飲まないし、なんだかだるそう。
ウチの効かないクーラーのせいで、夏バテもあるのだろう。
シーが来たときも食が細くなって痩せたのだが、あの時はどうしてたっけ??
今度は一気にスーが心配で落ち着かなくなってしまった。
このままじゃクンちゃんとは一緒に暮らせない。
もしかするとお返しするかもしれません…と、悲嘆に暮れてクンちゃんの元の飼い主である舞カンの松坂さんに電話。
クンちゃんの鼻水でも電話したばかりで、このところ毎日の様に松坂さんに電話して頼りまくっている。
松坂さんからは、「うちも猫が来たとき先住猫がそうだったよ、バラがあまり神経質になりすぎないこと」とアドバイス。
もっともだ。私はちょっとぴりぴりドキドキしすぎだ。
…とは思いつつ、もともとやはり、スーが寂しくない様にとクンちゃんを迎えたのに、これではどちらもかわいそうで、自分は間違っていたのかと、グルグル思い悩み、落ちこむ。
この時期心配なのは脱水症状だから、心配なら皮下注射の点滴を打ってもらうと良いよという松坂さんのアドバイスを頼りに、クンちゃんを病院へ連れてった翌日、今度はスーを連れてまたも動物病院へ。
ところが、最近通ってるT動物病院が水曜は休診!
しかし、このまま翌日まで放っておくのはどうしても心配だったので、点滴だけだからと、別の動物病院へ連れていった。
ところがこの病院がまあ~~~ひどかった!!
初めて行った場所だったのだが、医師は一人で助手もおらず、ぼろいし狭いしスリッパも汚い。
こちらの説明もろくに聞かず、
「子猫の親は野良ですか?半分ノラ?だったら三割四割は猫エイズか白血病にかかっている可能性がありますから、うつるかもしれないよ。血液だけじゃない。空気感染。」
とべらべら喋りまくる。それもわざわざ脅かす様なことばかり。
しかも連れてきたのは子猫じゃなくてスーなんですけど。
イライラして、とりあえず点滴を受けに来ただけなんで、と処置を煽るも、相変わらず脅し文句を絶えず喋りながら、備品はボロボロ落とすわ、スーへの扱いも口調だけは優しく、さも猫になれてますと言わんばかりで対応するモノの見るからに不慣れで手荒で、今まで病院でこんなに騒いだことないというくらいスーが暴れて大騒ぎ。
注射の際エリザベスカラーをつけると言われ、ウチのこはそんなに暴れないので…と断り、スーの頭を私と恋人、二人がかりで抑えていたのだけど、よほど点滴が下手だったのか、乱暴だったのか、あまりの痛みに混乱したスーは唸って暴れて泣き叫び、私と恋人の手にガブガブと噛みつき穴を開けた。
私と恋人の手は流血。
これは普通じゃない、とさすがに私も我慢できず、もう結構です!と言ったとき、ようやく点滴が終了。
このヤブ医者!二度と来るか!!と恋人と二人、憤慨しながら病院を飛び出す。
これでスーは医者嫌いになっただろう。かわいそうなことをしてしまった。
しかしまあ、点滴はやはり正解だったのか、帰宅してからのスーは少しずつ元気を取り戻し、ご飯や水もちょっとずつ飲む様になって、ホッとする。
あとは私が神経質にならず、ゆっくり見ていこう…と、ひとまずは落ち着くも。
「白血病と猫エイズ」
今度はこの言葉が気になってしまい、3日目、エイズと白血病のテストをしにまたもクンちゃんを動物病院へ。
これで三日間、病院通いである。
T動物病院へ行き、あのヤブ医者の行った件を話すと、血液検査をしてもらえることに。
それから、万が一猫エイズの場合でも、性交渉や深い傷を負う様な喧嘩をしない限り、普通に暮らしていれば感染はしにくいこと、白血病の場合も、健康な成猫の九割は免疫力があるため、そんなに簡単には感染しないこと、などを丁寧に教えてもらった。
ちなみに、先日猫ドックへスーを連れて行ったときは暴れましたか…?と聞くと、かなり細かい検査をしましたけど、そんなに暴れた記憶はありませんでしたよと言われ、ますますあのヤブ医者が憎くなる。
もうこの病院が休みでもあんな場所へは絶対に連れて行くまい。
T動物病院はお医者さんは良いのだが、助手が使えない女でお調子者なところが唯一いや。
今日も猫をかぶって診察台で寝て見せたクンちゃんだが、借りてきた猫の様ですネエなんて助手二人と話していたら、そのお調子者は「いつもはこんなふうじゃないんですかあ?」などと笑いながらクンちゃんの両腕をかかえてもちあげ、いつまでも空中でブラブラ揺らしていた。
おい。緊張してるだけかも知れないだろ。
他所様んちの猫をブラブラするんじゃねえよ。オメーがそうされたら嬉しいか。
今日のところは先生が丁寧に対応してくださったので鬼の顔を見せずに我慢したけど、もうちょっとでお姉さん、あんたの頭をスパーンと張るとこだったぜ。
結果はどちらも陰性!
子猫だけにまだ確実な判断がしづらいので、念のため、一ヶ月後くらいに再検査をしに行くことになったけれど、ひとまずもの凄くホッとした。
家に帰ると、クンちゃんは相変わらず借りてきた猫状態の化けの皮を剥ぐかの如く暴れ、スーもそんなクンちゃんへの警戒心を少しずつほどいてきた様子で、ようやく少しずつ平穏な日々が戻ってきたようです。
この先二人が仲良くなるかはまだわからないけど。
ひとまずもう少し、ゆっくり様子を見ていこうと思います。
ホルモンてこわい。
といっても腸のことではなく。(マルチョウが食べたい)
ホルモンバランスのことね。
昨日はPMSのせいで一日中体が熱っぽくだるく、二日前から気分の浮き沈みがもう、ホルモンバランスとはこれほどに心を狂わせるモノであろうかというほどに激しい状態で波打っており、どうにもグロッキーで立ち上がれずに、楽しみにしていた予定もキャンセルし、一日中スーとクンちゃんと寝て過ごす。
むかしむかし、大島弓子の漫画で生理前の三日間は最悪…みたいなエピソードを読んだとき、三日間も続くこたないだろ、と大げさに受け止めたものだけど、これはまったくもって現実的な話であった。
今月も我ながら情けないほどホルモンに踊らされている。
そして昨日寝過ぎたためか、朝はほとんど眠れぬまま長い一日の始まり。
午前中はKAKUTAの次回公演PR写真用撮影。
久々に劇団員に会って、なんだかテンションが上がる。
カメラマンの相川さんが今日は日曜日だからと愛息君を連れてきていたのだけど、ここ数日クンちゃんとべったり過ごしていたせいで、思わず愛息君にもクンちゃんに対する様なべちゃべちゃ言葉で接してしまい、愛息くん、ギャアとのけぞる。
それにしても相川さんのお子は、お目々ぱちくりで非情に愛らしい。
相川さんとは似ていない。
相川さんは違う意味で愛らしい人だが。
良い写真が撮れて大満足で昼過ぎ早々に撮影は終了。
そのままうちに帰って爆睡したいところだけど、19時からはえんぶのWSがあるため、そのまま昼から夕方までガッツリ劇団員たちとお茶して過ごす。
はてさて、こんなに長時間、劇団ごとの用もなくお喋りしたのはいつぶりか。
絶えずPMSのひたひたした睡魔が根底に流れながらも、貴重な時間である気がして色々話す。
眠さのランナーズハイもあって、自分の口が恐ろしいほど良く回る。
稽古時間が近づいてきて、慌てて本日のWSカリキュラムを見直した。
えんぶのWSは、回を重ねるごとに面白くなっている気がする。
誰にでも得手不得手があり、ノリのスピードも様々ながら、徐々に、共に楽しむものへ向かわんとするスピードが上がってきている気がして、ちょっと嬉しい。
台本稽古では、久々に「南国プールの熱い砂」をやっている。
この戯曲は若々しくてハイテンションなので、見る方も楽しい。
やっぱり若い子たちがやる作品だと実感する。
そして22時。ほぼ貫徹のなか、長い一日が終了……と思いきや、まだこれから、今日撮影した写真の選定なぞもしなければならないのだが、さすがの睡眠不足で体が鉛のごとき重さ。
寝てしまっても良いのだけど、なんだか耐久マラソンの様な気がしてきて、我慢しておきていたい気もする。
ともかく体の状態に反し、非常に充実した一日であった。
後はホルモンによるこの胸のざわつきが無くなりさえすれば、最高なのだけど。
今日は夜からえんぶゼミのWSへ。
そうなんですよ。講師として。
今そんなこともやっているんです。
男性が少ないと聞き、ウチの男勢を連れて行く。
若狭、横山、馬場、佐藤。
嗚呼。まだ若い、まだまだ若いと思っていた私らですが、10代から20代のえんぶゼミの子たちに比べればもうもう、こいつらすっかりオッサン…。
年齢だけ見ると立派な中堅だよ(涙)。
佐藤が「最近みんな、WSに参加してくれる人たち、俺を呼び捨てにしてくれないんだよなー」って。
当たり前だよ。
もうすぐ35のオッサンにいきなりタメ口きく奴なんて、あんまいねえよ。
「それはもう、しょうがないんじゃない?年的に…」って、馬場の方が慰めたりしてさ。
でもタメ口で話して欲しいんだよ~と言っている佐藤は、しみじみ精神年齢が少年のままナンダネ…と私、逆に心配で遠い目になったよ。
先日、北九州へいった際に、プロデューサーの能祖氏に「北九州行ったらあのお坊さんに会わなきゃ」と勧められ、小倉のお坊さんに視てもらいに行った。
まだこちらが何も話さぬウチから具体的なことをズバズバと当てられ、まるで私のことを子供時代から知っているかのように性格を言い当てられ、すっかり度肝を抜かれつつ、せっかくなのである相談事をしたら。
「あ、それは全然大丈夫」
といとも簡単にGOサインをいただいた。
というわけで。
我が家に新参者がやって参りました。
その名もクンちゃん。
むちむちした私の足の上で、到着初日からこの熟睡ぶり。
電車の中でもグッスリ寝られるその図太さ逞しさ、大物を匂わせます。
くらもちふさこ先生「いろはにこんぺいと」に登場する逞しい小さな女の子の名をいただき、クンちゃんと名付けました。
実は「青春ポーズ'72」という舞台で私が演じた役もクンちゃん。
この役もくらもち先生の漫画から勝手にいただいたのだから当たり前ですけど。
シーが去って以来、不思議なことにいろんな人から「猫を飼わないか?」というお誘いが来た。
あれから、先住猫のスーはやけに甘えん坊になって、それは当然と言えば当然なのだけど、遊び相手がいなくなり寂しいのではないかとずっと気がかりだった。
とはいえ、シーのかわりになる子などいるわけもないことはわかっていて、今でもシーに逢いたくて眠れなくなる日もあるわけで、新しく誰かを迎えるかどうかはずっと逡巡していた。
私だけでなく、ウチの母も心を痛めていたので、一度はお預かりしますといった子猫を結局お断りしたこともあったし、知り合いの知り合いで猫を飼いませんかといった人が結局手放すのが寂しくなったと逆に断られても、逆にホッとしてる自分がいたりもして、このままタイミングが合わないならそれで良いのかもと思ったりもした。
しかし、この子はやって来た。
生まれたのはバンダラコンチャの舞台監督の松坂さんのおうちである。
興味あります、本気で興味あります、と言いつつ、どこかで悩み続けていた私。
だけど、北九州のお坊さんに話をしたとき、いともあっさり「大丈夫」と言われたことで俄然勇気が湧き、「イタズラなKiss」の脚本が上がったら迎えに行くと決めた。
お坊さんは、あなた誰かと別れてきたでしょうと、急に言い当てた。
そして、あなたその子のことをとても大事にしていたんだねえと仰って、しかしもう、私がシーの霊を乗せているわけではなく、終わったことであるという様なことを仰った。
私はシーが取り憑いてそばにいたらいいのに、くらいに思っていたから少し残念だったけど、シーはもう天国にいって、私の悲しみだけが残っているのかも知れないと思うと、そろそろ前に進むべきなのだろう、とも思った。
そして、この子はやって来たのだ。
クンちゃんが。
緊張の対面・・・・・。
シーが来たとき大変だったから、今回もそうだろうと思ったが、思ったよりもスーは怒らず、どちらかというと、ちょっと興味津々。
しかし…、
シャー!
一応、立場関係はハッキリさせたい様子。
「あんた!私を舐めるんじゃないよ!」
やがてスーはその場を逃げる様に離れ、押入に行くも…。
家政婦の様にそっとクンちゃんを観察。(ホントにこのまま10分くらい見ていた)
シーが来たずっと後に拾い、今は演出助手の田村宅で幸せに暮らしている猫・ひなたがうちへ来た時は、かなりのやんちゃ坊主であるひなたに気圧され、ずっとスーも興奮状態。これはとてもじゃないが一緒に暮らすのは無理だと思ったものだが、お…今回はうまくいくかも…という気がしています。
初日から堂々の眠りッぷりのクンちゃん。
目が醒めると、私の唇に顔をこすり合わせ、喉を鳴らす。
鼻炎持ちなのか何なのか、クンちゃんは喉が鳴るとき、時折「ブヘー」と鼻も鳴ります。
実はおうちに連れて帰ったときも、「本当に良かったのだろうか」という想いがどこかで消えずにいた私。
スーにとって良いのだろうか。シーは許してくれるかしら。
なにより、私はスーやシーの様に、この子を愛せるだろうか。
だけど、ブヘーまじりのゴロゴロを聞き、前足でちょんちょんと顔をつつかれていたら、なんだか泣けてきて、それまで名前もなかなか決められずにいたのに、
「クンちゃん、あんたはクンちゃん。今日からうちの子だよ。ヨロシクね」
と言っていました。
キツネみたいな顔のクンちゃん。
シーほど美人じゃないかもね。
最初のウチはそんな風に思ってしまうのも許してね。
スーと仲良くなってね。
長い付き合いになるね、よろしく。
…と筆字で書かれた詩集に励まされた中学時代を過ごしました桑原です。
今私は声を大きくして言いたい!あなたがんばれ!
脚本が上がり、ようやく解放されたーー!!と両手を伸ばした瞬間、「10P削るように」とお達しが来て泣く、そんな夜。
いやはや、その日書き終えた脚本をその日のうちにカットするってものすごい切ないですな。
締切に遅れた自分が悪いんですが。
「またあんたさあ」という台詞の「また」だけ、あるいは「今日はどうするの」の「は」だけ取るという様に、地味に行間を詰める姑息なカット作業が終わったところです。
台本を書いているとき、台本でないことを考えるときは、本当にとりとめのない思考が全く関連のない連なりで出てくるものですね。
唐突に次回作が書きたくなって思いつくことをメモしたり。
嵐のバラエティ番組を見て1分以内に泣く練習をしたり。
急に、私はなぜ今舞台に立っていないのー!と悲嘆に暮れたり。
マイケルジャクソンのことが、CDも持ってないのにショックで、そのくせ誰かのブログタイトルに「MJ」と見つけたら、すっかりみうらじゅんのことだと勘違いしてブログを見に行った自分に打ちのめされたり、東ちずるが自身のワイドショー番組でマイケルについて語っていて、彼の負債の話題で「良いマネージメントするひとがいなかったんでしょうかねえ」とのたまったとき、「いるに決まってんだろバーカ!」と、なぜかしばらくいらいらしていたり。今さら猛烈にマイケルのPVが見たくなったり。
と、台本のこと以外でも、思考が忙しくなります。
いやこう書くと、主にテレビを見ているな。
台本のことを忘れている訳じゃ決してないんですけどね。
ああそれにしても、とにもかくにも、なににつけても、お芝居がしたいわ!
とにかくねえ、台詞を喋りたい。
なんかもう、ウチで誰か、一緒に台本を読んでくれないか?!
それで三時間くらいぶっ続けでウチの和室でエチュードしようぜ!!
そして、誰も知り合いのいない土地で、オーディション受けるんだ!
そんな気分。
こうなにか、沸き立つのは、台本を書いてたからと言うのもあるけど、先日オーディションをしてきたのもあるのだと思う。
受けてきたんじゃなく、してきたんです。
北九州へ!
が、眠いのとさっきから胃が痛いのとで今日はもう、ネットの通販ショップを覗いて寝ます!!
実は今、日記なぞ書いている場合ではない。
仕事をせねばならない。
そういうときに限って、全く知らない人のブログを長々と読んでしまったり、その人について想像を巡らせ、一人で納得したりして、無駄なことばかりしてしまう。
だから私はネット環境のあるPCで書きごとをやってはダメなのだ。
ここ二日、見知らぬ人のブログを二種類、長々と読んでしまった。
ひとつはゲームオタクらしい、おそらく同い年くらいの、全く見知らぬ人のゲームプレイ日記。
もうひとつはちょっと気になった作家さんの古いブログから現在のブログまで。
普段はそこまでブログをまめまめしく読んだりする習慣はなく、ふと最近連絡を取ってない友だちの近況を「おっ、アイツ元気にしてっかな」という感じで覗きに行くくらい。
だけど、一度誰かを気になり始めると、それこそ何時間もかけて、その人が長年かけて書き綴ったであろうブログを一気にむさぼり読んでしまう。
その動機はというと本当にくだらなすぎてお恥ずかしく、仕事もせずになにしてんだと怒られるのだが…。
「この人と友だちになれるかな」ということが気になって、仕方ないからである。
こう書くと、なんだかカワイイ動機に見えるかも知れない。
お友達になりたいな。この人が好きになって次々読んじゃった、という感じがする。
だが、違う。
むしろ逆なのだ。
もともとは深い動機もなく、ちょっとこの方の日記面白いじゃない?と軽く読み始めたり、あのエッセイ書いてた作家さん、好きなものが近いし面白いし、仲良くなれそうなタイプだなあと思ったりして、ふらーっとブログを覗きに行ったりする。
ここまでは純粋な親近感や好奇心が出発点で、ブログを読み、ますます好きになったりする人も、もちろんいる。
ところが。
もともと好感を持って読み始めたブログの記事中に、「アレ?この人のこの感覚、好きじゃない」というものを見つけてしまうと、今度はどうして好きじゃないと感じるのか、を、追求せずにおれなくなる。
それで、自分の中でそのブログを書いている人をあれこれ想像し、この人のどういうところが自分と合わないんだろうか、実際に近くにいた場合どんな風に関わるだろうか、じゃあ私はこの人にどう写るんだろう?なんつうことまで考え始めてしまうのだ。
合わないなこの人…と思うほど、読みあさり、最初に抱いた好印象はじゃあ何だったのだと追求し、結果、何時間もかけて読んだ挙げ句、「この人とは仲良くなれん。…かもしれんが、会ってみなきゃわからないよネ☆」などという、心底どうでもよく、身も蓋もない結論に至ってようやく、読了。
ブログを閉じるのだ。
ここ二日読んだ知らない二人のブログ。
ゲームオタクの彼は文章は尖ってて冷酷そうだけど、実生活は大人しいタイプで、偽悪的な記事を書く割にコメントに「実はいい人ですね」と言われたら喜んでるのも見えるし、30歳を過ぎて未だ親と合わないとか書いてるところから見て、邪悪ぶったひねくれ者だけど内心はヒーローに憧れるプライドの高いお子様と見た。
仲良くなれない。
…こともない…か。
気になって覗いたあのエッセイの作家さんは、エッセイにあるのは白彼女で、ふんわりしたイメージだっただけに、ブログは黒い彼女も見えて面白いけど、黒彼女の部分にちょっと品がないから、実際にあったら引くときがあるかもな。ファッションや容姿で軽く見下してくるタイプかもしれんけど、もし見た目の趣味などと関係なく仲良くなれたら、実は地味な部分で気が合うかもしれん。
仲良くなれない。
…こともない…か。
うん。
おーーーまーーーえーーーは
なーーーにーーーさーーーまーーーだーーーよ!!!!!
ブログで人を知った気になりやがって、そんなお前は何なんだ?
仕事もしないで朝方までダラダラくだらねえ駄文書いてる暇人だろがコラア!!!
お土産用に買ったマカダミアナッツチョコを自分で封開けて食っちゃってるだらしねえ女がヨオ!?
人様を分析してる余裕があったら、居酒屋・東方見聞録で同じ日に三度も迷子になる己のプッチンプリンみてえなツルツル脳を分析しろってんだこの、すっとこどっこいの貧乳がア!!
