« 2009年03月 | メイン | 2009年05月 »

2009年04月 アーカイブ

2009年04月01日

まっさらなときのおもひで、「転校生」。

気づいてますか?ことわざの吐露部屋でなくなった今も、なんだか「ま」でタイトルをつけている律儀な私に。
そして気づいてますか?毎日続けると言ってもう一日空いてしまった事実に。
だって明日は小屋入りですよ。
普通は日記書いてる場合じゃないよネ☆

さて。先日まで池袋芸術劇場で『転校生』という舞台を上演していたのをご存じですか。
平田オリザさんが脚本を書き、飴屋法水さんが演出をされた舞台で、女子高生21名が出てくる、シュールで、切ない、舞台です。
初演は1994年。
青山円形劇場で開催された『青山演劇フェスティバル』の中のひとつで、オリザさんが現役女子高生を演出する!!という、何とも冒険的で、画期的な舞台でした。
うーんと、今回は15年ぶりの再演?とかですよね。
残念ながら私、この公演直前なた目に見に行くことが叶わなかったのですが、私からすると、ついに、ついに再演かああ!!という気分。

だってね。
なにをかくそう、アタシはその初演に出演した当時の女子高生です。
当時18歳、高校三年生。きらきら(かどうかはわからないが)。
演劇部の引退が目前に迫り、しかし演劇から離れるのが嫌で、初めて買った「演劇ぶっく」にのっていたオーディション情報がこの「転校生」。
平田オリザさん?もちろん知りません。
もちろんオリザさんは当時から大活躍、大注目の演劇人だったにもかかわらず。
だってあたし、それまで小劇場自体、ほとんど見たことがなかったんですよね。

とにかくお芝居がしたくて、女子高生でもOK!?と、勇んで応募したのがこの舞台でした。
オーディションの前日、オリザさんと会う夢を見たんですが、私の夢の中で、まだ見ぬ平田オリザという人は、赤いジャージを着たクルクルパーマのおばちゃんでした。
男か女かもわかっていなかった。
夢の中のオリザと名乗るおばちゃんに、竹刀を振りかざして怒られていました。
演劇にそんな体育会系のイメージを抱いていた…っつうか、オーディション自体、経験があるのは「元気が出るテレビ」のお笑い選手権くらいで(衝撃の事実。しかも最終選考まで残る)、経験に乏しかったのですな。

そんで、青年団という劇団を知っておかなくちゃと思っていたところ、ちょうどBSであの岸田戯曲賞作品『東京ノート』がやっていました。
見てみてびっくり。

な、なんじゃこりゃ・・・!!

二人の女性が、無言で、微妙な表情でほっぺたを引っ張ったりしてにらめっこしているという、それは今思い返せば東京ノートの切ないラストシーンだったわけですが、そこだけ観ると女子高生には全く意味不明の図でございました。
なぜ微妙な顔なのかは、ちゃんとお芝居を最初から観ていればわかるわけですが、そこだけたまたま観てしまった私はちんぷんかんぷん。
私もオーディションにいったら、微妙な顔でにらめっこするのだろうか。
ますます『転校生』への不安が募りました。

今でも憶えているのは、オーディションの数日前、学校の公衆電話から青山劇場に電話をかけ、「転校生って言うのは大林宣彦さんの転校生ですか」と聞いたこと。
丁寧に、「違います、オリジナルの作品です」と答えていただきました。
当時の私は大林作品のファンだったのですよ。
第二の小林聡美になれるのかと思ってたわけですよ。
たわけた女子高生です。

そして忘れられないのが、オーディション前日のこと。
その日はちょうど夏休み前、三年生の終業式。
片思いしていた男の子に告白できず、悔やむあまり家で大泣きしました。
それで、「私はもう演劇をやるしかない」となぜか恋のエネルギーまでをもオーディションに臨んだわけですよ。

その甲斐あってか(?)、幸運にもオーディションに残り、出演と相成りました。
そんでもって、なんと合格後、その片思いまで成就してしまいました。
よくわからんけど、受験シーズンまっただ中に、演劇と恋愛という、最高にエモーショナルなものに出会ってしまったのですね。
稽古中彼氏が出来たとか言って「転校生」のメンバーに自慢してからかわれたりした想い出…きらきら。

しかしながら思い返せば返すだに、この高校三年生の一年は、もの凄い出会いの年の始まりでした。
演劇部から離れて芝居から離れるのがどうしてもいやだった私は、転校生の応募通知を出す際、もう2通、別のところに応募していたんですが。

その一つがKAKUTAの前身となった劇団への参加希望ハガキ。
もうひとつが、堤泰之さん作演出の『櫻の園』という舞台のオーディション。
あの時出した3通の手紙が、まさか全て今に繋がるなんて、誰が予想できたでしょう。

そうそう。『櫻の園』は、まんまと落ちました。
女子高生だったから経験不足で落とされたんだな…とその時は自分に言い聞かせたものの、その実体は、「かわいい子しか受かっていなかった」というあまりにもスカッとわかりやすい現実でした。
あの時は、今後10年以上も一緒に芝居をさせていただくことになるなんて知らずに、堤さんのことを「あのハゲめ!」などと思っていたんだから罰当たりも良いとこです。
あのおじさん嫌い!とか思っていた癖に、その翌翌年はラフカットで再会し、あっという間に大好きになっていました。
ちなみに、その「かわいい子しか出ていなかった=櫻の園」には、今回KAKUTAに出演してくれているはらださほが出演していたという事実も。
さほと私の間に、静かに深く「かわいい子」と「そうでない者」を隔てる川が流れていることを、ふと思い返した次第です。

ともかくも、あの時は、オリザさんの「そうでない者」を迎え入れてくれた懐の深さに感謝です。
そうして、当時のオリザさんは今の私と同じ年くらいだったはずなのですが、そんなオリザさんを相手にお父さん呼ばわりしていた私たち。
今、姐さん呼ばわりされることも嫌な私がなにをかいわんやというところですよ。
しかしそんなお父さんは「アフターケア」と称しつつ、私たち女子高生を、女子高生でなくなってからも何かと助けてきてくれました。
時には相談に乗ってくれ、時には芝居を観に来てくれてアドバイス、そして時には台本のお手伝いまで…!

そうして出来上がったのが、まさに、もうすぐはじまる「さとがえり」の処女戯曲だった、というわけです。
ほらね。
稽古の話をまたしないのか、と思われそうですが、チャンと繋がったでしょう。
こうして繋がってみると、「さとがえり」、感慨深いものがあると思いませんか。
そして、現在KAKUTAの敏腕演助でバリバリ活躍している田村友佳もまた、私と同じ「転校生」の戦友であります。
あのオーディションの場でタムさんと出会ったから、KAKUTAがあるわけです。
タムさんと私が、アホすぎるくらい遊んで、バカをやって、出来た劇団がKAKUTAなのであります。
そんなタムさんと今もタッグを組んで芝居をしている。
明日も一緒に小屋入りです。

これまた感慨深いと思いませんか。

「転校生」、観たかったなあ。
そういえば、私が「転校生」で演じたのは美幸、という女の子でした。
全ての出演者が登場して、一番最後に登場する女の子の役。
この芝居は文字通り、朝、学校に転校生がやってくるというところが物語の始まりなのですが、台本が出来上がる前は、じゃあバラが転校生なんじゃないの?!と噂されたもんです。

ただの、遅刻してくる女の子の役でした…。

待ってました!

いよいよ小屋入り。
ただいま、劇場で成清のパソコンより書いています。
これで毎日更新の約束を果たせそう(もう破ってるけど)。

ところで、スズナリ。
私、ほんっとに恥ずかしいけど、いまだに駅からまっすぐたどり着けないんです。
全くわからないなら地図を見るんだけど、わかってる気がして出発してしまうだけに始末が悪い。
今日も迷ってしまって、スズナリに行くはずが気がつけば本多スタジオに。
なんで?!(涙)
結局、たむさんに迎えに来てもらう始末。
極度の方向音痴は普段からですが、さすがにもう何度も通ったスズナリなのにとわれながら情けなくなります。

だ・け・ど。
これは、私がスズナリに立てるようになるまでおぼえなくてよいと言う、私の小さなおつむを慮っての神様の采配だったのではないか。
だから、今日から覚えればいいんだ!!
何度猫ホテを観に、グリングを観にスズナリへ通ったかわからないのに、そんな納得の仕方でいいのか。
しかし、とにかく今日からは覚えるんです。
だってついに、夢のスズナリに立てるんですものね。

トラム、円形劇場と、大好きな劇場はいくつもあります。でも、客演も含めて一度も立ったことがなく、いつか立ちたい、なぜ立てないの、縁がないのかしらと嘆くほどにあこがれていた劇場がスズナリ(辿り着けなかったくせに)。
今日バタバタと小屋入りするまでその実感が沸かなかったのですが、ロビーで一息ついたとき、急にその感慨が湧き出てきました。
ああ私、スズナリでやるのね・・・!
それもKAKUTAで!!
先月ACTシアターに立ったことを思うと、下北沢の古い劇場に立つとことへの感動に私が震えていることへ、ぴんと来ない方もいることでしょう。
だけど、ずっとこの場所で面白い舞台を見続けてきた役者にとっては、その先人たちのパワーもこの場所に染み付いているような、わたしもその恩恵にあずかれてしまうような気がしてしまうのです。

役者で食べていく!とか、大きな野望を持つのはもちろん大事ですが、いつかスズナリでやりたい!という、具体的な夢を持つのもやっぱり大事ですね。

ビバ・スズナリ!道を覚えて毎日通うよ!どうぞよろしく!!

2009年04月09日

まったくもう

まったく、嘘八百だよね。
なにが「毎日書きます」だか。
自分の嘘ぶりにビックリしました。
というわけで三日坊主の見本みたいなことをやらかしてましたこちら、また再開。
そんなこんなで只今本番中。
この吐露部屋、読んでいる人少なそうだから稽古場日記の方にも同時アップすることにした。

「さとがえり」「帰れない夜」お陰様でどちらもご好評いただいているようです。
ありがたやありがたや。
こうした二公演同時上演、というのはコレまでに何度かやって来たけれど、肉体的にも精神的にも二倍にしんどいのはいつものこと。
とはいえ、もちろんそれに見合うメリットがあるからやるわけで、そのメリットの一つが、「好きな役者さんをたくさん呼べる」ということ。

KAKUTAはご存じの通り劇団員が多め。
それも同世代の役者が多いので、同じ年かさの俳優陣は、呼びたくともなかなか呼べないのが通常。
だから今回のような機会があると、待ってましたとばかりに好きな人を呼んでしまいます。
もちろん、好きでも今回の舞台の作品上呼べなかった人はいますし、そうなると欲は尽きないわけだけれども。
それで、期せずして、むかし昔に夢に描いたようなキャスティングが叶うこともあります。

例えば本日上演の「帰れない夜」の中にある「昨日公園」に登場する久保貫太郎。
舞台の中で、カンタと当劇団の団長成清は親友同士の役柄。
クロムモリブデンのカンタ、KAKUTAの成清と、今でこそ所属している場所はバラバラの二人ですが、この二人は10年以上前、円演劇研究所に通っていた時代に、同居していた者同士。
三軒茶屋の1ルームのボロアパートで仲むつまじく暮らしておりました。
当時、同じ研究所に通っていた同期の私と原扶貴子も、しょっちゅう彼らの家に通っておりました。
研究所メンバーのたまり場のようになっていたんですね。

それにしても、いやはやこのボロアパートってのがホントにボロでね。
まずもちろん風呂はないし、トイレは共同、しかも外付き!
クーラーなんかもちろんないので、冬なんか信じられないほど寒いし、夏は窒息するほど熱い。
アパートの下は木材屋、隣はペットのトリミングショップで、夜遅くまで犬の鳴き声がキャンキャンと響いてくる。
環境だけ取るとハッキリ言って劣悪です。

しかしね、このアパートに通うのが愉しかった。
部屋なんかホントきったなくて、しょっちゅうお互いに掃除しろと喧嘩してたり、タマネギが信じられないほど溶けていると騒いだりしていた二人だけど、朝まで芝居話を熱く語り合ったり、ゲームで本気で喧嘩したり。台風で大雨が降れば二人はシャンプーを頭に塗りたくり外に走り出て、雨で頭を洗ってましたよ。

青・春・・・!

