2010年09月04日

重松清著「その日のまえに」-若狭勝也

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重松清著「その日のまえに」

普段から常に本を読むタイプではない僕ですが、ただいま来年のKAKUTA朗読公演に向けて短編を探しております。

8月、夏。“読書の夏”でした・・・。
いや、9月。まだ夏ですね。あっちい。
そして、まだまだ本探しは続きます。

本屋さんをプラプラ、ブラブラ、行ったり来たりしていたら、
「(テレビ)王様のブランチで大絶賛!」
の帯に目が留まり、へえ~と手に取って買ってみた。
どうやら、2005年のブランチブック大賞を受賞しているらしい。

7編からなる連作短編集。
どうやら“泣ける”らしい。
泣ける作品は特に嫌いではないけど、
“泣ける”という“フレ−ズ”にはあまりピンとこないので、一旦、買うのを躊躇した。
読みながら“泣ける”を意識してしまいあまり物語に集中できなかったりする。

そろそろ泣けるシ−ンかな?
ここかな?
もう読み終わるけど、まさかさっきのシ−ンだったりして・・・?
はうあっ!まっ、まさか、泣ける作品なのに僕は読解力がないから泣けない・・・?
確かに泣きそうになったけど、俺は泣かないぜ!と無意味に意地を張ったり。

“泣く”は自分のコントロ−ル出来ないものとして、そっとしておきたい。
泣き待ちはしたくない。泣く為に読む訳じゃない。

いろいろ考えてしまう。

作品探しの今は、いろいろな本が家にあるので、この短編集の一作品を読んだら、また別の本。
本はランダムに、一作品づつ読んだりしている事もあった。

『その日のまえに』は連作短編集で、中のタイトルが、
「ひこうき雲」
「朝日のあたる家」
「潮騒」
「ヒア・カムズ・ザ・サン」
「その日のまえに」
「その日」
「その日のあとで」

本屋でチラッと見た時に“家族の死”とあったので、最後の3作品が気になった。
泣けるらしいのは、おそらくここからだろうぜ・・・。
まあ、“死”を扱ってるので、泣けるのであろう。
別に、避けていた訳ではないのだけど、「ヒア・カムズ・ザ・サン」まで読み終えて、別の本の短編に移行した。
何故だろか? たまたまだと思う。

で、残りを最近読んだ。

まあ、泣きましたよ。

ええ~~と。

あのね。号泣しましたよ。

あ、涙って“味”がするのを忘れてた。鼻から、喉の方に入ってきて、“涙の味”がした。
こんなに泣いたのは、久々なんだね。
この前はいつだったろうか・・・?
おそらく随分前のような気がする。

“家族の死”
必然と、亡くなった父を思い出す。
そんな予感は読む前からしてた。
亡くなった父自体の事だけではなくて、細かな日常、生活も思い出した。

どう動いて、1秒1秒どんな事を思って、どんな些細な日常会話をしたか。
父がプ−ルのすべり台で、頭から勢いよく滑り、プ−ルの大学生くらいの監視員の人に、
ピ!ピ!ピッ!ピィー!ピィーー!!
と笛を吹かれ、中学生のように怒られていた事。
何でもない日常、生活。

何故忘れてしまうんだろうと思う。

忘れない事もある。

右前に弟が居て、その奥に母が居て、正面に妹夫婦が居て、親戚もいっぱい居て、
まだ亡くなってないのに、母と叔母が16時を過ぎて葬儀屋に電話したら、
お通夜が1日先になるから、今のうちに連絡しとく?と話していた事。
泣きながら、僕もその方がいいだろうと思っていた。
不謹慎だなんて思わなかった。
叔母も泣いていて、そういえば、葬儀屋に電話してくれた事に、僕はありがとうと言った。
まだ生きてたけど・・・。
かろうじて生きてる、動かない意識のない父に
「ありがとう。お父さんの息子で良かった。」
と、耳元で言ったら、父の目から涙が出たこと。

もうすぐにでも亡くなる。16時を過ぎた。

全て覚えておきたい。忘れないようにメモしようか。 昨日、読み終えた時にいっぱい思い出したのに、この時点でもう全部は思い出せない。

まあいいか。また思い出した時に思い出そう。
また「その日のまえに」を読んだら、思い出すだろう。

重松さんも大切な人を失った事があるのだろう。
そりゃそうか。47歳だもんね。

「その日のまえに」
には、細かい日常、細かい生活がある。
普段、時間に追われて先の事を考えたり、過去を考えたり、気がつかない時がある。
些細な日常、生活、 “今”の大切さ、素晴らしさを思い出させてくれる。

忘れたら、また読もう。

【追記】最初は“連作短編集”じゃないよなあ〜と思っていたが、
なるほど!はうあっ!連作短編集でした。