ハヒ!!ごめんなさい!!!
勝手なブログプロファイルを繰り広げる自分の傍らで、もう一人の聖なる自分に怒号を挙げて叱咤されました。
仕事に追われているときに限ってこういうコトをしてしまう。
莫大な時間を浪費して見知らぬ人と相性診断をしている自分に気づくたび、しみじみ呆れてしまうが、そもそもブログってやつは公開日記なのだから、人様の日記を読んで妄想するのは至極当然だよなーとも思う。
私も私のような人に、この吐露部屋を読んで「仲良くなれん」と思われているかも知れない。
だから一応、言っておこう。
言わせて。
会ってみなきゃわからないよ!
ハワイのラナイでひとり、やわらかな風に吹かれてたときね、白い鳥が飛んできたの。
それで思ったんだ。
鳥さん、私もあなたみたいに、この空で飛びたいナ…。
なんてな!!!
ちょっともうさあ、いいかげんにして自分!
ウットリ気分で読みかえしたら何!?最近のアタシの日記。
全体的に!全体的に!微妙に乙女ぶって書いてる感じが気色悪くて胃もたれ!
地味にかわいく見せたがる悪あがきを自己発見!!自己嫌悪!!
写真も、普段は伸びきったスウェットでご近所ふらついてるクセに、こんなときばかり眉毛がしっかり乗った写真を厳密にチョイスしやがって。
これとかなに?!
しょっぱい!!!
誰に向けた水着!?
南国なのに、寒い!!!
去年からやってるPS3の「FALLOUT3」をまだしつこくプレイして、ギャヒヒ!ブッコロシテヤル!!お前は死肉のカタマリだ!!などと悪人声で毎夜叫んでるクセに、鳥さん…じゃないよ。
いやその、ハワイのラナイに飛んできた白い鳥さんね。
「かーわいい」なんつって乙女気分でポテトチップスをちょっとあげたらば、
ヒー!
ドンドン集まってきて、軽くヒッチコック。
と、鳥よ!調子に乗りたもうな!
「お、おい、もう店じまいだ!!」
風に吹かれてポテトチップスが私の元へ舞い戻ったときは、いきおい鳥たちまで襲いかかってくるのではないかと怯えてのけぞった私の様は全く美しい光景に馴染んではいなかったと思う。
シュノーケリングでは美しい魚に魅了されて本当にときめいたけど、同時にがぼがぼ海水が口に入ってきてそのうち「海=味がまずい」に脳がシフトし、魚に心奪われつつも
「味!味がアアア!!」
と脳の半分が塩の味に意識を侵されていたことも記述しておかねば。
そんで、散々美味しいモノ食べて帰ってきたよ☆なんて書いている今、そのしっぺ返しで未だ激しい胃もたれに悩まされ、PCの前に座っていても、
「ウオウッ!!ヘエエッ!!」
などという、恐ろしい嘔吐きが時折突発的に漏れてしまうこともな。
それやこれや、眉毛のない私をもひっくるめて、
アタイ(もはや私ではなく)、ハワイがだーい好き!
っと、
久しぶりに会った人には毎回「アレ?喉疲れてる?」と聞かれてしまうナチュラルガラガラ声で叫ばせてもらおうじゃないよ。
ギャース!!!
アー、スッキリ…てへん…。
人間ほんとね、自分を曝すならむき身にならなくちゃな。
「水着なんて、ホントに痩せてから載せろよな」
私の中の渡部篤郎(風の声)に言われた気がしました。
蒼い海……。
白い砂浜……。
爽やかな風……。
南国の花の香り……。
嗚呼、ハワイに行きたい……。
なんつって!!
もう行ってきちゃったもんね!!!ギャヒー!!
ハワイのバケーションから帰ってきたよ。
ただいまーーっ!!
…食べ過ぎか。
あっ、ウフフ、ゴメンナサイね。自慢めいた写真(意図的)。
人の、太りゆく様を見るが良い。
至福で肥えて、激務で痩せる。
そううまくいけば良いんだけど、明日からはまた、汗みずくでコアリズムをやることになるだろう。
「ところで金はあるのか?」
エ・・・。
「お仕事大丈夫?」
あ・・・。
「執筆の締切は?」
う・・・・・、
うるへーーー!!!
チャンと働きましたとも。お金貯めましたとも。
優雅に遊んでる場合じゃないと嫌味のひとつでも叩かれようなら、アタシ暴れるわよ。
去年からズーーーっと、この機会を待っていたんだから。
ブラジルの時も。
WSの時も。
Kの時も。
KAKUTAでも。
バンダラコンチャでも。
休みなく働いても、ハワイへ行くことを思って頑張れたというもの。
時にハワイアンのCDで己を慰め、部屋をハワイ風に模様替えして(全然出来てないが)心を静め、しんどいときはハワイ雑誌でつかの間の旅行気分に浸り、何ヶ月も前から激安ツアーを探し続け、
「部屋をオーシャンビューへアップグレードさせるにはおいくらですか?」
英語の練習までしていた。(結果、英語なぞ使わずともアップグレードできたわけだが)
それにしても、なぜここまでハワイに惹かれるのか、自分でもわからない。
自分がハワイに行くまでは、同じくハワイが好き!という人を、どこかリゾートかぶれしたやつらめと小馬鹿にしていた私。
だけど、町中に溢れる花の香りや、あのカラッとしているのにやわらかい風や、キラキラしたブルーグラデーションの海を目の当たりにすれば、誰もが惹かれる理由がわかる。
リゾートでバケーションしているというステータスに魅了されるのではないのだなと、行ってみてわかる。まっこと純粋に、海、風、太陽、花、音楽…そこかしこに溢れるアロハスピリッツに心奪われるのだ。
もちろん、ショッピングも愉しいけどね。うへへ。
ハワイに行くまでに何冊もハワイ本を読んだが、橋口いくよさんの「アロハ萌え」というエッセイがまさに、ちょっとおい、ここまでか?と思わせるほどハワイの虜になった人の心境を代弁している。
読んでいるとき自分は日本にいるから、羨ましさに歯噛みするほどなんだが、梅宮アンナがハワイでお洒落自慢してるようなたぐいの本とは違い、ミーハーと言われてもハワイが好き!という、なんつうか「素人っぽい目線」があるので、自分も同じ気持ちだから、友だちと一緒に「そうだよねっ、ネッ!」と言い合っているような気分になって面白い。
ミーハーだろうが、好きな物は好きと言っていいのよね。
ところで去年新しく買った携帯は、海外でも普通に電話できるものだったらしく、お土産で迷ったときはお母さんに電話して、
「VネックのTシャツで良いのがないんだけど、クルーネックでも良いの?え!?どっちがいいの!?」なんつう話も出来て非常に便利だったのだが、観劇のお誘いとかお仕事の進歩状況とか現実的なメールもどしどし入ってきて、利便性は時に私を夢から引き戻させた。
しかしま、旅行中は無理に返信せず、シュノーケリングしたり買い物へ行ったりと存分に楽しんでくることに。
めいっぱい楽しんで、だからまた仕事を頑張れるんだわ。
その証拠に、なんか今、すごいやる気だもんね。
…明日までこのやる気が続きますように!!(切実な願い)
「美味のおまけ」
ハワイでアメリカンフードをこれでもかと体験してきたものの、空港で飛行機に乗るまでの間にあるお茶漬け屋さんも大変美味であった。
冷や汁に、だし汁茶漬け。
これは日本だからこその良さよねえ。
立て続けに更新してみる。
あるところへプロフィール写真を提出せねばならず、とはいえ自分が持っているのは、
こんなのばっかで、全くプロフィールとして機能しない(もしくは間違った方へ機能する)写真ばっかりだったので、途方に暮れてネットで自分を画像検索してみたら、知らないところで新聞に出ていた。
いや、知らないところでって言うのは正確には間違いで、そういえば山形公演でワークショップをした際、新聞の取材が来ていたのだが、その掲載が既にされていたことをすっかり忘れていたんだった。
それにしても、この記事の写真だけを見ると、私はどんなことさせてんだって感じの演出家だ。
私のワークショップに参加したばっかりに、こんなおもしろ顔を地元の新聞に載せられてしまった彼っていったい・・・(すいません)。
と、そんなふうに探してみると、少し前に、大好きな女優さん駒塚由衣さんのラジオに出演させてもらったのに、お知らせもしていなかった不義理な自分も再発見。
今さらだけど載せておきます。駒塚さんの声は素敵だし、私もちょっとビックリするくらい、珍しくまともなことを言っているので良かったら聞いてみてください。
「駒塚由衣のStanding on stage」
思えば私は、自分の宣伝と言うことが、今ひとつちゃんと出来ていないことが多い。
宣伝してれば芝居観に行ったのに…とか、お知らせくれればテレビ見たのに…と何度言われてきたことか。
少し前思い立って数えてみたら、KAKUTAと客演含め、これまで立った舞台が70本あった。
こんな多いはず無いぞと何度も数えたが、やっぱり70本ある。
脚本や演出、映像やイベントを加えれば、ええと…数えるのやめた。
しかし、これだけやってきたのなら、もっとセルフプロデュースが上手になっていてしかるべしなのに、ちっとも成長していない自堕落ぶりは、人気稼業である役者としてあるまじきことではないか。
今日、いきなり山形新聞を見つけて反省した私は、今後はダッタン人の矢よりも早く、自分を宣伝していこうと思った次第だ。
というわけで次は、こんなのをやります。
「イタズラなKiss~卒業編」
●東京公演●→博品館劇場
2009年7月29日(水)~8月9日(日)
●神戸公演●→新神戸オリエンタル劇場
2009年8月12日(水)、13日(木)
原作:多田かおる
作:桑原裕子(KAKUTA)
演出:堤泰之(プラチナ・ペーパーズ)
出 演:安倍麻美/青柳塁斗/中川真吾(D-BOYS)/佐藤雄一 永岡卓也 仲原裕之(Studio Life)
川隅美慎 上鶴 徹 /折井あゆみ 長谷川 桃 仲原舞 相沢美衣 葉月あい 矢崎美香
/小塚つかさ 成清正紀(KAKUTA) 西海健二郎(SET)/岡まゆみ
http://www.ita-kiss.com/graduation/
おお!!当劇団の、年々ほくろが移動し拡大し続けるアイドル☆成清タンの名前があるじゃないか!
更に岡まゆみさんといえば、歴代「まんがはじめて物語」の中でも最も好きだったお姉さんである。
テレビの前で元気に「くるくるばびんちょ ぱぺっぴぽ、ひやひやどきっちょの、もーぐたん!!」と叫んでいた幼い頃の私よ…ヨカッタネ…!
そしてそして、多田かおる先生と言ったらあんた!!
「イタズラなKiss」はもちろん、「愛してナイト」から「君の名はデボラ」「ティーンズブラボー」に至るまでガッツリ愛読し、更に多田先生が、私の愛してやまぬくらもちふさこ先生(私の聖書は「おしゃべり階段」)や、聖千秋先生(「そーだ!そーだぁ!」も「イキにやろうぜイキによ」ももちろん所持)とも仲良しでらしたというプライベート話を知るにつけ、ますます「私は多田先生と心が通じている」と勝手に妄想を抱いてきたほどに大ファンの漫画家さんである。
お話をいただいたとき、ファン過ぎて最初は断ろうかと思ったほどであるが、こんなチャンスを逃すバカはうちに帰っちまえと思い、勇気を出してやらせて頂くことに。
壊さないようビクビクしたりせず、愛を込めていこうと思います。はい。
自分の宣伝をしてたんだけど、漫画の話書きたくなったからちょっといいかい。(こういうところがいけないのか)
私が最近、最も新刊を心待ちにしているのは田村由美先生の「7seeds」だけど(激面白い)、こないだ読んだ吉田秋生先生の「蝉時雨の泣く頃」という漫画が、マー!!!素晴らしくてね。
上記に挙げた先生方しかり、これだけ長い間漫画家を続けてらして、そしていつまでも色褪せず胸を熱くさせる漫画をお描きになっているというのは、なんて素晴らしいんだろうと感嘆せずにおれません。
漫画だけは色褪せないね。演劇もそうありたいぜ。
ところが、近頃の漫画喫茶は、シャワーがついたりフラットシートで眠れたり映画もゲームも出来てすっかり快適空間作りに余念がないくせに、その分というか、漫画の種類が減っている気がして、どうにも納得いかん。
ウチの近所の漫画喫茶なんか、特に少女マンガが異様に少なく、多田かおる先生も先生もよしながふみ先生の漫画もろくに置いてなくて、私としてはご立腹。
漫画を読むから漫画喫茶だろう!?
過去の名作も読めるのが漫画喫茶なんじゃないのか?!
フラットシートを増やすより、そのスペースに少女マンガを置いてくれ。
終電で帰れなくなった人だけじゃなく、ただ漫画を読みあさりたくて行く私のような漫画好きのために。
いやあ、楽屋…良かったなあ。
チケットを譲ってくださったさつまやさんの若旦那に感謝。
え!?ゆずってもらった?!
そのラッキーすぎるいきさつはと言うと。
あの鹿児島到着日。
さつまやさんに行く道すがら、車窓から美しい茶畑を眺めつつ、
「イヤー、こんな場所でイケメンと旅の出会い、なんてこたア、ないんすかねえ」
などと軽口をたたいていたときのこと。
榎木さんが異国の地で一目惚れした女性がいたとか、近藤さんがかつて一目惚れされた女性は、なぜか頭にホコリが落ちてくるひとだった(意味不明)とか、そんな皆さんの過去のモテ☆メモリアルを根掘り葉掘り聞いていたらば、榎木さんが、
「そう言えばこれから行くさつまやさんの若主人は男前の子だよ、同い年だよ!独身だよ!」
なんて話し出したもんだからもう、
「バラちゃん、良かったね!」と、
「ゆくゆくはさつまやの女将だね!」と皆が女子校ノリで色めきだち、
さつまやに着いた後、若主人・前田さんが、今月東京に来て「楽屋」を見るのだが、チケットが一枚余ってる…なんて話になった日にゃあ、
「一緒に行かせてもらいなよ!」
「すいません!この子まだ見てないんです!」と、半ば強引に譲って頂くことに。
最初こそ調子に乗って「じゃあ来年は鹿児島の嫁として皆さんをマッテマス!」などと信じられん図々しい冗談を言っていた私も、さすがに慌て、
「い、いいですいいです!!自分で行くんで!!」
とバタバタ手を振るも、なんとそんな初対面の私に、前田さんは快く「じゃあ一緒に」と、マジでチケットを持ってきてくれたではありませんか!!
結局本当にチケットをいただいてしまい、その場で連絡先を交換。
いやはやあたしね…ホント申し訳ないやら、お恥ずかしいやらで、中学のもてなかったデブ時代、三年の浅野先輩から、卒業式に無理くりネクタイを頂戴した思い出が蘇りましたよ…。
しかし、中学の頃より体重は減っても、神経は(だいぶ)図太くなった私。
遠く離れた東京と鹿児島。バンダラがなければ出会うこともなかったと思うと、こんな風に人と繋がるのって愉しいもんだなあ、と思ってきて、有り難く前田さんのご好意に甘えさせていただきました。
ありがとう!若旦那・前田くん!!記念にパチリ。
観劇後、せめてお食事くらいご馳走させて欲しい!と、夕ご飯を一緒に。
色々お話伺っていたらば…聞けば聞くほど、こちらの同い年・前田君は、鹿児島・伊佐市のカリスマであった!!
例えばね、こちら。
何だと思います?
これはなんと、伊佐市の新しいゴミ袋。
ゴミ袋!?か、カワイイ!!思わずゴミを捨てるのが勿体ない!って思ってしまうでしょ。
しかしまさに、そこが狙い。
カワイイな、使うの勿体ないな、だからゴミを減らそう…というコンセプトを元に作られたゴミ袋なのです。
んで、なんとこのアイディアを生んだのがこちらの前田君。
え?お食事処・さつまやのご主人でしょ?と思うでしょう。
そうなんです。彼、あの美味しい黒豚の食事をご馳走してくださった料理人でありながら、このゴミ袋を自分で発明し、直接市長にお話に行ってこのアイディアを通したんですって!!
す・すげえー!!!!!
ゴミ袋だけでなく、合併したばかりの伊佐市の新CMを考えたりもすれば、あの満員御礼だったバンダラコンチャ鹿児島公演の宣伝をしてくれたのもこの彼だとか!!
す・すげえー!!!!!
「市の名物がカワイイゴミ袋ってのも、良いでしょ?」
桜の柄だけでなく、水色のドット柄だったり、動物のイラストが描かれていたりと、何ともキュート。
ゴミをなくそう!とただエコを呼びかけるよりも、自分が勿体ないから使いたくない、というところでゴミを減らせばというアイディア。
なっるほどなあ~!
恐るべき同い年。郷土愛というか、人間愛にあふれてる。教育、芸術、福祉、様々な目線からみんながハッピーでいられるようなアイディアを絶えず考えている彼に、同い年のアタシはなにやってんだと頭を垂れ、その行動力に、シャッポを脱ぎましたよ。
あなたは、鹿児島のイケメン知事になるべきだ。
東京の恐るべしぐうたらな同い年である私に言われてもなにをかいわんやですけど、そう言わずにおれなかったのでした。
散々語らって、今度は秋にKAKUTAを観に来てねと約束しお別れ。
何とも不思議な旅の出会いですが、愉しく満たされた夜でした。
鹿児島伊佐市を訪れたら、是非ともキュートなゴミ袋をお土産にどうでしょう?
昨日の水戸公演で「相思双愛」、終了しました。
劇場は立ち見のお客さんもたくさんいらしたとか。うれしい!!
ご来場頂いた皆さん、ありがとうございました!!
「いらしたとか」とあるとおり、私は千秋楽に行けませんでした。
とある映画の撮影です。朝の6時集合!とのことで、田舎者の私は朝4時半に出発。
舞台は色々やってきたものの、映像の経験は少ないので、もう最初のドライから緊張のあまり、ものすごくボンヤリしてしまい、自分が書いた台詞なのにまったく出てこなくて気絶しそうになった。
しかしとても楽しい撮影でした。また時期が来たらお知らせしますので。
んで、ヘトヘトになって夜22時頃。
無事千秋楽を終え、打ち上げを開始したらしい真紀さんから留守電が入ってた。
聞けば、キャスト4人からのお疲れメッセージ。
あたし・・・あたしさ・・・泣・い・ちゃ・う・ぜ・・・!!!
ありがたくて、またみるみる元気が湧いたよ。
ホントにスタッフキャストの皆さん、お疲れ様でした!!!
ありがとうございました!!!
沢山の素敵な出会いをくれたバンダラコンチャ。
今日も実は、そのバンダラのご縁で、嬉しいことが。
鹿児島公演の時にたいっへんお世話になった美味しいお店、さつまやさん(過去の日記参照)。
このお店の若主人が、なんとなんと東京に来て、一緒にお芝居を観てきたのでした!
何でそんな展開になったのかって?