そんな感じ。
だからね、二人が別々に暮らし始めることになったときには、人んちながらそれはそれは寂しくて、お願いだから一緒に住んでくれとしばらくの間しつこく言い続けたもんです。

そんなわけで懐かしい写真を掲載。
Image4191.jpg
円時代の一枚。
目をつむってしまってる二枚目が成清さん。
そして左から二番目でこれまた目をつむってしまってる女が私。
わかりにく!
しかし当時の成清さんは「反町に似てるー!」などと評判だったんです。嗚呼可笑しい。

もう少しわかりやすい写真を。

Image4211.jpg

はいこちら。成清さん当時22歳。私当時20歳。
KAKUTAを結成した頃の写真です。
ギャハハ、反町とかでもないね、成清さん。むやみにトンガッた感じが可笑しい。
しかし、こんな悪ガキ風な風貌なのに、円では女子たちから「ニコニコのまあくん」とあだ名されるほど、常にニコニコした大阪のアンチャンでした。
当時はこてこての関西弁がぬけず、ある時彼なりに一念発起して標準語をしゃべり出したときは、「外国語みたい」と笑われたもんです。

そして、クボカン君。
今の彼を知る人は、ふっくらしたカワイイお餅みたいなアイツ、スリーミーツの次男坊という印象が強いですね。

しかし。

当時は全く違いました。

私が当時に撮った、衝撃の写真をココにアップします。

ジャーン!!!

Image4201.jpg

だ、誰だ!!
イケメンじゃあないか!!
何を隠そう、こちらが久保貫太郎君、20歳の頃の姿です。
衝撃…!!!
当時の彼は、今と変わらずカワイイ優しいわんぱく坊主でしたが、それに加えて毎日ジョギングを欠かさず、肉体を鍛えていた美しい鎖骨の目立つ男。
少しばかり太り始めた頃、映画「ジュマンジ」が上映されていたのに合わせて私とナリで「肥満児ー」とからかったらすごく怒られた記憶があります。
そういえば以前、この写真を欲しがっていたので、今日は劇場に行ってこの写真をプレゼントしてこようと思います。

そんな二人が。
13年の歳月を経て、今、KAKUTAで小学生(役)になり、共演している。
私ね。
自分で演出してる癖に、どうしても、二人のあるシーンになると、ほろりとしてしまうんです。
なんだか、懐かしい日を本当に思いだしているような気がしてしまいます。
そして、今もこうしてみな芝居をしていることの喜びに、打たれてしまうのです。

だって久保君は、
「円を卒業したら道ばたでアクセサリーを売る人になりたい」
と言っていましたから。

2009年04月18日

5月18日の吐露を今。

どーも、桑原です。
もはや「毎日」などという約束は約束ではなかったかのように守れない日々が続いておりました。
ゆえに、ことわざ辞典に習って「マ行」をかたくなに守ってきた日記のタイトルも変えて、約束?そんなもん破るためにあるんだファック、とまで開き直る訳じゃござんせんが、パンクなていで心機一転こんにちは桑原です。

帰れない夜、さとがえり、共に終了しました。
ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。
思えばこんなにもハードな公演は過去になかったのではないか…なんて言ってみたところで絶対にあったはずなんですが(野外公演とかもやったしね)、それなりにいやはや、今回も大変な公演でした。
だけど、朗読とストレートプレイという、全くジャンルの違うに作品を、思い切り雰囲気も変えてやれたのは、楽しいものでした。
そんな思い出話を熱く語りたいなと想いながらも、今もはや私が演出として参加させてもらっている舞台、5月のバンダラコンチャの稽古がガンガン始まっていたりして、なんだか書きたいことがいっぱい。
と言うわけで、また日を重ねながらどちらの話もゆっくりしていくことにして、今日は、ちょうど約一ヶ月前に書いたものをアップしてみようと思います。

一ヶ月前、我が家の猫がこの世を去りました。
それはもう稽古まっただ中の時でした。
稽古まっただ中にもかかわらず、どうにも何も手が着かない状態に陥り、二日間、稽古をお休みしてしまいました。
家で何をやっていたかというと、文字通り、何も手が着かず、何も出来ずにいました。
お休みしてる間に稽古のことを何か考えておくべきだろうとわかっていながら、寝ても覚めても泣いてばかりいて、そういう、あまりにもなにも手がつけられない状態で一日を過ごすというのも、それなりにやはりしんどいものがありました。
それで、何か書いていれば気が紛れるのではと、書き始めたのがこれからアップするものです。
今、この時、頭の中を一杯にしめているものを文字にしてみよう。
気持ちを文章にして、キーを打っている間は少し冷静でいられるのでは。
そんなことを想い、書いたもの。
つまり全て、我が猫の話です。

稽古休んで何やってるんだという感じですね。
本当に、申し訳なかったと思います。
ただ、この時の自分は、こういうことでもしてなければ時間を過ごせなかったのです。
誰に向けるでもなく気の赴くまま、ひたすら時を過ごすためにだらだらと書いてみたらば、信じられない分量になりました。

だから正直、人に読ませるような代物じゃないです。
内容も支離滅裂だし、そんな最中に書いたのだからもの凄く暗いし、今まで書いたことがないような個人的なことまで恥ずかしげもなく書いてしまっています。
誰かに読ませる、と言う意識のないものは、こんなにもつまらないのかという代表のような内容なので、たまたまこのページをご覧になった方は、飛ばしてよろしいと思います。
これをまともに読む人は、相当に暇か、私のことが好きですね(言ってみたすいません)。

じゃあ、何でそんなのを載せるのかって話ですが。
自分のために書いたのだから、別に敢えてここに載せることもないはずです。確かに、確かに。
でも、自分の気持ちが少しでも落ち着いたら載せようと、なぜだかその時漠然と考えていたので、そのまま従ってみることにしました。
読ませる相手を想定していないくせに、載せる場所を想定して書いたのは、自分しか読むことのない本当の日記にしたらば、

さびしい
会いたい
帰ってきて

しか書けなかったからかも知れません。
それを狂ったように殴り書くのでは、何も手が着かず過ごすのとさして変わりません。
ともかく、わざと自分の気持ちを整理しようと努めたので、吐露部屋を利用したというわけです。
そして、載せようと思ったとき。
それが、思いがけず一ヶ月後だったというわけです。意識したわけではなく。

では、一ヶ月経った今、本当に落ち着いたのかと言えば、嘘になります。
今でも日記を書いたなら、

さびしい
会いたい
帰ってきて

になってしまうと思います。
ただ、無理矢理このことを考えないようにして稽古をしていた日々が終わって、「ゆっくり考えても良い時期」になったからかなと、思っています。

舞台の千秋楽を迎え、打ち上げから家に帰るとき、「もうシー(猫)のことを考えていいんだ」と思うと、もの凄くホッとして、その夜久しぶりに、泣きに泣きました。
今回やった舞台「帰れない夜」の中にある「昨日公園」の中で、遠藤という主人公が公園に一人でやってきて、「ずっとここに来たかった。ここでマチ(親友の死)のことを考えたかった」という記述があります。
私もきっとそれだったんだと思います。
とはいえ…コレも情けない話なんですが、アップしてから自分で読むのは、まだ少し先になるかも知れません。

なんだそりゃ。
ほんとにね。

というわけで、前置きから長いですが、しばらく、駄々長い駄文が続きます。
数日すれば普通のくだらねえ吐露部屋に戻るので、どうか、ご容赦くださいませ。

陽だまりの猫/1

「たかがネコでしょ?」
「たかが世界でしょ!?」

そんな台詞があった。
遡ること12年前、当時劇団の座付き作家だった(KAKUTAの「KA」である)金井が書いた、短編戯曲「陽だまりのネコ」の中の一節である。
この舞台は、少女(といっても二十代前半)の女の子グループが世界に反発し、自身を人質として建物に籠城し、集団テロを起こすという話で、横浜の小劇場STスポットがスパーキングシアターというフェスティバルを行った最初の年に大賞をもらった作品だ。
97年当時のKAKUTAは、世紀末を目前に控えていたことから作品も終末思想が濃く、ノストラダムスの予言によって「もうすぐ世界が終わるかもしれない」という中にいる不安定な世代の若者たちを描いた作品が多かったが、この「陽だまりのネコ」もそのひとつだった。

私はそのグループの中でもとりわけ緊張感のない、子供っぽい女の子の役だった。
猫を飼っているのだが、その猫が家に帰ってこないという連絡が籠城先にいる私の携帯電話に届き、私はテロをやめてネコを探しに行きたいと駄々をこねる。
もちろんそんな幼い我が侭で(本人達にとっては)命を懸けたテロを取りやめにすることはできず、リーダー格の女の子は「たかがネコでしょ?」と怒ってたしなめる。しかし、私が演じた女の子は怯むどころか泣き叫ぶように激しく言い返すのだ。
「たかが世界でしょ!?」
私がこの舞台で憶えてる台詞は、情けないことにこの一言だけである。
だけど今、私はこの台詞を、しみじみと思い返している。

我が家のネコ、シーが死んだ。
うちには、スーという先住ネコと、シーというふたりのネコがいる。
死因は、糖尿病ということになっているけれど、本当にそうなのかはわからない。
ともかくそれは、今朝のことだ。
私はその死を、(私が母だとして)シーの父である元恋人と、母と、三人で迎えた。
現恋人は、ずっとそばで私と共に介護しながら、今朝はその瞬間に立ち会うことが出来なかった。

糖尿病が発覚したのは約十日前のことだ。
その日から今日まで、いやもっと前のことから今日までを、今からここに書き綴ってみようと思う。
実は現恋人も、今年のはじめに飼っていたネコを亡くしているのだが、その時彼がすぐさま今の心境をブログにアップしていたのを読んで私は、「そんなにも悲しいときに何故ブログなどに書けるのか」と半ば詰る様な口調で彼に聞いた。
恋人は、言葉にすることで自分の気持ちに整理したかったからだと言った。
私はそう聞いても、わからないなあ、私ならそんなこと絶対出来ない…などと思っていたのだが、今まさに、その時の恋人と同じことをしている。
そして、今になって彼の気持ちも分かるような気がする。

今の私の気持ちを、正確に言葉にすることなど出来ない。あまりにも稚拙で、なんだかいろんなモノが足りてない、安っぽい文章になるだろう。
言葉は安い。
未熟なりとも、ものを書く人間がこのように言っていいのかわからないけれど、今はひときわ、そう感じる。
しかし、安い言葉でもってしても、今の自分の、このどうにも身の置きどころがない状態をどこかに納めなくてはという切迫感のようなものがある。そうでなければ、恐るべき早さで忘れていく過去のことを把握しきらないまま取りこぼしてしまう気がして(把握しきりたいのかというと、それも違うのだが)、ただ漠々とした喪失感だけに支配されてしまうような気がするのだ。
今までも実家でくらした猫を亡くしてきたが、これまではそうした喪失感に手を施さず、好きなだけ哀しみにまみれることこそが失われた者たちへの供養であり、誠実な想いの現れなのだと信じてきた気がする。
だけど今は違う。
単純に言って、こんなことでもして時間をつぶさないとやりきれないのだ。
ジッとしてると「お願いだから起きて」という、これまた言葉にするとあまりに安い声が、勝手に口をついて出てきてしまう。オッサンのような低い嗚咽が乾いたべとべとの口から漏れ出る。
言葉を紡ぐ作業の良いところは、気持ちより頭が働く瞬間があるということだ。
逆に言えば、安かろうとそうしてなにがしかの自分を救うすべがあるのは幸せなことなのかもしれない。
安い言葉をよりどころにして、今も私のベッドの上で、眠るように横たえるシーを自分のそばにとどめておきたいのかもしれない。

