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吐露始め 2009/09/16 水曜日

北九州「甘い丘」演出日記・4

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9月8日 劇場入り&立ち稽古。

朝は少し早起きをし、川沿いのタリーズコーヒーでお茶をする。
ホテルが快適で、バスタブも広く、稽古場まで歩いて5分程度なためノンビリ出来、すこぶる調子が良い。
タリーズのカフェでは絶えず良い感じのボサノバがかかっており、川を長めながら朝食を撮っていると、今日も頑張れそうな気がしてきた。途中から原が合流し、二人で朝食を取る。
原は爽やかな朝に清々しい笑顔を見せつつも、店員が手間取ると相変わらず東京仕込みの厳しい目を向けている。
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信じられないことだが、顔合わせの翌日、もう小屋入りなのである。
劇場へ行くと、立派な装置が出来上がっていた。段差が多いので役者は注意が必要だが、タッパもあり、観やすく使えそう。また、スタッフさんが施してくれた美術も雰囲気を醸していて素敵だ。
モチベーションが上がり、稽古。

今日は昨日に引き続き、段取り稽古。あの漫画喫茶でひたすらノートに書き込んだ、役者の立ち位置や動きなんかを、ザッとつけていくのだ。

「今日は芝居の稽古だと思わず、ダンスの振付を憶えるように段取りを憶えることに集中してください。誰が段取りを一番憶えられるか大会って感じで」

そう宣言し、段取りをガシガシつけていく。本来、普通の稽古では段取りを後回しにし、役者に遊んでもらうこともあるが、私の場合、普通の芝居でもおおざっぱな段取りだけはとりあえず最初につける。
大体どの辺にいると見栄えが良いか、というコトを決めておくと後々楽というのもあり、また、この人と私の距離はこのくらいね、と、立ち位置で自分と周りの距離感を知っておくと、その後も動きやすいからだ。
だから、段取りの振付などは稽古とは言わない。ひたすら憶えてくれればいい。
が、立ち位置などを決めるうち、ちょいちょい欲が沸いてしまって、ここはもっとこうしてみて、などと稽古の演出もちょっとばかりつけてしまう。

立ち稽古になると、このリーディングセッションという企画になれている役者とそうでない役者の違いがハッキリ見えてくる。
それは、台本の持ち方だ。
初めての人にとっては、台本が邪魔くさくてしょうがない。
台本を持っていなくてはならない、という決まり事のせいで両手がふさがれるため、好きな動きが出来ず不自由そうにしている。その気持ちは、とても良くわかる。
あの漫画喫茶で立ち位置を考えていたとき、結局のところ私は、「台本を持ちつつも結構動き回る演出」をすることにした。
ただし、読みながら動き、ただ「台詞を何となくしか憶えてないから台本が手放せない人」に見えるのは勿体ない気がしたので、読む、というスタイルを最低限守れる動きをつけるようにした。
それでもやはり、このスタイルに慣れてないと台本という存在は邪魔である。

だが、一度見方を変えてしまえば、この「台本を読む」という制限は色々遊べたりもする。
つまり、動けない分、見方を変えれば何をしているというコトにも出来るわけで、例えば、「○○は高橋名人のように16連射をした」だの、「○○の両手は解凍したてのタコのようにぐねぐねと広がり天井へ伸びて行く」だのという訳のわからない設定があった場合でも、ト書きがそう言うだけで、動かずともそれになれるのだ。
コレは逆を言えば、「表現として動かねばならないこと」から解放されているとも言えるのではないか。
そう考えると、このリーディングの面白さが、少しだけわかってきた。

「台本を持つリーディングスタイル」に慣れてないと言えば、成清も同じである。
台本を観るべきか、相手の役者を観るべきか、動くべきか動かざるべきか、その動作ひとつひとつに四苦八苦している。
でもあんた、台本を持つ朗読の夜シリーズの「ねこはしる」もやったジャン!と思い、成清にだけ1トーン低い声でダメ出しをしてしまう。

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しかし最近じゃ朗読公演のはずなのにこんなこと(河童)になっている成清さん。

吐露終わり
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