いきさつを話せば、もーホント、お恥ずかしい話なんですがね…。
と、長くなるので次に書くとして、まずは今日観に行ったシス・カンパニー「楽屋」の話を。
楽屋。
たたみかける女優陣のパワフルなやりとりも素晴らしかったけれど、とくに終盤のシーンは、やはりたまらないものがあった。
いつまでも来ない出番を待ち、役を与えられることを待ち、愛する戯曲の台詞を発し続ける女優たち。
それは良くいえば、情熱とか、希望を捨てない、とも言えるけど、どうしたって彼女たちのそれは執念であり、醜くも、みっともなくも、手放せないものであり、もはやサガ、なのかもしれず。
意地でもここに居座り続けてやる。
そうして待ち、いつか、この想いに報いてみせる。
だからすっかり骨の芯まで染みこんだ台詞を、心ゆくまで繰りかえすのだ。
今日も。明日も。この先ずっと長い夜を。
恐ろしい。と、心底思った。
恐ろしいが私の想いだ、と思ったら、どう我慢しても涙がこみ上げて、たまらなかった。
お芝居を観ながら、私も死んだらあの女優たちのように楽屋に居座り続けるかもしれない、と自然に思っていた。
引き続き「SPA!」の話になるけれど、久々に買ったら漫画「孤独のグルメ」が載っており、これまたかなり久々に読めて、嬉しかった。
「孤独のグルメ」は雑誌・PANJA(なつかしー)で昔連載していた漫画だけれど、食べるものがいちいち地味で、食べている人も地味で、「美味い」という感動の仕方も地味で、しかしそれが地味に、良い。
「ミスター味っ子」のように、うまさのあまり口から電光が走ったり、なんでかシャボン玉に飛び乗っちゃったりするよりも、私はこういう、東海林さだお的な地味めの感動が好き。
今むしょうに、おでんが食べたい。これはまさに「孤独のグルメ」の影響だ。
しかし私は今、ダイエットをしているのである。
理由は来るハワイに向けてであることは想像に難くないでしょ。
けれど、ハワイでビキニを着るため、というよりも、ハワイで好きな物を好きなだけ食べられるように、という理由だったりする。
ハワイに行くと、絶対に、間違いなく、どうしたって、哀しいかな、こらえきれず、太る。
太って帰国して落ちこむのも目に見えている。
ならば、最初に痩せておけばいいじゃないか!と、夜な夜なコアリズムで腰を揺らしているのだ。
しかし、痩せたいのに夜食なんてもってのほかだ!と心に決めつつ、ゆうべはペヤングを食べてしまった意志の弱い私だ。
カロリーメイトとかにすればよかった…。(食べるな)
ところでカロリーメイトってなんであんなに「いいかたち」をしているのだろう。
パッケージもビスケットの形も含め、カロリーメイトのお菓子デザイナーは、天才だと思う。
あの絶妙な厚みと、てっぺんのボコボコが、なんともいえず良いヨネ。
噛んだときのホロッとした食感と、舌に乗るざりざりした粉っぽさ、チーズなのか?というケミカルな味わいも、つい食べたくなる理由。
それから食品というより「レーション」的なパッケージがまた良いんだ。
内心はおいしいから買ってるのに、忙しいのでコレを食べます、みたいなかっこいー感じでごまかせる。
あのデザインはいつまでも変えないで欲しいと思う。
そして確実に言えることは、これ以上味の種類はいらない。
同じくパッケージも味も完璧だ!と長年思っていたキットカットは、近年いろんな味を出していて、ホント余計なことしてるぜ、と思う。
バナナ味も、イチゴ味もいらない!春限定の桜味って何だ!
チョコだけで良いんだ!チョコだけで!
時々、それらの亜種ばかりが店頭に並び、通常のチョコ味がないときもあったりして、キットカット社のバカ!と心で叫んでしまう。
もうひとつ、もし「キットカットのかなしみ」という作文を書いた場合、けして避けて通れないのは、あのキットカット独特のアルミホイルの包みがなくなってしまったことである。
あのうっすーい、ペリッとしたホイルが良かったのに!!
爪の先で包み紙にツラーッと線を引いて、食べたい分だけペきっと割るときの快感。
今じゃそんな快感は煙草のカートンを割るときくらいしか得られない。(しかもカートン買いをそんなにすることはない)
食べやすいように、とか、チョコが溶けにくいように、とかを考慮して包み紙を変えたのだろうが、溶けたならと溶かした奴が悪いのだから、そんなこた気にしなくて良いのだ。
キットカット愛好者は、ちゃんときんきんに冷やして食べるから良いのだ。
あの銀紙が、もっといえばあの銀紙の更に上にあった白っぽい薄紙が好きだった。
紙の無駄を省くエコを考えてのことだと言われたら何にも言えないのだが、フェリックスガムの中に入ってるくじが無くなっても同様の寂しさを憶えるだろう。
というわけで、カロリーメイトはいつまでも、変わらないでいてください。
先日買った「SPA!」で、微乳を持てはやす特集が載っていたが、微乳への褒め言葉として「小さめだけど形は良い」というようなことが繰り返し書かれており、決して貧乳を持ち上げるつもりはないという心意気をつかみ取ってうっすら寂しくなった。
男というのは許容が深いように見せても結局残酷なモノである。
微乳女子の対談が特集末尾に載っているのだが、対談を読んでいると彼女たちは本来「貧乳」のカテゴリで悩んできた方々じゃないだろうか。
その証拠に、色々共感できてしまった。
「微乳で美乳のお椀型」なんて、巨乳を探すより贅沢なモノじゃないかと思う。
どうでも良いことを熱く語ってしまったところで、またどうでもいい話が続くが。
旅公演へ行ってる間、久々にDSを開いた。新幹線の移動中などで重宝したDS。
だけどテレビゲームを夜通しやってもへっちゃらなのに、DSだとすぐ眠くなるのは何でだろう。
「どうぶつの森」だからなのか。いや、「逆転裁判」も眠くなって断念したクチだ。
釣りをしている最中眠っており、気がついたらそばにいた動物たちがえんえん魚を釣った私に拍手をくれていた。
きっと長らく拍手させてしまったろうと動物たちの赤くなったてのひらを想い、申し訳なくなる。
寝てる間に充電が切れ、リセットさんに怒られることもしばしばある。
DSは長時間ゲームさせない電波でも出ているのじゃないか。
近頃、テレビゲームはますます進化している。
やりたいモノは増える一方だけれど、ふとネットで昔なつかしゲームの記事を見つけたら、猛烈にやりたくなった。
あなたは「ファミコン探偵倶楽部」をご存じか。
任天堂ディスクシステムの、非常に精巧な推理モノのアドベンチャーゲームで、少し前(だいぶ前か?)に、第一弾「消えた後継者」が復旧された。
私は未だにプレイ中のBGMを歌えるほどにやりこんだものだ。
画面上にいるゲームキャラが、私のコマンドを待つ間、ぱちぱちと定期的にまばたきをするのが、当時一番の驚きだった。
「消えた後継者」は名作だ。
しかし、私はこのシリーズの第二弾「後ろに立つ少女」が、今猛烈にやりたい。
学校の階段をモチーフにしたような作品で、終盤の恐怖シーンは今でも鮮烈に憶えている。
当時小学生の私にしては、よくあんな怖いシーンを見れたなと思うくらいだけれど、今のゲームと比べたらやっぱり、画像精度も恐怖演出もたいしたことはないのだろう。
しかし、静止画のシンプルさにこそ、想像力をかき立てられたのかもしれないと思う。
「消えた後継者」は今でもやることが出来るけれど、「後ろに立つ少女」は、今はもう販売できないらしい。
なんでも、未成年に不適切な殺害シーンや、未成年の喫煙シーンなどがあるからだそうだ。
喫煙シーンねえ。
同じ理由で「はいすくーる落書」もDVD化されないのだろうけど、まったくそんな規制に何の意味があるのかと思う。
名作ドラマなのに勿体ないなあ。
するってと、「ごくせん」も「ROOKIES」も喫煙シーンってないのかね?
そのうち「スタンド・バイ・ミー」すらも観られなくなったりして。映画はいいのか。
地上波が終われば、アメリカのケーブルTV的にチャンネルによって未成年者の喫煙シーン解禁のチャンネルが出来たりするかな。しねえか。
ああ、それにしても「後ろに立つ少女」が、やりたい。
昨日は劇団の定例ミーティング。
毎月のあたまに行われるコレは、劇団員たちが真剣にKAKUTAの未来を語り合うため、居酒屋を取ってるくせにみんなトマトジュースばかり飲みたがる、居酒屋の人にとっては大変迷惑な寄り合いである。
ルノアールでやれ!
そんな寄り合いである。
毎度毎度、「今回こそは簡潔にやろう」と思うのに、何度やっても時間が掛かる。
で結局、ミーティングが終了したら飲むのである。
月イチの飲み会じゃネエのと言われたら、ちょっと否定できないのである。
旅公演から帰ってきたばかりで、劇団の話にシフトチェンジするのは難しいかも…と思っていたが、実家に帰れば自然と方言が出るように、すんなりと戻る。
だけど、今頃「相思双愛」は本番中だな…と思うと、ちょっぴりセンチメンタルになった夜だった。
というわけで、私は山口公演を最後に「相思双愛」とはお別れなのでした。
本当は6月の旅公演も、千秋楽の水戸公演も行きたかったのだけど、他の仕事で尻にぼうぼうと火がついている今、涙を飲んでおニャン子クラブは「じゃあね」のメロディに乗せ、卒業してきたのです。
山口で観た私にとって最後の「相思双愛」。
終盤のシーンを観ていたら、パラリッと涙がこぼれました。
しかしそれは、もうこの舞台ともお別れ…という感傷的なものとはまた違うんですよ。
単純に、舞台を観て溢れてきたものでした。
それまでだって、稽古を見ながら涙ぐむ瞬間は、言っちゃあ何度もあったんですが、演出家ってクールでなくちゃならないんじゃない?これ恥ずかしいんじゃない?と思って我慢していたし、客観的に!!俯瞰しています!!とすました顔をしていた(つもり)。
けれど山口では、最後くらいいいじゃない、素直に舞台に感動してもさ…と自分を許してやったという感じでした。
それに、地方に行けば私は東京以上にどこの馬の骨ともしらねえ人物なわけで、劇場に入ろうとすれば当然会場案内のスタッフさんから「チケットを拝見させてください」といわれるわけで、嘘だと思われたらどうしようとびくびくしつつ「え、演出家です…」と答えてきた私なので、山口という離れた土地で、こっそり泣いたからとて誰も演出家なぞとは思うまい、という開放感もあったかもしれまへん。
ともあれ私も一人のお客さんとなって観たラストの「相思双愛」は、何とも感慨深いものだった。
そうして終演を迎え、キャストさんやスタッフさんにいつものように「お疲れ様でした」と声をかけている最中、恥ずかしながらやはり感傷的なものが目元にこみ上げてしまった。
サファリランドで遊んだ後、空港でみんなと最後のご飯を食べているとき、お疲れ様の乾杯をしてもらったときも、頑張ったねえと真紀さんに頭を撫でていただいたときも、空港の荷物受け取り場で「コレは桑原のスーツケースだよね?」と榎木さんが私のじゃないスーツケースをキープしてくれたときも(笑)、一人胸が震えてグッと来てしまったのだった。
同級生のクラスメイトのようで、仲良くしてくれたえみりちゃん。
多分同じクラスにいたらば、憧れと羨望でもって私なんぞがぬけぬけと近づきよろしくやるなんてできなかったろう。きらきらしたオーラのある女の子。
モテる。あなた、モテるよ。
わかりきったことをしばしばエミリちゃんに言ったものだ。
「私に霊がついてませんか」と山形でこっそり相談しても、笑わず見てくれた榎木さん。
唐突に変なこと言ってるのに、しかし内心本気で怖がってた私の気持ちを、丁寧に見て、「いないよ」とほぐしてくださった。
私は心底ホッとして、しみじみ、嬉しかった。
ついでに肩まで揉んでくれた。有り難かったナア…(涙)。
従姉妹のような憧れの真紀さんは、ご存じの方もいるとは思うが、この旅の最中、どんなにか辛い想いをしたかわからない。その姿を想うだけでも胸が痛くて、私はたびたび、無神経な自分に腹が立ったり、情けなく想ったりしたけれど、いつでも彼女は自分の足でしゃんと立っていて、いつでも優しかった。
同じ体験をした3月のあの時、自分はこんな風に立派に立てていたろうかと考えた。
いや。そうできてはいなかったと思う。
真紀さんを見ていたら、いつもバキバキと背骨が鳴るほどに、ギュウとしたい思いだった。
そして近藤さんだ。
近藤さんは、稽古の直前にいつもトイレに行くし、衣装合わせではボンヤリしてるし、台本は稽古序盤から信じられないくらいぼろぼろで、謎の水をやたら大量に飲み干し、おっぱいプリンを嬉しそうに舐めては真紀さんに「引くわー」と言われてるようなヒトだが、愛と根性のある素晴らしいプロデューサーである。
舞台を作るプロデューサーがみんなこういう人だったら、演劇はもっと栄えるだろうと想う。
そして誰もが知るとおり、素晴らしい俳優さんである。
感謝でいっぱいです。
空港でキャスト、スタッフさんたちとギュッとして別れた。
天才・音響の貫さんと、私の大好きな、お母さんのような演出部のスタッフさんが、バスに乗る直前まで送ってくれた。
「バラちゃん、こっからこういって、あのバス停だからね」
最後まで子供のようにお世話になりっぱなしで、子供のように、離れがたかった。
鹿児島で二日間過ごしたら、山口へ出発です。
私はワークショップをやらせていただくため、スタッフ陣と共に早朝に出発。
鹿児島を横断して博多を経由し山口へ。その所要時間およそ5時間強!
「タクシー→新幹線1→新幹線2→新幹線3→普通列車」という激しき乗り継ぎで向かいます。
新幹線のチケットも多岐にわたり…アレ?どれ改札機に入れるんだっけ?アレ?このチケットは使う?と、混乱しっぱなし。
それでも、博多では限られた時間ですかさず明太子を購入し、駅前の点心でうまい「大葉入り葱餃子」を買ったりしてしっかり楽しんでみたり。
最後の長門市へ向かう単線列車が、またオツでさ。
一両列車!都電荒川線みたいな感じ。
手前にいるのはKAKUTAでもお馴染みな音響の貫さん。今回一緒に旅して楽しかったなあ。
共に葱餃子を満喫して腹も満たされている。
先頭車窓から撮った一枚。のどかで心地良い。
…といいつつ、満腹で電車に揺られてたら、うたた寝。
みんなでおみやげを買ったり、ワイワイお喋りしたり、車窓を眺めてボンヤリしたり。
無理に仲良くするわけではなく、お互いの時間を大事にしつつ過ごす、スタッフ陣のほどよい距離感が何とも心地良く、長旅だけど全くストレスのない、楽しい時間だった。
山口公演で上演させていただいた会場は、緑に囲まれた美しい劇場、ルネッサながと。
こんもりしたグリーンの丘がきれいでしょ。
私はワークショップまで時間があるということで、少しばかりブラブラしておいで~と自由時間をもらい、会場周辺を歩いてみる。
爽やかな風を抱いて、広い空を見上げて、てくてく散歩し辿り着いたのは…。
パチンコ屋。
すっ、すいません!!だって一度したかったんだもん!旅パチ!
ちょこっとだけ、ちょこっとパチンコ一人旅のムードを味わいたいだけよ…とホンの短い時間、打ってみる。
そしてスる。
しかし翌日、少し勝つ(す、すいません!!二度行っちゃいました!!!だって良い台あったんだもん!!)
もの凄い中途半端な出玉しか出てないのに店を去らねばならない時間になり、迷った挙げ句、隣で打とうとしたおばあちゃんに玉をあげました。
旅のふ・れ・あ・い、ダネ☆
無理矢理いい話にしたところでワークショップ。
遊んでばかりじゃないです、もちろん。
たった二時間の短いワークショップだったのでそんなにたくさんは出来なかったけれど、参加者の皆さん、生き生きハツラツとした方ばかりで、とても楽しい時間だった。
記念にパシャリ。みんな、良い笑顔でしょ。
演劇部の15歳。かわいーっ!
吸収力抜群のこの世代と一緒にやるワークショップは、とても責任重大だと思ってる。
大人に対してはいいかげんでよいという意味ではなく、若い人たちはまだまだ演劇にふれて日が浅いからだ。
ほんの二時間程度とはいえ、この時間で私がなにをするかで、その後演劇を面白いと思うかつまらんと思うかが変わる。つまらん二時間を体験すれば、演劇への興味は少し薄まってしまう。
だから、私のやり方はこうですというエゴを見せるようなワークショップになってはいかんと思うし、逆をいえば「ためになること」とかに囚われず、ひたすら「面白かった!」と思えるような時間を共に過ごせれば、それだけで良いとすら、思う。
演劇ってなんて面白いんだろう、という気持ちを体感することが、ワークショップで一番大事なことだと私は思う。
ワークショップが終わって劇場へ戻ると、制作さんから伝言が。
明日は本番終了後、時間があるので、キャスト陣でどこかへ出かけようと思うがどこが良いかとのこと。
1/食事
2/鍾乳洞
3/サファリランド
なんのこっちゃ?と思いつつ、3番、惹かれますね…と言ったら。
本当にサファリランドに行くことに!!
私も一緒に行けるとな!!
どうしよう・・・う・・・うれしい・・・!!!
小学生の時、おじいちゃんとおばあちゃんとで群馬サファリパークに行ったことがある。
もう、鼻血が出るほど楽しかった思い出。
こんな機会にまさか行けるなんて!!
翌日劇場に行くと、えみりちゃんが「ばらちゃん、サファリに反応したらしいね…」とニタリ。
えみりちゃんの提案だとか。
えみりちゃん、ありがとうっ!!!思わず二人でぶいサイン。
もちろんその前に、山口公演をしっかり行ってきましたが。
私にとって「相思双愛」ラストステージである山口公演。コレについてはまた次に書くとして。
行ってきた!!
ともかく!!サファリ最高!!!
この大人たちの童心にかえった笑顔を見よ!
野澤爽子並にハイテンションで叫びたい気持ちを抑え、しかし時おり我慢できず喜びのあえぎを漏らしながら、カメラで動物たちを撮りまくる。
PS3で「AFRICA」をやりまくり培った、私のカメラテクを見よ!!!
バーン!!
自慢の一枚。
アフリカ水牛さん。すごい迫力!!
こんな間近で、動物たちに会えるんです。
ま、まあ、迫力に欠けるショットもありますけど。
飼育している獣医さん曰く、「チーターはハッキリ言って飼えます」とのこと(そのくらい人に慣れる)。
赤ちゃんチーターを飼育していた頃は、獣医さんのお腹で寝てたりしたんですって。
なんて羨ましい!!!
ぞうさん…。
正面過ぎて、ぞうだかわからない。
「ネバーエンディングストーリー」に出てきた亀に似ているぜ…。
しかし、生まれて初めてさわった象。一度さわってみたいと、ずっとずっと思っていたので、ものすごく嬉しかった。
そして今回、何が嬉しかったって、サファリランドのドライブツアーに獣医さんが同行してくれて、動物について色々教えてくれたこと。
泣き声の意味や、動物の行動についてお話を聞くのは、本当に面白い。
遙か昔、子供時分に、大きくなったら動物園の飼育係(それかムツゴロウ王国の住人)になると決めていた自分を思い出した。
もし芝居してなかったら、動物園で働いてたと今も思う。
この様に、さんざん野性味溢れる動物たちに興奮した一同ですが、しかし。
最後に立ち寄った触れあいコーナーで…、
全員、子ヤギに完全ノックアウト。
かわあああああいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!
子ヤギってこんなに小さいの!?
なんて白くて、ふわふわで、お口がむにむにで、かわいいの!?
射貫かれたように子ヤギに心を奪われる。
かわりばんこにみんなで抱いて、ほおずり。
サファリパークの職員さんも、「まさか子ヤギにここまで反応されるとは」と驚くほどのはしゃぎよう。
真紀さんは興奮のあまり子ヤギの写真を撮りまくり、林家パー子と化していた。
抱っこして座っていたら、私が着ている服が白くて羊毛っぽかったからか、子ヤギが寝てしまう。
本当にそのまま連れ帰って、一緒に眠りたいくらい、かわいかった。
みんなの心がハイジになったひとときだった。
ありがとう、山口。
ありがとう、サファリランド。
ただいまーっ!!
昨日「相思双愛」の旅公演から帰ってきたよ。
鹿児島から山口への旅。
ンマーッ、楽しかった。
山形に引き続き、ワークショップなんかもやらせてもらってきました。
キャスト陣と遊びに行ったり、スタッフ陣と長い電車の旅、懐かしい友に会ったりもして。
旅の醍醐味、うまいもの巡りもガッサリ堪能してきましたとも。
旅初日は午後2時、一路羽田空港へ。
思えば羽田空港、結構久しぶり。前に来たのは一昨年だったかしら?
親友の実家、金沢旅行に出かけようとしたときだったけど、当時流行のSARSにまんまとなってしまい、トイレだけさんざん利用して飛行機にも乗れず、空港の物産展でおみやげだけ買って泣く泣く帰った切ない思い出だ。
一緒に行くはずだった人も一緒に諦めてもらったりして…。
嗚呼…思い出すだにくやしくもうしわけなかった。
そんな雪辱をはらすべく、今年は飛行機にのってのって乗りまくってやるぜ。
空港でキャストスタッフ全員と待ち合わせて大移動。
あっという間についちゃいました、鹿児島!