***

シーはネットで知り合った、見知らぬ男性からもらったネコだった。
先にいるスーのきょうだいがわりとして、もうひとりどうしても欲しかった私は、子猫募集の告知をネットに出し、すぐに連絡が来た。
多分ハーフネコで少し毛の長い中毛種(?)です、という紹介と共に、鼻の下にハナクソのような大きなホクロ模様がある黒縁の子猫が水を飲んでいる写真が送られてきて、即決した。
うちは少し遠いけどどうやって手渡しますかと聞かれ、即座に引き取りに行きますと答えて、受け取り先は失念したが、たしか2時間半ほどかけて電車に揺られて取りに行った。
そのもと飼い主の顔は、全く覚えていない。ただ、子猫をかごに入れて帰るとき、少し寒いホームで言いしれぬワクワクとした気持ちに満たされていたことだけを憶えてる。
名前は「シノブ」と名付けた。小学生の頃、人が良くて面白くて優しい、高倉忍ちゃんという同級生がいて、その子がシーと同じ鼻の下にホクロがあったからだ。

先住ネコのスーとは、すぐに仲良くはなれなかった。というか、最後までベッタリ仲良しなふたりではなかった。けれどお互いに嫌な相手ではない、喧嘩はエキサイティングで、暑い日は共に玄関先で涼を取り、気が向けば舐めてやってもいいぜという感じの、良い関係だったように思う。
姉妹と言うより仲間のような関係のスーとシーを、私は、「スー&シープロダクション(略してスシプロ)」という架空の会社取締役、ということにしていじっていた。
スーとシーは、本当は私のいない間に莫大な金を動かしている大株主で、ビルゲイツが友だちで、肉球で「売り」「買い」と株を裁いてるという設定だ。
だから芝居なんて金にならないことを私がしているのには反対で、小劇場?おやめなさいよそんなもの、と思っているから、私の書いた台本を布団がわりにしたり、PCのキーパットでつめとぎしたりするのだと。
ばかばかしいが、スシプロが気に入って私は、周りの友だちや恋人にも吹聴していた。

最初の頃スーは、シーが来たストレスで痩せた。屈託なく甘えてくるシーに遠慮し、私に甘えられなくなったスーが気の毒で、私は頻繁にスーを抱いてトイレに籠もり(当時1ルームだったから他に個室がなかった)、好きなだけ甘えさせ、「スーだけかわいがる時間」というのを作った。
私とスーがトイレに入ると、シーは自分も入りたいと鳴いて、カリカリ戸をひっかいた。
しばらくするとスーはシーのいる生活を受け入れ、私に普通に甘えられるようになり、トイレタイムもなくなったが、シーは何年経っても私がトイレへ行くと一緒に入りたがった。
そして一緒に入ると、膝に座って喉を鳴らして甘えた。
不思議なことに、スーの方がトイレで過ごした記憶があるはずなのに、トイレで甘えるのは、あの時入れてもらえなかったシーの方になっていたのだった。

トイレに限らず、シーはとにかくだっこされるのが好きな甘えん坊だった。
シーが子猫の頃、私がパソコンで作業している間あぐらを書いた足の上に乗せて遊ばせていたからかもしれない。子猫の頃は良かったが、6キロのおデブになっても膝に乗りたがるので、長時間シーを乗せて台本を書いているといつも足がしびれた。膝に乗せたまま煙草を吸おうとすると、火がついてない煙草をひっかいたり噛んだりしてしまう。煙がかかるのも気が引けて、シーを乗せて煙草を吸うときは着ているトレーナーの中にもぐらせるようにしていたら、それも気に入って、膝に乗ると自分から潜りたがるようになった。
だから、シーを乗せて私がパソコン作業をするときは、いつもお腹がぼっこりとふくらんだ妊婦のようだった。トレーナーの中で、襟元から私を見ていたり、ネックレスをいじったりして過ごしていた。
重さのあまりどけようとしても、しつこく膝に乗りたがる。むりやり降ろすと、そばに寝て、前足だけ私の足にちょろっと乗せていたりして、「それほどまでに私にさわっていたいのか」と笑ったものだった。
最後、息を引き取る直前まで、シーは私の膝に乗ろうとした。

シーもまれにみるほどの甘えたがりだったが、私も負けずに甘えたがりである。
だから、台本が書けないとき、落ち込んでるとき、もちろんなんでもないときも、シーが太ったお腹を見せて寝ているときは、そこに顔を埋めにいった。
ネコの腹というのは、どうしてあんなにいい匂いがするのだろう。あの臭いを嗅いでいると、自然と心が安らぎ、暖かいもので満たされ、眠くなる。
だからその場で眠ってしまうこともしょっちゅうだし、ともかく私とシーはいつも一緒に寝ていた。
私が寝れば、当然自分もといわんばかりに枕元に来て、布団に潜らせろとカリカリひっかく。それで私の顔が引っかかれて喧嘩したのもしょっちゅうだし、シーが布団を陣取ってしまい、寒くて目が覚めたこともある。追い出せば私の上に乗って眠り、そういうときはたいてい、シーの重さでうなされ、変な夢を見た。
今もシーはベッドの上で目をつむっている。体は固くなってきても、お腹はまだ柔らかく、変わらずいい匂いがする。だから私はコレを書きながらも、突発的にお腹の臭いを嗅ぎにいく。
こんな風に書けるのも、今はまだシーのお腹に顔を埋めることが出来るからかもしれない。
明日、明日から先、シーの匂いが嗅げないことを、私はまだ想像が出来ない。

2009年04月19日

陽だまりの猫/2

シーが乳腺のガンを患ったのは、去年の秋だった。
いつものようにシーを膝の上に乗せて、恋人と談笑していたとき、お腹に小さなイボを見つけた。ほんの小さな、何でもないかわいらしいイボだったけれど、胸騒ぎがしてお医者さんに見せに行ったら、すぐに摘出することになった。
ネコの乳腺に出来る腫瘍は、十中八九悪性らしい。シーも、やはり悪性だった。
どこからみても病気には見えない元気な様子から、にわかに信じられなかった。
降ってわいた悲劇に最初は動揺したけれど、手術も無事成功し、ガンも全摘出され、その他に転移も見つからなかった。
麻酔で気管が締められたのか、術後すぐは喉をけほけほしていたものの、相変わらずでっぷり太って元気そうだったので、獣医師の「このまま再発しなければそれでこの病気はおしまいというケースもありますし」という言葉を頼りに過ごしていた。
傷を舐めないようエリザベスカラーを渡されたけれど、太い首にカラーが苦しいのか嫌がり、対処として人間用の太股用サポーターを買ってきて腹巻きをつくり、傷を舐めないようにした。
大島弓子さんのマンガに載っていたのを、マネしたのだ。
その頃のシーは、スーよりも太っていた。
退院する際、獣医師に今後はダイエットさせましょうねと軽く言われたけれど、太っていること自体はあまり気にしていなかった。
血液検査で、「腎臓が少し値を上回っている意外は全て正常ですね。まあ高齢だとそれなりに値が上回ることはあるんで」と言われていたのもあり、あまり深く捉えてなかったのだ。
腫瘍の転移を知るためレントゲンを計った際、太ったお腹の部分を医師が指して「この辺が脂肪ですね…」と言われたときは、それまでべそべそ泣いていた私は思わずブーと吹き出した。
それはひとまず健康な証拠、だと、思っていた。

今年に入り、いつ頃からか、ネコ用の水飲みグラスが目減りするのがやけに早くなった。
腎臓がやられているとネコは水を飲みたがると言うことは、大島弓子さんのマンガなどでなんとなくは知っていたが、スーとシー、どっちのネコが水を多く飲んでいるのか最初はわからなかった。
もちろんおしっこも大量にした。けれど、食欲は旺盛だった。
何となく痩せたんじゃないかという気もしたけれど、相変わらずお腹は太ってた。
私は、トイレ砂がカチカチになるほどの尿の量で心配になり、恋人や、元恋人、母などに相談してみたけれど、皆、食欲もあるし太ってるし、心配しすぎじゃないかということだった。
冬で乾燥してるからじゃないかと言われ、加湿器をかけたりしていた。
実際その頃の私は、シーの背中に小さなニキビが出来ただけで獣医に電話したりして(それはほんとにニキビだったのだろう、すぐ消えた)、気にしすぎてる部分もあった。
そのくせ、シーがガンの時、病院通いをかなり嫌がっていたため、それがストレスになってガンに悪影響があるのではないかと心配したりして、あまり神経質になって病院に通わせてもシーが可哀想かもしれないと、病院へ行くのをしばらくの間、躊躇っていた。

だけどある時、やはり病院へ行こうと決めた。それは、ほんのささやかなシーの行動だった。
シーはドライフードのカリカリが好きで、お腹が空くと自分でフード置き場にあるシーバなどの小袋のフードを、自分であけて食べてしまう癖があった。そのたび取り上げてちゃんとあげ直したりしていたのだけど、その日は、様子がおかしかった。
ドライフードはご飯の皿に入っているにもかかわらず、新しい袋を開けて食べようとしていた。
食欲があるんだかないんだか、よくわからない。だけどなんだか、いやな予感がした。
恋人と病院へ行く約束をした。
だがその時は別の事情で行けなくなり、数日後、たまたま元恋人がうちに来たとき(この辺の微妙な関係については詳しく書かないが)、シーの様子を見て、私が病院へ行きたがっていることを知っていたのもあって、「元気がない気がするからやっぱり連れて行こう」と言いだしたのだった。

***

そして今から一週間前。
腫瘍の転移がないか調べてもらうという名目で、元恋人と一緒に病院へ連れて行った。
前と同じ動物病院で、今度はM院長先生にみてもらった。以前手術をしてくれた若い医師もその場にいたけれど、内心院長先生が看てくれるとわかって嬉しかった。
その若い医師は診断の際に、「大丈夫とも言い切れない」というような、曖昧にマイナス要素を匂わせる話し方をする人で、その先生と話すとむやみに不安にさせられる気がしていて、イヤだったのだ。
看てもらうまでは、また半年後とかに来てください、と以前に退院したときいわれていたのに、早く連れて行って過保護な飼い主だと思われるだろうかなどと変なことを気にしていたけれど、触診して悪性腫瘍のようなモノは何も見つからないと聞くとやはり安心した。レントゲンも取ってみたが、転移は見つからなかった。
ところがそんな検査の終わりに、全く思いがけない病名が飛び込んできた。
それが、糖尿病である。
記憶に留めておくため書いておくと、その時シーの血糖値は500を越えていた。通常、ネコの血糖値は高くても180以下くらいだそうで、その基準からすると、その時のシーは大いに値を上回っていた。
もしかしたら糖尿病かもしれませんから、もう少し他の値も調べてご連絡しますといわれ、それが「もしかしたら」でなくなったのは、その日の夜の、院長から検査結果を知らせる電話だった。

M先生から聞いた糖尿病を知らせるネコの症状が、それまでのシーの様子とあまりに合致していたのはショックだった。
・ 水飲みが激しく、食欲も旺盛になること
・ 多飲から当然、多尿にもなること
・ 糖尿病のネコは背骨から痩せていき、お腹は太ったままということも多いため、痩せたかな?と思いつつ気づきにくいこと
水をよく飲むことを心配はしても、食欲があるから大丈夫だと思っていた私はまさに気づきにくい飼い主、そのものだった。もしこのことを知っていたら、一ヶ月前には病院へ連れて行ってただろうと思うと、無知だった自分が情けなかった。
しかし、それを知ってもまだ、ガン告知のインパクトに比べれば、その時のショックは少なかった。
血糖値が高くなりすぎないよう、一生インスリンを投与していかねばならない病気である、ことは理解したけれど、ネコの糖尿病は人と違い、インスリンを必要としないタイプのネコもいるとM先生に聞いて、食事療法などで上手に付き合っていくことだって出来なくはないのかもしれないという希望もあった。
母に電話したら、「人間だって糖尿病を抱えてる中年は多いし、そんなに怖がらなくて大丈夫よ」と言われ、M先生の口調からしてもすぐ命に関わる病気という印象ではなかったからだ。
実際、私だけでなくM先生も、シーの抱えている糖尿病がそこまで深刻なものだとはまだこの時は思っていなかったのだろうと思う。

