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吐露始め 2009/04/22 水曜日

陽だまりの猫/7

あの時の決断が、正しかったのか間違っていたのか、今もわからない。
しかし、ともかく私は連れて行った。
既に呼吸は止まっていた。
でも、心臓が僅かに動いているのが胸の動きでわかったから、私は連れて行った。

T動物病院は、出来たばかりの清潔さに満ちていた。
受付の看護助手が私たちの車を見ると、すぐに反応して中に招き入れ、奥の診察台へと導いた。
イメージしたとおりの若い獣医師、T院長が奥から走り出てきて、私たちはろくに挨拶も交わすことなく、緊急延命措置が始まった。
「心臓は動いてるな」というT先生のつぶやきだけを頼りに、診察台から少し離れたところで、私と元恋人、そして後ろに母が立ち、その様子を見守った。
T先生は助手に次々と指示を出していく。
黄色のコードは右足、黒のコードは左足につけて。
助手は慣れてないらしく、今ひとつ緊張感にかけるスピードで、言われたとおりのことをする。
そういえば、T先生から入院の話が出たときに、開業したてで曜日によってスタッフが充実していないと言っていたが、それが今日なのだ。
助手を見ながら、私がやるから代われと叫びたくだった。
しかし本当を言えば私は、代われるような冷静さなどどこにもなかった。
恐怖で立っていることもおぼつかず、元恋人にしがみつくようになんとか体勢を保っていた。我慢しようとしても唸るような嗚咽が口からこぼれ出る。
ドラマで見たような光景だとどこかで思っている自分もいる。とにかく現実感が消え失せ、揺さぶるような震えだけが体を支配していた。

管を通して人工呼吸を行い、シーの腹が上下しているのが見え、ほんの少し安堵した。
だけど少しして、心臓が止まっちゃったなとT先生が呟いて心臓マッサージを始め、つかの間の安堵は完全に吹き飛んでしまった。
これまた、かつてどこかのテレビで見たように、T先生はシーの胸をガンガンと叩いた。
ステンレスの診察台がバンバンと跳ね返って響き、シーの胸が潰れてしまうのではないかというその激しさに、私は恐怖で狂いそうになった。
ひときわ激しくT先生がシーの胸を叩いたとき、後ろに立っていた母が、泣きながら小さな声を漏らした。
もうやめて。かわいそう。
出てって、と私は母に怒鳴っていた。出てて、出てって。
そう言わないと、自分が立ってられなかった。
助手に連れられ、母はロビーに連れて行かれた。
ロビーから母の嗚咽が聞こえた。

先生はなおもシーの胸を叩き続けている。
元恋人は、私の手を掴んで身を固くしたままその様子を見守っている。
叩きながら先生が、助手に今の時間を記録するように言った。
呼吸停止、心停止。
8時50分すぎだった。
家を出て、これしか時間が経ってないのかとつかの間、ぼんやりした。
呼吸停止、心停止。
それはどういうことなのか。
よくわかっていたし、まるでわかっていなかった。
あの時の恐怖は、どうしてもちゃんと書くことが出来ない。
いつまでも、書けないのかもしれない。

「もう」
と、私はついに言ってしまった。先生の手が止まった。すぐに止まった。
「どうしますか、続けますか」先生が言った。
これ以上続けて、可能性はあるのですかと私は聞いた。
先生は言った。
かなり確率は低いです、特に既に重病を患っている猫ちゃんの場合、可能性は限りなくゼロに近いです。
じゃあもういいですとかなんとか、ありがとうございますとかなんとか言って、シーに駆け寄った。
殴らせてごめん。ごめん。ごめん。
気を利かせて先生は部屋を出ていく。それからしばらくの間、私はまたしてもどっかのドラマで見たように、ステンレスの診察台で横たわるシーにすがりついて泣いた。

T医師は、シーの体をきれいにした後、若い医師らしく、お力になれずすみません、お悔やみ申し上げますときっちり頭を下げて、私たちを見送った。
若いあの不慣れな助手は、ほとんど半泣きで力になれずすいませんでしたと謝った。
なぜかその顔を見て、お前が泣くんじゃねえと叫びたいような乱暴な気分にかられた。
一旦家に帰り、新しいタオルを持参してシーをくるんで帰った。
シーの体は、ビックリするほど柔らかくて、ふわふわだった。
本当に眠っているように見えた。
なんと安い表現かと言われるだろうが。
そうとしか思えない瞬間はある。