ウキウキしてしまい、早速空港で演出部のはまさんとパチリ。
…はまさんと私で、全く鹿児島らしい景色が映っていません。
一応私たちの後ろには椰子の木とかもあったんですけどね。
ところで演出部のはまさん、優しい、海賊みたいでしょ。
こんな感じの↓
ププ…似てる。
アニメでも「ワンピース」とかじゃなくって、「小さなバイキング ビッケ」ですな。
はまさんは居ずまいも、おおらかで朗らかで、まさに私の理想とする海賊(変な言い方だが)。
いつも、「ヨオッ、いい女!」とか言って私を呼ぶんだけど、ふりむくと「お前は自意識過剰だな!」と戒めます。
鹿児島といっても広い。
私たちが向かうは伊佐市です。
さっきは全然鹿児島らしい景色を撮れなかったので、今度こそと携帯をいじっていたら、撮影モードに「ひとり旅録」という機能を発見。
おっ、こりゃ面白そうだ…と思って早速使ってみたら。
何じゃコレ!気ん持ち悪うう!!
景色の中に入り込める機能らしいですが…。
美しい田園風景に私の顔だけぼうと浮き上がってる奇妙なシロモノを二枚くらい撮ってやめました。
コレ上手に活用してる人、いるのか!?
ああ、そんなことしているウチに、宿に着いてしまった…。
ムフフ。
鹿児島で楽しみだったひとつが、宿泊先。
私の泊めていただいた宿。そこはなんとっ…!
ゴルフリゾートホテル!!
ベランダから見る景色がコレ。山に沈むサンセットが美しいマウンテンビュウ!
露天風呂まであるんだぜ!!いやったー!
部屋が広いのッ!!!(写真じゃわかりづらいけど)
これで私、一人部屋よーっ。
食べ過ぎで太るのを危ぶみ持ってきたコアリズムもグイグイ出来ちゃうわーっ(そんなにやらないが)。
「ホリデイ」って映画で、ケイトウィンスレットが豪邸に住むことになって驚喜するシーンがあったけどさ、思わずそんなノリで一人、絨毯の上を滑ってみたり(摩擦で足の裏が熱くなる始末)ベッドに飛び乗ったりして、ベランダでプハーッてな息をついたら、となりの部屋の近藤さんに浮かれてる様を見つかって恥ずかしかった。
たけどこの貧乏性の私。広すぎて、ベッドも二つあって、すぐさま持てあます。
怖くて眠れなくなったらどうしよう…とかいきなり不安になってみたりして、近藤さんに「眠れなかったら近藤さんをベランダから起こします」と迫りました。
さて、そんなこんなで浮かれ気分で部屋を満喫したら、夕食の時間。
今夜は黒豚しゃぶしゃぶをご馳走になれるとのことで、お出かけです。
お食事処はさつまやさんという、榎木さんの行きつけのお店。
鹿児島伊佐市は榎木さんの故郷なんです。
黒豚のしゃぶしゃぶに、ロースカツに、30時間煮込んだ角煮…。
お、おいしい・・・・だ!!!!!
んもうもう、榎木さんサマサマ!!!(涙)
「今度の旅は絶対に太らない」と堅く誓って旅に出たはずが、早速吹き飛び、うまうま、やむやむとかっこんでしまう。
それにしても、同じくらい食べる隣の席の真紀さんは何でこんなに痩せておるのか…。
「真紀さん、ダイエットの秘訣は?」
「したことない」
…憎い!!あんたが憎い!!
真紀さんにはいろんな話を聞いたり、聞いてもらったりして、あったかい言葉をいくつももらい、ほろりとした。
真紀さんは、うちの母方の従姉妹のようだ。
ああいや、従姉妹に顔が似てるとか、親戚のように馴れ馴れしい気分で見ていますということじゃない。
うちの母方の従姉妹は年上の女二人で、子供の頃、私にとって常に憧れの存在だった。
従姉妹の聴く曲、読む漫画、書き文字、しゃべり方、歌い方。
憧れて、どれも真似したもんである。
何となく、真紀さんといるとその時の自分を呼び起こされるようである。
人生の先輩として、それほどに惹かれる存在ということだ。
さつまやさんでの一夜はめっぽう楽しくふけていった。
あったかく、素敵なお店だった。
ご飯もすごく美味しかったけど、初めてスタッフ陣と一緒に過ごせたのも、嬉しかった。
そしてなんと、翌日もこちらの店でご馳走になった。
今度は市長が歓迎会を開いてくださったのだ。
さつまやさんへ行ってみるとビックリ!
ズラーッ!
昨日とは違うお店なのでは?と思うくらい、ひろびろと開け放たれたお座敷には、伊佐市の皆さんでいっぱい。
市長をはじめ、榎木さんの学生時代の後輩さんだったり、ご近所さんだったり、みなさん榎木さんを慕い、応援しにきてくださった方々。
近藤さんも、伊佐市の皆さんと同化してますね。
さつまやさんを始めいろんな方が、今回の舞台をラジオで宣伝してくれたり、観に来るよう呼びかけてくれたそうで、上演した会場、伊佐市文化会館では、1200人の客席が満席。
立ち見のお客様もいらしたほど(!)。
こんな風に、地元の仲間たちがわあっと集まって、応援してくれるって本当に素敵だなと思います。
榎木さんの、日頃の人望の厚さが伺えるようでした。
私も、我が町、町田になにか貢献できないだろうか。と、思わず考えましたよ。
パチンコでお金を落としてる場合じゃないですよ。
ひっさびさにこのところ、歯医者に通っている。
これまでも吐露部屋には何度か書いたが、私の通う歯医者は笑気麻酔をしてくれるところで、今や笑気なしに歯医者に行くことなど出来ない私だ。
診療椅子に座ったら、いざ鼻にマスクを装着し、イヤホンでCDウォークマン(古い)から大音量のハワイアンソングを流す。
これが私の歯医者治療の基本である。
笑気にまみれて聞くハワイアンは最高だ。
曲の中に波の音がBGMで入っているものはなお良い。
心はハワイのビーチへ飛び、診療台の白熱灯は輝く南国の日差しに取って代わる。
私の頭の中では歯医者さんは皆水着だ。私の担当をしてくれてるA先生は美人でスリムなので、小さいビキニが似合うだろう。
そんなことを想像していると、歯を削られているのにクスクス笑いが漏れてしまうから不思議だ。
しかし、最初こそ半信半疑で寝そべって気がつけばラリラリになっていた私だが、笑気のうま味を知り、その効力に慣れてくると、恐ろしいかな「あ、今弱い」「あ、酸素に変えやがったな」などと麻酔の出具合まで細やかにわかってくるようになる。
ラリリ度が弱いと途端にキーンという音が意識的に耳に届くようになってきて、急速に恐怖感が湧いてくるので困る。
ギッチリとラリラせていただいて初めて、私は歯医者の治療を受けられるのだ。
昨日は、ラリリ度が微弱なときいきなり歯の神経に抗生剤を塗られ痛みのあまり身もだえするというエマージェンシーな瞬間があったので、今日は鼻マスクを装着する際、歯科助手の方に「ガッチリかけてください」と念を押した。
にもかかわらず、今日もハレ…治療の途中で笑気の効き目が弱くなってきた。
ちょっとお、笑気をケチってるんじゃないでしょうね!
アタシはね、笑気を吸いに来てるんだ!
あたしの歯を治したきゃ、四の五の言わず笑気を出しな!
…などと大人しく口を開けているようで内心ではそんな暴力的な気分になっていると(でもBGMはハワイアン)、どうも笑気ガスが切れたらしい。
半分正気、半分笑気な私は、よもや「笑気を今日はなしでもいいですか」などと言われてはならないと、ぼやっとした顔のままで、しかし目だけは鋭さを保ちボンベの交換を見張った(しかしBGMはハワイアン)。
陽気なウクレレ音楽の中で観る歯医者の人間模様はなかなかに面白い。
気がつけば、この歯科は女性しかいない。
受付も、歯科医も、歯科助手も、全部女性だ。
まずは私の担当歯科医、美人だがどこか「トレンディ!」と言いたくなる90年代風のA先生。
先生の治療を受けているとき、いつもなぜ浅野ゆう子を思い出すのだろう、と思っていたら、昔浅野ゆう子が歯科医のドラマがあったからだった(好きだった)。
A先生の下についているオカッパ頭の歯科助手は、新人なのか性格なのか、どうも要領が悪いタイプらしく、ひたすら落ち着かない様子でボンベの周りをバタバタしているのだが、手順を間違えたのか取り外し方がわからないのか、いつまで経ってもボンベの交換が出来ない。イライラを隠すようにオカッパに指示していたトレンディA先生も、さすがに時間が掛かるので手伝い始める。
が、先生も普段はボンベの取り外しなどは範疇外なのか取ることが出来ない。
だんだんと慌てる二人。他の先生も様子を見に来る。
何せ私の治療はまだ始まったばかりで、顔の半分に麻酔をかけられたままほったらかしでハワイアンを聴いているのだから。
3、4人がかりで、入れ替わり立ち替わりボンベにトライしに来る先生方。全員女性。
そこへやって来るのが受付の女性。いかにも腕っ節が強そうな悪ガキ小僧の母ちゃんみたいな人で、A先生やオカッパ助手を一歩引かせてグイとボンベをひねったら、あっという間に外してしまった。
感心する一同。「ホラね」という風に得意げに頷き受付に戻っていく悪ガキの母。
ホッとして笑うトレンディ先生たち。
音楽の中で観る一連のそれはコメディアスなサイレントムービーのようだった。
しかし。
麻酔と笑気でラリッた私が一連をニヤニヤしながら見ていると、戻ってきたA先生はあろうことか「もう麻酔きいてるから笑気いらないヨネ☆」と言って、もう笑気をかけてくれなかった。
先生!!
そんなのひどい!!
あたし待ってたのに!!
私がにたにたしてたから?
先生たちに心であだ名をつけたから?
「大丈夫、これから先は三歳児でも泣かないようなことだから」
3歳児が耐えられるからといって、恐怖を知ってしまった32歳児が耐えられるとは限らないじゃないッ!!
しかし先生はなぜか「もしコレでも痛いならもうその歯はダメだから抜いた方がいい」と凄み、私を縮こまらせて治療を行った。
幸い「抜いた方が良い」と思われるような痛みに襲われることなく、治療は無事に終了したけれど、恐ろしいことを言われたので私はしばらくビクビクしていた。
きっと先生はボンベの取り外しに苦戦している様子をハワイアンを聴きながらにたにた見ていた私にちょっとムカっ腹が立ったのではないか。それで、ヘラヘラしてる私にちょっとイジワルを言ってやりたくなったんじゃないか。
すっかり怯えて耳がたれた私に、歯科助手・通称「お母さん」だけは、いつもと変わらず優しかった。
お母さん…。ありがとう…。勝手にそんな呼び名をつけてゴメンナサイ…。
トレンディ先生。オカッパ助手。受付の悪ガキ母。お母さん。にたにた患者(私)。
いつか歯医者のシチュエーションコメディをやってみたいな、などとボンヤリ思う。
今年の私は「旅に出よ」と宇宙の指令が出ているらしく、一年を通してあちこちへ旅することになりそうです。
神戸。山形。鹿児島。山口。北九州。ハワイ。
……ハワイ!!
ギャース!!!
ついに行くぜハワイ。おお我らのハワイ。愛しきカメハメハ。
もう家でCSの「アロハ天国」を唇噛んで観ていることないんだぜ。
もう歯医者に行って笑気麻酔をかけヘッドホンでハワイアンソングをかけまくりハワイに脳内トリップするだけじゃないんだぜ。
ほ…本場ですたい!!
ハワイことを考えるだけで頭が一時ストップしちゃうので、旅に話を戻して。
マア、普段から出張など旅慣れている方からすれば、なんだこんなもんかって程度ですが、私のような地元に引きこもりがちな地方都市の田舎ッペからすれば、今年はかなりアクティブな方。
というわけで山形。
山形さ行ってきたべ!!!(こんな方言ではないと思うが)
宿泊先は米沢!
ってことは、米沢牛だっぺよ!!
むあー、もう、堪能したあーっ!!
2月に「K」で神戸へ行ったときは、神戸牛!カウベビーフ!と始終叫んでた割に、旅の初日で全く関係ない地方の郷土料理居酒屋に入り(でも美味かった)、最終日こそと勇んで出かけた割に、店先のカウベビーフのお高い値段表に負けてなぜか韓国料理屋でプルコギ食って帰ってきたカウベ(でも美味かった)。
神戸牛はそうして断念したため、米沢こそはと不屈の精神で向かったわけですよ。
そんでまずは、演出助手タムちゃんと米沢駅前の、なんだかすごく駅前ーな感じの喫茶店で米沢牛のスタミナ定食をいただいてみた。
スッピンで 鼻息荒く スタミナ摂取 (一句出来ました)
おいしゅいー。
お肉が脂がのってておいしゅいの。
ようやく目当ての肉を食べることが出来た安堵と同時に、お店のおっちゃんがタムちゃんをいたく気に入ったようでマアーちょいちょい話しかけて来て面白かった。
活力つけて劇場入りしたところ、今度はスタッフさんからいただいた差し入れが…、
マア!!
コレなんですの!?
これぞ、米沢牛おにぎり「牛賜(ぎゅうたま)」なるもの。
餅米を甘辛く煮た米沢牛で包んだおにぎりなんだけど。
チョチョチョ、超美味い…!!!
あまりの旨さに感動し、おっかさんへもってってやるべとばかりに速攻お土産で購入してしまいました。
これは、米沢へ行ったら食べてみて欲しい一品でございますよ。
んでもって、公演終了後の夜。
近藤さんが米沢牛すき焼きをご馳走してくれた!!!
ムハー!!
写真撮ってみたけど、女将さんの手ガッ!!
とろける肉のあまりのおいしさに、テンション上がりすぎて「おいしーい…」と逆にロートーンでしか声が出ぬほど。
こんだけ牛食べてまだ食うかって話なんですが、帰りの新幹線でも米沢牛の駅弁を頬張り。
肉。肉ってなんて素晴らしいんだろう。
肉よ あなた
今でも 今でも
米沢 もうすこしで 住み込むところです
吉幾三ばりに歌いたくなりましたよ。
でもね。
食べる話ばかりでしたけど、山形本当に、良いところでした。
私はおばあちゃんちが福島なんで、まず東北の空気にどこかホッとするんですよね。
良い天気だったので休憩中は煙草吸いがてら、外でひなたぼっこしていたんですけど、「相思双愛」を上演した川西町フレンドリープラザのとなりには、古墳があるんです。
古墳といえど、あの独特の鍵穴のような形ではなく、一見するとそれとわからない丘のような場所なんですが、散歩がてらぶらりと古墳に向かってみたならば、青青とした木々の緑と、柔らかい木漏れ日が本当に美しく、気持ちよくて、なにやら胸がじーんとしてしまい、泣きたい気持ちになりました。
微かに花の香りが漂ってきて、踏みしめる草のきゅっきゅという感触が心地よく。
こんな風に空気の匂いを嗅ぐのは久しぶりだなあ、としばらく佇んでおりました。
あともう一個。休憩中、劇場を出てスタッフ陣がどやどやとどこかへ出かけていくので着いていったらば。
スノードームというのがあったんです。
これは、倉庫のような場所に冬の間降り積もった雪を閉じ込め、そこから出る冷気を劇場へ送り、自然のクーラーにしているというもの。
ドームの扉を開けたらどーん!!
ドームの中一杯に、うずたかく積まれた雪!!
扉を開けた瞬間、冷気がブアーッと外にいる私たちの場所になだれ込んできて、スタッフ一同、おおーーっ!!と歓声を上げました。
これって素晴らしい設備ですよね。まさに北国ならではのアイディア。
山形はこうして、自然と上手にお付き合いしているんですねえ。
山形では米沢で旅館を営む友達にも会えたのだけど、新幹線に乗るとき、わざわざ駅まで見送りに来てくれた。
わざわざ見送りに?!!!
それってなんか、すごい、すごい!!!あたたかさ。
私はと言えば数十分前までホテルで爆睡してて、ボケボケしていたけれど、お土産まで持ってきてくれたともだち。
見送ってくれるきらきらした友の笑顔で、山形の旅が更に素敵な思い出になりました。
「相思双愛」、山形の旅公演から帰ってきました。
……もう何日も前に。
あのね。
山形良かったですよ!!
旅日記を書こうと写真取ったのに、携帯を落として更新できずにおりましたよ。
携帯見つかったから明日書こう。
頼まれなくても。
ああ書くとも。
ひとまず、東京公演終わりました。(とっくに)
ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
素敵な脚本、素敵な俳優陣。音楽も素晴らしかったでしょ。
音楽を作ってくれたアルケミストのいじりん(井尻慶太さん)とは、これで三回、一緒に舞台を作ったことになるのだけど、もう本当にこの人はね、素晴らしいよ。
何度一緒にやっても、新しい発見と喜びをくれるような人なんです。
それは出来上がった音楽が良い!ということだけじゃなく、創作に向かう姿勢が素晴らしいからで。
今回、エンディングテーマの曲だけでなく、劇中音楽も全て作曲していただいたのですが、コレ!というものが出来るまで、何度も何度も修正をして、どんなに忙しくても連絡を取り合い、一緒に考えてくれました。
それは当たり前のことだと彼なら言うだろうけれど、その精魂込めた作品作りというのは、決して簡単にできることじゃないと思うから、何度一緒にやっても尊敬してしまうし、出来上がった者が素晴らしいんだなと思うのです。
お友達としても大好きだけど、やっぱりプロフェッショナルとしてもカッコイイ。
音楽と舞台。メインのフィールドは違うけれど、しょうたろうも一緒に、またアルケミストとお仕事、いや、創作がしたいです。
そして、今回初めて一緒にやらせていただいたのが、シンガーソングライターの花れんさん。
今回、東京の千秋楽では特別に、カーテンコールで花れんさんが歌ってくれました。
当日生演奏でピアノを弾いてくださったのは旦那様でもあり、ご自身もピアニストして活躍してらっしゃる扇谷研人さん。
マアーそのお二人の素敵なこと!
私、演出の立場を忘れて、しみじみ聴き入ってしまいましたよ。ええ。
花れんさんは、何というか、まさにこの舞台のキーとなる季節、「春」のような方。
ぽんぽん弾むたんぽぽのような、やわらかくて明るい黄色の空気をパーッと体の周りにまとってるような女性で、その声は澄んだ岩清水のよう(なんだか表現が下手ですけどね)。
是非みなさんにも、花れんさんの声を一度聴いていただきたいよ!
またご一緒できれば嬉しいなあ。
というわけで、写真は劇場入りして最終テイクの音楽を受け渡し合ったときの様子。
なぜだかみんなアイスを食べながら。放課後の学生気分でパシャリ。
かつて、暇をこれでもかと持てあましていた頃。
私と原扶貴子は、ある喫茶店に行って遊んでいた。
「何もやることないから芸能人見に行こうぜ」
上記写真の喫茶店。
この喫茶店はテレビスタジオ内にあるので、芸能人もよく利用するけれど、普通に一般客も出入りできる。
どんだけ暇だったのかわからんが、わざわざ芸能人見たさに扶貴子と二人、連れ立ってでかけたものだ。
中村雅俊さんがイタヨ…。
まったく、だからなんだという話だけど、二人でお茶をするふりをして密かに目を光らせていると、なにやら梨本さんめいた気持ちになり、面白かったものである。
さて、そんな私は今、これまでの人生で最も芸能人と呼ばれる方々を目撃している日々だ。
舞台の後ろから本番を見ようと客席に向かう際、あちこちにご来場している俳優さんやタレントさんを見かけるが、しかしやはり、あの時の「今昔庵」の時のように浮かれたりはしないわけで。
自分なりに大人になった証拠であるが、それはそれで少し寂しさも感じたりもする。
今私が、もしも客席で見かけたらドキッとするであろう人を列挙してみた。
1/みうらじゅん(ファンだから)
2/元彼(お互い顔を憶えてないかもしれない)
3/マイケル・ジャクソン(さぞかしどっきりする)
4/2ヶ月前電車で乱闘したギャル(一触即発)
5/幽霊
会いたいのは1番だけだ。
どうでもいい話題でしたね。
さて今日は、終演後打ち合わせを終えて、飲みに参加。
真紀さんや近藤さんと共にそうそうたる作家演出家の方々がそろいぶみで、こちらは相当ドキドキした。
グリングの豪さんとも久々に飲んだのだけど、相変わらず毒舌炸裂で面白かった。
期せずして赤子系男子=豪さん、近藤さんが揃ったわけだ。
だからどうということもないが、ベイビートーク2って感じで喋ってることは大人の話題なのに、なんだか可愛らしいお二人だった。
そんなこんなで東京公演も折り返しを過ぎた。
本当に今回は、「生もの」という言葉を実感する舞台だと思う。
私は、舞台はライブだから毎回違うものだということは当然理解しつつも、だから日によって全然違ってもOK、という考え方は好きじゃない方で、同じコトをしているのに毎回新鮮で、初めてそこで生まれたかのような呼吸感が宿るものを目指したいと常々思ってる。
だけどそれを念頭に置きすぎることで、ただ稽古の通りになぞっているのに「新鮮に感じているふりをする」という、それすらも技として組み込んでしまいがちな瞬間は、KAKUTAでも時々あることだ。
今回は、毎ステージ同じように、という風にはなかなかいかない。
4人だけの芝居だから、役者さんたちそれぞれの体調や心境によって発生した「ささやかな違い」は、ダイレクトに相手に伝わり、逃げ場所がなく、相手にも変化を起こしていく。ささやかではなくなってくる。
だからもちろん、狙いを外す瞬間もある。
でも、そんな瞬間に思いがけない発見をして、感動することもある。
怖いけれども、面白いなあ。
舞台はナマものですから、という言い方をよくするけれど、「ナマもの」のナマは、「いきもの」の生なんだ、ということを改めて感じている。
役者さんが生き物だということではなく、舞台そのものが生きているのだと、感じる。
紀伊国屋よりこんにちは。なんつて今は家ですけどね。
バンダラコンチャ「相思双愛」、はじまりました。
公演初日、携帯でネットを開いたらいきなり、「辺見えみり、新恋人は近藤芳正!?」のニュース。
どういうことでしょうか。
も、もしかしてこの写真もスクープに!?