二日ほどかけて半日入院させ、インスリンを数回に分けて投与し、適量を見極める検査をしていきましょうということになり、翌日、今度は現恋人と一緒にシーを連れて行った。

ところが、最初に検査へ連れて行ってから、シーの体調は急に悪くなっていた。
元気がなくなり、ご飯を一切自分から口にしなくなった。
そして、夜には吐き気を催して何度も黄色い胃液を吐いた。
ガン転移の検査に行っただけなのに、なぜこれほど急に体調が悪化したのか不思議だったが、糖尿病というものがわかりにくい病気なだけに、それがネコの体調から顕著にわかる頃にはかなり進行している場合も多く、急に悪くなったように感じることも多いのだと、色々調べる中で後に知った。

陽だまりの猫/3

M動物病院へ通う日々が始まった。
最初にインスリン検査をした日に、問題なくご飯を食べられるようになっていれば、そのままインスリンの適量を決めていけるはずだった。ところがご飯が食べられないので、それ以上検査を薦めることが出来ない。まずは食欲が出るよう体調を戻さなくてはならないと言うことになり、毎日、点滴を行った。
吐いた夜の翌日からは点滴に胃酸を押さえる薬を入れてもらった。
胃がやられていることから、吐いたものに血が混じっていると聞き、止血剤も点滴にはいることになった。
恋人が実家の車を運転し、朝9時すぎに病院へ向かう。
そして夕方、再び恋人が運転する車で引き取りに行く。
その繰り返しがしばらく続いた。
私はもうKAKUTAの稽古がほぼ毎日入っていたから、引き取りに行けない日は恋人に頼み、家に帰るまでのその日の様子を逐一メールで報告してもらった。
私も恋人も行けない日は、元恋人にお願いした。

元恋人は、シーが我が家へ始めてきたときからずっと付き合ってきた、いわばシーとスーにとって父親的な存在である。恋人という関係がとだえて今やむしろ完全に私の家族であり、かげがえのない存在となって、現在も公私ともに助け合って生きている。
だから、端から見れば二人の男性に協力を得ていることが少し奇妙にうつるかもしれないし、やや複雑な関係を非難する人もいるかと思うが、どちらもシーのために心から協力してくれていた。

そんな生活が数日続いても、シーの体調が著しく良くなることはなかった。
「昨日より少し目がしゃっきりしている気がする」とか、「昨日より首が動いて元気そう」だとか、本当にささやかな変化を見つけては喜び、ちょっとずつでも良くなっていると思おうとしていたが、やはりご飯は食べられず、点滴の生活を脱することが出来ない。
それまで、稽古に向かう電車の中でも糖尿病のネコちゃんを世話している方々の闘病記などを読み、シーの様子と当てはめて参考にしたりしていたが、シーの変わらない病状から、徐々に他のネコちゃん達の様子と当てはまるものも少なくなっていった。

そして病院通いが数日続いた頃から、私には少しずつM先生に対し不信感が生まれていた。
車で通わねばならない距離のM動物病院はNという町にあるのだが、もともと自宅から徒歩数分のところに同じM動物病院が経営するSという支店(といっていいのだろうか?)がある。
それまではずっと腫瘍の手術も含め、Sの方に通っていたのだが、先に書いたとおり、久々に再検査へ訪れた際、たまたまM院長先生が来ていて、糖尿病もM先生が発見したことから、「出来れば私の方が看ていきたいのでNまで来られませんか」といわれ、Nまで車で通うことを決めたのだ。
M先生は院長なので、Sほかあちこちの病院を行き来しているらしく、当然他の患者の診療もあるので忙しいのか、最初こそ朝連れて行けば目の前で血糖値を計ったりしてくれていたのが、そのうち別の先生からその日の様子を聞かされると言うことが多くなった。
朝連れて行ってもM先生がおらず、その日その日で別の先生が病状を聞きに来る。
医師が変われば説明ももう一度必要になるので、何度も糖尿病について同じ説明を聞く羽目になる。
預けに行ってもその日どんな治療をするのか説明がなく、はい今日もお預かりしますねと、その都度違う医師にただ受け取られてしまうという状態になっていた。

ある時、シーの体内からケトン尿が出ていると聞かされた。
ケトンという有害物質が体内で生成され、それが尿として排出されていると言うことだった。
確か、その前日くらいからケトン体が出ているので…という言葉を聞いていたのだが、聞く医師が毎回違うこともあり、わからない分はネットの闘病記などで情報を集めて補っていたものの、ケトンが出て以降体調が改善されたケースも少なくないようだったので、それがなんなのかはわかっても、その深刻度がいかなる程度か、最初は今ひとつわからなかった。

ある日の朝、いつものようにシーを預けにいく際、またも違う医師にシーの体調を聞かれ、ケトンに対し昨日と同じ説明された私は苛々し、院長先生から聞きたいと言ってわざわざ呼び出してもらった。
その時のM先生からの説明はショックなものだった。
やはりその「ケトン」が出ていると言うことから病状は深刻であるということを言われたのだが、実はM先生は、数日前のシーの様子を見て既に、「あと一日もつかどうか」くらいの状態だと思った、というのだった。
しかしそのわりにシーが頑張ってくれて命が繋がっているのが今の状態なんです、と説明を受け、少しずつでも良くなってるのだと信じていた私は、ショックだった。
もともとM先生は、同じ説明を長々繰り返し話すと言うところがあった。早口でまくし立てて、質問を与える隙をあまり作らないところがあり、私もその言葉の量に圧倒され、なんだか漠然と了解したような気になって帰ることもよくあった。
また、なにかを聞くと、深刻な状態ですと言うことばかりを違った表現で繰り返し言われるため、色々質問したくとも、気持ちの沈む答えしか返ってこず、その日も延々と、改善は望み薄であることを聞かされた。
私は、いつになったらインスリンが自宅で打てるようになるのか聞きたかったが、今はそれ以前の問題だと言われてしまった。

インスリンの投与と点滴、そして必要時には背中に糖を注入したり水分を入れたりして、毎日一万数千円の金が消えていく。
自分の生活費用の預金はもう底をつき、普段手を出さない貯金から引き出して治療費に充てていた。
良くなってるかどうかもわからず、毎日違う医師に預ける病院通い。
目標が見えないことがさすがに不安で、この生活をいつまで続ければいいのかM先生に聞くと、先生は、飼い主さんの判断次第だと返した。
私は、どこに向かって頑張ればいいのかという目標を知りたかったのだが、先生は私が経済面を気にしていると受け取ったようだった。
治療を辞めて、現状を受け入れ、諦めるのか。
それともこのまま、お金がかかっても命が一日でも続くように処置し続けるのか。
それは患者さん次第ですと。
つまりは、私とM先生の見ているところが違ったのだ。
私はシーを治すことが目標。治したいと言っても、糖尿病が一生向き合って行かねばならないものだというくらいは私もわかっていたが、自宅療養できるくらいになることを目指していたのに対し、M先生はシーに対し、現状維持が目標だった。
先生の話を聞くことが怖く、辛く、何か言い返したくとも、声が震えて旨く喋れない。結局その日は、恋人がほとんど先生と話し、帰ってきた。
ケトンが出ていても治ったネコはたくさんいるよと、同じくネットで調べていた恋人に力強く説得されて稽古場へ向かったが、電車に揺られている間も、もし失ったらという恐怖が波のように襲ってきて、結局稽古場近くの駅の前で泣き崩れてしまった。
演助のゆかに少し遅刻させてくれと電話をしたら駅まで迎えに来てくれた。その場で立ったままゆかにすがりついてひとしきり泣き、結局稽古は30分遅れていった。

2009年04月20日

陽だまりの猫/4

翌日の深夜、夜間の動物病院へ駆け込んだ。
稽古から帰ってきたら、シーはいつもより元気に見えた。
目がパッチリと開き、首を動かして辺りを見回す。
動きが活発になるのはインスリンが効いている証拠で、調子がいいときは相変わらず私の膝に乗ろうとする。この夜も最初はそんな感じがしたから、ああやっぱり少しずつ体力が復活しているのだと思っていた。
だけど、夜が更けて行くに連れ、どうも様子がおかしいことに気がついた。
目が開きすぎている気がする。もともとシーは目が大きく、バチッと丸く開いていて、普段からビックリしたような顔をしている。最初にもらってきたときは手塚治虫のマンガに出てきそうな目の美猫だなあと思ったから、そうして目が開いているのは通常かと思われたが、それにしてもどこか爛々としている感じがあった。それで、しきりに首を動かしどこかにいきたそうなのに、下半身が思うように動かず、もどかしそうにしている。
このところシーはトイレに行くのもおっくうなのかよくお漏らしをしてしまっていたので、ペット用の紙オムツをしていたのだが、やはりその夜も点滴で水分を入れているから大量におしっこをしたのだけど、動きたがってる上半身に対し、下半身に力が入っていない。
コレは変だぞと思って心配していると、恋人がネットで調べ、低血糖の症状に似ているという。
ひとまず、ネットにあったとおり家にあった蜂蜜をスポイトで飲ませると、少し落ち着いたように見えた。
更に、夜間専用で診察を受け付けている地元の動物病院に電話相談してみたところ、低血糖ならば沸騰させて気の抜けたコーラをさまし、それを飲ませるようにと言われた。
コーラには即効性があるらしい。ちなみに、ペプシではダメで、コカコーラにするようにとのことだった。
すぐに恋人がコーラを買ってきて準備した。
夜間病院の医師には、出来れば病院に連れてきた方がいいけれどと言われたが、またしても別の病院に行くことに抵抗があった。ちょっと心配になったからと言ってすぐに病院に駆け込んでてはシーもくたびれるのではないかという想いもあったし、夜間は診察料も多くかかる。
それに以前、まだシーが小さい頃にも急に吐き気をもよおして、当時済んでいた場所の近くにある夜間病院に駆け込んだことがあったのだが、その時は信用できない怪しい獣医師に当たってしまった経験があったため、同じ鉄は踏みたくないと言う想いもあった。
それでもシーの今の様子は気にかかる。
M先生にあの「あと数日もつか」の診断をされてから、このごろちょっとした変化にも動揺していた私は、一人では判断できず、おろおろしていた。
恋人は、俺は大丈夫だと思うけど、私が心配なら行ったほうがいいと言った。
私は、行かない、と一度は決め、すぐにやっぱり行くと言い、その後また躊躇した。
その様子を見て、もう行こう、行った方がいいと彼に後押しされ、結局コーラを飲ませるのはひとまず置いて、病院へ向かった。

夜間動物病院は、M病院よりも建物が古く雑多な雰囲気があり、受付に立つ女性助手も、美人揃いのM病院に比べなんだか微妙に歪んだ顔をしていたので、私は以前行った夜間病院を思い出し、不安になった。
夜間病院の獣医師K先生は、髪の毛にふけが溜まり、常に半笑いで話す先生だった。
これで更に不安になるところだが、M先生には散々不安を煽られるようなことばかり言われていたので、さほど動揺することもなくてきぱきと対応するそのK医師の様子に、私は少し安堵した。
またこれまで、私がM先生と話をするときは、早口で大量の情報を繰り返し言われ、もはや頷くのみという状況に慣れていただけに、今回も、途中で口を挟まれることを恐れて急いで出来る限り詳しく状況を説明したが、K先生は私の話を中断せず、全て聞いてくれた。

検査の結果、やはり低血糖ですねと言われてその場でブドウ糖の点滴を打ってもらった。
計ってもらったところ、シーの血糖値は20しかなかった。
色々調べたところによれば、高血糖も危険だが、インスリンが効きすぎて低血糖になるのも危険だという。場合によっては命を落とすこともあるらしく、むしろ低血糖の方が高血糖以上に危険である、と言う意見も多い。
二本の点滴と注射の後、K先生が「ウン、コレでだいぶ良くなったんじゃないかな」と言ってシーの首元をキュッと掴んで顔を起こすと、シーは今目覚めたようなような顔で首を上げ、久しぶりにウニャンと声を出した。
その瞬間、私は泣き出したくなった。横にいた恋人も「良かったあ」と言って大きく震える息を吐き、私たちは互いにがっちりと手を掴んで安堵した。
猫のたったひと泣きが、どれほど安心感を与えるか。それは信じられないほど大きなものである。