***

これが、今朝までの出来事だ。
今朝、と書いているけれど本当はこれを書き始めて丸一日が経とうとしている。
つまり今朝とは、もう、昨日の朝の話だ。
自分でも予想しないほどに長文になってしまった。
誰に向けたわけでもなく、自分のためだけに好きに書くと、これだけダラダラとした長文が出来上がると言うことか。
でも、おかげでこれを書いている間は少しだけ冷静でいられた。
これを書き終わったら、私は何をすればいいだろう。
するべきことはわかっている。たくさんある。
待たせている仕事、待たせている人たち。なんと好きにさせてもらったことか。
本当にごめんなさい。すべきことはわかっているし、私はそれをちゃんとするつもりです。
ただ、私はどうすればいいのだろう。どうすれば。
だから、もう少しだけ書こうと思う。

シーは今朝(昨日ではなく、本当の今朝だ)、私と、母と、恋人と、元恋人の手で、父が掘っておいてくれた実家の庭の下に埋めた。
さすがに恋人と元恋人が私の両親の前で一同に介するなんてことは今までなかったので、それはだいぶ、奇妙な光景だったと思う。
元恋人は親ぐるみのつき合いだったので慣れているが、現恋人は今まで両親とまともに挨拶したこともほとんどない。
父なぞ新しく出会った恋人をどう解釈して良いかも分からぬ様子で、私たち一行から離れた場所で黙って見ていた。
母は、本当にありがとうございましたと、元恋人と恋人に交互に挨拶をした。母なりに、均等なバランスを気にしているようでもあった。
いつか、あの変な風景を思い出して笑えるときもくるかもしれないと、少しだけ思う。

私は庭に埋めるのがどうしても嫌で、しばらく庭先で母と押し問答をした。
シーの白い毛に土がかかるのが嫌だった。まだ柔らかく、いい匂いがする腹をさわれなくなるのが嫌。あの鼻くそホクロのある顔を見られないのが嫌。キスできないのが嫌。
全てが嫌でたまらない。今まで何度も猫たちを庭に埋めてきたのに、こんな気持ちは初めてで、自分でも整理がつかない。
夕べ恋人に、暖かくて柔らかい場所で少し休んだら、すぐにまた生まれ変わって会いに来てくれるよと言われ、納得したつもりだった。
今朝元恋人に、私が浅い眠りの中で何度も見た夢のように、シーは寝てる間にまた私へ会いに来てくれるよと言われ、納得したつもりだった。
母に、うちの庭ならすぐ会いに来れるじゃないと言われ、納得したつもりだった。
三人全ての意見を混ぜ合わせるとだいぶ混沌とした世界観になる。
が、どの言葉にも納得したし、そう思いたかった。
それでも私はシーを手放せず、さんざん埋めたくないと駄々をこねたあげく、しっかりしなさい、あんたがそんなに苦しんでいたらシーだって心配しちゃうじゃない、と母に叱られて、ようやく埋めることにした。
そんな母もまた泣いていた。

私と元恋人、恋人の三人で、タオルに寝かせたシーをゆっくりと土の下に沈ませた。
タオルを二重にして包んだけれど、やはりほんの少しシーの足に土がかかってしまった。
父が途中でやって来て、火のついた線香を穴の近くの土に刺し、黙って戻っていった。
土をかける作業は、私一人で行った。時折土の中に混ざっている石を元恋人が取り除いてくれた。
不思議なことに、土をかけているとそれまで駄々もらしになっていた涙が引いていった。
やけに落ち着いた気分になり、頬に春先の風を感じる余裕すらあった。
それは、哀しみが去ったということなのか、もっと大きな哀しみが襲ってきたということなのか、今はまだ、わからない。

シーを埋めた後、みんなで一本ずつ、線香を刺して家を去った。
父と母、恋人と元恋人。そして私の線香。
いろんな人に支えられてるんだから、しっかりしなさいと母は帰りがけにまた言った。
自宅への短い帰り道で、それまでほとんど口をきいてなかった恋人と元恋人が、私の後ろで、ありがとうね、こちらこそ、と言うような会話を交わしていた。
こんなにも苦しい哀しみの最中で、皮肉にも私は、まれにみる優しい時間の中にいた。

吐露終わり
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