なるわけねえか。
カメラ目線だし。私が撮ってるし。こないだの飲み会の帰りだし。
いやはや。大変だよなあ。
出演者陣は、ゲネプロ終わった後すぐに、囲み取材を受けてたんですが、なんだかお喋りの流れでそんな話が持ち上がったそう。ちょっとしたことでもこんなニュースになるのね。
びっくらしましたよと話したら、二人ともゲラゲラ笑っておりました。
慣れっこなのね。カッコイイ。
ともあれ、舞台上では近藤さんえみりちゃんのみならず、真紀さん榎木さん共に、相思双愛で向かっております。
アタシも頑張っていこうと思う次第。
私は外部で演出だけ担当する、というのは実はね、初めてなんです。
大抵自分が書いてるか出てるかしているから。
今回、ペンギンプルペイルパイルズの倉持さんとイキウメの前川さんというお二人の尊敬する作家さんたちと一緒にやらせていただくとあって、最初はもう、なんだか逃げたい気分。
台本を読んで、うわあ面白いッと思っただけに、その面白さを演出のアタシが壊したり絶対したくない…ガタガタガタ。
しかし、面白い脚本というのは、稽古すればするほどわかるもので、最初読んでいて気づかなかった繊細な部分がいろいろと、稽古するごとに見えてくるんです。
だから、びびってばかりではなく、その世界を探す作業は、とても面白いものでした。
まだ終わってないですけど。まだまだ探し中ですけどね。
それほどに、良い本なんですよ。
前川さんはちょうど丸かぶりでイキウメの稽古中なのでまだ見てもらえてないんですが、倉持さんには通し稽古、ゲネプロ、初日と観てもらい。
ひいい。
私、お客さんが観てるより緊張しましたぜ。
緊張しすぎて、隣で見てる倉持さんの顔がなかなか見れなかったんだぜ。
通し稽古では緊張のあまり、「どうして倉持さん隣ナノ!(涙)」とこっそりタムちゃんに文句を言ったりして。
となりにいるだけで、もの凄い心拍数が上がって、片想いしてる女子みたい。
倉持さんに本当は、この本のココが好きで、ココが好きで…と色々語らいたい気持ちがあるのだけど、もう、こうなるとダメですね。な、何か気になるところありませんでしたかと聞くのが精一杯。
いや、千秋楽はもうちょっと色々喋りかけよう。勇気を出して。乙女か。
明日はついに、前川さんがいらっしゃるのですよ。
あああたし、どうしよう。
どうか絶対、隣じゃありませんように。
何だろね?演出のくせにこんな小娘みたいで良いのか。
初日終わった後ロビーで乾杯したとき、今日で演出助手の田村さんが最後ですーと言うことになり、みんなで別れを惜しんだのだけど、「バラちゃん大丈夫?明日から一人で大丈夫?」とみんなが笑いながら聞くのですよ。
情けない…と思いつつ、タムさん行かないでえ!と一番惜しんでいるのも私。
今日劇場に行ったら、「今日から独り立ちだねえ」とお母さんのようなスタッフさんが微笑んでくれました。
ホント、頼りない演出家ですけど。
美術さんも舞台監督さんも演出部さんも照明さんも音響さんも衣装さんも演助さんも制作さんも本当に頼もしく素敵な方ばかりなので、演出家然と格好良く立つのはまだまだですが、若手としてそんな方々に助けられ学ばせてもらっている有り難みを、素直に感じている今日この頃です。
RRRRR。
成清さんから電話が来ました。
「風邪引いて熱出しちゃってさ。怖くて怖くて仕方ないのに、おならが止まらないんだよ。哀しいのにおならが出るから笑っちゃうんだよ。臭いから長く布団にもいられない。豚インフルエンザかな」
違います!
そんな成清さんも本日ようやく体調復活したらしいと言うことで(おならもおさまったそうで)、めでたしめでたしでGWもまもなく終わるという頃、まもなくバンダラコンチャも小屋入りです。
なんだかんだ言って全然バンダラコンチャについて書いてなかったですけど。
ほらね。
出演者の皆さん&あたし、たむちゃん、作家の倉持さんです。
何でかみんな修学旅行生のようなピースサインで。
稽古はぐいぐい進んでおりました。
バンダラコンチャ「相思双愛」は、近藤芳正さんを中心に、俳優としても、宇宙的にもなんだかすごい方、榎木孝明さんと、辺見えみりちゃん、坂井真紀さんという二人の女優陣がめいめい魅力をバクハツさせる4人芝居。
少人数のお芝居ってなんだか寂しいんじゃないの?なんつうイメージを吹き飛ばす充実感でございますよ。
こちらは稽古場にて。マア~広くて良い稽古場なんですわ。
えみりちゃん、同じ年です。マア~かあいいですわ。あと楽しくて優しい。
いやでも、マア~かあいいとか呑気に言うのは失礼なくらい、素敵な女優さん。
まきさんとえみりちゃんはそれぞれに別のお話に出演しているのですが、二人とも全然違う魅力で責めており、私の心をグワシと掴んでいらっしゃる。
外見だけでなく、内側からきらきらしています。
今回の舞台は原作の小説があるのですが、二人とも本当にぴっっっっったり!
先の日記で書いたように小説へ知人を勝手にキャスティングするのが好きな私は、そのぴったりぶりに舌を巻きました。
出演者は、男女ふたりずつ。
作家さんもふたり。演出家もふたり。原作者もふたり。音楽家もふたり。
「双!!」
とにかくすみからすみまでふたりまみれの企画です。
私もそんな「ふたり」に混ぜていただいて、嬉しいやら、恐ろしいやら。
だってやはり、キャスト・スタッフ陣ともに大先輩の方々ばかり。
私はなんと最年少。(細かく言えばタムちゃんが一番下か)
「K」の時、姐さん呼ばわりされた私よ。
あの時の、ちょっとベテランぶっていた私よ。
愚か者よ。
いろんな場面で、無知な己やら、未熟な己に直面しつつ、学ばせてもらっております。
色々書こうと思ったけど、長くなるのでまた。
もうすぐ本番ですからね。旅公演もあるのでね。
いずれそんな話をジックリしていきたいと思います。
ともかく明日はラスト稽古ですんで、しまっていきましょう。
よしもとばななの「はじめてのことがいっぱい」を駅のキオスクで買って読む。
ネットにアップしている日記を文庫にしたものみたいで、私は同じシリーズの物を前も買って読んだのだけど、やはりどうもよしもとばななは合わないなと思う。
じゃあ何で買うんだ、と言われてしまうだろうけれど、合わないと思ったのは気のせいかも知れない、と毎回、思うからで。私は普段から大して本を読む人間ではないだけに、合う作家、合わない作家というのがあまりよくわからない。
「キッチン」も「TUGUMI」も昔読んだし(古いね)、特に「TUGUMI」は感動して読んだから、合うはずだと思っていた。
でもそういえば、友達に勧められてもあまり熱中して読めたことがない。
そんで、今回決定的に、そうか、相性というものがあるんだなと思った次第。
でも、読んで嫌な気持ちになった、とかは全然まったくなく、「この感覚、あの時感じた私の気持ちと全く一緒だ!」とか思った箇所もあったし、なるほどなるほど、と学ぶような思いもあったし、私もばななさんもハワイが大好きだし。
ただ合わないと言うだけ。
よしもとばななが合わないなんて言いたくないという気持ちがどこかにあったのかもしれん。
桐野夏生が好きなタイプです、と言えば、なるほど、じゃあだいぶタイプが違うもんねと思われるかも知れないが、川上弘美は好きな私だ。
合わないと思いたくなかったのは多分、私の心の姉・美穂がよしもとばななを好きだからで、よしもとばななが大好きな美穂を私が大好きだからなんだけど、でも、私の好きな人が私と違うものを好きだって好きなんだという、当たり前のことに逆に気づいた次第。
私は桐野夏生が好きな女だけど、たとえ美穂が桐野夏生の小説が合わずとも、私を好きでいてくれるんだろうと思うわけで、なんだかそれって素敵だねとよくわからない結論が出た。
いやっ、すげえ当たり前のこと書いてるか。書いてるな。
でもさ。
美穂はよしもとばななが好き。
扶貴子は岡本太郎が好き。
佐藤滋は銀色夏生が好き。
馬場はヤンキー漫画が好き。
大枝はチューブ前田が好き。
横山はマラソンが好き。
私はどれも好きじゃないけど、その人たちが好き。
そうか、そういうものか。
なんか、いいわね。
こんにちは。フォトギャラリーの途中ですが、今日は普通の日記を。
昨日、ウチの猫、スーを健康診断に連れて行った。
半日入院の猫ドッグ。
シーのことがあって以来、私は神経過敏になっているところがあったので、スーのことは出来るだけ早く、詳しく、ちゃんと調べてもらおうと思っていた。
行き先は、あの日お世話になったT動物病院だ。
血液検査、レントゲン、便検査、エコー検査、細かく色々やってくれる。
T動物病院にとの初対面はあの日だったものだから、動物病院に近づくのが怖いし、あの後ということで同情の目を向けられるのではと思うとお医者さんに会うのも勇気がいった。
調べてもらいたいのに怖い、早く行きたいのに怖い、とグズグズした気持ちでいたらば、元恋人(またこの書き方をするのもあれだけど)が、私の代わりに連れて行ってくれると申し出てくれたので、甘えさせてもらった。
とはいえ結果は自分の耳でもやはりどうしても聞くべきだと思い、稽古が終わって急いで病院へ向かった。
あの日以来に来た病院だったので、さすがに足がすくむ思いがした。
だけど、
結果は、健康体!!!
デブ!!!
肥満だけどうにかすべし!!
ということでした。
嬉しくて嬉しくて、帰り道でびょんびょん跳ねてしまったよ。
こんなに嬉しい気持ちになるなんてというくらい、嬉しい。
ああ嬉しい。嬉しいなあ。
本当に詳しく調べてくださって、ここまで本格的な検査は初めてだったのだけど、キャンペーン中というのもあって良心価格だし、何より細かい数値についても詳しく話してくださるのでわかりやすかった。
健康診断に行く前からスーのダイエットを始めてはいるのだが、やっぱりデブである、ということは再三お医者さんから伺った(デブとは言わないけど)。
これからもっと気にして理想体重にしていこうと思う。
ありがとう、T動物病院!
健康診断に来てくれた犬猫ちゃんたちをHPでご紹介していると言うことで、スーちゃんの写真を撮ってもいいですかと言われたんだけど、こんなに感謝してるくせにすげなく断ってしまった。
すいません、T動物病院。悪気はないんです。
帰りながら元恋人に「だって私がもし人間ドッグに行って、この方が検査に来ましたよって写真が載ったらいやじゃない?」と理由を述べたら、俺はべつに載っても良いけどね、と言われた。
あらっ、T動物病院に悪いことしてしまったなあ。
いつか、街角の美人猫、とかで載せてもらえるように頑張ろう。(そんなコーナーがあるかわからないが)
ところで、尿検査だけ尿がとれなくて出来なかったから後日、になってしまったのだけど、尿ってどう採るのカネ?
猫トイレでしちゃうから、あっ、今採ろうと思ったのに!って時には猫砂に吸い込まれてる。
うんちはそれっ!って感じでスーがトイレに行った瞬間、こんもりいただいたのだけど。
誰か教えてくれませんか。
砂を入れないでおしっこしてもらうのかな?
今日も今日とてバンダラの稽古です。
近藤芳正さんという俳優は、本当に赤ちゃんみたいな顔をしていて、こちらが意図せずともつい、微笑んでしまう力を持っている。
機嫌が良いんだか悪いんだか、笑い出すまでわからないところも赤ちゃんぽい。
この人にどこか近い人を知っているぞ、と思ったらば、グリングの青木豪さんだった。
ところで今回の現場は猫好きが多いです。
昨日休憩中に、ちょっとばかり猫の話になったらば、ウチは何匹、ウチは何匹、出産をさせて何匹、まあキャストもスタッフも猫好きばかり。
いつか思い切り猫話をしたいけれど、まずは稽古に集中せよですね。
ところで、先日KAKUTAの朗読公演中、照明の彩さんに怖い小説をお借りしたので、ようやく稽古が落ち着いてきた今、遅かりしながら読み進んでいるのだけど、皆さんは読書をするとき、登場人物を実在の人にキャスティングして読むことはありますか?
私はしょっちゅう。ていうか、癖のようなもの。
特にサイドキャラとかを勝手に知人でキャスティングして、絶妙な人材を見つけると嬉しくなる。
私は舞台創作の課程に於いても、一、二を争うほどに好きなのがキャスティングなのですよ。
とはいえ、自分を当てはめて読むと言うことは滅多にない。
というのは、まあ大体主人公に感情移入するのだから当然で、サイドキャラで自分がうろちょろしてたりすると「なんだお前は」という感じで妙な感じがするからだ。
あと、死んでしまいそうなキャラに友人を当てはめないようにするのも密かなルール。
前に「バトルロワイヤル」を読んでいて、膨大なキャラを憶えるため一人一人知人をキャスティングしたらどんどん死んでいってえらいことになった。
なぜか、知り合いの舞台美術さんが一番の悪人になっていくという展開に。
だから、出来るだけ元気そうな人、危害が与えられなそうな人、あるいは恋愛小説などに、キャスティングするのですよ。
例えば、今読んでいる彩さんに借りている小説「芦屋家の崩壊」、まあ面白い本なんですが、ココに出てくる、「伯爵というあだ名の全身黒づくめの怪奇小説作家」には、ウチでいつもお世話になっているカメラマンの相川さんをキャスティング。コレがまたバッチリハマって、何を喋っても相川さんが連想される。
伯爵とうまい豆腐を食べに行く…なんて言うくだりでは、相川さんと車に乗って旅行している気分になって面白し。
例えば、映画にもなったミステリ小説「犯人に告ぐ」で、とぼけた新米刑事が出てくるのだけど、ソレをナギプロの凪沢君でキャスティングしたらば、結果的に彼が事件を解決した。
私の中で、知り合いが勝手に大冒険していたりするのです。
でも「容疑者Xの献身」で堤真一さんが演じた役は、私はもう完全にフジテレビの軽部さん(知人ではないけど)だったので、あまりに印象とちがくてまだ映画を見られていない。
あのエンディング…軽部さんを思い出して泣きに泣いたのに。
さて、「芦屋家の崩壊」の中で、「猫背女」という話がある。
彩さんが冗談で、この役はKAKUTAの猫背女優・野澤爽子がやったらいいよというからそのつもりで読んだらば、もの凄く恐ろしい女であった。
野澤の猫背をスパルタ矯正しよう、と改めて思った次第だ。
どーも、桑原です。
『K』の時にメイクさんから良いヘアアイロンを卸値で売ってもらって、使いまくっていたのは良いのだけど、気がつけば髪がボロッボロ。枝毛が尋常じゃなくて、竹箒のようになっていて、そのうち見るのも嫌になって、ある夜唐突に枝毛部分をバチンと切った。
んで、ザンバラになった髪を整えてもらおうと今日、美容院へ行ってきたんだけどさ。
まー下手なんだわ。
予め写真を見せて話したのに、ぜんっぜん違う。
別に、ハリウッド女優の写真持っていったんじゃなく、美容院にある普通のヘアカタログですよ。
「お兄さん、これはちょっとないですわ」
ああだこうだ言ってるうち、髪がドンドン短くなっていきました。
それにしても、美容院に行って、どうしてここまでというくらい納得のいかん頭になったのも初めてで、しばし美容院さんと二人、呆然と途方に暮れる。
普通のセミロングなのに…。
結局、何度もカタログを見直して、妥協案みたいな感じでああだこうだ整え直してもらい、そのうち何がダメだったかわからなくなってきて(カオス)、なんだかこれもOKじゃん?みたいな気になって帰ってきた。
また伸びるし。←出ちゃいけない極論
「いやあ、最近のお客さんはみんな出来上がったものに意見を言わず、コレでいいですって言って終わっちゃうんですよ。お客さんみたいに言ってくれる方の方が良いんです」と、おべっかだか本心だかつかぬフォローを入れられたわけだけど。
私も「コレで良いです」って言いたかったんだぜ。
しばらく半端なザンバラで過ごします、どうぞヨロシク。
ところで夕べのスーは、大人しかった。
部屋の端の布団から動こうとせず、丸まって眠っていた。私が腹の臭いを嗅がせてもらいにいくと、受け入れて顔をべろべろと舐めてくれるけど(スーは犬のように人を舐める、変わった猫である)、いつものように自分から甘えてくることはしなかった。
夜、友人の扶貴子とみほがシーに会いにやって来た。
私にとって姉妹がわりである二人は、姪っ子の死を偲び通夜にやってきた叔母たちのようである。
二人とも言葉少なにシーの前に座り、泣きながらゆっくりと優しく、シーをなで続けた。
そんな時はスーも布団から出てきて、二人へ近寄り、挨拶をする。
さながら弔問客を迎える親族のようだと思った。
美穂に近づき、扶貴子に近づき、最後にシーのにおいをかいで、また布団に戻っていった。
そんな時以外はあまり動こうとせず眠ってばかりいたので、私はスーまで具合が悪くなったかと心配した。
でも、今になって思えば、シーに遠慮していたのだろうと思う。
もしかすれば、スーなりに喪に服していたのではないか。
その証拠に、シーの姿が部屋から消えると、いつもどおり部屋の真ん中で寝るようになったし、昨日は抱こうとしてもなぜか嫌がったのに、今日は枕元で私の顔を長いこと舐めた。
今朝、シーを埋葬しに行こうとしたとき、出がけにスーへシーの体を近づけてみると、少しの間、顔を近づけて臭いを嗅ぎ、あとは扉が閉まるまで玄関先に座り、まっすぐ私たちを見ていた。
シーが部屋から去る瞬間は、スーに見送られたのだった。
ふたりが過ごしたこの部屋。ふたりで留守番したこの部屋。
***
ひとしきり書いて、今はシーが去って二日目の夜である。
そろそろ書くことがなくなってきた。
いや、本当はまだまだ書くことがあるけれど、書かずとも普通でいられるようになってきたというのが正しい。
シーを埋めてから、やはりなぜか涙は枯れた。
しかし本当に枯れたのだろうか。どこかに何かを、しまいこんでしまったのではないか。
いつかそれが、また津波のように防波堤を崩してなだれこんでくるような気がして、それが怖い。
いつ私は、本当のことを実感として自覚するのだろう。
冒頭に書いた「陽だまりの猫」について立ち返ってみる。
あのいなくなった猫は、物語の終盤に無事見つかったという連絡が来て、私演じる女の子はその場を去るのをやめる。
横断歩道の真ん中で丸くなり、ひなたぼっこをしているのが見つかったのだという。
何とも間抜けな話だけれど、女の子は少し、不安になる。
猫はどうしたかったのか。
もしかして、死にたかったのか。
それとも本当にただの、ひなたぼっこなのだろうか。
若い女の子グループで起こしたテロは、最初こそマスコミに注目されたものの、結局女の子たちのお遊びだと受け止められてか、結局誰にも相手にされず、つまりは飽きられて、あっけなく終焉を迎える。
籠城先の建物を囲んでいた野次馬もマスコミもいつの間にか消えてしまい、自分たちで閉じこもっていただけだったというお粗末な結果になる。
自分たちの本気を誰もまともに受けてもらえなかったと女の子たちは落胆する。
しかし、女の子達は意外なほどに皆さっくりと、じゃあ家に帰るねと言って散り散りに帰っていく。
世界の終末を控えて不安定な若者達はしかし、過剰に現実へ期待したりもしないのだ。
残ったのは、リーダー格の女の子と、私の演じた猫好きの女の子二人。
立ち去る勇気が持てない者と、立ち去る必要がなくなった者。
今の私は、その女の子二人、どちらでもあると思った。
シーがいなくなり、どこにも歩きだせなくなったような気持ちと、かたや、もうこれ以上シーを苦しめることはないんだと、歩かなくていいんだと安堵しているような気分。
だけど出来れば歩いていたかったと、ぐずぐずしている。
ぐずぐずして、外に出られない。
***
あの時シーは、ひなたぼっこしているように見えた。
ベッドに寝かせると西日が当たって、シーは気持ちよさそうに昼寝しているように見えた。
軽く頭をつついたら、声をあげて起き出しそうに見えた。
それで、ああ、ここにいるのは陽だまりの猫だ、と思ってこれを書くことにした。
あの小さないきものが、世界よりも大事に思えることが、確かにある。
あの黒縁猫にとって、私はどうだったのだろう。