しかし、気にかかることはまだあった。
その始めは、夜間病院に到着した際、K医師からどんなインスリンをどの程度打っているかと質問されたときだった。
私たちはなにも知らなかった。恥じ入るようにわかりませんと答えた。
その時になって初めて、私たちは、そういうことを病院に聞いてもいいのだと知った。

ネットで調べる猫ちゃんの闘病記の多くは、飼い主さんがかなり詳しく病状を記載している。
インスリンが即効性なのかどうかや、その量についても詳細に記述している方もいる。その方たちはおそらく、ご自宅で自分自身の手でインスリン投与しているから知っているのだと私は思っていた。M先生に聞こうとはしていなかった。
というか、何かを聞けばM先生に深刻だと言われてしまうから、今はまだ聞いてどうなる時期ではないのだと、変な言い方だが、聞いていいレベルに私たちは達してないのだと、私も恋人も理解していた。
いつも聞かされるのは朝と夜二回の血糖値だけ。
合間も何度かインスリンをうち血糖値を計ってますと言われていたのだが、その詳細よりも、料金は二回分しか頂きませんから、と言うようなことばかりM先生に言われる、と以前恋人が漏らしていた。
だけど考えてみれば、こうした事態に備えて詳しく聞いて良かったのだ。というか、それは常識だったのかもしれない。
ここでまた、私はM医師に不信を感じるようになる。

その不信感が更に高まったのは、K医師から血液検査の結果を聞いたときだった。
私たちの言葉だけでは情報が少なすぎたので、K先生は血糖値の対処しつつ、その合間に血液検査をした。
すると、思いがけないことを言われた。
「とにかくひどい貧血ですね。これじゃご飯食べられないでしょ」
貧血?
寝耳に水だった。M病院から貧血について聞かされたことは全くなかった。
ご飯が食べられないのは、胃が弱っているからで、胃が気持ち悪くて、食べられないと聞いていた。
もちろん、じゃあ胃が治れば良いんですね?と言う聞き方をすれば、そういう問題じゃない、とにかくあちこち悪くなっていくから事態は深刻だと言われてしまうわけで、とにかく今は、胃を薬を入れた点滴で徐々に回復させるしかないし、奇跡を待つように、胃の回復をひたすら待ち続けるしかないと思っていた。
ところが、K先生には、胃だけではなくて貧血が食欲を減退させているから、個人的には輸血を薦めますけどねと言われた。輸血とは、私にとって全く新しい治療法だった。

K先生は他にも、足が動かないのはカリウムが不足しているからだということや、他の状態はこうなってますと言うことを検査結果の紙を私たちの前に見せて一つ一つ説明してくれた。血液に遠心分離をかけ、その血を見せてもらいながら、黄疸についても説明を受けた。
ひとつひとつ、細かいデータを元に説明を受け、初めてなるほどと思ったことがいくつもあった。おそるおそる、今まで怖くて聞けなかった質問などもしてみたが、そのたびにはっきりとした回答をしてくれた。病院へ毎日連れて行く意外、もうできることはないのかと思っていたから、少しでも出来ることが見つかったような、どこに向かうべきかという目標が少しだけ見えた気がして、私の気持ちは少し明るくなった。

K先生にはもうひとつ、その貧血の度合いなどを見て、これは通常の糖尿病とはちょっと違う気がする、と言われた。
私は腫瘍のことについてはもう話していたから、その影響もあるのかなと思った。
検査に手間がかかる腎臓についてはこの日のうちに調べることは出来ないから、この前腫瘍の再検査で調べたとき、腎臓はどうでしたかと聞かれたが、私ははっきりと答えられなかった。
そういえば再検査の結果を、詳しく聞かされていなかったのだ。転移は見つからなかったと聞いて安心したのもあるし、なにより糖尿病が見つかった時点で、そちらの方に治療がシフトしていたからだ。
特別に聞かされていない時点で、私は基本的には健康で糖尿病だけが問題なのだと思っていたし、何度も書くように、今となってはあちこち悪いというような形で聞かされることが多かったので、改めて着目すべきことだと思っていなかった。

K先生には、カリウム不足を点滴で補って欲しいことや、輸血の案も含めて診断書を書き、M先生にコレを見せるようにと手渡された。
その日は結局、体調の戻ったシーを抱いていそいそと帰ったが、私は転院することを真剣に考えていた。
家に帰ってシーは、ヨロヨロとではあるが、歩けるようになっていた。
膝に抱いていたが、ソファの方が居心地がいいかと思い寝かせてみると、自分から降りてきてまた私の膝に乗った。

2009年04月21日

陽だまりの猫/5

翌日も、いつものように恋人が運転する車でM動物病院へ預けに行った。
とはいえ、今日はただ預けるのじゃなく、K先生からもらった診断結果がある。それを見せてもう一度M先生と話し合い、どうにも話が食い違ってしまうなら転院しようと言う心づもりだった。
果たして、M先生とのやりとりは予想したとおりだった。
カリウムはもう点滴に入ってますから、これ以上入れて良くなるものではないと言われ、輸血の話をしても、したからと言って良くなるかどうかわからない、むしろ溶血などうまくいかない場合もあると言われた。その夜間病院の先生と私では考え方が違うのでしょうねと言う返答だった。
ともかく、これ以上何かをしても意味があるかどうかわからないと言うのがM先生の答えだった。
少しでも良くなるなら何でもしたいんですが、先生はこのままの治療で良いと思っているのですかと、半ば喧嘩腰で聞いた。M先生と話しながら、もはや私も恋人も完全に腹を立てていた。
言いたいことをちゃんと受け止めてもらえず、話の腰を折られいちいち解釈が食い違ってしまう苛立ちもあった。
K先生の診断書を軽く見て流しかけたのも疑問だった。
そして、あれだけK先生が気にしていた貧血について「糖尿病の猫というのは貧血になるものですから」というような回答で一蹴されたことに驚いた。
このままの治療方針で良いのかという問いに対するM先生の答えは、「これが一般的な糖尿病の治療であると私は思ってます」ということだった。
詰まるところそれは、手の施しようがないという答えだ。
もう、病院を変えるしかないと思った。

この日はひとまず、目の前で血糖値を計ってもらってから今まで通りシーを預け、稽古場に向かう前に自宅近くのT動物病院へ電話をかけた。
昨晩、夜間のK先生に、「このままM病院へ通い続けるべきでしょうか」と相談してみたところ、K先生は合わないと思うなら変えても良いかもしれませんねと言って、Tを紹介してくれた。
ここが格別糖尿病に精通しているというからではない。家から近く、また新設の病院だからどうかということだった。
「若い医師は勉強してるし、開業したての獣医師はそれこそ信頼を得るためにも必死でやりますから」
それがK先生の意見だった。
ここのお医者さんは信用できるから、と言うような回答を望んでいた私はちょっと拍子抜けしたけれど、他に動物病院を知っているわけではないから、ともかくまずは状況を話し、ちゃんと話が通じる医師か、誠意がありそうかどうかで判断しようと思った。
T動物病院の院長は、声からしてやはりK先生の言うとおり、若い獣医師だった。
私はまたしても、昨年の乳腺腫瘍の健から順を追って話していった。昨日の夜間病院でのことも、今朝のM先生との話まで。
T先生は丁寧に応対する先生だった。力のある先生なのかどうかはまだわからないが、ちゃんと話が通じることは確かなようだった。そしてT先生も同じく、貧血を気にした。K先生にもらった飼い主用の検査結果表を見ながら数値について述べると、それはかなりの貧血状態ですねと言う答えで、やはり、T先生の回答も「ただの糖尿病ではないかもしれません」と言うことだった。
そしてやはり、「私は腎臓に問題があるのではないか」とのことだった。
K医師とT医師、二人から共通し体験を受け、私はM病院を離れることを決めた。
更にT先生は、話を聞く限り確かに大変な状況だと感じるので、もしうちに預けるなら入院させて徹底的に検査をし、集中的に看た方がいいと思うと言った。腎臓のレントゲンもとりたいし、エコー検査もしたいと言われ、私は回復を目指そうとしてくれることが何より嬉しかった。
病院を一つに絞らず、他の所にも診察に行って相談することをセカンドオピニオンと言うらしいが、それをしてみましょうということを名目に、だがほとんど気持ちは転院するつもりで、明日の朝に約束を取り付けた。

その日稽古場へ行く前に、私は劇団のメーリングリストで猫の現状について劇団員に話した。
それまで、私が病院通いをしていることは、演助のゆかなどに話す意外は、ほとんど内緒にしていた。皆、私がどれだけうちの猫に依存しているか知っているので心配をかけると思ったし、同情をかけられることで、気弱になりそうな自分もいたからだ。
だけど、転院を目前にして更にこの緊迫状態が長期戦になることを覚悟し、何かあったときは皆の協力を得ることもあるだろうと話すことにした。
出来るだけ普通に過ごしたいという私を察して、その日の稽古場で皆があからさまに私に同情の目を向けることはしないでくれた。それが何よりありがたかった。
だけど帰り際、私がバタバタと皆より先に稽古場を去ろうと言うときに、劇団員が次々に私を抱きしめに来た。何も知らない客演陣にとってはさぞや気味の悪い光景に映ったことと思う。
涙ぐむ劇団員を見て、おめえらが泣いてどうする、と思いつつ、また仲良し集団とかって冷やかされるワアなどと思いつつ、こみあげるものを私自身も押さえきれず、ありがたさと嬉しさと、シーを失うかもしれない恐怖がまた襲ってきて、半端な嗚咽を漏らしながら帰った。

***

その夜、シーの体調は悪化した。
稽古場を離れて、今日猫を引き取りに言ってくれた元恋人に電話をすると、彼は不安を隠さない声で、早く帰ってくるようにと言った。シーの呼吸が浅く、グッタリしているという。
再び恐怖だけが襲ってきた。焦っても焦っても、電車はいつもと同じ時間を走る。
今日の様子を知るために、Mに電話をすると、シーの症状についてよりも、今朝の喧嘩について謝罪された。自分は飼い主さんの気持ちを理解してなかったかもしれない、なんとしても助けたいとまで考えているとは思っておらず、勝手に存命させることを望んでるのかと解釈していたと詫びられた。
なぜそう思ったのか。思い当たるところはいくつもあったが、そう考えると、M先生は前から私の言葉を勝手に解釈してしまうことばかりだった気もする。
良くなるかどうかわからないけど何でもしたいと思ってるのであれば、大学病院を紹介しますし、糖尿病に精通した川崎の獣医を紹介しますと言われ、その言葉に刺があるような感じを受けつつも、今さらどちらの案も現実的ではないと感じていた。
まず、大学病院はどうも聞くところ順番待ちのようであり、また川崎は距離的に厳しい。
私は車の免許を持ってないし、稽古もますます忙しくなる時期で、毎日通うことが出来ない。
だから近くのT病院にセカンドオピニオンしてもいいかと聞くと、どうぞどうぞという感じで快く了解を得た。
M先生はむしろもう、私たちを手放したいような感じがして、私もまたM先生を見放した気持ちになった。

ここまで書くと、M先生はダメな獣医であるというように読めると思うが、実際は多分、ちょっと違う。
私はコレまで、うちで暮らしてきた犬や猫を、子供の頃からずっとこのM動物病院に診せてきたのだ。
助けられて感謝したことも幾度もある。
別の場所に済んでいた頃、数回別の獣医にかかったくらいで、今まで他の獣医と深く関わったこともなく、いわば私にとって動物病院とはMが基本だった。
だから、見解が違うとか、相性が合うかどうかと言うこともわからなかったのだ。
先生の言うことも、全て間違っているわけではないのだ。
今私が置かれている現実を見れば、先生の言うとおり、「手の施しようがなかった」とも言えるのかもしれない。
ただ、M病院の治療方針は、私の求めているものと違った。
それを、今回初めて知ったということだ。

