2007年06月14日

第7回★原扶貴子

今日は稽古場に、仮の“舞台セット”が組まれました。
劇団員は朝から、客演陣は夕方から稽古場入り。
できあがった舞台を見て、客演陣のみなさんもホッとしたご様子。
稽古場がにわかに活気づいてきましたよ。

今夜はプログラムCの稽古。
肌が粟立つような話を集めたこのプログラムは、不思議話を扱っている手前、段取りが多い。
今日からは舞台セットのおかげで、想像で稽古してきたものが、どんどん具体的になっていく。

『離さない』“アレ”が海から顔を出すシーンは、初演も稽古も見ているのに普通にドキドキしてしまった。

『春立つ』は新作なので、
「あ、こうなるんだー」
ってシーンがしばしば。
この新鮮さを大事に、稽古を積みたいものです。
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(↑写真を横切るのは、川本裕之さん

舞台仕込み中、舞台とは少し離れた場所で、ちまちま小道具作業をする。
隣から聞こえてくる、みんなの生き生きした声をBGMにちっさい作業を続ける。
こういう感覚、実は嫌いじゃないのですよね。
みんなの華やいだ声を聞くのはワクワクする。
気持ちがだんだんと本番仕様になっていく。
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豊胸手術と言うつもりが、「ほうにょう」と言ってしまった横山くん

横山ネタは、もうおなかいっぱいです。
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(おまけCD収録に参加してくださった麻生美代子さん

女優としても、もちろんそうだけれど、
こういう年の重ね方をしたいものだなぁと憧れてしまう大先輩、麻生美代子さん
麻生さんの朗読を聞いていると、思い出す詩人がいる。
茨木のり子さんだ。
彼女の「倚りかからず」というのイメージはまさに麻生さんそのもの。
再び客演してくださる今回こそはと、その思わず引き込まれてしまう朗読の秘密を探っているのだけど、
こればっかりは本当に難しい。

怒涛の9作品連続公演スタートまで、あと10日。
着実に稽古はすすんでおります。

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【★私が神に遭遇した日★】

誰の心の中にも神様仏様はいるよとか、
米粒の一つ一つに神様は宿っているよとか、
そういう類のことはまぁ一般常識として脇に置いといて、
ちょっとストレートな神様との遭遇を話してみたいと思う。
断っておくが私には特に霊感などないし、祖母がイタコだなんてことももちろんない。

子供から青年期にかけて、よく夢を見ていた。
オール天然色は当たり前、五夜連続大河物語のようなことは日常茶飯事だったし、
ひげを生やしたいかにも神様然とした様子の、全身白装束なおじいさんが時々あらわれて、
生活の知恵のようなものを教えてくれたりすることもあった。
とはいえ、そのおじいさんの教えてくれることが割とアバウトで、いつぞやなどは、

「便秘に効く」と教わった頭頂部のツボ押しを現実世界で友だちに披露したところ、

「頭のてっぺんっておなか下りが治るんじゃない?逆じゃない?」と言われたりし
た。
このようなことがほとんどだったので、そのおじいさんは単なる夢のレギュラーにす
ぎなかったのかもしれない。

そんなでたらめな夢生活の中で、一度だけ、ビビっとくる夢をみることになる。
それは高校1年生の秋の暮れ。
前々から憧れていたお正月の巫女バイトに申し込んだのだった。
実家で毎年初詣に訪れるお稲荷さんで、友だちと二人、筆記試験と軽い面接を受けた。
筆記試験は確か、「干支を漢字で書け」とかその程度のものだったと思う。
「去年は“亥年”だったから、これは分かったわー」なんて友だちと話しながら帰った記憶がある。
ところが、その神社が自宅から少し遠いところにあったせいなのかなんなのか、合格通知日に落選の通知がきた。とてもがっかりした。
その夜、夢をみた。
見覚えのない神社がでてきた。
うっそうとした林の中にあるようで、霧がたちこめ、社殿の前に池がある。
ふとみると、その池の周りを三匹の白い狐がぐるぐるとゆっくり歩いている。
恐る恐る近づくと、そのうちの一匹がいきなり私の腕に噛みついてきた。
「あ、噛みつかれた」とは思うものの、恐怖心はまったく湧いてこない。
白狐は私の腕に噛みつき、ぶら下がりながらもなにか訴えるようなもの悲しいような目つきをしている。
すいよせられるような目だった。
「なにかいいたいの?」、そう心の中で問いかけた瞬間、目が覚めた。

翌朝、件のお稲荷さんから追加採用の連絡がきた。
念願の巫女装束に袖を通すことができるのがうれしくて、あの夢はコレのお告げだったのかしらんと考えるようになったのはだいぶん後になってからだ。高校生なんて、
まぁそんなものか。
けれど、そんな神託めいた夢からは一転、実際の巫女バイト中には特別なことなどなにもなかった。
なぜだかよく目があう(ような気がした)同じバイトの男の子に血道をあげたり、お
守りを買いにきたおじさん(私はお守り販売担当だった)に、「お年玉だ」と100円余
計にもらったりと、そんな程度だった。
ただ、年明けの瞬間を大勢の人出でにぎわう神社で過ごしたことは後にも先にもそ
れっきりで、
大晦日の夜更けからだんだんと昂まってゆく人々の解放的な笑顔を見るのはとても楽しかった。
バイトの小娘が、“ヒトとは愛おしい生き物だなぁ”なんて小賢しい感想をもって、
お守り販売所に立っていたとはお釈迦様でも分かるまい。生まれて初めて家族とは別に年を越したと少し怖くなったりもしたけれど、それでもやはり巫女さんになれたのはうれしかったのだった。

夢のお告げどころか、夢そのものさえとんと見なくなった今でも、
あの夢のことは、やはり忘れられない。