私にはなにができたろう。
また答えのないどうどうめぐりになるから、早く眠ろう。
寝ぼけてシーのかわりに毛布を抱こう。
シーの夢を見たら、スーのお腹にもぐってヒーリングしてもらおう。
「たかが猫でしょう」
「たかが世界でしょう」
あの時の決断が、正しかったのか間違っていたのか、今もわからない。
しかし、ともかく私は連れて行った。
既に呼吸は止まっていた。
でも、心臓が僅かに動いているのが胸の動きでわかったから、私は連れて行った。
T動物病院は、出来たばかりの清潔さに満ちていた。
受付の看護助手が私たちの車を見ると、すぐに反応して中に招き入れ、奥の診察台へと導いた。
イメージしたとおりの若い獣医師、T院長が奥から走り出てきて、私たちはろくに挨拶も交わすことなく、緊急延命措置が始まった。
「心臓は動いてるな」というT先生のつぶやきだけを頼りに、診察台から少し離れたところで、私と元恋人、そして後ろに母が立ち、その様子を見守った。
T先生は助手に次々と指示を出していく。
黄色のコードは右足、黒のコードは左足につけて。
助手は慣れてないらしく、今ひとつ緊張感にかけるスピードで、言われたとおりのことをする。
そういえば、T先生から入院の話が出たときに、開業したてで曜日によってスタッフが充実していないと言っていたが、それが今日なのだ。
助手を見ながら、私がやるから代われと叫びたくだった。
しかし本当を言えば私は、代われるような冷静さなどどこにもなかった。
恐怖で立っていることもおぼつかず、元恋人にしがみつくようになんとか体勢を保っていた。我慢しようとしても唸るような嗚咽が口からこぼれ出る。
ドラマで見たような光景だとどこかで思っている自分もいる。とにかく現実感が消え失せ、揺さぶるような震えだけが体を支配していた。
管を通して人工呼吸を行い、シーの腹が上下しているのが見え、ほんの少し安堵した。
だけど少しして、心臓が止まっちゃったなとT先生が呟いて心臓マッサージを始め、つかの間の安堵は完全に吹き飛んでしまった。
これまた、かつてどこかのテレビで見たように、T先生はシーの胸をガンガンと叩いた。
ステンレスの診察台がバンバンと跳ね返って響き、シーの胸が潰れてしまうのではないかというその激しさに、私は恐怖で狂いそうになった。
ひときわ激しくT先生がシーの胸を叩いたとき、後ろに立っていた母が、泣きながら小さな声を漏らした。
もうやめて。かわいそう。
出てって、と私は母に怒鳴っていた。出てて、出てって。
そう言わないと、自分が立ってられなかった。
助手に連れられ、母はロビーに連れて行かれた。
ロビーから母の嗚咽が聞こえた。
先生はなおもシーの胸を叩き続けている。
元恋人は、私の手を掴んで身を固くしたままその様子を見守っている。
叩きながら先生が、助手に今の時間を記録するように言った。
呼吸停止、心停止。
8時50分すぎだった。
家を出て、これしか時間が経ってないのかとつかの間、ぼんやりした。
呼吸停止、心停止。
それはどういうことなのか。
よくわかっていたし、まるでわかっていなかった。
あの時の恐怖は、どうしてもちゃんと書くことが出来ない。
いつまでも、書けないのかもしれない。
「もう」
と、私はついに言ってしまった。先生の手が止まった。すぐに止まった。
「どうしますか、続けますか」先生が言った。
これ以上続けて、可能性はあるのですかと私は聞いた。
先生は言った。
かなり確率は低いです、特に既に重病を患っている猫ちゃんの場合、可能性は限りなくゼロに近いです。
じゃあもういいですとかなんとか、ありがとうございますとかなんとか言って、シーに駆け寄った。
殴らせてごめん。ごめん。ごめん。
気を利かせて先生は部屋を出ていく。それからしばらくの間、私はまたしてもどっかのドラマで見たように、ステンレスの診察台で横たわるシーにすがりついて泣いた。
T医師は、シーの体をきれいにした後、若い医師らしく、お力になれずすみません、お悔やみ申し上げますときっちり頭を下げて、私たちを見送った。
若いあの不慣れな助手は、ほとんど半泣きで力になれずすいませんでしたと謝った。
なぜかその顔を見て、お前が泣くんじゃねえと叫びたいような乱暴な気分にかられた。
一旦家に帰り、新しいタオルを持参してシーをくるんで帰った。
シーの体は、ビックリするほど柔らかくて、ふわふわだった。
本当に眠っているように見えた。
なんと安い表現かと言われるだろうが。
そうとしか思えない瞬間はある。
***
これが、今朝までの出来事だ。
今朝、と書いているけれど本当はこれを書き始めて丸一日が経とうとしている。
つまり今朝とは、もう、昨日の朝の話だ。
自分でも予想しないほどに長文になってしまった。
誰に向けたわけでもなく、自分のためだけに好きに書くと、これだけダラダラとした長文が出来上がると言うことか。
でも、おかげでこれを書いている間は少しだけ冷静でいられた。
これを書き終わったら、私は何をすればいいだろう。
するべきことはわかっている。たくさんある。
待たせている仕事、待たせている人たち。なんと好きにさせてもらったことか。
本当にごめんなさい。すべきことはわかっているし、私はそれをちゃんとするつもりです。
ただ、私はどうすればいいのだろう。どうすれば。
だから、もう少しだけ書こうと思う。
シーは今朝(昨日ではなく、本当の今朝だ)、私と、母と、恋人と、元恋人の手で、父が掘っておいてくれた実家の庭の下に埋めた。
さすがに恋人と元恋人が私の両親の前で一同に介するなんてことは今までなかったので、それはだいぶ、奇妙な光景だったと思う。
元恋人は親ぐるみのつき合いだったので慣れているが、現恋人は今まで両親とまともに挨拶したこともほとんどない。
父なぞ新しく出会った恋人をどう解釈して良いかも分からぬ様子で、私たち一行から離れた場所で黙って見ていた。
母は、本当にありがとうございましたと、元恋人と恋人に交互に挨拶をした。母なりに、均等なバランスを気にしているようでもあった。
いつか、あの変な風景を思い出して笑えるときもくるかもしれないと、少しだけ思う。
私は庭に埋めるのがどうしても嫌で、しばらく庭先で母と押し問答をした。
シーの白い毛に土がかかるのが嫌だった。まだ柔らかく、いい匂いがする腹をさわれなくなるのが嫌。あの鼻くそホクロのある顔を見られないのが嫌。キスできないのが嫌。
全てが嫌でたまらない。今まで何度も猫たちを庭に埋めてきたのに、こんな気持ちは初めてで、自分でも整理がつかない。
夕べ恋人に、暖かくて柔らかい場所で少し休んだら、すぐにまた生まれ変わって会いに来てくれるよと言われ、納得したつもりだった。
今朝元恋人に、私が浅い眠りの中で何度も見た夢のように、シーは寝てる間にまた私へ会いに来てくれるよと言われ、納得したつもりだった。
母に、うちの庭ならすぐ会いに来れるじゃないと言われ、納得したつもりだった。
三人全ての意見を混ぜ合わせるとだいぶ混沌とした世界観になる。
が、どの言葉にも納得したし、そう思いたかった。
それでも私はシーを手放せず、さんざん埋めたくないと駄々をこねたあげく、しっかりしなさい、あんたがそんなに苦しんでいたらシーだって心配しちゃうじゃない、と母に叱られて、ようやく埋めることにした。
そんな母もまた泣いていた。
私と元恋人、恋人の三人で、タオルに寝かせたシーをゆっくりと土の下に沈ませた。
タオルを二重にして包んだけれど、やはりほんの少しシーの足に土がかかってしまった。
父が途中でやって来て、火のついた線香を穴の近くの土に刺し、黙って戻っていった。
土をかける作業は、私一人で行った。時折土の中に混ざっている石を元恋人が取り除いてくれた。
不思議なことに、土をかけているとそれまで駄々もらしになっていた涙が引いていった。
やけに落ち着いた気分になり、頬に春先の風を感じる余裕すらあった。
それは、哀しみが去ったということなのか、もっと大きな哀しみが襲ってきたということなのか、今はまだ、わからない。
シーを埋めた後、みんなで一本ずつ、線香を刺して家を去った。
父と母、恋人と元恋人。そして私の線香。
いろんな人に支えられてるんだから、しっかりしなさいと母は帰りがけにまた言った。
自宅への短い帰り道で、それまでほとんど口をきいてなかった恋人と元恋人が、私の後ろで、ありがとうね、こちらこそ、と言うような会話を交わしていた。
こんなにも苦しい哀しみの最中で、皮肉にも私は、まれにみる優しい時間の中にいた。
家に帰ると、シーは元恋人の膝に抱かれていた。膝にいると少し落ち着くらしい。
昨晩と同じ様な症状に見えた。呼吸が浅く、目が開かれて、体はグッタリしている。
それで、昨日夜間病院から帰ってそうしたように、コーラをスポイトで飲ませてみた。
飲ませるとやはり、少し落ち着いたように見えた。だが、夕べも蜂蜜を飲ませて血糖値が20しかなかったわけだし、本当に低血糖なのか、やはり判断しきることが出来ない。
このままにしておけず夜間病院に電話すると休診日の留守電が聞こえた。T病院に連絡するかM病院に連絡するか迷ったあげく、今までの病状を知っているMにもう一度連絡をすると、幸いにしてM先生がつかまり、今から見てくれるというので、母の運転する車で元恋人と共に向かった。
血糖値は400以上あった。低いどころかむしろ高かった。コーラを飲ませるべきじゃなかったかと反省したが、M先生は「低血糖も高血糖も似たような症状なんです」と言った。
私も、このことであまり自分責めるのはやめようと思った。素人には、かようにわかりにくいものだということは、良くも悪くも糖尿病と向き合ってみてわかったことだからだ。
先生は母がいるので、また糖尿病について延々と話し始めた。
母は実家の犬や猫を診せてきたので、私以上に先生と関わってきたからだ。
私は処置を急いで欲しくて焦った。結局、血糖値の変動が不安定だからインスリンを打ってもまた下がりすぎちゃうかもしれないから水分を背中に入れましょう、という結論が出るまで、先生の話が行ったり来たりで長らく繰り返され、だいぶ時間がかかった。
そして、会計の段になり、母が払ってくれると言って私と元恋人が先にシーと共に車に戻されても、M先生は相変わらず延々と母と話していた。
私は早くシーを家に連れて帰りたくて、どうしようもなく苛立った。先生が話しているのは、私と見解が違ったこと、他の病院を薦めたことなどであるのはあきらかで、それはもはや母を味方に付けておきたいという先生自身の保身のためだった。
獣医師にとって今、猫の体調よりも優先することがあるのか。
ここまで書いてまた、やはりM先生は良い先生じゃないのかもしれないと思う次第だ。
シーの体調は、さほど良くならなかった。しかし少しだけ、呼吸が落ち着いている感じはした。
その日は、シーをベッドに寝かせ、一緒に眠った。
このところ睡眠不足が続いていた。今日こそはゆっくり寝ようと思いつつ、結局気持ちが落ち着かず、朝早く目が覚めた。
***
そして、今朝だった。
シーは同じ所に寝ていたが、ずっと目は開いたままで、眠れてる感じはしなかった。
やはり呼吸が浅く、元気がない。
予定より30分早く、診察開始の時間だろう9時にはT動物病院に連れて行くことに決め、朝食を取りながら様子を見ていた。
時折、ヒューンという泣き声を上げる。それは私がずっと、早くまた聞かせてくれと願い続けた泣き声とは違う、か弱い、小さな小さな泣き声で、そのたびに私も胸が詰まった。
泣き声の後、シーはソファで尿を漏らした。
これ以上負担を何もかけたくないとオムツもはずしていたから、大量のおしっこはソファに大きな染みを作ったが、ほとんど匂いはしないし、私も、もう気にもならなかった。
膝に乗せていると良いかもとずっと抱いていたが、体勢が苦しいかと思ってソファに寝かせた。シーの体の下に敷いていたタオルごと移動させようとしたら、首がグッタリしるため、持ち上げたタオルでのどが絞められてしまい、慌てて謝って寝かせなおしたりした。
後は口を湿らす程度に水を口に流してみたり、ヨダレを拭いてやったり、もうそんなことくらいしかできることはなかった。
ソファに移ると、シーはぐらぐらする首を頑張って持ち上げて下に降りたがった。
M先生が、頭がふらつくのは脳にも影響がいってるからだと繰り返し言ってきたことを思い出し、シーの揺れる頭を見るたびに苦しくなった。
降りようとしても足がうまく動かないので体は起こせない。シーは首だけで、私の膝を目指してるように見えた。
これはもう、飼い主の思いこみだと思われるかもしれないが、シーは私の膝に来たいのだと直感した。
あぐらの上に抱き寄せ、出来る限り首が苦しくないような体勢を取りながら、膝に寝かせたまま朝食を取った直後だったか。
シーは、またあのヒューンと言うような泣き声を漏らした後、ぐーっと体を伸ばす姿勢になった。
そして、苦しそうにケホケホとえずきはじめた。吐いても、胃液しか出ず、苦しそうにしている。
一番恐れていた瞬間が、迫っていると思った。
急いでT動物病院に電話し、元恋人には、自宅から徒歩数十秒の実家にいる母に、急いで車を出すよう頼みにいってもらった。
電話している間も、ケホケホとえずき、ついに呼吸が断続的になってきた。
目は大きく見開かれ、しかしどこも見ていない。
T先生はすぐ電話に出た。そして、それは本当に非常事態だから、早く連れてきてくださいと言った。
私は病院に連れて行くべきかどうか、またしても迷った。
電話している最中に、呼吸はほとんど止まっていた。時々、思い出したようにケホ、と息を吐くだけになっていた。
これこそ本当に、手の施しようがない瞬間に思ったから、私は迷った。
このまま逝かせてあげるべきなのか。
だけど、もしかすれば一時的なものかもしれない、もしかしたらまた落ち着くかもしれないと思うと、先生の言葉に従わずにいられなかった。
シーを抱いて実家に走り、母と元恋人と共にT動物病院へ向かった。
翌日も、いつものように恋人が運転する車でM動物病院へ預けに行った。
とはいえ、今日はただ預けるのじゃなく、K先生からもらった診断結果がある。それを見せてもう一度M先生と話し合い、どうにも話が食い違ってしまうなら転院しようと言う心づもりだった。
果たして、M先生とのやりとりは予想したとおりだった。
カリウムはもう点滴に入ってますから、これ以上入れて良くなるものではないと言われ、輸血の話をしても、したからと言って良くなるかどうかわからない、むしろ溶血などうまくいかない場合もあると言われた。その夜間病院の先生と私では考え方が違うのでしょうねと言う返答だった。
ともかく、これ以上何かをしても意味があるかどうかわからないと言うのがM先生の答えだった。
少しでも良くなるなら何でもしたいんですが、先生はこのままの治療で良いと思っているのですかと、半ば喧嘩腰で聞いた。M先生と話しながら、もはや私も恋人も完全に腹を立てていた。
言いたいことをちゃんと受け止めてもらえず、話の腰を折られいちいち解釈が食い違ってしまう苛立ちもあった。
K先生の診断書を軽く見て流しかけたのも疑問だった。
そして、あれだけK先生が気にしていた貧血について「糖尿病の猫というのは貧血になるものですから」というような回答で一蹴されたことに驚いた。
このままの治療方針で良いのかという問いに対するM先生の答えは、「これが一般的な糖尿病の治療であると私は思ってます」ということだった。
詰まるところそれは、手の施しようがないという答えだ。
もう、病院を変えるしかないと思った。
この日はひとまず、目の前で血糖値を計ってもらってから今まで通りシーを預け、稽古場に向かう前に自宅近くのT動物病院へ電話をかけた。
昨晩、夜間のK先生に、「このままM病院へ通い続けるべきでしょうか」と相談してみたところ、K先生は合わないと思うなら変えても良いかもしれませんねと言って、Tを紹介してくれた。
ここが格別糖尿病に精通しているというからではない。家から近く、また新設の病院だからどうかということだった。
「若い医師は勉強してるし、開業したての獣医師はそれこそ信頼を得るためにも必死でやりますから」
それがK先生の意見だった。
ここのお医者さんは信用できるから、と言うような回答を望んでいた私はちょっと拍子抜けしたけれど、他に動物病院を知っているわけではないから、ともかくまずは状況を話し、ちゃんと話が通じる医師か、誠意がありそうかどうかで判断しようと思った。
T動物病院の院長は、声からしてやはりK先生の言うとおり、若い獣医師だった。
私はまたしても、昨年の乳腺腫瘍の健から順を追って話していった。昨日の夜間病院でのことも、今朝のM先生との話まで。
T先生は丁寧に応対する先生だった。力のある先生なのかどうかはまだわからないが、ちゃんと話が通じることは確かなようだった。そしてT先生も同じく、貧血を気にした。K先生にもらった飼い主用の検査結果表を見ながら数値について述べると、それはかなりの貧血状態ですねと言う答えで、やはり、T先生の回答も「ただの糖尿病ではないかもしれません」と言うことだった。
そしてやはり、「私は腎臓に問題があるのではないか」とのことだった。
K医師とT医師、二人から共通し体験を受け、私はM病院を離れることを決めた。
更にT先生は、話を聞く限り確かに大変な状況だと感じるので、もしうちに預けるなら入院させて徹底的に検査をし、集中的に看た方がいいと思うと言った。腎臓のレントゲンもとりたいし、エコー検査もしたいと言われ、私は回復を目指そうとしてくれることが何より嬉しかった。
病院を一つに絞らず、他の所にも診察に行って相談することをセカンドオピニオンと言うらしいが、それをしてみましょうということを名目に、だがほとんど気持ちは転院するつもりで、明日の朝に約束を取り付けた。
その日稽古場へ行く前に、私は劇団のメーリングリストで猫の現状について劇団員に話した。
それまで、私が病院通いをしていることは、演助のゆかなどに話す意外は、ほとんど内緒にしていた。皆、私がどれだけうちの猫に依存しているか知っているので心配をかけると思ったし、同情をかけられることで、気弱になりそうな自分もいたからだ。
だけど、転院を目前にして更にこの緊迫状態が長期戦になることを覚悟し、何かあったときは皆の協力を得ることもあるだろうと話すことにした。
出来るだけ普通に過ごしたいという私を察して、その日の稽古場で皆があからさまに私に同情の目を向けることはしないでくれた。それが何よりありがたかった。
だけど帰り際、私がバタバタと皆より先に稽古場を去ろうと言うときに、劇団員が次々に私を抱きしめに来た。何も知らない客演陣にとってはさぞや気味の悪い光景に映ったことと思う。
涙ぐむ劇団員を見て、おめえらが泣いてどうする、と思いつつ、また仲良し集団とかって冷やかされるワアなどと思いつつ、こみあげるものを私自身も押さえきれず、ありがたさと嬉しさと、シーを失うかもしれない恐怖がまた襲ってきて、半端な嗚咽を漏らしながら帰った。
***
その夜、シーの体調は悪化した。
稽古場を離れて、今日猫を引き取りに言ってくれた元恋人に電話をすると、彼は不安を隠さない声で、早く帰ってくるようにと言った。シーの呼吸が浅く、グッタリしているという。
再び恐怖だけが襲ってきた。焦っても焦っても、電車はいつもと同じ時間を走る。
今日の様子を知るために、Mに電話をすると、シーの症状についてよりも、今朝の喧嘩について謝罪された。自分は飼い主さんの気持ちを理解してなかったかもしれない、なんとしても助けたいとまで考えているとは思っておらず、勝手に存命させることを望んでるのかと解釈していたと詫びられた。
なぜそう思ったのか。思い当たるところはいくつもあったが、そう考えると、M先生は前から私の言葉を勝手に解釈してしまうことばかりだった気もする。
良くなるかどうかわからないけど何でもしたいと思ってるのであれば、大学病院を紹介しますし、糖尿病に精通した川崎の獣医を紹介しますと言われ、その言葉に刺があるような感じを受けつつも、今さらどちらの案も現実的ではないと感じていた。