M先生から、この日のシーが特別状態が悪かったというようなことは聞かなかった。
元恋人は毎日シーの様子を見ているわけではないから、たまたま元気がない様子を見て心配になっているだけではないかとも思った。
動揺する自分を押さえたくて雑誌を読んだ。それでも不安と焦燥は募るばかりで、電車の乗り換えのたびに元恋人に電話をして様子を聞き、大丈夫だと言ってくれとむりやり頼んだりしながら家路を急いだ。

2009年04月22日

陽だまりの猫/6

家に帰ると、シーは元恋人の膝に抱かれていた。膝にいると少し落ち着くらしい。
昨晩と同じ様な症状に見えた。呼吸が浅く、目が開かれて、体はグッタリしている。
それで、昨日夜間病院から帰ってそうしたように、コーラをスポイトで飲ませてみた。
飲ませるとやはり、少し落ち着いたように見えた。だが、夕べも蜂蜜を飲ませて血糖値が20しかなかったわけだし、本当に低血糖なのか、やはり判断しきることが出来ない。
このままにしておけず夜間病院に電話すると休診日の留守電が聞こえた。T病院に連絡するかM病院に連絡するか迷ったあげく、今までの病状を知っているMにもう一度連絡をすると、幸いにしてM先生がつかまり、今から見てくれるというので、母の運転する車で元恋人と共に向かった。

血糖値は400以上あった。低いどころかむしろ高かった。コーラを飲ませるべきじゃなかったかと反省したが、M先生は「低血糖も高血糖も似たような症状なんです」と言った。
私も、このことであまり自分責めるのはやめようと思った。素人には、かようにわかりにくいものだということは、良くも悪くも糖尿病と向き合ってみてわかったことだからだ。
先生は母がいるので、また糖尿病について延々と話し始めた。
母は実家の犬や猫を診せてきたので、私以上に先生と関わってきたからだ。
私は処置を急いで欲しくて焦った。結局、血糖値の変動が不安定だからインスリンを打ってもまた下がりすぎちゃうかもしれないから水分を背中に入れましょう、という結論が出るまで、先生の話が行ったり来たりで長らく繰り返され、だいぶ時間がかかった。
そして、会計の段になり、母が払ってくれると言って私と元恋人が先にシーと共に車に戻されても、M先生は相変わらず延々と母と話していた。
私は早くシーを家に連れて帰りたくて、どうしようもなく苛立った。先生が話しているのは、私と見解が違ったこと、他の病院を薦めたことなどであるのはあきらかで、それはもはや母を味方に付けておきたいという先生自身の保身のためだった。
獣医師にとって今、猫の体調よりも優先することがあるのか。
ここまで書いてまた、やはりM先生は良い先生じゃないのかもしれないと思う次第だ。

シーの体調は、さほど良くならなかった。しかし少しだけ、呼吸が落ち着いている感じはした。
その日は、シーをベッドに寝かせ、一緒に眠った。
このところ睡眠不足が続いていた。今日こそはゆっくり寝ようと思いつつ、結局気持ちが落ち着かず、朝早く目が覚めた。

***

そして、今朝だった。
シーは同じ所に寝ていたが、ずっと目は開いたままで、眠れてる感じはしなかった。
やはり呼吸が浅く、元気がない。
予定より30分早く、診察開始の時間だろう9時にはT動物病院に連れて行くことに決め、朝食を取りながら様子を見ていた。
時折、ヒューンという泣き声を上げる。それは私がずっと、早くまた聞かせてくれと願い続けた泣き声とは違う、か弱い、小さな小さな泣き声で、そのたびに私も胸が詰まった。
泣き声の後、シーはソファで尿を漏らした。
これ以上負担を何もかけたくないとオムツもはずしていたから、大量のおしっこはソファに大きな染みを作ったが、ほとんど匂いはしないし、私も、もう気にもならなかった。
膝に乗せていると良いかもとずっと抱いていたが、体勢が苦しいかと思ってソファに寝かせた。シーの体の下に敷いていたタオルごと移動させようとしたら、首がグッタリしるため、持ち上げたタオルでのどが絞められてしまい、慌てて謝って寝かせなおしたりした。
後は口を湿らす程度に水を口に流してみたり、ヨダレを拭いてやったり、もうそんなことくらいしかできることはなかった。
ソファに移ると、シーはぐらぐらする首を頑張って持ち上げて下に降りたがった。
M先生が、頭がふらつくのは脳にも影響がいってるからだと繰り返し言ってきたことを思い出し、シーの揺れる頭を見るたびに苦しくなった。
降りようとしても足がうまく動かないので体は起こせない。シーは首だけで、私の膝を目指してるように見えた。
これはもう、飼い主の思いこみだと思われるかもしれないが、シーは私の膝に来たいのだと直感した。

あぐらの上に抱き寄せ、出来る限り首が苦しくないような体勢を取りながら、膝に寝かせたまま朝食を取った直後だったか。
シーは、またあのヒューンと言うような泣き声を漏らした後、ぐーっと体を伸ばす姿勢になった。
そして、苦しそうにケホケホとえずきはじめた。吐いても、胃液しか出ず、苦しそうにしている。
一番恐れていた瞬間が、迫っていると思った。
急いでT動物病院に電話し、元恋人には、自宅から徒歩数十秒の実家にいる母に、急いで車を出すよう頼みにいってもらった。
電話している間も、ケホケホとえずき、ついに呼吸が断続的になってきた。
目は大きく見開かれ、しかしどこも見ていない。
T先生はすぐ電話に出た。そして、それは本当に非常事態だから、早く連れてきてくださいと言った。
私は病院に連れて行くべきかどうか、またしても迷った。
電話している最中に、呼吸はほとんど止まっていた。時々、思い出したようにケホ、と息を吐くだけになっていた。
これこそ本当に、手の施しようがない瞬間に思ったから、私は迷った。
このまま逝かせてあげるべきなのか。
だけど、もしかすれば一時的なものかもしれない、もしかしたらまた落ち着くかもしれないと思うと、先生の言葉に従わずにいられなかった。
シーを抱いて実家に走り、母と元恋人と共にT動物病院へ向かった。

陽だまりの猫/7

あの時の決断が、正しかったのか間違っていたのか、今もわからない。
しかし、ともかく私は連れて行った。
既に呼吸は止まっていた。
でも、心臓が僅かに動いているのが胸の動きでわかったから、私は連れて行った。

T動物病院は、出来たばかりの清潔さに満ちていた。
受付の看護助手が私たちの車を見ると、すぐに反応して中に招き入れ、奥の診察台へと導いた。
イメージしたとおりの若い獣医師、T院長が奥から走り出てきて、私たちはろくに挨拶も交わすことなく、緊急延命措置が始まった。
「心臓は動いてるな」というT先生のつぶやきだけを頼りに、診察台から少し離れたところで、私と元恋人、そして後ろに母が立ち、その様子を見守った。
T先生は助手に次々と指示を出していく。
黄色のコードは右足、黒のコードは左足につけて。
助手は慣れてないらしく、今ひとつ緊張感にかけるスピードで、言われたとおりのことをする。
そういえば、T先生から入院の話が出たときに、開業したてで曜日によってスタッフが充実していないと言っていたが、それが今日なのだ。
助手を見ながら、私がやるから代われと叫びたくだった。
しかし本当を言えば私は、代われるような冷静さなどどこにもなかった。
恐怖で立っていることもおぼつかず、元恋人にしがみつくようになんとか体勢を保っていた。我慢しようとしても唸るような嗚咽が口からこぼれ出る。
ドラマで見たような光景だとどこかで思っている自分もいる。とにかく現実感が消え失せ、揺さぶるような震えだけが体を支配していた。

管を通して人工呼吸を行い、シーの腹が上下しているのが見え、ほんの少し安堵した。
だけど少しして、心臓が止まっちゃったなとT先生が呟いて心臓マッサージを始め、つかの間の安堵は完全に吹き飛んでしまった。
これまた、かつてどこかのテレビで見たように、T先生はシーの胸をガンガンと叩いた。
ステンレスの診察台がバンバンと跳ね返って響き、シーの胸が潰れてしまうのではないかというその激しさに、私は恐怖で狂いそうになった。
ひときわ激しくT先生がシーの胸を叩いたとき、後ろに立っていた母が、泣きながら小さな声を漏らした。
もうやめて。かわいそう。
出てって、と私は母に怒鳴っていた。出てて、出てって。
そう言わないと、自分が立ってられなかった。
助手に連れられ、母はロビーに連れて行かれた。
ロビーから母の嗚咽が聞こえた。

先生はなおもシーの胸を叩き続けている。
元恋人は、私の手を掴んで身を固くしたままその様子を見守っている。
叩きながら先生が、助手に今の時間を記録するように言った。
呼吸停止、心停止。
8時50分すぎだった。
家を出て、これしか時間が経ってないのかとつかの間、ぼんやりした。
呼吸停止、心停止。
それはどういうことなのか。
よくわかっていたし、まるでわかっていなかった。
あの時の恐怖は、どうしてもちゃんと書くことが出来ない。
いつまでも、書けないのかもしれない。

「もう」
と、私はついに言ってしまった。先生の手が止まった。すぐに止まった。
「どうしますか、続けますか」先生が言った。
これ以上続けて、可能性はあるのですかと私は聞いた。
先生は言った。
かなり確率は低いです、特に既に重病を患っている猫ちゃんの場合、可能性は限りなくゼロに近いです。
じゃあもういいですとかなんとか、ありがとうございますとかなんとか言って、シーに駆け寄った。
殴らせてごめん。ごめん。ごめん。
気を利かせて先生は部屋を出ていく。それからしばらくの間、私はまたしてもどっかのドラマで見たように、ステンレスの診察台で横たわるシーにすがりついて泣いた。

T医師は、シーの体をきれいにした後、若い医師らしく、お力になれずすみません、お悔やみ申し上げますときっちり頭を下げて、私たちを見送った。
若いあの不慣れな助手は、ほとんど半泣きで力になれずすいませんでしたと謝った。
なぜかその顔を見て、お前が泣くんじゃねえと叫びたいような乱暴な気分にかられた。
一旦家に帰り、新しいタオルを持参してシーをくるんで帰った。
シーの体は、ビックリするほど柔らかくて、ふわふわだった。
本当に眠っているように見えた。
なんと安い表現かと言われるだろうが。
そうとしか思えない瞬間はある。

***

これが、今朝までの出来事だ。
今朝、と書いているけれど本当はこれを書き始めて丸一日が経とうとしている。
つまり今朝とは、もう、昨日の朝の話だ。
自分でも予想しないほどに長文になってしまった。
誰に向けたわけでもなく、自分のためだけに好きに書くと、これだけダラダラとした長文が出来上がると言うことか。
でも、おかげでこれを書いている間は少しだけ冷静でいられた。
これを書き終わったら、私は何をすればいいだろう。
するべきことはわかっている。たくさんある。
待たせている仕事、待たせている人たち。なんと好きにさせてもらったことか。
本当にごめんなさい。すべきことはわかっているし、私はそれをちゃんとするつもりです。
ただ、私はどうすればいいのだろう。どうすれば。
だから、もう少しだけ書こうと思う。

シーは今朝(昨日ではなく、本当の今朝だ)、私と、母と、恋人と、元恋人の手で、父が掘っておいてくれた実家の庭の下に埋めた。
さすがに恋人と元恋人が私の両親の前で一同に介するなんてことは今までなかったので、それはだいぶ、奇妙な光景だったと思う。
元恋人は親ぐるみのつき合いだったので慣れているが、現恋人は今まで両親とまともに挨拶したこともほとんどない。
父なぞ新しく出会った恋人をどう解釈して良いかも分からぬ様子で、私たち一行から離れた場所で黙って見ていた。
母は、本当にありがとうございましたと、元恋人と恋人に交互に挨拶をした。母なりに、均等なバランスを気にしているようでもあった。
いつか、あの変な風景を思い出して笑えるときもくるかもしれないと、少しだけ思う。

