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吐露始め 2009/09/20 日曜日

北九州「甘い丘」演出日記・8

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9月13日、千秋楽。
初日の翌日に千秋楽。この早さ、初期のKAKUTAを思い出す。
もっともっとやりたい、と思わずにいられない。ようやく俳優陣も、自分たちのペースを掴み、役の掘り下げも増しているだけに、今日でお終いというのが、勿体なくて仕方ない。
正直なところ、これまでの通し稽古と比べれば、昨日の初日はやや固かったのは否めない。
しかし、みんなそれをわかっている。次にどうすればいいのか、役者たちは自覚している。
だからこそ、もっとやりたい。もっともっと良くなっていくのがわかる。

そんな野心というのか創作意欲というのかが、ここに来てまだぐつぐつ沸き上がっていくのと同時に、言いようのない寂しさが、ずっと胸の中を流れている。
今日でこの北九州に来てちょうど一週間。原が彫刻刀でX線を引っかかった日から、まだたったの一週間なんて、とても信じられない。
この一週間という驚異的な短さと、そこにある濃度は、KAKUTAの一週間ワークショップでも感じることだけれど、KAKUTAの場合、終わってもまたすぐにあえるという安心感が、どこかにある。
皆東京にいて、また芝居の時は観に来てもらったり、観に行ったり、機会があれば芝居も出来る。
だけど、北九州というこの地には、機会がなければ早々訪れることは出来ない。つまり、キャストスタッフ花れんちゃん含め、このメンバー全員で芝居をすることはおそらく不可能だし、二度と会えない人だっているかも知れないのだ。
そう思うと、寂しいなあ、と口に出さずにいられない。

本番。
客席は満員御礼。補助席まで出ている。最近小劇場界は不況で、空席で胸を痛める日が続いていたので、この現象に素直に胸が躍り、有り難く感じる。
昨日と今日との2ステージ、どちらも観に来てくれた友人がいる。昔KAKUTAで音響をしてくれてた仲間だ。10年前に劇団員だった彼が、今こうして小倉の劇場で私の芝居を観てくれている。そのつながり、出会い、これもまた本当に有り難い。

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(女優陣。美人揃い。私はつくづく面食いだ)

14:05分、開演。
冒頭、ギクシャクしてしまった昨日より、ずっといい。皆で呼吸を合わせて、一つのボールを落とさないよう、大事に回している感じがする。
大葉役の女優は、リーディングセッションに参加するのが初めてだそうで、今回の稽古では随分と苦戦していたように思う。
まっすぐ響く良い声と存在感を持っているのに、脚本に対して、現場に対して、様式に対してと、様々な戸惑いが内側にあり、そこへ緊張が加わって、その力を十分に発揮できずにいた。そのことに対し焦燥感を抱いているのは誰より本人で、だからこそ何とかせねばとまた焦り、焦ればミスをし、そうして自信を失うという悪循環に陥ることも多かったと思う。
だが今日の彼女は違った。今日こそは、自分を信じて思い切りやろう、としているのが見えた。しっかりした声で、工場のお山の大将である大葉を演じ、場の空気を作っていく。
私はなんだか胸がいっぱいになった。今日も私は客席で、固く拳を握りながら同じく緊張してみていたが、その逞しさに、拳はガッツポーズへ繋がっていくようだった。

そして手前味噌だが、語りを務める原は、この稽古中、ずっと素晴らしい芝居をしていると思う。
やはり、朗読公演でずっと語りをやって来ただけあるし、私は常に誇らしい思いだった。

昨日あれだけ悩んでかえったナリは、本人はどれほど意識しているかわからないが、大きく変化していた。ぶっちゃけ、ダメ出ししたいことはまだまだあったけれど、確実に変化していた。
それは私の演出でどうなることではなく、役者のナリ自身がつかみ取ったもので、だからその宝はずっと消えることなくなりの中に残るのだろうと思う。

後半、冬のシーン、どのキャストも皆、心を込めたいい芝居をしていた。キャスト最年少である有明役の俳優は、まだ驚愕の未成年。だが、一人の俳優として、自分の担うシーンを丁寧に、演じている。
そう思うと、なんと皆の成長を目の当たりにした一週間だろう。
私は、演出家として、また同じ役者として、皆を本当に、カッコイイと思った。
私もその舞台に立ちたい。

ラスト、カーテンコール。
花れんちゃんの歌が伸びやかに。
いつも、通し稽古の最中から花れんちゃんはラストシーンを見ると泣いてしまうのだと言い、涙でラストの曲が旨く歌えないと悔しがっていた。しかしこの日の歌声は素晴らしく透き通り、同時に伸びやかで力強く、今までで一番素晴らしかった。実は私はこの日、もう隠すこともやめて後半からボロボロ泣いていたのだが、花れんちゃんの声に、表情に、また涙腺が緩む。
こんなの普段は恥ずかしくて絶対に嫌なのだが、もう今日はいいやと思ってしまう。

そして。そんな歌声に誘われるように、ラスト、かの子がやってくる。
キャスト全員の顔を見つめながら、工場に再び訪れるかの子を演じるにじは、必死に泣くのを堪えていた。グッと力を込めて堪えているのにも関わらず、涙がこぼれているのが、客席に背中を向けているにもかかわらず、よくわかる。こぼれる涙に自分でも戸惑いながら、泣いてしまったことを悔しがりながら、またグイと顎を引き上げ、皆の顔を見る。
その逞しさ、いたいけさ。かの子そのものに思えた。
大げさかも知れないが、私は遊民社の最終公演「ゼンダ城の虜」で、ラストシーン円城寺さんが声を震わせながら最後の台詞「少年は動かない。世界ばかりが沈んでいくのだ」と言った瞬間を思い出していた。
そこにある、万感の思い。

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終演後、舞台袖ですれ違った数人の役者に挨拶をし、原や成清とも抱き合い、楽屋に戻ると、花れんちゃんとイッチーが待っていた。
私も泣いていたが、二人とも泣いていた。三人でこっそり泣いた。
「本当にこの仕事、愉しかったです」とイッチーがメガネを取り、涙をぬぐいながら言ってくれた。
そうだ、仕事なのだ。
そのことすらも、忘れていた。
こんな仕事が出来ることを、心から幸せに思った。

吐露終わり
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