まず、大学病院はどうも聞くところ順番待ちのようであり、また川崎は距離的に厳しい。
私は車の免許を持ってないし、稽古もますます忙しくなる時期で、毎日通うことが出来ない。
だから近くのT病院にセカンドオピニオンしてもいいかと聞くと、どうぞどうぞという感じで快く了解を得た。
M先生はむしろもう、私たちを手放したいような感じがして、私もまたM先生を見放した気持ちになった。
ここまで書くと、M先生はダメな獣医であるというように読めると思うが、実際は多分、ちょっと違う。
私はコレまで、うちで暮らしてきた犬や猫を、子供の頃からずっとこのM動物病院に診せてきたのだ。
助けられて感謝したことも幾度もある。
別の場所に済んでいた頃、数回別の獣医にかかったくらいで、今まで他の獣医と深く関わったこともなく、いわば私にとって動物病院とはMが基本だった。
だから、見解が違うとか、相性が合うかどうかと言うこともわからなかったのだ。
先生の言うことも、全て間違っているわけではないのだ。
今私が置かれている現実を見れば、先生の言うとおり、「手の施しようがなかった」とも言えるのかもしれない。
ただ、M病院の治療方針は、私の求めているものと違った。
それを、今回初めて知ったということだ。
M先生から、この日のシーが特別状態が悪かったというようなことは聞かなかった。
元恋人は毎日シーの様子を見ているわけではないから、たまたま元気がない様子を見て心配になっているだけではないかとも思った。
動揺する自分を押さえたくて雑誌を読んだ。それでも不安と焦燥は募るばかりで、電車の乗り換えのたびに元恋人に電話をして様子を聞き、大丈夫だと言ってくれとむりやり頼んだりしながら家路を急いだ。
翌日の深夜、夜間の動物病院へ駆け込んだ。
稽古から帰ってきたら、シーはいつもより元気に見えた。
目がパッチリと開き、首を動かして辺りを見回す。
動きが活発になるのはインスリンが効いている証拠で、調子がいいときは相変わらず私の膝に乗ろうとする。この夜も最初はそんな感じがしたから、ああやっぱり少しずつ体力が復活しているのだと思っていた。
だけど、夜が更けて行くに連れ、どうも様子がおかしいことに気がついた。
目が開きすぎている気がする。もともとシーは目が大きく、バチッと丸く開いていて、普段からビックリしたような顔をしている。最初にもらってきたときは手塚治虫のマンガに出てきそうな目の美猫だなあと思ったから、そうして目が開いているのは通常かと思われたが、それにしてもどこか爛々としている感じがあった。それで、しきりに首を動かしどこかにいきたそうなのに、下半身が思うように動かず、もどかしそうにしている。
このところシーはトイレに行くのもおっくうなのかよくお漏らしをしてしまっていたので、ペット用の紙オムツをしていたのだが、やはりその夜も点滴で水分を入れているから大量におしっこをしたのだけど、動きたがってる上半身に対し、下半身に力が入っていない。
コレは変だぞと思って心配していると、恋人がネットで調べ、低血糖の症状に似ているという。
ひとまず、ネットにあったとおり家にあった蜂蜜をスポイトで飲ませると、少し落ち着いたように見えた。
更に、夜間専用で診察を受け付けている地元の動物病院に電話相談してみたところ、低血糖ならば沸騰させて気の抜けたコーラをさまし、それを飲ませるようにと言われた。
コーラには即効性があるらしい。ちなみに、ペプシではダメで、コカコーラにするようにとのことだった。
すぐに恋人がコーラを買ってきて準備した。
夜間病院の医師には、出来れば病院に連れてきた方がいいけれどと言われたが、またしても別の病院に行くことに抵抗があった。ちょっと心配になったからと言ってすぐに病院に駆け込んでてはシーもくたびれるのではないかという想いもあったし、夜間は診察料も多くかかる。
それに以前、まだシーが小さい頃にも急に吐き気をもよおして、当時済んでいた場所の近くにある夜間病院に駆け込んだことがあったのだが、その時は信用できない怪しい獣医師に当たってしまった経験があったため、同じ鉄は踏みたくないと言う想いもあった。
それでもシーの今の様子は気にかかる。
M先生にあの「あと数日もつか」の診断をされてから、このごろちょっとした変化にも動揺していた私は、一人では判断できず、おろおろしていた。
恋人は、俺は大丈夫だと思うけど、私が心配なら行ったほうがいいと言った。
私は、行かない、と一度は決め、すぐにやっぱり行くと言い、その後また躊躇した。
その様子を見て、もう行こう、行った方がいいと彼に後押しされ、結局コーラを飲ませるのはひとまず置いて、病院へ向かった。
夜間動物病院は、M病院よりも建物が古く雑多な雰囲気があり、受付に立つ女性助手も、美人揃いのM病院に比べなんだか微妙に歪んだ顔をしていたので、私は以前行った夜間病院を思い出し、不安になった。
夜間病院の獣医師K先生は、髪の毛にふけが溜まり、常に半笑いで話す先生だった。
これで更に不安になるところだが、M先生には散々不安を煽られるようなことばかり言われていたので、さほど動揺することもなくてきぱきと対応するそのK医師の様子に、私は少し安堵した。
またこれまで、私がM先生と話をするときは、早口で大量の情報を繰り返し言われ、もはや頷くのみという状況に慣れていただけに、今回も、途中で口を挟まれることを恐れて急いで出来る限り詳しく状況を説明したが、K先生は私の話を中断せず、全て聞いてくれた。
検査の結果、やはり低血糖ですねと言われてその場でブドウ糖の点滴を打ってもらった。
計ってもらったところ、シーの血糖値は20しかなかった。
色々調べたところによれば、高血糖も危険だが、インスリンが効きすぎて低血糖になるのも危険だという。場合によっては命を落とすこともあるらしく、むしろ低血糖の方が高血糖以上に危険である、と言う意見も多い。
二本の点滴と注射の後、K先生が「ウン、コレでだいぶ良くなったんじゃないかな」と言ってシーの首元をキュッと掴んで顔を起こすと、シーは今目覚めたようなような顔で首を上げ、久しぶりにウニャンと声を出した。
その瞬間、私は泣き出したくなった。横にいた恋人も「良かったあ」と言って大きく震える息を吐き、私たちは互いにがっちりと手を掴んで安堵した。
猫のたったひと泣きが、どれほど安心感を与えるか。それは信じられないほど大きなものである。
しかし、気にかかることはまだあった。
その始めは、夜間病院に到着した際、K医師からどんなインスリンをどの程度打っているかと質問されたときだった。
私たちはなにも知らなかった。恥じ入るようにわかりませんと答えた。
その時になって初めて、私たちは、そういうことを病院に聞いてもいいのだと知った。
ネットで調べる猫ちゃんの闘病記の多くは、飼い主さんがかなり詳しく病状を記載している。
インスリンが即効性なのかどうかや、その量についても詳細に記述している方もいる。その方たちはおそらく、ご自宅で自分自身の手でインスリン投与しているから知っているのだと私は思っていた。M先生に聞こうとはしていなかった。
というか、何かを聞けばM先生に深刻だと言われてしまうから、今はまだ聞いてどうなる時期ではないのだと、変な言い方だが、聞いていいレベルに私たちは達してないのだと、私も恋人も理解していた。
いつも聞かされるのは朝と夜二回の血糖値だけ。
合間も何度かインスリンをうち血糖値を計ってますと言われていたのだが、その詳細よりも、料金は二回分しか頂きませんから、と言うようなことばかりM先生に言われる、と以前恋人が漏らしていた。
だけど考えてみれば、こうした事態に備えて詳しく聞いて良かったのだ。というか、それは常識だったのかもしれない。
ここでまた、私はM医師に不信を感じるようになる。
その不信感が更に高まったのは、K医師から血液検査の結果を聞いたときだった。
私たちの言葉だけでは情報が少なすぎたので、K先生は血糖値の対処しつつ、その合間に血液検査をした。
すると、思いがけないことを言われた。
「とにかくひどい貧血ですね。これじゃご飯食べられないでしょ」
貧血?
寝耳に水だった。M病院から貧血について聞かされたことは全くなかった。
ご飯が食べられないのは、胃が弱っているからで、胃が気持ち悪くて、食べられないと聞いていた。
もちろん、じゃあ胃が治れば良いんですね?と言う聞き方をすれば、そういう問題じゃない、とにかくあちこち悪くなっていくから事態は深刻だと言われてしまうわけで、とにかく今は、胃を薬を入れた点滴で徐々に回復させるしかないし、奇跡を待つように、胃の回復をひたすら待ち続けるしかないと思っていた。
ところが、K先生には、胃だけではなくて貧血が食欲を減退させているから、個人的には輸血を薦めますけどねと言われた。輸血とは、私にとって全く新しい治療法だった。
K先生は他にも、足が動かないのはカリウムが不足しているからだということや、他の状態はこうなってますと言うことを検査結果の紙を私たちの前に見せて一つ一つ説明してくれた。血液に遠心分離をかけ、その血を見せてもらいながら、黄疸についても説明を受けた。
ひとつひとつ、細かいデータを元に説明を受け、初めてなるほどと思ったことがいくつもあった。おそるおそる、今まで怖くて聞けなかった質問などもしてみたが、そのたびにはっきりとした回答をしてくれた。病院へ毎日連れて行く意外、もうできることはないのかと思っていたから、少しでも出来ることが見つかったような、どこに向かうべきかという目標が少しだけ見えた気がして、私の気持ちは少し明るくなった。
K先生にはもうひとつ、その貧血の度合いなどを見て、これは通常の糖尿病とはちょっと違う気がする、と言われた。
私は腫瘍のことについてはもう話していたから、その影響もあるのかなと思った。
検査に手間がかかる腎臓についてはこの日のうちに調べることは出来ないから、この前腫瘍の再検査で調べたとき、腎臓はどうでしたかと聞かれたが、私ははっきりと答えられなかった。
そういえば再検査の結果を、詳しく聞かされていなかったのだ。転移は見つからなかったと聞いて安心したのもあるし、なにより糖尿病が見つかった時点で、そちらの方に治療がシフトしていたからだ。
特別に聞かされていない時点で、私は基本的には健康で糖尿病だけが問題なのだと思っていたし、何度も書くように、今となってはあちこち悪いというような形で聞かされることが多かったので、改めて着目すべきことだと思っていなかった。
K先生には、カリウム不足を点滴で補って欲しいことや、輸血の案も含めて診断書を書き、M先生にコレを見せるようにと手渡された。
その日は結局、体調の戻ったシーを抱いていそいそと帰ったが、私は転院することを真剣に考えていた。
家に帰ってシーは、ヨロヨロとではあるが、歩けるようになっていた。
膝に抱いていたが、ソファの方が居心地がいいかと思い寝かせてみると、自分から降りてきてまた私の膝に乗った。
M動物病院へ通う日々が始まった。
最初にインスリン検査をした日に、問題なくご飯を食べられるようになっていれば、そのままインスリンの適量を決めていけるはずだった。ところがご飯が食べられないので、それ以上検査を薦めることが出来ない。まずは食欲が出るよう体調を戻さなくてはならないと言うことになり、毎日、点滴を行った。
吐いた夜の翌日からは点滴に胃酸を押さえる薬を入れてもらった。
胃がやられていることから、吐いたものに血が混じっていると聞き、止血剤も点滴にはいることになった。
恋人が実家の車を運転し、朝9時すぎに病院へ向かう。
そして夕方、再び恋人が運転する車で引き取りに行く。
その繰り返しがしばらく続いた。
私はもうKAKUTAの稽古がほぼ毎日入っていたから、引き取りに行けない日は恋人に頼み、家に帰るまでのその日の様子を逐一メールで報告してもらった。
私も恋人も行けない日は、元恋人にお願いした。
元恋人は、シーが我が家へ始めてきたときからずっと付き合ってきた、いわばシーとスーにとって父親的な存在である。恋人という関係がとだえて今やむしろ完全に私の家族であり、かげがえのない存在となって、現在も公私ともに助け合って生きている。
だから、端から見れば二人の男性に協力を得ていることが少し奇妙にうつるかもしれないし、やや複雑な関係を非難する人もいるかと思うが、どちらもシーのために心から協力してくれていた。
そんな生活が数日続いても、シーの体調が著しく良くなることはなかった。
「昨日より少し目がしゃっきりしている気がする」とか、「昨日より首が動いて元気そう」だとか、本当にささやかな変化を見つけては喜び、ちょっとずつでも良くなっていると思おうとしていたが、やはりご飯は食べられず、点滴の生活を脱することが出来ない。
それまで、稽古に向かう電車の中でも糖尿病のネコちゃんを世話している方々の闘病記などを読み、シーの様子と当てはめて参考にしたりしていたが、シーの変わらない病状から、徐々に他のネコちゃん達の様子と当てはまるものも少なくなっていった。
そして病院通いが数日続いた頃から、私には少しずつM先生に対し不信感が生まれていた。
車で通わねばならない距離のM動物病院はNという町にあるのだが、もともと自宅から徒歩数分のところに同じM動物病院が経営するSという支店(といっていいのだろうか?)がある。
それまではずっと腫瘍の手術も含め、Sの方に通っていたのだが、先に書いたとおり、久々に再検査へ訪れた際、たまたまM院長先生が来ていて、糖尿病もM先生が発見したことから、「出来れば私の方が看ていきたいのでNまで来られませんか」といわれ、Nまで車で通うことを決めたのだ。
M先生は院長なので、Sほかあちこちの病院を行き来しているらしく、当然他の患者の診療もあるので忙しいのか、最初こそ朝連れて行けば目の前で血糖値を計ったりしてくれていたのが、そのうち別の先生からその日の様子を聞かされると言うことが多くなった。
朝連れて行ってもM先生がおらず、その日その日で別の先生が病状を聞きに来る。
医師が変われば説明ももう一度必要になるので、何度も糖尿病について同じ説明を聞く羽目になる。
預けに行ってもその日どんな治療をするのか説明がなく、はい今日もお預かりしますねと、その都度違う医師にただ受け取られてしまうという状態になっていた。
ある時、シーの体内からケトン尿が出ていると聞かされた。
ケトンという有害物質が体内で生成され、それが尿として排出されていると言うことだった。
確か、その前日くらいからケトン体が出ているので…という言葉を聞いていたのだが、聞く医師が毎回違うこともあり、わからない分はネットの闘病記などで情報を集めて補っていたものの、ケトンが出て以降体調が改善されたケースも少なくないようだったので、それがなんなのかはわかっても、その深刻度がいかなる程度か、最初は今ひとつわからなかった。
ある日の朝、いつものようにシーを預けにいく際、またも違う医師にシーの体調を聞かれ、ケトンに対し昨日と同じ説明された私は苛々し、院長先生から聞きたいと言ってわざわざ呼び出してもらった。
その時のM先生からの説明はショックなものだった。
やはりその「ケトン」が出ていると言うことから病状は深刻であるということを言われたのだが、実はM先生は、数日前のシーの様子を見て既に、「あと一日もつかどうか」くらいの状態だと思った、というのだった。
しかしそのわりにシーが頑張ってくれて命が繋がっているのが今の状態なんです、と説明を受け、少しずつでも良くなってるのだと信じていた私は、ショックだった。
もともとM先生は、同じ説明を長々繰り返し話すと言うところがあった。早口でまくし立てて、質問を与える隙をあまり作らないところがあり、私もその言葉の量に圧倒され、なんだか漠然と了解したような気になって帰ることもよくあった。
また、なにかを聞くと、深刻な状態ですと言うことばかりを違った表現で繰り返し言われるため、色々質問したくとも、気持ちの沈む答えしか返ってこず、その日も延々と、改善は望み薄であることを聞かされた。
私は、いつになったらインスリンが自宅で打てるようになるのか聞きたかったが、今はそれ以前の問題だと言われてしまった。
インスリンの投与と点滴、そして必要時には背中に糖を注入したり水分を入れたりして、毎日一万数千円の金が消えていく。
自分の生活費用の預金はもう底をつき、普段手を出さない貯金から引き出して治療費に充てていた。
良くなってるかどうかもわからず、毎日違う医師に預ける病院通い。
目標が見えないことがさすがに不安で、この生活をいつまで続ければいいのかM先生に聞くと、先生は、飼い主さんの判断次第だと返した。
私は、どこに向かって頑張ればいいのかという目標を知りたかったのだが、先生は私が経済面を気にしていると受け取ったようだった。
治療を辞めて、現状を受け入れ、諦めるのか。
それともこのまま、お金がかかっても命が一日でも続くように処置し続けるのか。
それは患者さん次第ですと。
つまりは、私とM先生の見ているところが違ったのだ。
私はシーを治すことが目標。治したいと言っても、糖尿病が一生向き合って行かねばならないものだというくらいは私もわかっていたが、自宅療養できるくらいになることを目指していたのに対し、M先生はシーに対し、現状維持が目標だった。
先生の話を聞くことが怖く、辛く、何か言い返したくとも、声が震えて旨く喋れない。結局その日は、恋人がほとんど先生と話し、帰ってきた。
ケトンが出ていても治ったネコはたくさんいるよと、同じくネットで調べていた恋人に力強く説得されて稽古場へ向かったが、電車に揺られている間も、もし失ったらという恐怖が波のように襲ってきて、結局稽古場近くの駅の前で泣き崩れてしまった。
演助のゆかに少し遅刻させてくれと電話をしたら駅まで迎えに来てくれた。その場で立ったままゆかにすがりついてひとしきり泣き、結局稽古は30分遅れていった。
シーが乳腺のガンを患ったのは、去年の秋だった。
いつものようにシーを膝の上に乗せて、恋人と談笑していたとき、お腹に小さなイボを見つけた。ほんの小さな、何でもないかわいらしいイボだったけれど、胸騒ぎがしてお医者さんに見せに行ったら、すぐに摘出することになった。
ネコの乳腺に出来る腫瘍は、十中八九悪性らしい。シーも、やはり悪性だった。
どこからみても病気には見えない元気な様子から、にわかに信じられなかった。
降ってわいた悲劇に最初は動揺したけれど、手術も無事成功し、ガンも全摘出され、その他に転移も見つからなかった。
麻酔で気管が締められたのか、術後すぐは喉をけほけほしていたものの、相変わらずでっぷり太って元気そうだったので、獣医師の「このまま再発しなければそれでこの病気はおしまいというケースもありますし」という言葉を頼りに過ごしていた。
傷を舐めないようエリザベスカラーを渡されたけれど、太い首にカラーが苦しいのか嫌がり、対処として人間用の太股用サポーターを買ってきて腹巻きをつくり、傷を舐めないようにした。
大島弓子さんのマンガに載っていたのを、マネしたのだ。
その頃のシーは、スーよりも太っていた。
退院する際、獣医師に今後はダイエットさせましょうねと軽く言われたけれど、太っていること自体はあまり気にしていなかった。
血液検査で、「腎臓が少し値を上回っている意外は全て正常ですね。まあ高齢だとそれなりに値が上回ることはあるんで」と言われていたのもあり、あまり深く捉えてなかったのだ。
腫瘍の転移を知るためレントゲンを計った際、太ったお腹の部分を医師が指して「この辺が脂肪ですね…」と言われたときは、それまでべそべそ泣いていた私は思わずブーと吹き出した。
それはひとまず健康な証拠、だと、思っていた。
今年に入り、いつ頃からか、ネコ用の水飲みグラスが目減りするのがやけに早くなった。
腎臓がやられているとネコは水を飲みたがると言うことは、大島弓子さんのマンガなどでなんとなくは知っていたが、スーとシー、どっちのネコが水を多く飲んでいるのか最初はわからなかった。