私は庭に埋めるのがどうしても嫌で、しばらく庭先で母と押し問答をした。
シーの白い毛に土がかかるのが嫌だった。まだ柔らかく、いい匂いがする腹をさわれなくなるのが嫌。あの鼻くそホクロのある顔を見られないのが嫌。キスできないのが嫌。
全てが嫌でたまらない。今まで何度も猫たちを庭に埋めてきたのに、こんな気持ちは初めてで、自分でも整理がつかない。
夕べ恋人に、暖かくて柔らかい場所で少し休んだら、すぐにまた生まれ変わって会いに来てくれるよと言われ、納得したつもりだった。
今朝元恋人に、私が浅い眠りの中で何度も見た夢のように、シーは寝てる間にまた私へ会いに来てくれるよと言われ、納得したつもりだった。
母に、うちの庭ならすぐ会いに来れるじゃないと言われ、納得したつもりだった。
三人全ての意見を混ぜ合わせるとだいぶ混沌とした世界観になる。
が、どの言葉にも納得したし、そう思いたかった。
それでも私はシーを手放せず、さんざん埋めたくないと駄々をこねたあげく、しっかりしなさい、あんたがそんなに苦しんでいたらシーだって心配しちゃうじゃない、と母に叱られて、ようやく埋めることにした。
そんな母もまた泣いていた。

私と元恋人、恋人の三人で、タオルに寝かせたシーをゆっくりと土の下に沈ませた。
タオルを二重にして包んだけれど、やはりほんの少しシーの足に土がかかってしまった。
父が途中でやって来て、火のついた線香を穴の近くの土に刺し、黙って戻っていった。
土をかける作業は、私一人で行った。時折土の中に混ざっている石を元恋人が取り除いてくれた。
不思議なことに、土をかけているとそれまで駄々もらしになっていた涙が引いていった。
やけに落ち着いた気分になり、頬に春先の風を感じる余裕すらあった。
それは、哀しみが去ったということなのか、もっと大きな哀しみが襲ってきたということなのか、今はまだ、わからない。

シーを埋めた後、みんなで一本ずつ、線香を刺して家を去った。
父と母、恋人と元恋人。そして私の線香。
いろんな人に支えられてるんだから、しっかりしなさいと母は帰りがけにまた言った。
自宅への短い帰り道で、それまでほとんど口をきいてなかった恋人と元恋人が、私の後ろで、ありがとうね、こちらこそ、と言うような会話を交わしていた。
こんなにも苦しい哀しみの最中で、皮肉にも私は、まれにみる優しい時間の中にいた。

2009年04月23日

陽だまりの猫/8

ところで夕べのスーは、大人しかった。
部屋の端の布団から動こうとせず、丸まって眠っていた。私が腹の臭いを嗅がせてもらいにいくと、受け入れて顔をべろべろと舐めてくれるけど(スーは犬のように人を舐める、変わった猫である)、いつものように自分から甘えてくることはしなかった。
夜、友人の扶貴子とみほがシーに会いにやって来た。
私にとって姉妹がわりである二人は、姪っ子の死を偲び通夜にやってきた叔母たちのようである。
二人とも言葉少なにシーの前に座り、泣きながらゆっくりと優しく、シーをなで続けた。
そんな時はスーも布団から出てきて、二人へ近寄り、挨拶をする。
さながら弔問客を迎える親族のようだと思った。
美穂に近づき、扶貴子に近づき、最後にシーのにおいをかいで、また布団に戻っていった。
そんな時以外はあまり動こうとせず眠ってばかりいたので、私はスーまで具合が悪くなったかと心配した。
でも、今になって思えば、シーに遠慮していたのだろうと思う。
もしかすれば、スーなりに喪に服していたのではないか。
その証拠に、シーの姿が部屋から消えると、いつもどおり部屋の真ん中で寝るようになったし、昨日は抱こうとしてもなぜか嫌がったのに、今日は枕元で私の顔を長いこと舐めた。
今朝、シーを埋葬しに行こうとしたとき、出がけにスーへシーの体を近づけてみると、少しの間、顔を近づけて臭いを嗅ぎ、あとは扉が閉まるまで玄関先に座り、まっすぐ私たちを見ていた。
シーが部屋から去る瞬間は、スーに見送られたのだった。
ふたりが過ごしたこの部屋。ふたりで留守番したこの部屋。

***

ひとしきり書いて、今はシーが去って二日目の夜である。
そろそろ書くことがなくなってきた。
いや、本当はまだまだ書くことがあるけれど、書かずとも普通でいられるようになってきたというのが正しい。
シーを埋めてから、やはりなぜか涙は枯れた。
しかし本当に枯れたのだろうか。どこかに何かを、しまいこんでしまったのではないか。
いつかそれが、また津波のように防波堤を崩してなだれこんでくるような気がして、それが怖い。
いつ私は、本当のことを実感として自覚するのだろう。

冒頭に書いた「陽だまりの猫」について立ち返ってみる。
あのいなくなった猫は、物語の終盤に無事見つかったという連絡が来て、私演じる女の子はその場を去るのをやめる。
横断歩道の真ん中で丸くなり、ひなたぼっこをしているのが見つかったのだという。
何とも間抜けな話だけれど、女の子は少し、不安になる。
猫はどうしたかったのか。
もしかして、死にたかったのか。
それとも本当にただの、ひなたぼっこなのだろうか。

若い女の子グループで起こしたテロは、最初こそマスコミに注目されたものの、結局女の子たちのお遊びだと受け止められてか、結局誰にも相手にされず、つまりは飽きられて、あっけなく終焉を迎える。
籠城先の建物を囲んでいた野次馬もマスコミもいつの間にか消えてしまい、自分たちで閉じこもっていただけだったというお粗末な結果になる。
自分たちの本気を誰もまともに受けてもらえなかったと女の子たちは落胆する。
しかし、女の子達は意外なほどに皆さっくりと、じゃあ家に帰るねと言って散り散りに帰っていく。
世界の終末を控えて不安定な若者達はしかし、過剰に現実へ期待したりもしないのだ。
残ったのは、リーダー格の女の子と、私の演じた猫好きの女の子二人。
立ち去る勇気が持てない者と、立ち去る必要がなくなった者。
今の私は、その女の子二人、どちらでもあると思った。
シーがいなくなり、どこにも歩きだせなくなったような気持ちと、かたや、もうこれ以上シーを苦しめることはないんだと、歩かなくていいんだと安堵しているような気分。
だけど出来れば歩いていたかったと、ぐずぐずしている。
ぐずぐずして、外に出られない。

***

あの時シーは、ひなたぼっこしているように見えた。
ベッドに寝かせると西日が当たって、シーは気持ちよさそうに昼寝しているように見えた。
軽く頭をつついたら、声をあげて起き出しそうに見えた。
それで、ああ、ここにいるのは陽だまりの猫だ、と思ってこれを書くことにした。
あの小さないきものが、世界よりも大事に思えることが、確かにある。
あの黒縁猫にとって、私はどうだったのだろう。
私にはなにができたろう。
また答えのないどうどうめぐりになるから、早く眠ろう。
寝ぼけてシーのかわりに毛布を抱こう。
シーの夢を見たら、スーのお腹にもぐってヒーリングしてもらおう。

「たかが猫でしょう」
「たかが世界でしょう」

Image4121.jpg

ザンバラ娘。

どーも、桑原です。

『K』の時にメイクさんから良いヘアアイロンを卸値で売ってもらって、使いまくっていたのは良いのだけど、気がつけば髪がボロッボロ。枝毛が尋常じゃなくて、竹箒のようになっていて、そのうち見るのも嫌になって、ある夜唐突に枝毛部分をバチンと切った。
んで、ザンバラになった髪を整えてもらおうと今日、美容院へ行ってきたんだけどさ。
まー下手なんだわ。
予め写真を見せて話したのに、ぜんっぜん違う。
別に、ハリウッド女優の写真持っていったんじゃなく、美容院にある普通のヘアカタログですよ。
「お兄さん、これはちょっとないですわ」
ああだこうだ言ってるうち、髪がドンドン短くなっていきました。
それにしても、美容院に行って、どうしてここまでというくらい納得のいかん頭になったのも初めてで、しばし美容院さんと二人、呆然と途方に暮れる。
普通のセミロングなのに…。
結局、何度もカタログを見直して、妥協案みたいな感じでああだこうだ整え直してもらい、そのうち何がダメだったかわからなくなってきて(カオス)、なんだかこれもOKじゃん?みたいな気になって帰ってきた。
また伸びるし。←出ちゃいけない極論
「いやあ、最近のお客さんはみんな出来上がったものに意見を言わず、コレでいいですって言って終わっちゃうんですよ。お客さんみたいに言ってくれる方の方が良いんです」と、おべっかだか本心だかつかぬフォローを入れられたわけだけど。
私も「コレで良いです」って言いたかったんだぜ。

しばらく半端なザンバラで過ごします、どうぞヨロシク。

2009年04月25日

勝手にキャスティング

今日も今日とてバンダラの稽古です。
近藤芳正さんという俳優は、本当に赤ちゃんみたいな顔をしていて、こちらが意図せずともつい、微笑んでしまう力を持っている。
機嫌が良いんだか悪いんだか、笑い出すまでわからないところも赤ちゃんぽい。
この人にどこか近い人を知っているぞ、と思ったらば、グリングの青木豪さんだった。

ところで今回の現場は猫好きが多いです。
昨日休憩中に、ちょっとばかり猫の話になったらば、ウチは何匹、ウチは何匹、出産をさせて何匹、まあキャストもスタッフも猫好きばかり。
いつか思い切り猫話をしたいけれど、まずは稽古に集中せよですね。

ところで、先日KAKUTAの朗読公演中、照明の彩さんに怖い小説をお借りしたので、ようやく稽古が落ち着いてきた今、遅かりしながら読み進んでいるのだけど、皆さんは読書をするとき、登場人物を実在の人にキャスティングして読むことはありますか?
私はしょっちゅう。ていうか、癖のようなもの。
特にサイドキャラとかを勝手に知人でキャスティングして、絶妙な人材を見つけると嬉しくなる。
私は舞台創作の課程に於いても、一、二を争うほどに好きなのがキャスティングなのですよ。

とはいえ、自分を当てはめて読むと言うことは滅多にない。
というのは、まあ大体主人公に感情移入するのだから当然で、サイドキャラで自分がうろちょろしてたりすると「なんだお前は」という感じで妙な感じがするからだ。
あと、死んでしまいそうなキャラに友人を当てはめないようにするのも密かなルール。
前に「バトルロワイヤル」を読んでいて、膨大なキャラを憶えるため一人一人知人をキャスティングしたらどんどん死んでいってえらいことになった。
なぜか、知り合いの舞台美術さんが一番の悪人になっていくという展開に。
だから、出来るだけ元気そうな人、危害が与えられなそうな人、あるいは恋愛小説などに、キャスティングするのですよ。

例えば、今読んでいる彩さんに借りている小説「芦屋家の崩壊」、まあ面白い本なんですが、ココに出てくる、「伯爵というあだ名の全身黒づくめの怪奇小説作家」には、ウチでいつもお世話になっているカメラマンの相川さんをキャスティング。コレがまたバッチリハマって、何を喋っても相川さんが連想される。
伯爵とうまい豆腐を食べに行く…なんて言うくだりでは、相川さんと車に乗って旅行している気分になって面白し。
例えば、映画にもなったミステリ小説「犯人に告ぐ」で、とぼけた新米刑事が出てくるのだけど、ソレをナギプロの凪沢君でキャスティングしたらば、結果的に彼が事件を解決した。
私の中で、知り合いが勝手に大冒険していたりするのです。

でも「容疑者Xの献身」で堤真一さんが演じた役は、私はもう完全にフジテレビの軽部さん(知人ではないけど)だったので、あまりに印象とちがくてまだ映画を見られていない。
あのエンディング…軽部さんを思い出して泣きに泣いたのに。