もちろんおしっこも大量にした。けれど、食欲は旺盛だった。
何となく痩せたんじゃないかという気もしたけれど、相変わらずお腹は太ってた。
私は、トイレ砂がカチカチになるほどの尿の量で心配になり、恋人や、元恋人、母などに相談してみたけれど、皆、食欲もあるし太ってるし、心配しすぎじゃないかということだった。
冬で乾燥してるからじゃないかと言われ、加湿器をかけたりしていた。
実際その頃の私は、シーの背中に小さなニキビが出来ただけで獣医に電話したりして(それはほんとにニキビだったのだろう、すぐ消えた)、気にしすぎてる部分もあった。
そのくせ、シーがガンの時、病院通いをかなり嫌がっていたため、それがストレスになってガンに悪影響があるのではないかと心配したりして、あまり神経質になって病院に通わせてもシーが可哀想かもしれないと、病院へ行くのをしばらくの間、躊躇っていた。
だけどある時、やはり病院へ行こうと決めた。それは、ほんのささやかなシーの行動だった。
シーはドライフードのカリカリが好きで、お腹が空くと自分でフード置き場にあるシーバなどの小袋のフードを、自分であけて食べてしまう癖があった。そのたび取り上げてちゃんとあげ直したりしていたのだけど、その日は、様子がおかしかった。
ドライフードはご飯の皿に入っているにもかかわらず、新しい袋を開けて食べようとしていた。
食欲があるんだかないんだか、よくわからない。だけどなんだか、いやな予感がした。
恋人と病院へ行く約束をした。
だがその時は別の事情で行けなくなり、数日後、たまたま元恋人がうちに来たとき(この辺の微妙な関係については詳しく書かないが)、シーの様子を見て、私が病院へ行きたがっていることを知っていたのもあって、「元気がない気がするからやっぱり連れて行こう」と言いだしたのだった。
***
そして今から一週間前。
腫瘍の転移がないか調べてもらうという名目で、元恋人と一緒に病院へ連れて行った。
前と同じ動物病院で、今度はM院長先生にみてもらった。以前手術をしてくれた若い医師もその場にいたけれど、内心院長先生が看てくれるとわかって嬉しかった。
その若い医師は診断の際に、「大丈夫とも言い切れない」というような、曖昧にマイナス要素を匂わせる話し方をする人で、その先生と話すとむやみに不安にさせられる気がしていて、イヤだったのだ。
看てもらうまでは、また半年後とかに来てください、と以前に退院したときいわれていたのに、早く連れて行って過保護な飼い主だと思われるだろうかなどと変なことを気にしていたけれど、触診して悪性腫瘍のようなモノは何も見つからないと聞くとやはり安心した。レントゲンも取ってみたが、転移は見つからなかった。
ところがそんな検査の終わりに、全く思いがけない病名が飛び込んできた。
それが、糖尿病である。
記憶に留めておくため書いておくと、その時シーの血糖値は500を越えていた。通常、ネコの血糖値は高くても180以下くらいだそうで、その基準からすると、その時のシーは大いに値を上回っていた。
もしかしたら糖尿病かもしれませんから、もう少し他の値も調べてご連絡しますといわれ、それが「もしかしたら」でなくなったのは、その日の夜の、院長から検査結果を知らせる電話だった。
M先生から聞いた糖尿病を知らせるネコの症状が、それまでのシーの様子とあまりに合致していたのはショックだった。
・ 水飲みが激しく、食欲も旺盛になること
・ 多飲から当然、多尿にもなること
・ 糖尿病のネコは背骨から痩せていき、お腹は太ったままということも多いため、痩せたかな?と思いつつ気づきにくいこと
水をよく飲むことを心配はしても、食欲があるから大丈夫だと思っていた私はまさに気づきにくい飼い主、そのものだった。もしこのことを知っていたら、一ヶ月前には病院へ連れて行ってただろうと思うと、無知だった自分が情けなかった。
しかし、それを知ってもまだ、ガン告知のインパクトに比べれば、その時のショックは少なかった。
血糖値が高くなりすぎないよう、一生インスリンを投与していかねばならない病気である、ことは理解したけれど、ネコの糖尿病は人と違い、インスリンを必要としないタイプのネコもいるとM先生に聞いて、食事療法などで上手に付き合っていくことだって出来なくはないのかもしれないという希望もあった。
母に電話したら、「人間だって糖尿病を抱えてる中年は多いし、そんなに怖がらなくて大丈夫よ」と言われ、M先生の口調からしてもすぐ命に関わる病気という印象ではなかったからだ。
実際、私だけでなくM先生も、シーの抱えている糖尿病がそこまで深刻なものだとはまだこの時は思っていなかったのだろうと思う。
二日ほどかけて半日入院させ、インスリンを数回に分けて投与し、適量を見極める検査をしていきましょうということになり、翌日、今度は現恋人と一緒にシーを連れて行った。
ところが、最初に検査へ連れて行ってから、シーの体調は急に悪くなっていた。
元気がなくなり、ご飯を一切自分から口にしなくなった。
そして、夜には吐き気を催して何度も黄色い胃液を吐いた。
ガン転移の検査に行っただけなのに、なぜこれほど急に体調が悪化したのか不思議だったが、糖尿病というものがわかりにくい病気なだけに、それがネコの体調から顕著にわかる頃にはかなり進行している場合も多く、急に悪くなったように感じることも多いのだと、色々調べる中で後に知った。
「たかがネコでしょ?」
「たかが世界でしょ!?」
そんな台詞があった。
遡ること12年前、当時劇団の座付き作家だった(KAKUTAの「KA」である)金井が書いた、短編戯曲「陽だまりのネコ」の中の一節である。
この舞台は、少女(といっても二十代前半)の女の子グループが世界に反発し、自身を人質として建物に籠城し、集団テロを起こすという話で、横浜の小劇場STスポットがスパーキングシアターというフェスティバルを行った最初の年に大賞をもらった作品だ。
97年当時のKAKUTAは、世紀末を目前に控えていたことから作品も終末思想が濃く、ノストラダムスの予言によって「もうすぐ世界が終わるかもしれない」という中にいる不安定な世代の若者たちを描いた作品が多かったが、この「陽だまりのネコ」もそのひとつだった。
私はそのグループの中でもとりわけ緊張感のない、子供っぽい女の子の役だった。
猫を飼っているのだが、その猫が家に帰ってこないという連絡が籠城先にいる私の携帯電話に届き、私はテロをやめてネコを探しに行きたいと駄々をこねる。
もちろんそんな幼い我が侭で(本人達にとっては)命を懸けたテロを取りやめにすることはできず、リーダー格の女の子は「たかがネコでしょ?」と怒ってたしなめる。しかし、私が演じた女の子は怯むどころか泣き叫ぶように激しく言い返すのだ。
「たかが世界でしょ!?」
私がこの舞台で憶えてる台詞は、情けないことにこの一言だけである。
だけど今、私はこの台詞を、しみじみと思い返している。
我が家のネコ、シーが死んだ。
うちには、スーという先住ネコと、シーというふたりのネコがいる。
死因は、糖尿病ということになっているけれど、本当にそうなのかはわからない。
ともかくそれは、今朝のことだ。
私はその死を、(私が母だとして)シーの父である元恋人と、母と、三人で迎えた。
現恋人は、ずっとそばで私と共に介護しながら、今朝はその瞬間に立ち会うことが出来なかった。
糖尿病が発覚したのは約十日前のことだ。
その日から今日まで、いやもっと前のことから今日までを、今からここに書き綴ってみようと思う。
実は現恋人も、今年のはじめに飼っていたネコを亡くしているのだが、その時彼がすぐさま今の心境をブログにアップしていたのを読んで私は、「そんなにも悲しいときに何故ブログなどに書けるのか」と半ば詰る様な口調で彼に聞いた。
恋人は、言葉にすることで自分の気持ちに整理したかったからだと言った。
私はそう聞いても、わからないなあ、私ならそんなこと絶対出来ない…などと思っていたのだが、今まさに、その時の恋人と同じことをしている。
そして、今になって彼の気持ちも分かるような気がする。
今の私の気持ちを、正確に言葉にすることなど出来ない。あまりにも稚拙で、なんだかいろんなモノが足りてない、安っぽい文章になるだろう。
言葉は安い。
未熟なりとも、ものを書く人間がこのように言っていいのかわからないけれど、今はひときわ、そう感じる。
しかし、安い言葉でもってしても、今の自分の、このどうにも身の置きどころがない状態をどこかに納めなくてはという切迫感のようなものがある。そうでなければ、恐るべき早さで忘れていく過去のことを把握しきらないまま取りこぼしてしまう気がして(把握しきりたいのかというと、それも違うのだが)、ただ漠々とした喪失感だけに支配されてしまうような気がするのだ。
今までも実家でくらした猫を亡くしてきたが、これまではそうした喪失感に手を施さず、好きなだけ哀しみにまみれることこそが失われた者たちへの供養であり、誠実な想いの現れなのだと信じてきた気がする。
だけど今は違う。
単純に言って、こんなことでもして時間をつぶさないとやりきれないのだ。
ジッとしてると「お願いだから起きて」という、これまた言葉にするとあまりに安い声が、勝手に口をついて出てきてしまう。オッサンのような低い嗚咽が乾いたべとべとの口から漏れ出る。
言葉を紡ぐ作業の良いところは、気持ちより頭が働く瞬間があるということだ。
逆に言えば、安かろうとそうしてなにがしかの自分を救うすべがあるのは幸せなことなのかもしれない。
安い言葉をよりどころにして、今も私のベッドの上で、眠るように横たえるシーを自分のそばにとどめておきたいのかもしれない。
***
シーはネットで知り合った、見知らぬ男性からもらったネコだった。
先にいるスーのきょうだいがわりとして、もうひとりどうしても欲しかった私は、子猫募集の告知をネットに出し、すぐに連絡が来た。
多分ハーフネコで少し毛の長い中毛種(?)です、という紹介と共に、鼻の下にハナクソのような大きなホクロ模様がある黒縁の子猫が水を飲んでいる写真が送られてきて、即決した。
うちは少し遠いけどどうやって手渡しますかと聞かれ、即座に引き取りに行きますと答えて、受け取り先は失念したが、たしか2時間半ほどかけて電車に揺られて取りに行った。
そのもと飼い主の顔は、全く覚えていない。ただ、子猫をかごに入れて帰るとき、少し寒いホームで言いしれぬワクワクとした気持ちに満たされていたことだけを憶えてる。
名前は「シノブ」と名付けた。小学生の頃、人が良くて面白くて優しい、高倉忍ちゃんという同級生がいて、その子がシーと同じ鼻の下にホクロがあったからだ。
先住ネコのスーとは、すぐに仲良くはなれなかった。というか、最後までベッタリ仲良しなふたりではなかった。けれどお互いに嫌な相手ではない、喧嘩はエキサイティングで、暑い日は共に玄関先で涼を取り、気が向けば舐めてやってもいいぜという感じの、良い関係だったように思う。
姉妹と言うより仲間のような関係のスーとシーを、私は、「スー&シープロダクション(略してスシプロ)」という架空の会社取締役、ということにしていじっていた。
スーとシーは、本当は私のいない間に莫大な金を動かしている大株主で、ビルゲイツが友だちで、肉球で「売り」「買い」と株を裁いてるという設定だ。
だから芝居なんて金にならないことを私がしているのには反対で、小劇場?おやめなさいよそんなもの、と思っているから、私の書いた台本を布団がわりにしたり、PCのキーパットでつめとぎしたりするのだと。
ばかばかしいが、スシプロが気に入って私は、周りの友だちや恋人にも吹聴していた。
最初の頃スーは、シーが来たストレスで痩せた。屈託なく甘えてくるシーに遠慮し、私に甘えられなくなったスーが気の毒で、私は頻繁にスーを抱いてトイレに籠もり(当時1ルームだったから他に個室がなかった)、好きなだけ甘えさせ、「スーだけかわいがる時間」というのを作った。
私とスーがトイレに入ると、シーは自分も入りたいと鳴いて、カリカリ戸をひっかいた。
しばらくするとスーはシーのいる生活を受け入れ、私に普通に甘えられるようになり、トイレタイムもなくなったが、シーは何年経っても私がトイレへ行くと一緒に入りたがった。
そして一緒に入ると、膝に座って喉を鳴らして甘えた。
不思議なことに、スーの方がトイレで過ごした記憶があるはずなのに、トイレで甘えるのは、あの時入れてもらえなかったシーの方になっていたのだった。
トイレに限らず、シーはとにかくだっこされるのが好きな甘えん坊だった。
シーが子猫の頃、私がパソコンで作業している間あぐらを書いた足の上に乗せて遊ばせていたからかもしれない。子猫の頃は良かったが、6キロのおデブになっても膝に乗りたがるので、長時間シーを乗せて台本を書いているといつも足がしびれた。膝に乗せたまま煙草を吸おうとすると、火がついてない煙草をひっかいたり噛んだりしてしまう。煙がかかるのも気が引けて、シーを乗せて煙草を吸うときは着ているトレーナーの中にもぐらせるようにしていたら、それも気に入って、膝に乗ると自分から潜りたがるようになった。
だから、シーを乗せて私がパソコン作業をするときは、いつもお腹がぼっこりとふくらんだ妊婦のようだった。トレーナーの中で、襟元から私を見ていたり、ネックレスをいじったりして過ごしていた。
重さのあまりどけようとしても、しつこく膝に乗りたがる。むりやり降ろすと、そばに寝て、前足だけ私の足にちょろっと乗せていたりして、「それほどまでに私にさわっていたいのか」と笑ったものだった。
最後、息を引き取る直前まで、シーは私の膝に乗ろうとした。
シーもまれにみるほどの甘えたがりだったが、私も負けずに甘えたがりである。
だから、台本が書けないとき、落ち込んでるとき、もちろんなんでもないときも、シーが太ったお腹を見せて寝ているときは、そこに顔を埋めにいった。
ネコの腹というのは、どうしてあんなにいい匂いがするのだろう。あの臭いを嗅いでいると、自然と心が安らぎ、暖かいもので満たされ、眠くなる。
だからその場で眠ってしまうこともしょっちゅうだし、ともかく私とシーはいつも一緒に寝ていた。
私が寝れば、当然自分もといわんばかりに枕元に来て、布団に潜らせろとカリカリひっかく。それで私の顔が引っかかれて喧嘩したのもしょっちゅうだし、シーが布団を陣取ってしまい、寒くて目が覚めたこともある。追い出せば私の上に乗って眠り、そういうときはたいてい、シーの重さでうなされ、変な夢を見た。
今もシーはベッドの上で目をつむっている。体は固くなってきても、お腹はまだ柔らかく、変わらずいい匂いがする。だから私はコレを書きながらも、突発的にお腹の臭いを嗅ぎにいく。
こんな風に書けるのも、今はまだシーのお腹に顔を埋めることが出来るからかもしれない。
明日、明日から先、シーの匂いが嗅げないことを、私はまだ想像が出来ない。
どーも、桑原です。
もはや「毎日」などという約束は約束ではなかったかのように守れない日々が続いておりました。
ゆえに、ことわざ辞典に習って「マ行」をかたくなに守ってきた日記のタイトルも変えて、約束?そんなもん破るためにあるんだファック、とまで開き直る訳じゃござんせんが、パンクなていで心機一転こんにちは桑原です。
帰れない夜、さとがえり、共に終了しました。
ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
思えばこんなにもハードな公演は過去になかったのではないか…なんて言ってみたところで絶対にあったはずなんですが(野外公演とかもやったしね)、それなりにいやはや、今回も大変な公演でした。
だけど、朗読とストレートプレイという、全くジャンルの違うに作品を、思い切り雰囲気も変えてやれたのは、楽しいものでした。
そんな思い出話を熱く語りたいなと想いながらも、今もはや私が演出として参加させてもらっている舞台、5月のバンダラコンチャの稽古がガンガン始まっていたりして、なんだか書きたいことがいっぱい。
と言うわけで、また日を重ねながらどちらの話もゆっくりしていくことにして、今日は、ちょうど約一ヶ月前に書いたものをアップしてみようと思います。
一ヶ月前、我が家の猫がこの世を去りました。
それはもう稽古まっただ中の時でした。
稽古まっただ中にもかかわらず、どうにも何も手が着かない状態に陥り、二日間、稽古をお休みしてしまいました。
家で何をやっていたかというと、文字通り、何も手が着かず、何も出来ずにいました。
お休みしてる間に稽古のことを何か考えておくべきだろうとわかっていながら、寝ても覚めても泣いてばかりいて、そういう、あまりにもなにも手がつけられない状態で一日を過ごすというのも、それなりにやはりしんどいものがありました。
それで、何か書いていれば気が紛れるのではと、書き始めたのがこれからアップするものです。
今、この時、頭の中を一杯にしめているものを文字にしてみよう。
気持ちを文章にして、キーを打っている間は少し冷静でいられるのでは。
そんなことを想い、書いたもの。
つまり全て、我が猫の話です。
稽古休んで何やってるんだという感じですね。
本当に、申し訳なかったと思います。
ただ、この時の自分は、こういうことでもしてなければ時間を過ごせなかったのです。
誰に向けるでもなく気の赴くまま、ひたすら時を過ごすためにだらだらと書いてみたらば、信じられない分量になりました。
だから正直、人に読ませるような代物じゃないです。
内容も支離滅裂だし、そんな最中に書いたのだからもの凄く暗いし、今まで書いたことがないような個人的なことまで恥ずかしげもなく書いてしまっています。
誰かに読ませる、と言う意識のないものは、こんなにもつまらないのかという代表のような内容なので、たまたまこのページをご覧になった方は、飛ばしてよろしいと思います。
これをまともに読む人は、相当に暇か、私のことが好きですね(言ってみたすいません)。
じゃあ、何でそんなのを載せるのかって話ですが。
自分のために書いたのだから、別に敢えてここに載せることもないはずです。確かに、確かに。
でも、自分の気持ちが少しでも落ち着いたら載せようと、なぜだかその時漠然と考えていたので、そのまま従ってみることにしました。
読ませる相手を想定していないくせに、載せる場所を想定して書いたのは、自分しか読むことのない本当の日記にしたらば、
さびしい
会いたい
帰ってきて
しか書けなかったからかも知れません。
それを狂ったように殴り書くのでは、何も手が着かず過ごすのとさして変わりません。
ともかく、わざと自分の気持ちを整理しようと努めたので、吐露部屋を利用したというわけです。
そして、載せようと思ったとき。
それが、思いがけず一ヶ月後だったというわけです。意識したわけではなく。
では、一ヶ月経った今、本当に落ち着いたのかと言えば、嘘になります。
今でも日記を書いたなら、
さびしい
会いたい
帰ってきて
になってしまうと思います。
ただ、無理矢理このことを考えないようにして稽古をしていた日々が終わって、「ゆっくり考えても良い時期」になったからかなと、思っています。
舞台の千秋楽を迎え、打ち上げから家に帰るとき、「もうシー(猫)のことを考えていいんだ」と思うと、もの凄くホッとして、その夜久しぶりに、泣きに泣きました。
今回やった舞台「帰れない夜」の中にある「昨日公園」の中で、遠藤という主人公が公園に一人でやってきて、「ずっとここに来たかった。ここでマチ(親友の死)のことを考えたかった」という記述があります。
私もきっとそれだったんだと思います。
とはいえ…コレも情けない話なんですが、アップしてから自分で読むのは、まだ少し先になるかも知れません。
なんだそりゃ。
ほんとにね。
というわけで、前置きから長いですが、しばらく、駄々長い駄文が続きます。
数日すれば普通のくだらねえ吐露部屋に戻るので、どうか、ご容赦くださいませ。