さて、「芦屋家の崩壊」の中で、「猫背女」という話がある。
彩さんが冗談で、この役はKAKUTAの猫背女優・野澤爽子がやったらいいよというからそのつもりで読んだらば、もの凄く恐ろしい女であった。
野澤の猫背をスパルタ矯正しよう、と改めて思った次第だ。

2009年04月26日

「さとがえり&帰れない夜」フォトギャラリー#1

おこんばんちは。バラです。
改めまして、先日無事終了しました「帰れない夜」「さとがえり」。
皆様、ご来場いただきありがとうございました!
お待ちかね(?)、カメラマン相川博昭氏によるフォトギャラリーでござんす。
今回は二作品同時上演、ということで写真も二倍…にするとすごい大変だから、相変わらず割と自分勝手なペースでご紹介していきたいと思います。

sat_0099.jpg

二作だけに、どちらか一方しかご覧になってない方もたくさんいらっしゃるでしょう。
そんな皆様に二つの違いなんかを楽しんでもらえたらと思いますよ。

《写真をクリックすると大きい写真をご覧になれます。》

kae_0118.jpg

朗読とストレートプレイ。
これだけでも大きく違うようですが、朗読とはいえほとんど動くわ喋るわ走るわの演劇なので、実際は演劇×演劇といっても良い感じでした。
でもね、雰囲気はもう、だいーーぶ違ったのですよ。

たとえば舞台美術。
「さとがえり」はこんな舞台。
sat_2074.jpg
昭和を感じさせる古い和室。長野県は松原湖にある合宿所という設定です。

対してこちらは「帰れない夜」。
kae_2579.jpg
ホーラだいぶ違うでしょう。
「帰れない夜」はオムニバスなので、舞台はいろんな空間に見えるよう、やや抽象舞台になっています。
あの竹はどこに?砂壁はどこに?
竹はこっそり見えていますけど。砂壁などのパネルは、忍者屋敷のように、あるいはパズルのようにチェンジするのです。
コレだけの大がかりな装置替え。昼夜二公演ある日なんかはキャストスタッフ総出で、30分とかで大急ぎで転換します。
いやはや!この舞台を考えた美術さんといい、そしてチェンジする舞台監督&演出部のみなさん、スタッフ陣(キャスト陣も)に頭が上がりません。

まあ見るからに、二作品のトーンが違いますね。
だって一応、「帰れない夜」はホラーテイストがウリだもんで。
例えば、開演時間までの雰囲気もこんなに違う。

kae_3006.jpg

朗読の夜シリーズでは、開場中キャストが本を読んでいます。
なんつうか、インテリな感じ(?)。
実際読んでいる本が面白いかどうかで、キャストの開場中の過ごし方にも変化が。
つまりは、面白くない本をチョイスしてしまうと、この開場時間が眠くて仕方ないのですよ。

sat_0014.jpg
「さとがえり」では女の子が一人、怖い話の入った(全然怖くないけど)テープレコーダーを聞いている夏の夜。
こちらの女子はざしきわらしではありません。客演のヨウラマキ嬢。
オカルト研究部に入っている大学生の役。
「さとがえり」でもホラーなテイストがちょいちょい話題として出てくるんです。にもかかわらず、全く怖くなく、終始のどかなムードが漂っているのがこちらの話。

洋服だってだいぶカラフル。
sat_3444.jpg

「帰れない夜」は基本的に暗めのアースカラー。
kae_3236.jpg
こうした各作品の違いは、意識的に出してみました。
だから、「帰れない夜」を見たお客さんは「さとがえり」を見てその賑やかさと怖くなさに拍子抜けしたでしょうし、「さとがえり」を見て「帰れない夜」を見たお客さんは、ダークなムードにギョッとしたことでしょう。

kae_1221.jpg
ちょっと気味の悪いシーンもあったりします。
「縁切り神社」という作品で、縁切りを願う人々の怨念をビジュアル化してみたワンシーン。
お客様から思った以上に「怖かった!」という声をいただいたこのシーンですが、実際は狭い場所にキャスト陣がギュウギュウでおさまり、無理な姿勢を取ってるので、裏から見ると相当面白いことになっています。
嗚呼、その写真も取っておけば良かった。

sat_1312.jpg
というわけで、次回はこちら「さとがえり」から、ご紹介してゆきますね。
相川さん(昨日の日記で言うところの伯爵)の素敵な写真集をお楽しみくださいませ。

2009年04月28日

「さとがえり」フォトギャラリー

ではではさっそく、あらすじ解説を交えてご紹介していきましょう、「さとがえり」の巻。
(写真はクリックすると大きくなります)

sat_0042.jpg
舞台は先述の通り、長野県にある合宿所「大門」。
実はここ、かつて実際に松原湖にあった合宿所そのままです。名前もそのまんま。
なにをかくそう(隠しちゃいないが)、私も子供の頃、父に連れられて、この合宿所によく泊まりに来ていたんです。処女作品だけに、大好きだった場所を舞台にチョイスしたんですね。
合宿所の見た目もかなり、このまんまです。つまり、普通の民家のような宿。

子供の頃、夏休みで何が楽しいって、この大門で過ごす数日間。
ここに来て、テニスをする父と父の友達。近くにテニスコートがあったんですね。
んで、私はその父の友人の子供たちと遊ぶわけです。
テニスボールを盗んだり、探検をしたり。夜はボートに乗って大人に混じっておつまみを食べ、ファンタを飲みます。
そんなエピソードも本編の中にかなり反映されています。

sat_3890.jpg
ほれ、こんな風に。
うちの父もまさにこんなテニスウェアでキメておりました。

では、そろそろあらすじを簡単に。
これはある夏の盆休み。
お父さんの三回忌のため、父方の田舎にやって来た、ある家族。
sat_2435.jpg
母、長女、次女、末っ子の長男。
見たところ全員同世代に見えます。が、実はこの中にいる若い娘はお母さん。
sat_2065.jpg
お父さんがこの世を去って以来、なぜかお母さんはどんどこ若返りしてしまったという、奇妙なお話でございます。

sat_2190.jpg
宿を切り盛りするのはこの家族・田端家の親戚で、長女たちの従姉妹。
叔母にあたる母・みずえの急激な変化に戸惑いを隠せないのは当たり前。
もちろん、家族たち以外に普通のお客さんもやってきます。
sat_0146.jpg
例えば一人旅でふらりと宿に訪れた青年や…。

sat_2608.jpg
合宿でやって来たサークル「オカルト研究部」の大学生。たった三人だけの、怪しい部活。
でも遊んでばかりの陽気な三人組。

sat_2362.jpg
長女の婿も三回忌のためにやって来ますが、当然若返ったお母さんを見てびっくり。

sat_2251.jpg
sat_0892.jpg
民宿だけにアットホーム。
お客さん同士で談笑する中、だけどここにいる若い娘がお母さんだと言うことに気づく人はいません。

お母さんはなぜ若返ったんだろう?これからどうなっていくのだろう?
そんな不安を子供たちがそれぞれに抱えつつ、まずは目先の三回忌を、親戚に怪しまれず、滞りなく行えるだろうか?という問題に家族一同、頭を抱え、奮闘するのです。

sat_2943.jpg
こんなベールで顔を隠してみたりして。

sat_2527.jpg
また物語は、三回忌を挟む三日間の話と平行して、お母さんがこの宿でかつてお父さんと過ごした若かりし頃の思い出がフラッシュバックして描かれます。

sat_0101.jpg
思い出の中のお父さんもやはり若く、青春時代を謳歌していた頃。

sat_3862.jpg
お母さんが当時仲の良かった女友達もお母さんの思い出の中に登場します。
しかし…。

sat_3735.jpg
時が経ち、お父さんの三回忌を迎えたとき、なんとあの頃の女友達が若いときのまま登場します。
友人との再会を大喜びするお母さんですが、周りの人々は困惑顔。

sat_3798.jpg
実はこの女性は、お母さんと仲が良かった友人の、娘なのでした。
つまりは、長女と同世代。
かつてこの合宿所でお父さんとお母さんが過ごした夏、子供時代に遊んだ者同士。
お母さんの友達だった思い出の中の女性は既にこの世におらず、お母さんはますます、取り残された気持ちになってゆくのです。

賑やかで、短い二日間は過ぎてゆき…。
sat_0233.jpg
sat_2738.jpg
sat_0774.jpg
sat_0482.jpg
sat_3367.jpg
sat_3489.jpg
sat_2895.jpg
sat_3780.jpg

宿を立つ朝。様々な人が宿を去っていくその日。
お母さんはある一大決心をして、子供たちの前に立つのでした。
sat_4145.jpg
sat_4149.jpgsat_4150.jpg
sat_4152.jpg
sat_4156.jpg
sat_4159.jpg

「さとがえり」
2009年4月3日~12日@下北沢ザ・スズナリ

2009年04月30日

健康肥満体!

こんにちは。フォトギャラリーの途中ですが、今日は普通の日記を。

昨日、ウチの猫、スーを健康診断に連れて行った。
半日入院の猫ドッグ。
シーのことがあって以来、私は神経過敏になっているところがあったので、スーのことは出来るだけ早く、詳しく、ちゃんと調べてもらおうと思っていた。
行き先は、あの日お世話になったT動物病院だ。
血液検査、レントゲン、便検査、エコー検査、細かく色々やってくれる。

T動物病院にとの初対面はあの日だったものだから、動物病院に近づくのが怖いし、あの後ということで同情の目を向けられるのではと思うとお医者さんに会うのも勇気がいった。
調べてもらいたいのに怖い、早く行きたいのに怖い、とグズグズした気持ちでいたらば、元恋人(またこの書き方をするのもあれだけど)が、私の代わりに連れて行ってくれると申し出てくれたので、甘えさせてもらった。
とはいえ結果は自分の耳でもやはりどうしても聞くべきだと思い、稽古が終わって急いで病院へ向かった。
あの日以来に来た病院だったので、さすがに足がすくむ思いがした。
だけど、

結果は、健康体!!!
デブ!!!
肥満だけどうにかすべし!!

ということでした。
嬉しくて嬉しくて、帰り道でびょんびょん跳ねてしまったよ。
こんなに嬉しい気持ちになるなんてというくらい、嬉しい。
ああ嬉しい。嬉しいなあ。
本当に詳しく調べてくださって、ここまで本格的な検査は初めてだったのだけど、キャンペーン中というのもあって良心価格だし、何より細かい数値についても詳しく話してくださるのでわかりやすかった。
健康診断に行く前からスーのダイエットを始めてはいるのだが、やっぱりデブである、ということは再三お医者さんから伺った(デブとは言わないけど)。
これからもっと気にして理想体重にしていこうと思う。
ありがとう、T動物病院!

健康診断に来てくれた犬猫ちゃんたちをHPでご紹介していると言うことで、スーちゃんの写真を撮ってもいいですかと言われたんだけど、こんなに感謝してるくせにすげなく断ってしまった。
すいません、T動物病院。悪気はないんです。
帰りながら元恋人に「だって私がもし人間ドッグに行って、この方が検査に来ましたよって写真が載ったらいやじゃない?」と理由を述べたら、俺はべつに載っても良いけどね、と言われた。
あらっ、T動物病院に悪いことしてしまったなあ。
いつか、街角の美人猫、とかで載せてもらえるように頑張ろう。(そんなコーナーがあるかわからないが)

ところで、尿検査だけ尿がとれなくて出来なかったから後日、になってしまったのだけど、尿ってどう採るのカネ?
猫トイレでしちゃうから、あっ、今採ろうと思ったのに!って時には猫砂に吸い込まれてる。
うんちはそれっ!って感じでスーがトイレに行った瞬間、こんもりいただいたのだけど。
誰か教えてくれませんか。
砂を入れないでおしっこしてもらうのかな?

About 2009年04月

2009年04月にブログ「桑原裕子の胸中吐露辞典」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2009年03月です。

次のアーカイブは2009年05月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type